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大変お待たせしてすみません。
ユークが書斎でサキに出会う少し前。イシューの家では、フレデリカがうろつくナタリーをなだめていた。
「大丈夫だって。ユークはこういうことに関しては玄人だし」
「でも、心配なんです……」
ナタリーがいたたまれずに窓を見ると、黒い鳥が横切るのが目に入った。
「あ」
「どうかした?」
「いえ、カラスがたくさん、こんなところに……」
その台詞にフレデリカの表情が強張る。
「……まずい」
「え?」
くやしそうに顔をしかめ、
「ジョナサンは、ある一定の動物を使役することができるの。すぐにカーテン閉めて」
ガタンと席を立って、窓から外を窺う。真剣な表情でしばらくそうしていたが、ふいに、
「ちょっと入り口見てくる」
そう言って立ち上がろうとするので、ナタリーはしがみつき、
「待ってください!ちゃんと安静にしていないと」
「ちょっと、違う違う!無理するわけじゃないから……ああもう!」
そう必死の覚悟で引きとめた。
「わかった、無理はしない。一緒に行こう」
そう言って、フレデリカはナタリーと、正面玄関、勝手口、裏口をすべて見て、カラスがまわりを取り囲んでいるのを確認した。
「あちゃー、囲まれているね。きっとすぐに〈影〉の襲撃がくる。ユークたちのいない今、こんな好機を逃すはずないよ」
「と、とりあえずありったけの家具で塞げばなんとか・・・」
「……きつい。保つかな」
ナタリーがフレデリカの腕をきゅっとつかむ。それを見て暁色の髪の女性は微笑んだ。
「罠を張るしかない、か」
ごそごそと自分のポケットを探ると、束ねられたワイヤーを取り出した。
それから二人は家具で正面玄関、裏口、勝手口のドアの前を塞ぎ、それが終わると、フレデリカはナタリーにワイヤーを渡す。
「さ、さっさと張らないと。いつ彼らが来るかもわからないし」
ナタリーも慌てて手袋をしてからそれをつかみ、廊下、階段のあちこちに、蜘蛛の巣のように張りめぐらせていく。
それからフレデリカは、全部の線を繋がるようにひとまとめに括って手元に持ってきた。
「これで終わり。さて、と。あたしは階段の上で待つからいいとして、ナタリーはどこに隠れる?」
「で、でも、フレデリカさんの体が……。わ、わたしも一緒に……」
彼女の、薄茶の目が細まる。
「一緒にいると、あなたが死ぬ確率、ものすごく高くなるんだけど」
「え、あ、どうすれば」
ナタリーが泣き出しそうな表情になる。フレデリカはふっと表情を和らげて、
「大丈夫、特殊能力者は同族には甘いから。それに、あなたが人質にでも取られたらそれこそ大変だし。厨房にワインセラーがあったから、そこに隠れてて」
「は、はい!」
ナタリーが厨房へ行くのを見送って、フレデリカはあらためてワイヤーの張り具合を確認した。
それからにやりと好戦的な笑みを浮かべ、
「ぶっちゃけ、一人ならなんとでもなるんだよね」
軽い調子で呟き、ワイヤーの元をしっかり掴んで階段の上で待つ。
ドンッ、ドンッ。
扉が叩かれ、それから中の様子を窺うような沈黙の後、メリメリと音を立てて壊され始めた。
消音とめくらましの結界が張られているのか、外の人間はまったく関わって来ない。
やがて、バキッと硬質な音を立て、樫の扉が壊される。
獣の手足、長い爪をしたハウエルと同時に、
「こんなもので防いだつもりか!」
叫びつつ、玄関から一足飛びに階段まで行こうとしたアッシュは、ワイヤーにからめとられ、フレデリカの雷を受けた。
「ガアアアアアッ」
体から煙を出しながら、転がり落ちていく。
……派手だけれど、節約して気絶させるだけの電流しか流してないので、命に別状はないはず。
「ハウエル!アッシュ!」
安否を気遣う叫びとともに、ほぼ完全に破壊されたドアから、ジョナサン・カーゼルが入ってきた。
「〈影〉の隊長自らお出ましだなんて……冗談にしてもきっつ」
フレデリカは吐き捨てるように言い、にじんだ汗で手元が狂わないようにしながらワイヤーを握り直す。
ジョナサンはフレデリカに気づくと、まわりを見回して、ふむと頷いてから軽く手を振り、何事かを呟いた。低い低い旋律がその口から紡がれ、その途端、張ってあったワイヤーの一つが見る見るうちに赤く錆びついてボロボロになり、ふつり、と切れて落ちる。
近づくジョナサンの、さほど速くもない歩みに従い、蔓が萎びるようにはらりはらりとワイヤーが切れ落ちていく。
フレデリカが慌てて手元を探ると、そこにもみるみる錆は広がって、ボロボロと手の中で崩れていった。
直接雷を浴びせようと力をジョナサンに放るが、切れ切れになったワイヤーが避雷針代わりとなり、それも霧散してしまう。舌打ちをするフレデリカを尻目に、感電し、焦げてダメージが大きいハウエルたちを見下ろすと、
「あれほど……先行するなといったのに」
もはやため息しか出ない様子で、一度しゃがんでハウエル、アッシュの二人を手早く癒し、フレデリカへ目を向けた。
敵意のない、懐かしい眼差し。……でも。彼が、自由を望んだユークを、あんな風に、利用し仕立て上げた。
もう一度気力を奮い起こし、ここはいったん逃げるしかない、と判断して身を翻そうとしたフレデリカに、ジョナサンは呼びかける。
「フレディ」
ちらと振り返り、相手を睨みつけ、
「何?ちょっと、近づかないで!」
と手を構えて牽制するフレデリカに、ジョナサンはカツ、カツ、と規則正しい足音を刻んだ歩みを止め、階段下からフレデリカを仰ぎ見た。
「ここにはもう一人、少女が残っていたはずだが……どこへ行った?」
「さあ?それより、そこに転がってる人たちのことはいいの?」
皮肉げに笑い答えるのにたいし、
「ああ。手加減してくれてありがとう」
そうなんの含みもない笑みを浮かべる。
フレデリカは、その顔を殴りたい気持ちが沸き上がるのを必死で抑え、ついでに隙をみていつでも逃げ出せるよう、ジリジリと後ろへ下がりかけた。ジョナサンが階段を踏みしめるようにして一段、上がる。
あと少しでも近づいたら、後ろの部屋へ。そう思った瞬間。
「ところで、書類なんだが……」
いきなり尋ねられ、またしても気勢をそがれる形になった。
「燃やしたけど、それがどうかした?ていうかあんな危険なもん、残しとくな」
イライラと答えぎょっとした。ジョナサンがいつのまにかすぐそばまで来ている!
低い旋律が耳に届く。
しまった、と思う暇もない。
「……眠れ」
呪文をまともに受け、フレデリカの体がぐらりと傾ぐ。それを抱き留め、床に横たえてから、ジョナサンはアッシュとハウエルの傷を回復させると、フレデリカを運ぶよう指示してそのままイシューの家を出る。
「あ、そういえばもう一人はどうするんですか?」
アッシュが問えば、放っておけ、と即座に返事が返る。
「どのみち、人質は二人もいらないからな」
その言葉に二人は素直に頷くと、ハウエルが気絶したフレデリカを抱えて馬車に乗り、アッシュが御者を担当して出発した。領主死亡の混乱に乗じて、町から脱出するために。