12
陽は次第に傾き、薄暗い夜の帳が下り始めていく。
ナタリーが夕食の支度を手伝っていると、突然言い争う声が聞こえ、
「今の……階段から?」
「どうやらエリックの声のようだが……」
イシューと顔を見合わせ、慌てて厨房を出て声のする方へ向かうと、
「ふざけるな!おまえの力は借りない!絶対に手を出すなよフレディ」
そこには怒りで体を震わせたエリックと、呆れ顔のフレデリカが対峙していた。
「あ〜あ、大声出すから二人とも来ちゃったじゃない。一人だときついんじゃないの、って聞いただけなのに」
「おまえの心配なんていらない。必要ない」
「……でも」
「黙れ」
強く拳を握り締めて、エリックが一歩前へ踏み出す。
「落ちついてください、エリックさん!」
まさか手を出す気かと、ナタリーは思わず悲鳴じみた声を上げたが、彼はそのままフレデリカの横を大股で通り過ぎ、玄関から出て行った。
イシューは苦い表情でその姿を見送っていたが、すぐにナタリーとフレデリカへ駆け寄っていく。
「フレデリカさん、いったいどうしたんですか。喧嘩したんです、よね……」
「まあ、大したことじゃないよ。あいつが一人でやろうとするから、手を貸したいって言っただけ。結局、断られたけど」
フレデリカは自分の手をじっと見つめて、
「領主をなんとかすればいい、なんて言ってるけど……もし〈影〉と戦うことになったら、すぐにやられちゃうよ。あたしがいるのに。いくらでも手を貸すのに」
その強く意志を秘めた言い方に、ナタリーはなぜだか胸が締めつけられる思いがしてイシューを向くと、ひどく狼狽えた表情をしていた。
「なぜそこまで…………いや、いい。もう食事にしようじゃないか」
首を振ると、彼は背を向け、厨房へと歩み去っていった。
美しい夕陽が森の木々を赤く染めていた。
小高い丘の上にある領主館敷地内では、ジョナサンが一箱煙草を吸い終わり、うずたかく積まれた吸殻に土をかけた。
見上げた朱色の空を横切って、鳥たちが飛んでいく。
何となしにその影を見送り、自分の使い魔を呼んだ。
「リリアン」
その声に反応してリリアンが現れ、それを確認したジョナサンは低い旋律を紡ぐ。
輪を描いて飛ぶ彼女に、やがて、空に炭をこぼしたような点々が浮かぶとすぐ、何十羽ものカラスがジョナサンのまわりに集まった。
リリアンを通してカラスたちから領主の兵やユークたちの情報を集め、合図を送るとまたカラスは一斉に飛立っていく。
ユークの考えは読めている。ここいらを探っているのも目的は一つ。領主館に忍び込み、領主を直接叩く気らしい。脅すか半死人状態にするかは知らないが、命令系統を混乱させるつもりだろう。
そして領主側は……もともと《影》を切るつもりで動いている。
ジョナサンが目を閉じ、苦いものを噛み締めているとそこへ、髪を後ろで編み込んでまとめたフォルミナと、どこかの小姓でも通用しそうな服装のティーラーがやってきた。
「隊長、駄目ですよ煙草は」
「そうそう。吸いすぎると、あっちが役立たずになるという噂も……」
いらんことを言ったティーラーにフォルミナがブンッと細い腕を振り上げ、
「うわッ」
すれすれで避けた。彼女の力では、当たれば骨が砕けることは間違いない。
「二人とも、どうした?」
「ああ、そうそう、報告を。書いてあるとおり、四本並ぶのカーシアの木とその足元を探ってみたんですが……残念ながらすべて外れでした」
ティーラーが申し訳なさそうに言い、
「カーシアは建材や家具、装飾にも使われることがあるので、そちらも調べた方がいいかも知れませんが……すべて調べるのはちょっとどころかかなり骨折りで……」
「すまないが、できる範囲で頼む」
被せるように言うと、芝居がかった仕草でため息を吐いた。
「了解しました。《カラス》はどうします?」
「今、情報を集めている。こちらもまだ派手に動くのはまずい」
「そうですか。そのあいだあの男は、可愛い女性二人とずっと一緒なんですよね……うらやましい」
どうしてこうもフォルミナの神経を逆撫ですることを言うのか。
悩ましげに首を振るティーラーにきつい眼差しを向けるフォルミナ。ジョナサンは慌てて話題を変える。
「そういえば、他のメンバーは何してる?」
「何といわれても……。アッシュはリハビリ中で、ヨナとサキがそれに付き合ってますよ。ハウエルは相変わらず言われたとおりにその辺をブラブラして、地味に破壊活動をしています」
話しながらも、さりげなくフォルミナの肩に手を置いたり、髪をもてあそんだりするティーラー。
「わかった。アッシュの様子を見にいこう」
我慢がそろそろ限界に達しようとしている、とみたジョナサンはそう提案し、怪我人が出る前にと、屋敷へ戻ることにした。
五日目の朝。ユークは荷車に乗って北の通用門でチェックを受け、左に森の広がる小道を進んでいた。
北東に森と演習場、中央南寄りに庭園。森には《影》の本拠地。領主館は、もう少し近い位置から調べなければ。
中に入るのが危険な以上、外からその造りを判断するしかないのだが……いられる時間が短すぎた。おまけに、ただの配達人がうろうろしていたら怪しまれる。
荷馬車が厨房前についたので料理番の下っ端に声をかけ、代金を受け取り荷を下ろそうすると、下っ端が仏頂面で呼び止めた。
「おい、おまえ。これから庭師の手伝いだ。すぐに庭園へ向かえ。荷はこっちで下ろす」
「へえ……でも、戻りが遅いとどやされちまうんで」
「話はついてる、さっさといけ!」
虫の居所が悪いのか、拳を振り上げる男から逃げ、急ぎ足で庭園へ向かうと、これまた随分気難しそうな白ひげ赤ら顔の老人が立って、
「遅い。おまえにはこれから、この庭園、さらには領主館まわりの雑草取りをやってもらう。今の季節抜いておかにゃ、辛いことになる」
「へえ。どこから手をつければいいんで?」
「そうだな……まずは通り道の脇、一番目に付くところをやってもらう」
「わかりやした」
馬車の通り道はそのまま領主館正面にある。
ユークは頷いて庭の道具倉庫から鎌と鋤を持ち出すと、領主館の様子を観察しながら道に沿って少しずつ雑草を取り除いていった。
夕方、夕食の支度をしようと階段を降りていたナタリーは、どこからかハミングが聞こえているのに気づいた。厨房に繋がる扉がわずかに開き、ドサドサと野菜を置く音が聞こえてくる。
中を覗き、声をかけようとすると、布袋を開こうとしていたユークが振り返った。
「ナタリー、何か用か?」
「え。い、いえ、別に。……夕食の準備ですか?」
面倒くさそうにひと抱えもある草の束を取り出し、台に乗せるユークは別段いつもと変わらず、ナタリーは内心で首を傾げる。
「手伝う気があるなら、そこにぼーっと突っ立ってないでこいつを分けてくれ」
とエリックは一抱えの草の束を渡してきた。
「……どこで採ってきたんですか、これ」
渡された草の中には、食べられそうなものも混じっているが、雑草も多い。
「領主の庭園」
「え、大丈夫だったんですか!?」
「ちゃんと許可は得たから心配ない。仕事を手伝った報酬のおまけだ。庭師が気前よくくれた」
「……ちょっと信じられないんですけど」
「どこも人手が足りないらしいな」
まだ納得いかないような表情で草を手に取り選り分けの作業を始めるナタリーの横で、それとは別に買ってきたひよこ豆を鍋に入れ、茹で始める。
「……ひょっとして、ひよこ豆のポタージュ?何だかんだいいながらも、気にかけているんですね、彼女のこと」
以前フレデリカが望んだメニューだと気づいたナタリーがふふっと笑う。
「さあな」
彼は相変わらずのそっけない態度だったが、なぜか気にならなかった。