第55話 まずは魔法少女が二人(前編)
雪原マップ。
場所ごとに発生頻度の異なる吹雪によって視界は悪くなりがちで、基本的に足首が埋まる深さまで積もる雪が全域を覆う。
そんなフィールドでは摂氏にして融点が凡そマイナス三十九度となる水銀が個体を保持出来る事を踏まえれば、平均気温はそれ以下となるわけだが……その影響を参加者自体は平常時は受けない事も特徴。
使用する武器や能力の内容が物理法則に強く準じるものならば、この気温の影響を受け、ある状況下では参加者自身にも寒冷作用が働くが……どのような局面で起きるかは実際の戦闘風景を見るのが早いのかもしれない。
統合五日目となるフィールド内にて、二人の少女が戦っていた。
「まだまだ勝負はお預けみたいだね」
「どさくさに紛れて首を狙う……このエネミー倒すまでそういうのはナシにしてあげるわ」
所々にピンク色のラインがある白いドレスを着たピンク髪のツインテール少女へ向けて、青味のある水色ドレスの青髪ポニーテール少女が睨み付けるような言葉を放っていた。
背中にある大きな赤いリボンが目立つ少女はその内部で炎のような動きが揺らめくかのような……そんな鮮やかなマゼンタの宝石が先端にあるステッキを掲げて、眼下のエネミー目掛け攻撃を浴びせる。
狼が人型の形状を得たような背丈二メートルを超える、そのエネミーの体毛は白く、見事に筋肉質な全体からは所々で多少の防具が確認出来た。
便宜的にホワイトウェアウルフと呼称するのも候補だが……大きな剣を振り回す戦士としての側面も踏まえ『白い戦狼』も一考か。
白い戦狼が持つ大振りの両刃剣は内部に冷気の魔力が込められたかのように青く透明で、その形状は単純という言葉で表すのを躊躇う程の複雑さを備えていた。
そんな大剣を持つ白い戦狼の周囲を先のステッキ少女が放ったピンク色の炎が取り囲む……見た目は炎だがエネルギー的な側面が強い能力の生成物の為、氷点下の影響を受ける事は無かった。
次の瞬間、白い戦狼は大剣を薙ぎ払い、描かれた弧の軌跡上に置いて行ったかのように鋭利な先端のある青い氷のような構造体が幾つか生成……外側に向け一斉に発射された。
それによりピンク色の炎の包囲は掻き消えたが、白い戦狼の背後には高い透明度と発色を誇るターコイズの刀身から成る剣を振り被った少女の姿。
内部でウルトラマリンの色が無数に輝くその剣は白い戦狼のものと引けを取らぬ程の大振りで、頭上で浮遊するツインテール少女よりも高く跳び上がっていた。
能力によりその高度から加速落下し白い戦狼の背後を狙う青髪少女……鋭い速度で振り下ろされた一撃を白い戦狼は比較的余裕のある時点で後ろへ下がるや、それが予備動作だったかのように青髪少女へと素早く斬り掛かる。
青髪少女は周囲に発生していた自分を象った青い幻影と位置と態勢を入れ替え、その幻影は即座に氷らしきものを放射状に放ち、白い戦狼を直撃。
一塊に生えて来たこの氷も能力の生成物の為、寒冷の影響を受けず、ピンク色の炎もこの氷も白い戦狼にとっては属性のような扱いも無しにダメージが入る。
白い戦狼は突然の攻撃に若干後退るが……怯む事無く次の攻撃へ移り、前方にいる二人の少女目掛けて、青い大剣を袈裟斬りに動かし、幾つかの大きな氷柱がその軌跡上に生成されるや鋭く発射。
「折角当てたのにあんま効果無し……」
「……出口を探した方がいいのかしら」
二人の会話を他所に発射された一番奥の氷柱が地面に突き刺さる。
冒頭で述べたように雪原マップは白い戦狼ほど大柄でも足が埋まる程の積雪を誇る場所……そして氷柱が刺した周囲に広がっていたのは、赤系で統一された複数のニードルパンチカーペットが敷かれた床だった。
「うっわー……」
二人の魔法少女、ファーリーピンクとニアリーブルーが白い戦狼と戦う様をやや遠くから眺めていた更なる二人の女性の内、一人が思わず声を漏らす。
褐色の肌にベージュの髪を有する少女は、そのココア色の瞳を隣にいる女性へ向け、再度発言。
「入って行ける気がしないんだけど……」
「まぁ賛成。ここはまだ成り行きが気になるよね……部屋の様子とか」
銀髪ツーサイドアップで金色の瞳を持つ少女が返すと、褐色少女は足踏みをしながら言う。
「にしても、何なのこれ……何も無い床の上なのに歩く度に積もった雪の上を歩いてるみたいな感触するし」
「あのエネミーって雪原マップのだよね。だから床もその仕様になってる、とか」
銀髪少女の推測通り単調になり過ぎない程度に色が離れ気味な複数の赤系のニードルパンチカーペットから成る床に何かが乗れば、そこに雪が積もっているかのように不自然に浮き、何かを突き立てれば雪にでも刺さったような挙動を見せる。
「さっきから強い風に吹き付けられてるような感触もするし……この風景は幻で、実際は吹雪が凄い雪原なんじゃあ……」
登録名タンクバスターの少女の発言は事実から大分逸れており、この一室の奥にある一目で高級木材と解る大きな額縁で飾られた雪景色の油絵……部屋の中には他にも美術品が幾つかあるが、風景を描いたものはこの一点のみ。
そんな油絵に対し室内がどのフィールドマップに相当するかを示す為に飾られているという事実を通り越し、この部屋を雪原マップにする装置だと飛躍した解釈をする参加者もいるかもしれない。
この部屋では雪原マップのエネミーが出現し、室内の景観を極力損なわぬように雪原マップと同じ状況の再現に努めた処理が施されていた。
その結果、褐色少女弥原細が感じたように不可視の吹雪に晒されるような事態が成立し、入り組んだ地形を美術品の配置で再現する場合も。
「……何でもいいけどさぁ。広さはあっても結局は屋内って感じのスペースだよねここ」
「あー……ああやって接近戦するには充分だけど遠距離するには狭い気はする」
おかげで私の能力が遠距離モードにならないよ、と銀髪ツーサイドアップの少女は続けて発言せず心の中でそう呟くに留めた。
昨日のフィールドのように空が広がる屋外寄りのマップならば初動となる光を放ち、それが上空まで辿り着けば領域が広がって行き、それを通った光を集積したものがコーラルピンク色のエネルギー射撃となる。
一定高度に辿り着くまでに障害物となるものがあれば、そこで光は赤く染まって弾け、近接モードと言える能力を揮う為のコストを取得。
周囲の影に直接撃てば、遠距離モードにより変化した光を当てた時と同様に影を変容させる事が可能……先程隙を見て弥原細の影に光を打ち込み変容させていた。
変容した影の中は青の暗清色を湛えた水面が激しく揺れ動くかのように蠢く挙動を見せるのだが……幾つかの美術品はあれど整然としたこの室内では影となる物の絶対数が少ない。
攻撃の手立ては残るものの火力要員が圧倒的に少なくなる屋内戦闘をツーサイドアップの髪を緑色リボンで結んだ少女は好まなかった。
「ところで、あの水色ドレスの子……能力なんだろうけど青い分身がまた増えてるなぁ……」
「コストが貯まるか時間経過で増えるヤツかな?」
弥原細の言葉にそう返しつつ、銀髪少女は部屋の何処かに変化が無いか視界の中を探っていた。
部屋内を大きく占める壁は大理石を用いながらも幾らかの黒を帯びさせる事で白過ぎる問題を解消し主役となる美術品が一番目立つようにしている……そんな壁の何処を見渡しても出口が一切見当たらない。
部屋の中にいるエネミーを全滅させる必要があるという仮説は、銀髪少女が扉を開けこの部屋に入って来た段階で今も続く戦闘を眺める弥原細がいたという事実により棄却済み。
扉は部屋に入った時点で消えており、弥原細からは廊下を通ってこの場所に来たという情報を得ているが……その後。
「あの大きな絵を壊したら隠し通路あったりするかなー……」
「気分転換に狙ってみるのもいいかもしれないわね」
そんなファーリーピンクとニアリーブルーの発言から幾らかが経ち……銀髪金眼少女の予想は的中し、自分達の近くの壁に扉が出現したのを捉えるや、その方向に視線を注ぎながら隣の褐色少女に聞こえるように言う。
「何らかの条件で出口が現れたり消えたりするみたいね」
「いつ消えるか分かったもんじゃないから、さっさと行こうか……教えてくれてありがと」
「ここのエネミー。協力しないと凌げるかも怪しいからね」
「ヤバくなっても、いつでも逃げれるのが救いだよ……」
歩きながら褐色少女の影を確認すると暗清色の青い蠢きは健在で、「自然光などの本来の光を浴びると変容した影は元に戻る」という条件が満たされていない事を銀髪金眼少女は確認した。
このまま変容影を取り出し武器形状にするなどをしなければ、変容影周囲の視界取得が部屋を隔てても機能するかの検証が出来る。変容影から取得する視界は使用者の視界と切り替える事が可能だが複数の視界を同時に視る事は出来ない。
視界切り替え時は自分の視界を確認出来ないが故に、本格的な遠距離攻撃をする時に備え安全な場所を確保しておきたいという事情が彼女にはあった。
この部屋の照明を浴び続けても影が解除されないんだったら都合いいけど。
銀髪ツーサイドアップの少女がそう心に浮かべながら扉の先の廊下を歩いていると褐色肌でベージュ髪の少女から声を掛けられる。
「そういえば名前を聞いて無かったねー」
エレナ、と答える気持ちは微塵も無い銀髪金眼の少女は、
「廊下にも絵画が飾られてるねー……何の絵かよく分かんないのしか無いけど」
露骨に話題を逸らし、それを受け褐色少女は苦笑交じりに言う。
「じゃあ私の名前だけでも! 弥原細……あまい食べ物がだーいすき!」
「そう言われたら、この絵が食べ物を描いてるって気がしなくも……?」
エレナと名乗らなかった少女とタンクバスターの能力者はそのまま廊下の奥へと消えて行き、魔法少女二人による白い戦狼との戦闘は尚も続いていた。
「ぜんっぜん、決定打を与えられないわね……」
「さっき出現した出口も、もう消えてるし」
苛立つニアリーブルーと状況に呆れるファーリーピンク。
白い戦狼は一つ一つの攻撃は強力だが、必殺技に相当するものを持たず、大剣の力によって自在な形で繰り出せる氷を如何に揮うかが問われる性能。
そんな大剣が纏う冷気のようなものに触れ続けると能力の生成物でも寒冷の影響を受けるようになり、大剣を武器で受け続けていた場合、その武器は氷で覆われ始める。
尚、普段は対象外のものも寒冷の影響を受ける状態にする攻撃は雪原マップのエネミーの特徴の為、白い戦狼固有のものでは無い。
大剣が生成する氷は寒冷下では持続が伸びる為、短時間ながらも暫くは障害物として機能するのだが……そもそも雪原マップでは強化条件が常に満たされている。
大技を持たないが故に大きな隙が生まれる事の無い攻撃を繰り出し続け、最上位エネミーにしては小柄な体躯からは想像も付かぬ程の耐久値を誇り、捉え難い程の素早い動きと反応速度は遠近共に攻撃を当て難い……それが白い戦狼と言えた。
ニアリーブルーの青い分身は時間経過で増えて行き、ファーリーピンクと同様、魔法らしき攻撃自体に使用制限が無い。時間は掛かるが徐々に戦況は有利になって行くと考えるのが自然か。
それから時間と場所を変えてみれば、他の部屋で最上位エネミーと戦うニアリーブルーとファーリーピンクの姿が確認出来た。
傍らには他の参加者も攻撃に加わっており、灰味を帯びたペリドット髪の少女が攻撃に参加している様子。
「じゃ、大技が必要になったら言ってねー」
録音した自らの声をお手製のデバイスで等間隔に「ファイアボール」と繰り返し再生させ火球を生成しては放ち続ける……先の発言時は連射が止まっていた。
「体大きいから攻撃当てやすいと思ったけど……」
「意外と素早いわね。コイツ」
魔法少女二人が見据えるエネミーは獅子の胴体に長めに伸びたサソリの尾、コウモリのような大層な両翼に獅子の鬣が覆う頭部の形状はヒトの顔を凶暴化したような人面。
RPGではマンティコアと呼ばれそうな風貌だが、これはそんな外見のエネミーの上位版で、体のサイズが大幅に増加している以外の相違点も。
デバイスを操作する少女の瞳は琥珀色。ジャケットとスニーカーによる着こなしがお洒落だが、頭に装着した色もデザインもお洒落なヘッドホンあってのコーディネートなのかもしれない。
前述の通り白い戦狼の時に幾ら力を揮っていようとファーリーピンクとニアリーブルーには身体的損傷以外の消耗は無い為、今も彼女らはその魔法を存分に使っている様子。
部屋は白い戦狼の時と同じ広さで、一軒家が収まりそうで入り切らなさそうな辺りと言える。所々に柱のような美術品が異なる高さで位置し、上部はどれも足場になりそうなほど平ら。
部屋の奥に一枚だけある油絵は強い日差しに照らされる砂丘を主に描いていた。
・ニードルパンチカーペットについて
繊維を針で突く事により縫ったり織ったりもせずにシート状の敷物を実現した絨毯の一種。
動物性の繊維を圧縮してシート状にしたフェルトのように「切っても解れない」という特長がある為、大きさや形の制約無しに使う事が可能。
・今回の部屋の床について
例えば六角形を六つの三角形に分けて四種六枚の赤系カーペットを割り当てるみたいな一セットで床を敷き詰めている感じから考えて行きたい条件ですが、ニードルパンチカーペットならば各カーペットは自由度のある形で色によって面積を変えている可能性も大いにあります。
「落ち着いた色合いの単色の赤絨毯」で済ませる事も出来ましたが、美術品から目を離してふと見た床が思いの外デザイン性がある……そんな余地を採用したかった次第です。
・それってタイルカーペットでは?
使い方が完全にタイルカーペットでやる事ですが、タイルカーペットは基本的に合成樹脂が使われるので無機質な印象を強め兼ねません。
ニードルパンチカーペットとタイルカーペットの最大の違いは「パイル糸」の有無で、表面の繊維をループ状にする事で表面積を増大させ高い吸水性を実現……タオルもこの製法で、ニードルパンチカーペットにはこのパイル糸がありません。
そんな表面をループさせるループパイルの他に、表面を切り揃えるカットパイルというのもあるそうな。
・ちなみに
原子番号80、水銀の摂氏表記での融点は-38.83度、沸点は356.73度……常温どころかある程度の寒冷気候でも液体を維持する元素記号Hgのポスト遷移金属です。




