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今回は少々短めです。
水汲みを頼まれたユークだったが、ひとまずバケツはその辺に置いておき、馬車の後ろにしがみつき、ただ乗りして時間を短縮しながら、急いで荷車の持ち主がいる酒場へと向かう。
まだ中にいるのを確認してほっとしつつ、じっと待っていると、上機嫌で一人の男が酒場から出てきた。
気づかれないようさらに後をつけ、住んでいる場所も突き止めて、彼が荷車から下りる前に気づかれないよう忍び寄り、わざわざ金貨や銀貨を詰めておいた高級財布を地面へ置き、また離れて様子を見る。
中年の、くたびれた服を着た男はほろ酔い加減で荷馬車から降りたが、そこに落ちている財布に気づき、ハッとして動きを止めた。
震える手で拾い上げ、中身を確認する。財布の中身は、男が十年かかっても貯められるかどうか。
辺りをキョロキョロと見回し、男はその財布を懐へ入れた。
「おい、そこで何やってる!」
すかさずユークが叫ぶと、ビクッと体を震わせ、荷車も放り出しもの凄い勢いで逃げ出した。
男はその後一度だけ帰ってきたが、始終ビクつきながら最低限の荷物をまとめ、抱えて出ると二度とは戻らなかった。……こうしてユークは家を手に入れ、置きっぱなしだった荷馬車を小屋へ入れて馬に飼葉をやった。馬はどうやらおとなしい性質らしく、知らない匂いに最初は戸惑っていたが、やがて桶の中に首を入れて食べ始める。
馬と荷馬車の持ち主だった男の家はお世辞にも綺麗とは言えなかったが、最低限の飼葉や水、馬車の手入れに必要な道具は揃っていたことに安堵して、しっかりとドアを施錠すると、今度は水を汲むためイシューの家近くへと戻っていった。
日没後。イシュー・グランマニエ宅では夕食はすでに終わり、家主と居候女性二人がリビングの暖炉前にあるソファでのんびりしていた。
「さすがに朝も昼も夜も同じ食事っていうのはちょっと……量もそれほどないし……フレデリカさん、ちゃんと食べてました?」
「あたしは、カバンに入れて持ってきたパンがあったし。充分充分」
そう返しつつ足元の本を手に取り、パラパラとめくる。
「フレデリカ、ちょっと」
部屋の入り口からイシューが呼んだ。
そこに水汲みにしてはやたら時間のかかったエリックが戻ってきたかと思うと、フレデリカとイシューに二言三言話しかけると、二人は頷き、揃ってその場を後にする。
そのままエリック青年と部屋に残され、ナタリーは緊張の面持ちで彼を見上げた。リビングに沈黙が落ちる。
「何か、用ですか?」
警戒しながら問う彼女に、エリックは丁寧にたたまれた紺色のリボンを渡した。
「それは……」
「返すのが遅くなって悪かった。君の父親の、形見だ」
「あなたは、最初から知って……」
きつく握り締めた手が、怒りで震えた。
「ひどい……私が必死に探している隣で、あなたが、」
「知ることがいい結果を招くとは限らない。特にあの状況では」
「そんな……ッ」
肩で息をするナタリーへ、
「望むなら、父親の在りかも教える。決心がついたらそう言ってくれ」
ユークは静かにそう言って、自分を睨みつけている彼女に背を向け、その場を去った。
彼の姿が完全に見えなくなると、ナタリーはどさりとソファーへ崩れ落ち、握り締めてくしゃくしゃになった手の中のリボンと指輪をじっと見つめる。
連絡も途絶え、疎遠になっていた父親。いなくなったところで、きっとこれまでと何も変わらないはず。
それなのになぜ、こんなにも苦しさが込み上げてくるのだろう。遠く、懐かしい思い出ばかりが、胸に浮かんでは、消えていく。
「どうして死んじゃったの……お父さん」
頬を伝ってぽつり、ぽつりとリボンに落ちる涙を拭うこともせず、しばらくのあいだ肩を震わせていた。