第57話 静まってから、響くもの(前編)
統合五日目のフィールド内を眺めてみれば、赤紫の中でも絶妙な色合いを帯びた髪の長い女性が一軒家程度ならば優に収まる規模の空間を誇る正八角形の部屋の中にいた……中央に鎮座するは巨大なエネミー。
青い塗料を一様に施したかの如く鮮やかな巨体は臓器特有とも言える光沢を放ち主に心臓を思わせる造形。直に生える幾多の触手は軒並み強靭さが見て取れる程に筋肉質で、全体が脈動する様は生物的だった。
部屋の中に収まり切ってはいるが、壁と違い大理石の色そのままの天井まで大いに迫るその体躯が脈打つ度……部屋全体に力強い重低音が響き渡る。
階段を登って部屋まで来た女性は絵画を背に出て来た為、暗い部屋の中に幾つもある培養層とその各々の中を満たす黄緑色の液体が不気味なまでに光る事で照明代わりとなっている絵の存在には気付かず。
絵の培養層の中には生物的で異形な影も見えるが……部屋の中に目をやれば人型と呼ぶには腕と尾の長いエネミーの姿が確認出来た。
体表の所々が破れているかのように開き、そこから覗ける赤い肉の質感は歯茎を思わせ、皮膚の色は白いが赤を無理矢理漂白したかのような色味……そんな漂白エネミーが二匹、中央の巨体――臓器エネミーの後ろに控えていた。
臓器エネミーはその触手に電気状の能力の生成物を帯びさせるのだが、その電撃は能力の生成物に対してダメージを増加させる性質を伴う事から、相手が能力による防壁の類を展開すれば容易く耐久を突破する事が予想される。
電撃を暫く蓄えればその巨体全体からある程度の範囲に及ぶ規模で放つ事が可能で……この部屋の広さはその射程内に収まっていた。
女性が来る前から出現していた臓器エネミーは先程の髪色とピンクゴールドの瞳を持つ女性にこの大規模電流を程なく放つ……ダメージ増加の対象外であっても少なくない威力を有する広範囲攻撃が激しく巻き起こった。
部屋に入った直後、女性は床に手を突いており、その頃から青磁色の金属が床を塗り替えるかの如く徐々に現れており、電流が来た時には多少以上の規模に。
そんな金属がアルミ箔のように薄く変形し女性を防御したが……臓器エネミーの能力にとって、この青磁色の金属は能力の生成物とは判定されなかった。
青磁色の金属が床の表面に広がっていたのでは無くカーペット部分そのものを置き換えていたのもあるが……この金属はガーデンでは時限性だがフィールド参加での強化により、そのフィールド内では常に持続する。
そんな条件でフィールドを構成する要素の一部を青磁色の金属で上書きされればそれは最早一時的な変更では無くその空間を占めていた既存の物体が青磁色の金属へと永続的に成り代わり、その世界の構成要素を侵食した事を意味する。
故に臓器エネミーの電撃にとっては周囲の床が薄く変形して行く手を阻まれたに過ぎず、青磁色の金属は「能力の生成物に由来するダメージが発生しない」という性質を有していた。
そんな青磁色の金属に対し使用者は任意で「能力の生成物や能力的な作用を跳ね返す」という性質を付け外し出来、今は付与していない状態。
臓器エネミーの大規模電流は比較的持続するが、その間に発生したであろう髪を緩やかにふわふわと長く伸ばした女性が受けるダメージを青磁色の金属箔は完全に防いでいた。
女性が手で触れたもの――正確には使用者の意思を強く伴って触れたものが対象となる為、足裏に意識を集中させれば青磁色の金属を靴底周辺から広げる事も可能ではある。
衣類越しの場合は意識を一層注ぐ必要があるからか女性は引き続き床に手を当て青磁色の金属の勢力を拡大させて行った。
青磁色の金属はその体積に応じて内部にエネルギー的なものを蓄え、それが周囲で琥珀色の結晶として現れるか否かを使用者は常に変更可能……琥珀色の結晶はネオンイエローの色味を帯びて緩やかに明滅し、その頻度は変更不可なので一定。
その体積での青磁色の金属が蓄える結晶の発生量には上限があり、結晶化による消費で再び貯蔵量が上限まで増加して行く。
青磁色の金属から得られる琥珀結晶を女性は同色のエネルギーへと変換……青磁色の金属の範囲を更に拡大させながら臓器エネミー目掛けてビームを放った。
光状のエネルギーに変換する効率は高めだが幾らかは落ちる為、元の量からは下回り、青磁色の金属から取り出し切って生成された琥珀結晶から集めた上で攻撃に使用……今はまだビームを繰り出す間隔が長い様子。
変換効率を更に下げればエネルギーに氷結と似た作用を付与出来るが、臓器エネミーに直撃したビームにはそれが無かった為、放たれた琥珀色のエネルギー全てが熱量へと変換され爆発に至る。
部屋の中央に位置したまま動けない臓器エネミーは女性のいる距離からでも目視可能な規模の穴が開き、直ぐに塞がって行ったが再生出来る量は限られている為、確定したダメージ量に応じたポイントが女性へと入る。
二体いる漂白エネミーは女性の存在に気付き、向かって行くが……部屋の照明は行き届いており、視界に広がる青の中に人の背丈を多少上回る白い人影が見えればこうして即座に迎撃に移るのは容易な事。
最上位エネミーと呼ばれる存在はダメージを受けても怯んだり叫んだりしないが漂白エネミーは唸り声を上げながらその動きを止め、体の一部も吹き飛んだ。
同じ威力でいいのならば青磁色の金属はこの部屋にある物体全てを置き換えるまで増えて行くので、攻撃サイクルは次第に狭まって行く……あとは女性が臓器エネミーの再生力が無くなるまで攻撃し続けるだけだろう。
ビームを臓器エネミーに浴びせ、大規模放電は防御。そんな光景が暫く続いていたが、落ち着いた赤紫系の髪色の女性は壁に扉が出現している事に気付く。
エネミーによる撃破ポイントを稼ぐよりも今回のマップで得られる情報を少しでも多く集める事に重きを置いていた女性は早々とその出口から次の部屋へと去って行った。
一つのフィールドに最上位エネミーは多くて三種類現れ、一種のみという事は無い。ダメージを受けた際に全体のバランスが崩れるか自重を動かす程の力を受けない限り、受けた攻撃の影響無しに現在の動作を続ける性質を共通して備える。
最上位エネミー内でも強さに差はあり、大きな額縁に飾られた絵が石造りの遺跡を主に描いているこの部屋ではキマイラと呼ばれるエネミーは出現しないが、その上位である大型の方は複数体出現する。
そもそも統合五日目となるこのフィールドで出現するのは各マップの最上位エネミーのみ。
遺跡マップの特徴であるエネミーの出現数・強さ・発生頻度の各種度合いから成る「エリアランクシステム」と似たものが今回のフィールドに施されており、出現するエネミーの数だけ見れば小規模なもの。
先程までいたエネミーは一掃され、それを単独で行った紫鬼面の少女も既に退室したこの部屋ではエネミー全滅による宝箱や扉が全て出現。
どうしよう……。
そんな背景も知らずに、ここはエネミーが出現しない分岐ポイントだと思い込む眼鏡を掛けた少女――史邑霙が自らの進退について悩んでいた。
統合五日目のフィールドは「常にリタイア可能」という前代未聞の条件を見て思わず参加した彼女だが……従来のエネミー一匹すら満足に倒せぬ自らの能力でこのフィールドを進む事が出来るのかという疑念が膨れ上がるばかり。
どんなマップか少しは見れたし……もう帰る、とか。
史邑霙がそう心の中で呟いた瞬間だった。
「どうしたの?」
知らない女性の声色に釣られて振り向こうとするも、どの方向から聞こえたのかを掴めていない様子を見て、女性は更に発言する。
「こっちよ、こっち」
背後と言うには斜め方向だったが史邑霙は女性の居場所に気付き、やや呟く。
「え、えっと……」
「進まないの?」
そう問われ、史邑霙は困惑しながらも何とか言葉を紡いで行く。
「今回のマップ……今までもだけど、私じゃ無理かなぁって……」
「まずはこの部屋を出ましょう」
発言と共に歩き出す女性に史邑霙が思わず付いて行き……扉を開け、現れた廊下を進む中、女性の方から言葉が投げ掛けられると会話が始まった。
「随分と不安そうな顔ね」
「私の能力もだけど……一緒に行ってもいいのでしょうかって」
「来てくれた方が有難いわ」
「でも……私の能力じゃ、何のお役にも」
「そんな事無いわ」
女性はそこまで言うと廊下奥の扉手前で立ち止まり……こう続けた。
「あなたにだって……役に立てる事があるわ」
その言葉を受けた瞬間、史邑霙の中にあった、こんなにも弱い自分が同行してよいのかという迷いが大いに晴れる。
廊下も部屋も一様に明るいが、そんな気分になったからか史邑霙には目前となった次の部屋へと続く扉が随分と明るいものに見えた。
「が……頑張ります!」
拭えぬ不安を振り落とそうと叫ぶも、そこまで声量が出なかった史邑霙を他所に長い髪の女性は歩き出した。
女性の髪色は薔薇のような深紅色に染まり、瞳は茎の色に近いビリジアン……自らの能力名を『エディー』で登録している。
史邑霙からして見れば背も比較的高く存在感を湛えた豊満な胸部……自らを上回る要素を備えた彼女――エトヴィエラ・ディーヘスの風貌を目の当たりにし、仄かな憧れさえ抱きつつあった。




