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次の日の朝。春には珍しく肌寒い空気が辺りを包んでいた。
すでに起きていたイシューに声をかけ二人で厨房に向かうと、ふんわりと濃厚な野菜スープの香りが漂ってくる。
厨房に入るとそれはいっそう強くなった。
「う〜ん、いい香り。これ、よく煮込まれてますね」
この状況にも大分慣れ始めたナタリーは、野菜スープと、その中のとろけるようなお肉に思わず笑顔になる。
「ああ。わしが起きたときはすでに出来上がっていた」
「またエリックさんですか。あの人、いったい何考えてえてるんだろ」
ここまで煮込むのは相当時間使ってるはず、と首を傾げると、
「さあな。ただ、どうやら毒は入ってないみたいだから、頂こうじゃないか」
イシューがおどけたようにおたまを持ち上げてみせたので、ナタリーも笑って皿を用意する。
二人で朝食をとっていると、フレデリカが明らかに寝不足の様子で、
「おはよ〜」
と顔を出し、続きになっている隣のサロンに引っ込んでしまう。
「あれ、フレデリカさん朝食は……」
イシューはそちらをしばらく見ていたが、
「まあ、お腹がすいたら食べるじゃろう」
と言って食事を再開した。
しかし食べ終えても一向に彼女は姿を現わさず、イシューが椅子を倒さんばかりに慌てて隣に向かい、
「寝ているだけじゃった……」
気が抜けた様子で戻ってくる。
「起こした方がいいですか?」
とナタリーが尋ねるのに対し、
「まあ、そのままにして置いてもかまわんと思うが……もし何かあったら呼びなさい」
その言葉に頷き、改めてサロンへ入ると、ソファでブランケットにくるまったフレデリカが、すやすやと眠っていた。
「また寝ちゃってる……」
ナタリーは呆れたが、
「フレデリカさん、こんなところで眠っていると風邪ひきますよ」
「むー?だいじょーぶ……」
やけに間延びした返事をして、離さないとでもいうようにぎゅっと毛布を握り締める。よくよく見れば、枕は厚めの本を二冊重ねてあった。
「ああもう、仕方ないなあ」
どうやっても起きそうにないので、寒くなりかけた部屋の暖炉に火を入れ、全体を暖めておくことにした。
パチパチと小枝が爆ぜる音を聞いているだけで自分まで眠くなってきそうで、ナタリーは何度も頭を振った。
ナタリーが眠気と戦っているころ、ユークは手入れしてなそうなボサボサ髪に赤ら顔、古ぼけた上着とズボンで食料配達人になりすまし、領主館敷地の北門へ荷車を運び入れていた。
その厨房へと届けて、昼まで運び入れを手伝った後、昨日と同じように門番へ酒を差し入れる。
「おっありがとよ。こんなところに立ちっぱなしだと、喉が渇いていけねえ」
「いやあ、あっしは余り物を持ってきてるだけなんで」
「そうか?……おっ、暑いときの一杯はたまんねえな。おまえさんもどうだ」
ぐいっと瓶ごと煽り、手で拭うとこちらへ渡す。
「あ、どうも」
「まったく、安い金でこき使いやがって、執事のケチ野郎が。だいたいなんだあ、この屋敷は。化け物が住んでるって噂があるらしいじゃねえか。庭師んとこの坊主が怯えて、とうとう辞めちまったんだってよ」
「そんなこともあるんだなあ。あっしなんか生きてくので精一杯だあ。化け物だろうがなんだろうが、気にしちゃいらんねえよ」
「お、よく言ったな!それでこそ男ってもんだ」
よっぽど鬱憤が溜まっているのか、尽きることのない愚痴に付き合い、ひとしきり酒を飲み交わした後、明日も来いよな〜と上機嫌の門番と別れ、今度は売上と残りの品物を店に届けに行く。
「おう、大分売れたな」
「なんでも衛兵の演習が頻繁にあるってんで、食料の減りも早いらしいっす」
「ふ〜ん、そりゃ上々だ。ほい、とっときな」
「ありがとうごぜえやす」
ささいな駄賃を手に、例の、借りた配達人の家へと戻り、馬に餌をやる。
この家にあまり戻らなすぎでも怪しまれるけれども……情婦でもいるってことにしとくか。
ユークはそこを出て公衆トイレに入ると、どこにでもいそうな平凡な青年に変装して町へ買い物に出かけることにした。
場所は変わってイシューの家のサロンでは、ナタリーがフレデリカに揺り起こされショックを受けていた。
「結局眠っちゃった……」
「まあいいじゃない。いろいろあって疲れてたんだよ」
その落ち込みように、フレデリカが笑う。
「ひょっとしてあたしに用事だった?」
「あ、その……特に用事というわけでは……」
朝食どころかほぼ昼食に近い時間になってしまったので、ナタリーは言葉をにごし、
「そ、そうだ。エリックさんと昔一緒に住んでいたって話、詳しく聞かせてくれませんか?」
「あ〜、うん。いいけど」
こんな話してるのユークにバレたら怒るだろうなあ……と思いつつ、
「あいつとは付き合い長いからね〜こーんな小っちゃい頃から知ってるよ〜」
フレデリカが自分の腰ぐらいを手で示したので、
「あれ、そういえば、エリックさんの年って?」
「ナタリーの一つ上でしょ」
「てことは十八!?ぜんっぜん見えませんよ」
「ま、苦労してきた分だけ老成しちゃった感じもするけど」
「〈影〉の下っ端をずっとやってきたんでしたっけ」
「ははは……ほんとよくやっていたと思うよ。平和になってくると、〈影〉なんて厄介以外の何ものでもないから、領主から、嫌がらせのような命令や、不可能っぽい要求が時々出されたわけ。だからその下なんて特に昔も今も理不尽なことやらされるのが多くて」
「例えば?」
「そうだね……これは四年ぐらい前なんだけど。町の主な場所のドブ掃除をやれって」
「え!?〈影〉って、特殊能力者っていうのの集まりですよね?なんでまた」
「ほんとまったくだよ。で、普通にあの連中がドブ掃除をやるわけないよね。でも、ひとまずティーラーっていう植物を操る能力者がいるから、そいつに任せよう、って話になった」
「それで、どうなったんですか」
「任務を任されたティーラーは何を考えたのか……要するに汚いのを綺麗にすればいいんだろうってことで、花の種を操って、該当箇所のドブすべてに美しい花を咲かせたの」
「え、それって」
「おかげで下水溝に根がはびこって事態は悪化。どうにもならなくなったんで、なるべく大ごとにならないように処理してくれと彼に」
「それは……理不尽な」
呆れて言葉が出ない様子のナタリーに、フレデリカは苦笑する。
「わりと珍しい花だったんで、花屋関係の人たちにこっそり情報を流して……回収させたらしいんだけど、結局領主に気づかれて、めっちゃ嫌味言われたらしいよ」
「なんだか、〈影〉のイメージが崩れてきました……」
「単純なんだよね、結局。だけど、プライドだけは高いから、不向きな仕事ややりたがらない最低ランクの仕事はだいたい彼にまわってくる。ま、それがあったからあいつも鍛えられたんだろうけど……それってどうなんだろうね」
フレデリカはそう言って立ち上がり、よっ、とソファの上の本をまとめ、返すために出ていった。