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それから、しばらくは穏やかな日々が続いた。
ユークはジョナサンへと連絡を取りつつ花屋の仕事を手伝い、その合間にナタリーと一応の聞き込みを続けているうちに、だんだんと彼女の誕生日が迫ってくる。
そして当日……この日は定休日でもないのに、朝からまったく客が姿を見せなかった。
「いったいどうしちゃったんだろうねぇ。あまり人も通らないし……まるでこの店だけ時間が止まってるみたいだよ」
ターニャのぼやきが店に響く。さっきから何度も時計を見ては、そわそわとしているナタリーが、席を立った。
「あの、お花に水やりをしてきます」
「ナタリー、今朝やったばかりじゃないか。茎や根が腐っちまう」
「す、すみません。なんていうか落ち着かなくて……」
そのやりとりを見ていたユークは奥の物置から声をかける。
「ターニャさん、花瓶、植木鉢の整理は終わりましたよ」
「ありがとう。しかし、こんなに暇なのは今春に入って初めてだよ」
「一度、まわりの様子を見てきましょうか」
ユークが店のドアの外に出て通りを窺うと、カッポカッポと音をさせ馬車がこちらに向かってきた。
「毎度、仕立て屋アンジェラです。注文の品をお届けに参りました。ナタリー・クラストさんいらっしゃいますか?」
それを聞いてナタリーが慌てて駆け寄ってきた。
「は、はい!私です」
「ふむふむ。栗色の髪に空色の目ですね。おいくつですか?」
「え、十六歳ですけど……」
それが何か、と訝しげなナタリーを尻目に、配達人はひとつ頷き、
「はい。確かに届けましたよ。では、またよろしく~」
ナタリー本人をきっちり確認してラッピングされた箱を渡すと、ぺこりと頭を下げ、男は店から去る。
「小包ねえ……誕生会プレゼントのようだけど、こんな粋なことをするなんて、いったい誰からだい?」
ターニャがちらっとこちらを見たので、ユーク扮するエリックは、違う違うと首を振る。
「えっと……ひとまず中を見てみます」
ナタリーがどうにも浮かない顔で、箱を一度小さなテーブルに置いて、包みに手をかけた。
封蝋を外して開くと、中から、大きめの紺色のリボンが出てくる。
「うわあ……素敵」
彼女がそれを手に取った瞬間、白い封筒がひらりと床へ落ちた。表には何も書かれていない。
「あれ、これは……」
一度リボンを箱に戻したナタリーはそれを拾い上げ、封を開けて中身を目で追っていく。
やがて顔を上げると、ターニャとユークの視線に気づいて慌てて、
「あ、中を読みますね。えっと……『ナタリーへ。一七歳の誕生日おめでとう。今まで、おまえにはなにもしてやれず、本当にすまないと思っている。これは、せめてもの私の気持ちだ。使ってくれ。大切にしてほしい。あと、この手紙は決して燃やしてはいけない。おまえに、頼れる誰かがいることを祈って。デュロイ・クラスト』」
最後まで読んで首を傾げた。
「燃やしてはいけないって……こんなことわざわざ書かなくてもいいのに」
「待った。二枚目がある。ちょっと見せてくれないかな」
ユークがその手紙とリボンをナタリーから受け取ったちょうどその時。通りの向こうから騎士団の二人組が近づいてきた。
そのタイミングの悪さに、思わず舌打ちしそうになる。
「ちょっと、失礼します」
「悪いが、調べさせてもらう」
つかつかと足音も高くやってきたコリンとギャストンがナタリーとの間に割り込み、後ろに彼女を庇いながらユークを睨みつけた。
「ナタリーさん。ここにいる青年は、あなたが信頼できる男ではありません」
「は?」
「え?」
ユークとナタリーの声が重なった。
「なぜそんなことを?エリックさんはいい人です。仕事も手伝ってくれているし」
ナタリーの戸惑いに、ギャストンが首を振り、コリンが渋い顔をする。
「調べたんです。エリック・フォードという男について。二週間前、あるアパートに引っ越してきて、近隣の住民とも親しくしていますが、それ以前に彼の姿を見たものは一人もいません。おまけに、失礼かもしれませんが、定職についてもいないのに、金に困っている様子もない」
ギャストンが話を接いで、
「われわれの得た情報によれば、君の父親が持つ‘何か’を狙って動き出した連中もいるという。その男はそいつらの一味に違いない」
「いやいやその話、ちょっと待っておくれよ。ひとまず中に……」
とターニャが言いかけた瞬間。
ドンッ、とその場に重い衝撃が走った。
「逃げてください」
その場の全員が床に押しつけられ動けずにいる中、ヨナのささやきが聞こえたかと思うと、ユークはいきなり腕をつかまれ、店から引きずり出されていた。