第11話 鋏少女に毒沼を(後編)
「ぜぇ、はぁ……はぁ。あー、しんどい」
少し前まで全力疾走し、自らの能力の生成物である比重が高い大鎌を振り回していた女性の消耗は激しいものだった。
そんな雨縞瑛美に恐る恐る声を掛ける女性が傍に。
「あ、あの……だいじょう、ぶ?」
折角弱っていると見られる参加者に遭遇したのに先制攻撃をする機会を自ら手放す……雨縞瑛美はそこまで考えてはいなかったが、その敵意の無い声に対し、素直な返事をする。
「な、なんとか……」
安易に警戒心を解いた雨縞瑛美は大きな溜め息を吐いた後、
「私のこの武器さー……重くてさー……でも能力の都合上回転させないと行けないんだよね……」
話し掛けた方の少女はここで会話を続けられるほど話上手では無いからか黙ってしまう事で間が生じる。その空気を感じた雨縞瑛美が更に話す。
「あ、私の能力名はハルピュイアだから……ハルちゃんとか?」
すると、相手の少女は口を開き、辿々しさを伴いながらも、
「あ、じゃあ私、は……」
と言い、やや表情を照れ顔へと近付けこう続けた。
「イチゴちゃん……って事で」
その言葉を受け、雨縞瑛美は噴き出してしまう。その少女の髪色はオレンジで瞳は程よく鮮やかなビリジアン……果物のイチゴを想起させる要素は何一つ無い。
「その外見で……イチゴちゃん、って……あははっ。ま、まぁこれでお互い名乗ったって事で!」
腹を抱え気味に笑う雨縞瑛美を見て困惑する、頭に白カチューシャも着けた少女――野坂雪乃だったが、やがて雨縞瑛美が「あー、ごめん」と呟き、
「で、イチゴ。こうなったら一緒に行動する? 今回のゲームは一ヶ所に留まるのもアリっちゃアリ」
「あ、えーと……」
野坂雪乃が未だに自分と敵対する可能性も度外視して雨縞瑛美は返事を待たずに言葉を続ける。
「このマップ、浄化中の光景が好きなんだよねー……可愛い妖精とか現れて、羽ばたく様とか綺麗だし……」
その発言を受け、対人での緊張感が色濃く反映された野坂雪乃の表情もある程度は和らぎ、彼女なりに精一杯の声を張った。
「う、うん!」
こうして仲良し二人組気分になった少女二人は周囲の探索を始め、やがて毒沼の面積が多く、足場もそこそこある場所に辿り着き、当面の拠点とした。
「お、来た来たぁ」
今回のゲームはマップ内に散らばる装置を作動させ、装置群中央に位置する一際大きな装置を動作させる事で毒沼が浄化状態となり、その間は発生するボーナスアイテムを回収する時間となる。
「毒沼が……綺麗になって行く」
何の色相か判断に苦しむ程に昏く濁った泥の沼が、青く澄んだ水になって行く様の一部始終は沼の広さによる規模も相まって壮観の眺めに。
程なく出現するボーナスアイテムの群れに備え、雨縞瑛美は駆け出していたが、野坂雪乃は沼の浄化が完全に終わるまで、畔から眺めていた。
結局今日は走り回ってばかりだなぁ。
そう思いながら辺りを見渡してはアイテムの発生に目を光らせる雨縞瑛美。
初めの内、野坂雪乃は現れる蝶や妖精の群れが漂う様に見惚れていたが……やがて真面目に水上を駆け回り、収集に専念して行った。
「そろそろ陸地に移動しよう……あれ何の骨だろ」
「角が一本あって……歯が見るからに肉食獣、だから……んー」
ゲーム参加者なら誰もが確認出来るタイマーの文字が赤くなり、この段階になると澄んだ水が毒沼に戻り始め、乗せた物が沈むようになる。
雨縞瑛美が野坂雪乃の手を引いて、元いた足場まで戻ると、一人の男性が待ち構えていた。
「おうおう、ご苦労なこった。んじゃ、掻き集めたもん全部オレによこしな」
男性が発言してから五分くらいだろうか。突如現れたエネミーが放った何本もの触手が男性の胴体を背後から次々と貫き……引き抜く際の動かし方が乱暴だった為男性の体が上下に分かれる事態となった。
「うっ、わぁ……」
野坂雪乃が思わず声を上げたが平静さは保たれていた。
まるで目の前で無残な死体が出来上がる光景は珍しくは無く、生じる筈の不快感や恐怖が薄まっている……そんな様子が窺えなくも無い。
「ちょっと待って。このエネミー……」
毒沼から這い出るようにエネミーが出現するこのマップで、一軒家が占める空間内に収まるか疑問に思えるほど大型のエネミーは浄化装置の傍に配備されるボスエネミーしかいない。
じゃあ、この近くに浄化装置が……?
雨縞瑛美がそう思う中、先程の触手が自分たちの方に来た為、出しっぱなしにしていた鎌を振るうと触手は容易く切断された。だが――
「よし、何とか……えっ?」
緩やかに触手が引き上げる中で、雨縞瑛美は自らが切断した部分から触手が再び生えている事を目視出来た。
再生された触手は元と変わらず紫色で、本体が赤紫で模様部分が水色の持ち主へと戻って行く。カメレオンのような形状と奇抜な色の分布からなる目は左右で配色が異なり、そのカエルのような頭部の口の中では凶悪な牙が並ぶ。
全体の形状はカエルの手足の先が鋭い鉤爪に置き換わり、背中から十八本生えた触手は一本一本が強靭に発達し、かなりの長さを持つ。
再生能力持ちのエネミーって……最上位じゃあ。
そう思った雨縞瑛美は戦闘を断念し、この場を離れる意志を固め始めたが。
「イチゴ! 何かある?」
ここが聞き所と判断するも野坂雪乃からの返事は絶望的だった。
「ごめん、なさい……何にも、無いの」
「おっけー。逃げるよ!」
ハルピュイアもといローリングサイズの飛行能力を強化すれば少女一人手を繋ぎ飛び去る事は難しくは無く、それが可能な状況だった。
そんな次の瞬間、雨縞瑛美は背後に感じた気配に対応し、その不意討ちを防ぐ。
鎌で受け止めたのは黒く濁ったビリジアンの体表が目立つ、半魚人の手。
半魚人という形容は乱暴で、正確には魚を人型に変形させたような姿と言うのがまだ正しく、指と指の間の水かきの色は黄色系だが鋭く伸びた黒い鉤爪はその大きな手も相まって凶悪に映るだろう。
人によっては「サハギン」と言いたくなるようなエネミーはサイズも人間程度で今の雨縞瑛美ならば一撃で切り捨てられる。
しかし、この追い討ちのように現れた通常エネミーの一撃は致命的となった。
雨縞瑛美にとってでは無く、野坂雪乃にとって。
雨縞瑛美がサハギンを一撃で両断し野坂雪乃の方を向くと……そこには紫の触手により鎖骨辺りを後ろから貫かれ、まだ頭部が吹き飛んでいる最中の野坂雪乃の姿があった、
し、しまっ……!
そう後悔すると同時に、頭上で鎌を回転し始め、戦闘態勢を整え始める。
「イチゴ……」
このまま飛び立てば戦線を離脱する事は大いに可能。しかし叶うならばこのエネミーに一矢報いたい気持ちもある。だが再生能力まであるボスクラスのエネミーに自分は勝てるのだろうか。
鎌を三回転させても様々な思考と感情が入り乱れ、結論は出ない。
「尚も、戦いますか」
見知らぬ女性の声が雨縞瑛美の耳に届き、声は更に続いた。
「それに免じ、加勢します」
カメレオン目のカエル目掛け、球状の何かが四つ、飛んで行った。
それは四つとも同じ形状で、数えられる程度のトゲが均等に生えた鉄球武器。
紫触手のエネミーにそれらの鉄球が直撃した頃、雨縞瑛美の傍にはフードを目深かに被ったローブ姿の少女がいた。
少女の周囲では先程の鉄球が更に四つあり、それぞれからライムカラーの光のラインが伸びており四面体図形の輪郭を描いていた。
この少女がレイヴンの主要メンバーにしてNを受け持つ――『ニゲラフロッブ』であると雨縞瑛美が気付くのは、もう少し先の話。




