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ヴァルラウン  作者: TKミハル
掃除屋‘カラス’
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6

 ジョナサンとの打ち合わせからすぐ、〈影〉の襲撃はぱたりと止んだ。


 結局エリックとして変装したまま花屋カーリーで働くことになったユークは、女主人の指導の下、花の種類や花束が美しく見えるコツなどを教わり、接客も徐々に上手くなっていった。


「エリックさん、本当に器用ですよね。その薄紫のと白いのも、長さをそろえてもらえますか?」 

 ナタリーの頼み方にも遠慮がなくなったな、と思いつつ、ユークは痛いほど冷たいバケツに手を入れて茎を切り、別の入れ物に移し替える。


 そうして準備が終わると、今日もまた、開店とともにたくさんの人が訪れ、花屋を埋め尽くさんばかりだった花も午後にはあらかたなくなっていた。

 早々に店仕舞いをした後、床を箒で掃除していたナタリーがふーっと息を吐く。


「多かったですねお客さん」

「暇人が多いんだよ。それより、例の調査はどうする?」

 聞きながらも手は休めず、枯れている花を選り分けながらユークは尋ねた。


 このまま花屋に転職、という事態は避けたい。


「おばさんが連絡を取ってくれているはずです。店の都合もあるし、一度聞いてみないと」

 すると、奥で店の帳簿を付けていたターニャから、行っておいで、と声がかかった。

「花が飛ぶように売れたせいで、もう仕事はほとんど残ってないよ。行くなら今だね」

「でもあんまり買いそうにない人たちもいたのに、不思議ですね」

 軽く驚きを込めた言葉に、彼女はふんっと鼻を鳴らす。


「口のうまいのがいたおかげだね。みんな何がしかは買っていったよ」

 思わずナタリーはしつこい汚れをブラシでこすっている金髪の青年を振り返った。


その視線に臆するでもなく、彼は道具を片付けてエプロンを脱ぐと、畳んで戸棚へ入れる。

「行くならすぐに出ないと」

「ま、待ってください」

 少女が慌てて奥へ行くのを、ターニャが呼び留めた。

「ナタリー、この住所を渡しとくよ。もう家主には話を通してあるから」

「ありがとう、ターニャさん」

「……いや、お礼は働くことで返しておくれ」

 彼女のわざとらしいしかめつらに、ナタリーは笑いながらメモを受け取った。


「叔母さん一人でちょっと悪いことをしましたね」

店を出てからも心配そうな彼女に、青年は首を振る。

「できるだけ片付けておいたから大丈夫。それに、あそこがまた襲われる心配はもうないはずだよ。ちゃんと見回りもしてるから」

「あんなことがまたあったらうちの店、潰れちゃいますよ」

 そうやって話しながら通りを歩く人を避けつつ、ユークは辺りに気を配る。


 怪しい気配は今のところ、ない。


 大通りで辻馬車を拾うと、ナタリーが御者に伝えたのは西側の住宅地だった。


「これから向かうのは、一年前父がいたアパートです」

「一年前、か。あ~その、君のお父さんはどんな人だったんだ?」

「母が亡くなった時、私はターニャおばさんに預けられたんです。そこからは疎遠になってしまって。ターニャさんは父さんがなかなか帰って来ないので、『男って奴はまったくしょうがないね』なんていいながら、何かと世話を焼いてくれました」

ナタリーはそこでいったん言葉を切り、当時を思い出すかのように瞼を閉じた。


「それでも、しばらくは頻繁に手紙をくれていたんですが……私、引き取ってくれたターニャさんと暮らすうちに、花屋の仕事がどんどん面白くなって、だんだん手紙の返事を返さないようになって」

「…………」


よくある話……と言ってしまえばそれまでだが。


「気を使ったのかそれとも忙しかったのか、父からの手紙もだんだん減っていきました。いつも旅の話や、面白がらせるようなことばっかりで、悩みなんてひとつも書いてなかった」

ナタリーは窓の外の景色を見やり、静かにため息を吐いた。


 古い住宅の並ぶ通りに入ると、やや道幅が狭くなり、二階立てのレンガ造りの家の前で馬車が止まる。

 二時間後に十字路でと御者に約束して、二人はドアの前に下り立った。

 ナタリーがノッカーを鳴らすと、間延びした返事とともにドアが開き、白髪の老婦人が顔を覗かせる。

「……何か?」

「あの、私、ターニャ・ヴァレリーの姪で、ナタリー・クラストといいます」

「ええ、話は聞いているわ。私はイレイス・ドミニクよ。どうぞ上がってちょうだい」

 案内された客間はこじんまりしていて、飾り棚に馬や犬などの動物の人形が置かれている。

「趣味のいいおうちですね」

「この壁掛けなんかは、相当手間がかかっていそうだ」


 壁のタペストリーを眺めながら会話を交わしていると、老婦人がお茶とビスコッティを運んできた。

「お待たせしてごめんなさいね」

「いえ、全然。可愛らしいアンティークばっかりで」

「ふふ、ありがとう。最初は子どものためにと集めていたんだけど……すっかりはまっちゃって。娘が独り立ちしてからもこっそり続けているの」

「そうなんですか……。あの、それで、ここに一年前デュロイ・クラスト、私のお父さんがいたって聞いたんですが、今どこにいるのか少しでも手がかりがあれば教えてください」

 まさか土の下とは言わないだろう、と思っているユークを知らず、老婦人は置かれた古い冊子をパラパラとめくり、気の毒そうにかぶりを振った。


「ごめんなさい。私が知っているのは、一年前、領主様のところで住み込みで働くことになったらしいってことだけなの。ここにいた期間もそれほど長くなくて。ほら、ここに名前が」

 紙面を指差し、しばらく考え込むようにしてから話を続ける。


「確か……使い古しの服じゃなく、ちゃんとした姿で娘にいつか会いにいくためだ、というようなことを話してた記憶があるわ。お屋敷を訪ねてみたらどうかしら」

「……そうですね。ありがとうございます。あの、その他のことで何か父は話していませんでしたか」

「領主様のことをしきりに褒めてたような……クラストさんこの町で働き口がなくて、半ば諦めかけていたらしいのよ。雇ってくれてとても気前がいいって」


 気前がいい。ちょっと前に、同じことを誰かが言ってなかっただろうか。


 わざわざ二年前の名簿を探し出してくれた老婦人に丁寧に礼を述べてから、その家を出る。

「領主とはまた、相手が大きいな」

「私、もっと早く父さんのこと探しておけばよかった。……ずっと、どこかで旅をし続けているものだとばかり思っていたから」

 話をしながら夕方の小路を歩くと、影が道に並び、次第にゆっくり伸びていく。


 待ち合わせをしていた十字路に差し掛かかったところで、二人は異変に気づいた。


「おかしいな。馬車がいない」

「もう、ちゃんと待っていてほしいっていったのに」

 ナタリーは情けない顔で通りの先を眺め、

「じゃあ、大通りまで歩きますか?」

「いや、やめた方がいい。もう一回この辺をまわってから、いったん戻ろう」

 寂れた商店街に人通りはなく、道を横へ曲がるとそこには荒れた公園が広がっていて、不気味なその公園の、うっそうと茂る木々の間から、ガサガサ、と音がした。


 こわごわ辺りを窺っていたナタリーが、ひゅっ、と短く息を呑む。

「あの、エリックさん……」

 木陰にいつのまにか花屋を襲撃した男が立ち、こちらをじっと見ている。

 ナタリーが助けを求めて後ろにいた彼を振り向こうとした瞬間、衝撃を受けてその意識は沈んでいった。



「何だ、おまえは」

 少女の首に手刀を打ち、気絶させたユークに、男は訝しみつつ問いかける。

 その敵愾心を殺ぐため、穏やかな声音で話しかける。

「〈影〉の方ですよね。私のことをリーダーから聞いていませんか?」 

「ああ、おまえが《カラス》か。何やってる。早く書類を見つけろ」

「言いにくいんですが、その書類について彼女は何も知りません。しばらくは様子を見るしかないかと」

 陰気な男は灰褐色の目でこちらを見た。

「そんな、余裕はない」

「……急いては手に入るものも入らなくなります」

 いちいちおれを睨みつけるのはやめてほしいな、などと思いながら静かに返事を待つ。

すると丁寧な口調が功を奏したのか、やがて男は頷いた。

「待つ。わかり次第、知らせろ。余計なことは、するな」


 さて。余計なこととは何だろうか。


 ユークが考えを巡らせていると、男の手足がふいに獣のそれへと変わる。

「逆らおうなど、考えないことだ」

 そのまま脅すように木の幹を爪でえぐると、唖然としているユークを残して跳ぶようにその場を去った。

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