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残酷表現あり。ご注意ください。
領主館敷地内の森林では、善戦もむなしく蔦でぐるぐる巻きにされたイシューの横で、ティーラーが、にわかに辺りが騒がしくなったのに気づいた。
おかしい。隊長の張った、眠りの結界が解けるのが早すぎる。
先ほど様子を見てくると、走り出したヨナ、そして作戦待機中のフォルミナとサキがいるであろう館は、使用人が喚き出し、早くも領主の兵がそちらへと集まり始めている。
止めを刺すのは後回しだとイシューを放り出すと、慌てて小屋で待機していたリリアンに伝言をくくって飛ばすと、ティーラー自身も蔦で身を隠しつつ、裏手へと走り出した。
「フォルミナが無事だといいが……」
緊迫した状況の中、どこまでも自分に正直なティーラーであった。
ジョナサン・カーズウェルが用意した馬車の中。激しい揺れで起きたフレデリカはすぐに首をめぐらせ周囲を確認した。隣にいたジョナサンがほっとしたように笑う。
「やっと目を覚ましたか」
「ちょっと!あんた何してくれんのよ!」
縛られている体を揺らし叫ぶ彼女に、
「それはこちらの台詞だ。考えなしに力を使って、こちらが補充しなければ死んでいたぞ」
よく見ればその目の縁はうっすらと赤い。
そういえば、とフレデリカは思い返す。彼の得意技は、生き物の成長補助や抑制、そして回復。……あと、極度のお人好し。
「治療してくれてそりゃどうも」
その恩恵を受けたフレデリカがふてくされながら呟くと、向かいのハウエルがぼろぼろの着衣のまま、物問いたげにこちらを見ているのが目に入った。
非常に気まずい思いで、視線を窓の外へ向けると、
「あれ、向かっているのって領主館?」
「ああ。そこでサキたちを回収する。フレディは、念のため保険となってもらう。……ユークに対しての、な」
真面目な顔で告げるジョナサンにため息を吐き、窓の外をもう一度見つめる。
「最初から、領主を?」
「……いや、違う。だが、遅からずこうなるのではないかという予感はあった」
ジョナサンも同じく、暗く不明瞭な闇へ目を向けた。
……ユークとイシュー、それからナタリーは大丈夫だろうか。
フレデリカは隙を見て逃げ出す決心をし、まず状況を整理しようとジョナサンに向き直った。
「成りゆきだとでもいうの?カーゼル、あなたは‘影’を疎んじるようになった領主を、ユークに殺させ、その罪を被せようとしている」
「利害の一致、だと……」
「言い訳はいらない。そんな稚拙な作戦、うまく行くわけないじゃない」
フレデリカは、溜め息を吐く。
「どうして、イシューが皆でここを出るのは無理だと言ったとき、それでも構わないと、決断しなかったのかわからない。……結局、ジェイクの言ったとおりになってしまった」
かつての仲間の言葉に思いを馳せ、フレデリカは俯いて唇を噛んだ。
「隊長は、悪くない」
低く静かにハウエルが告げ、それに彼女が反論しかけたその時、
ガタン!
突然馬車が跳ね、急に速度が緩み始めた。ジョナサンが驚き馭者へ繋がる小窓を開けると、アッシュも慌てた様子で馬を制御し、
「リリアンが!」
早口で告げた。
窓を大きく開けると、速度を落とした馬車の中へリリアンが飛び込んできて、バサバサとジョナサンの肩に止まる。
「リリアン、どうした?……何だって?」
ジョナサンはフレデリカとハウエルに向き直り、
「どうやら不測の事態が起こったようだ。領主館で待機していたサキたち四人と連絡が取れない。おまけに……中で何かとてつもないことが起こり、皆が我先にと逃げ出している、と」
「不測の事態……いったい……」
フレデリカが眉をひそめ、それからはっとして、
「カーゼル……例の薬の試作品はちゃんと処分したんだよね?」
「ああ。最後のひとつがここにある」
ジョナサンが内ポケットから薬瓶を出し、ガクンと馬車が揺れた。
「危ない!」
「いや、大丈夫だ。……蓋が緩んで、」
瓶からわずかに異臭が漏れ、その臭いを嗅いだジョナサンが、
「…………違う」
「え?」
「臭いが違う!これは、偽の薬だ!」
振ったり中身をしばらく眺めたりしていたが、そんなまさか、と愕然と呟いた。
「じゃあ、この騒ぎの元は……」
「いや、まだわからない……アッシュ、急いでくれ」
不安を内に秘め、馬車は領主館へと向けて速度を上げた。……曇天の中、向かう先は闇。
異変の起こる少し前。首尾を見るため領主館へ入ったヨナは、近道を通り二階へ上がるとほどなく壁にもたれかかり気絶するフォルミナを発見したので慌てて揺り起こす。
「フォルミナ、サキは?」
「え……わからない……たぶんまだ奥に……」
「じゃあ、そっちに行くから、フォルミナは先に脱出してて!」
ふらつきながらも階段へと向かうフォルミナを背に、急いで奥の書斎へ飛び込み、
「サキ!いないの!?」
叫んですぐ、血溜まりの横で倒れているサキを見つけ、短く悲鳴をあげた。
「サキ……サキ!?」
駆け寄り抱き起こせば温かく、ごほッごほッと咳き込んで目を開けた。
「ちくしょ……烏のやろぅ……」
「無理にしゃべらなくていいから!とにかくここから早く出よう」
肩を貸し、歩き出そうとした瞬間、ぞわり、と全身に怖気が走った。
廊下の灯りが書斎をわずかばかり照らし、その奥は暗く見えない。
ヨナは、その暗がりの闇が脈打っているように感じて、後ずさる。
「ヨナ?どうした……」
「な、なんでもないよ」
窓の方から、侵入者だ!とわめく兵士たちの声が聞こえてきて、ヨナは気のせいだ、と首を振り、
「早く、早くここから逃げよう」
そう言ってサキの手を引いた。
ユークは、書斎を出たあと急ぎ裏手の階段を駆け下りていた。
にわかに外が騒がしくなり、警笛の音も響き出したので舌打ちをしつつ厨房へと続く扉に手をかけると、針金のようなもので固定され、揺するも開かない。使用人が近づく足音もしたので舌打ちして一度上に戻り、反対側へ向かいつつ、なるべく人目につかない窓を探すユークの耳に、ガチャガチャと鳴る鎧と足音が聞こえてきた。
同じく人を避け逃げていたサキとヨナは、正面玄関前の階段で兵士たちと鉢合わせていた。
「おい、ヨナ!こいつらをなんとかしないと!」
「え、で、でも」
サキが先頭の兵士数人を押し潰す。
「とうとう正体を現しおったな!この薄汚い化け物め!」
階下の隊長らしき豪華な鎧の中年男が、手を振り回し叫んでいる。
「違う、違うよ……僕たちは化け物なんかじゃ……」
「馬鹿、ここでそんなこと言ってんじゃねえ!集中しろ!!」
潰されても、仲間の死骸を乗り越え、兵士たちが迫ってくる。サキだけの力ではとても足りず、揉みくちゃになり、なんとか抜け出そうとする中、
「抵抗するな!」
「こいつ、死ね!化け物!」
動揺しているヨナの前で、その槍がサキの胸を、貫いた。
ユークは人が集まり過ぎて正面突破しか道がなさそうだ、と考え、正面ホールへ向かっていた。ヨナとサキに気づき、すぐ身を隠してやりすごし、チャンスを窺うあいだに、戦闘が始まり、サキの力で潰された仲間の兵士を乗り越えた一人が、その胸を貫いた。
「あ、ああぁあああッ」
ヨナの狂ったような叫び声とともに、ドウッと衝撃音と土煙が同時に起こった。。
階段は、惨憺たる有様で、他に十数名いた兵士はすべて潰され、その真ん中で剣に刺され血塗れのサキを抱いたヨナがうつろに何かを呟いていて、下から残兵に早く上っていってあいつを殺せと隊長が声高に支持している。
「何だこれは」
ユークは呟き、駆け寄ると死体に必死で声をかけ続ける彼に当て身を食らわせ、それでも掴んだ髪をナイフで切ってサキを蹴り捨ててからヨナをかつぎ上げる。
下から足並み揃えて上がってくる兵士たちを見たユークはポケットから油の小瓶を取り出し、階段にぶちまけた。
最初の兵士が真っ先に足をすべらせ、後ろの人間を巻き込んで倒れていく。
甲冑を着こんだ兵士は体が重く、冷静に対処すればどうってことはない。倒れたその体を踏みつけ、他の輩に足払いをかけ、ついでに近くに置かれた燭台を手で払い退ければ、油に引火して火は一気に燃え上がった。
「な、馬鹿な!?おまえら、先に火を消せ!すぐにだ!」
偉そうに指示する男を跳ね飛ばし、慌てふためく兵士たちの混乱に乗じて、ユークは玄関をすり抜ける。
館の外へ出ると、ヨナが暴れたので地面に下ろしてやった。思いつめたような表情で、ぶつぶつと呟き、
「おい」
「僕のせいだ……僕が……ずっと迷っていたせいで……僕が普通の人間の味方なんかしたから!」
ぎらつく眼でユークを睨みつけた
「どけッ」
と叫び、差し出された腕を振り切って走り去っていく。
留まっていたのは一瞬のことで、ユークもまた、一番人の少ない北側の門へと走り出す。
北の通用門。なんとか辿りついたその入り口には、近所から荷物引き用の馬を借りて乗って来ていたナタリーがうろつきまわっていて、ユークの顔を見るなり駆け寄ってきた。
「エリックさん!フレデリカさんがっ」
その声は涙声で要領をえなかったが、どうやらフレデリカをさらった馬車がここに入っていったらしい。
「また、逆戻りか」
「ユークさん、私も連れて行ってください。彼女の無事を確かめたいんです」
「……危険だぞ」
「かまいません!」
「…………」
話し合う猶予もなく、また、馬の方が徒歩より速く着くため、ナタリーとともに領主館の敷地内にある〈影〉の本拠地へと向かうことにした。