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散桜哀話

 この頃は桜もすっかり満開で、綺麗でござんすねえ。花見酒はつい飲み過ぎるからいけねえや。

 おや、お前さんは桜がお嫌いで? 珍しいお人もいたもんだ。

 ほほう、すぐに散ってしまうのが嫌だと。あっはっはっ、そこが風流なんじゃありませんか。

 ぱっと咲いて、ぱっと散る。もののあはれ、というやつさ。

 ふむ、どうにも不満そうで。やっぱりすぐ散るのは悲しいと。

 それじゃ、こんなお話はいかがかね。散らない桜を作ろうとした男の話さ。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 あるところに昌八(まさはち)という男がおりました。この昌八、大の桜嫌いでして。理由を聞いても、とにかく嫌いの一言。

 というのも、昌八は八つの頃にお姉さんを病で亡くしておったのです。

 お姉さんの最期の言葉は「あの桜が散る頃には、昌八を置いてっちゃうわ」でした。そして言葉通り、桜が散ると共に息を引き取ったのです。

 昌八は今でも「あの時桜が散らなければ、お姉は死なんですんだのじゃ」と、そう信じておりました。それで桜が嫌いなのです。




 さて、昌八が二十を迎えた頃のこと。彼はお七( しち)という娘と出会いました。年の頃は十八、町でも評判の器量良しでございます。

 ひょんなことからお七と知り合った昌八。二人は打ち解け、ほどなく恋仲となりました。

 どこか姉の面影があるお七に、昌八はすっかり夢中。お七も無愛想ながら心根の澄んだ昌八を慕っておりました。

 しかしなんという巡り合わせか。お七は昌八の亡き姉と同じ病にかかり、伏せってしまったのです。




 お七が伏せってから、三度目の桜が咲いた頃。すっかり痩せ細ったお七は「桜が散る頃には、昌八さんを置いてっちゃうね」と、姉と同じことを言いました。

 昌八の嘆きはいかばかりか「また桜が、おれの大事な人を持ってっちまう」と、満開の桜を恨めしげな目でにらみ付けました。


 そこで昌八は思い至りました。「桜が散りさえしなけりゃ、お七は死なんですむんじゃなかろうか」と。

 昌八、その日から寝る間も惜しんで古今東西の書物を漁る漁る。きっとどこかに枯れない桜を作る方法があるはずじゃ、と。

 そうしてついに見つけたのです、枯れない桜を作る方法を。

 それは、桜の樹の下に人の死体を埋めるというものでございました。




 いくらお七を助けるためとて、人の死体を埋めるなんて。昌八は悩みました。

 近くに人の死んだという話もなし、あったとて大事な家族のなきがらを誰がくれようか。

 昌八は悩みました。死体がなければ、作るしかない。それは誰かを殺すということでした。


 いくらお七を助けるためとて、人殺しなんて。昌八は悩みました。悩みに悩みに抜きました。

 ですが、そうこうする間にもお七はやつれ弱っていく。お七のすっかり骨ばって白くなった手は、もう昌八の手を握り返すことさえ満足いかないのです。


 昌八はついに、決心しました。




 決心したところで、問題は誰の死体を埋めるかです。昌八は考えました。

 殺すなら、うんと悪いやつがいい。生きてたってためにならないやつを殺すのだ。


 昌八の頭に思い浮かんだのは、十蔵(じゅうぞう)という商人でした。この何年かえらく悪どい商売をしておって、彼にお金を巻き上げられた末に自ら命を絶ってしまった者も、一人や二人でないと聞きます。


 弱い者を食い物にしているようなやつだ、死んでせいせいする者はいても、悲しむ者はいなかろう。昌八は己に言い聞かせるよう、ひとりごちました。


 さあ、思い立ったらすぐやるべきだ。お七に残された時間は少ない。昌八はその日の晩、懐に短刀を忍ばせて十蔵を待ち伏せました。

 よく晴れた満月の夜で、暗がりでも十蔵の顔ははっきり見えます。昌八は物陰から一気に飛び出すと、ぶすりと、短刀を十蔵の胸に突き立てました。


 やっちまった。昌八は叫びだしそうになる口を両手でおさえつけ、動かなくなった十蔵を見下ろしました。そして十蔵が何を持っていたのかも目に入らず、これからすることを唱えます。


 この死体を、埋めるのだ。


 そうして昌八は、桜並木の中でもひときわ大きな桜の樹の下に、十蔵の死体を埋めたのです。




 明くる日、昌八はいつものようにお七を訪ねます。しかし、お七の様子はひどく沈んでおりました。

 聞けば、彼女の父親が昨晩から行方知れずなのだとか。毎晩欠かさず夜遅くに薬を届けてくれていた父が、昨日は来なかった。人に聞けば、いつものようにお七のもとへ向かった、というのに。


 昌八、震える声で「お前さんのお父の名前は」と訊ねます。

 ああ、なんということか。お七の父親は、昌八の殺した十蔵でございました。


 これは後になって分かったことですが、十蔵があこぎな商売で稼いでいたのも、すべては病に伏す娘のためだったのです。少しでも良い薬を買うために、十蔵はどんな手を使っても金が必要だったのでした。


 おれは、なんと馬鹿なことをしたんじゃ。

 悔やんでも悔やみ切れぬ思いで、昌八は十蔵を埋めた桜のもとへ来ました。ぞっとするほど満開の桜が、昌八を責め立てます。

 そうしていくら詫びても詫び切れぬので、昌八はついに太い枝へと縄をかけると、一息に首を吊ってしまいました。

 ただ不思議なことに、昌八の死体は誰にも見つかることがなかったのでございます。




 そうしてお七が伏せってから、四度目の季節。すっかり病の治ったお七、しかし彼女の傍に大事な人はいません。

 せっかく病が治ったのに、お父も昌八さんもどこに行ったんじゃろ。なんで二人は私に会いに来てくれんのじゃろか。

 身体は健やかなれど、お七の顔は前のように晴れることがありませんでした。


 そんな時、お七はこんな噂を耳にしました。

 散らずの桜。その桜は去年の春から、一度も花を散らすことなく咲き続けているのだとか。

 お七はせめてもの慰みに、その桜を見に行くことにしました。たった一本狂い咲くその桜に、己自身の孤独を重ねたのかもしれません。


 周りの桜並木より、ひときわ大きな桜。お七、その桜の樹に近づくと「ああっ」と声を上げました。ひらひらと揺られる桜の花弁に、父親と昌八の姿を見たのです。


 その刹那、ぱっ……と、満開の桜は嘘のように散り、後には一つの花も残っていませんでした。まるで呪いが解けたかのように。


 お七は、己の命が何につなぎ止められていたのかを理解しました。

 哀れなるかやお七、桜が散るとばったりその場に倒れ、そして二度と、二度と目を開けることはございませんでした。


 その桜の樹の下からは、二人分の白骨が見つかったといいます。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 なあ、やりきれないったらありゃしねえ。酔いが醒めちまうやな。

 お前さんも桜の樹の下にはなんとかって話、聞いたことくらいはあるだろうよ。

 なに? その散らない桜を作る方法は、本当なのかって? どうしてそんなことを聞きなさる。

 ははあ、そうか。お前さんも散らない桜に、かけたい呪いがあるってえわけだ。

 おすすめはしないがねえ。どうだい、試しに掘り返してみようか。

 あっはっはっ、なにをきょとんとしているんだか。お前さんとさっきから眺めているこいつも、散らずの桜なのよ。


終わり

8+7-10=5

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