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その頃。領主の館では、〈影〉の隊長ジョナサンが呼び出しを受け、長いこと待たされていた。改めて呼びに来た執事が、何の表情も読み取らせない表情のままで奥にある来客用小広間に通す。
奥にいる領主のところまで進み片膝をつくと、段上に座るアグノン・ラターの、わずかにかすれた低い声がかかる。
「カーズウェル、息災にしておったようだな」
「……はい」
上を向けば、領主の深くしわの刻まれた顔から濃緑の瞳がこちらを睥睨している。
「重要な案件があると窺いましたが……」
「ああ。呼び出したのは他でもない。私の兵がな、おまえの部下を市街で見かけたというのだ。しかもどうやら一般の店に迷惑をかけたという報告もあり、私の方ではそのような命令は出しておらんはずと疑問に思ってな」
「は。その件のことは部下より報告が上がっています。たまたま近くを通りかかったところ、領主様の兵がどうやら困っている様子と見受けられたので、手助けに入ったとのこと。何分にも年若いため不充分な行いになりましたのは、私の監督不行き届きです」
深く深く額づくようにすると、白髪交じりの茶髪をした領主、アグノン・ラターはふっ、と目をそらし、窓の外を見やる。
「なるほど。本来なら厳罰に処するというものだが……これまでの功績もある。一週間謹慎せよ。それをもって処罰とする」
「承りました」
それから領主は視線を戻し、
「どうだ、ジョナサン・カーズウェル。あの化け物をまとめるのは一苦労であろう。……私の避暑地にいい場所があってな。そこへ彼らを移してはどうか、という案があるのだ。それを考慮しておいてくれ」
氷の軋むのに似た声で言葉を紡ぐ。
「……お心使い、痛みいります。強く部下にも伝えておきましょう」
ジョナサンは重ねて深く一礼すると、退出の意を告げて部屋を出た。
扉の両脇に構えていた兵士のうろんな眼差しをやりすごし、夕食の支度の音で忙しない廊下を足早に進みながら、にじんでいた油汗を拭う。
領主が持つ避暑地は人里離れていて、不穏因子を処分するのに絶好の場所。そこへ行けというのは、死刑勧告に他ならない。
確かにサキたちは派手に動きすぎたが、ここで謹慎を命じられたのは、猶予期間……いや、そう見せかけた、動きを封じるための罠。
そもそも……デュロイ・クラストだけで、〈影〉からアレを盗み出すことが可能なものか。やはり、あれは領主の指示というわけかーーーーーー。
館の裏口へ出ると、人目につかないように小型馬車が停まっていて、そこでティーラーが待っていた。
黙って馬車に乗り込むとすぐに出発し、〈影〉の本拠地である領主館の別館へと走り出した。
兵の演習場と馬場の脇を通り、北側の森林の中へ入ってしばらく。
馬車がやっと到着し、降りたジョナサンが玄関をくぐると、いきなり誰かが抱きついてきた。
「お帰りなさい!」
子犬のようにキラキラした瞳で見上げてくる少年に、一瞬詰まったものの、
「ただいま、サキ。大人しくしていたか」
そう言ってわしわしと髪を撫でる。
「う。ちゃんとしてましたよ」
口をとがらせ、すねたように呟くサキ。
「そうか、よかった。ああ、久しぶりに会議をするからみんなを呼んできてくれ」
ジョナサンがそう頼むと、彼はシャキッと背筋を伸ばし、任せてください!と叫んで階段を駆け上がっていく。
会議室代わりのサロンでは、まずハウエルが無言で入り、続いて薄茶の髪を一つにまとめて三つ編みにしたフォルミナが、眠たげな目をこすりつつ、こちらに会釈をした。
「おかえりなさい〜」
「ああ。こんな遅くにすまないな……他のメンバーは?」
「え、と……」
「ヨナはあの雷撃を受けたせいで心理的ダメージが大きかったらしく、部屋に籠もってましたよ。隊長のおかげで、体は回復したんですが」
フォルミナの後ろからティーラーが、ひょいっと顔を覗かせた。コミカルな仕草のはずなのに、どことなく優雅さが漂うのは彼の特権だろう。
「サキはまた、一時は回復したんですが、アッシュを助けた時のショックを思い出したみたいで……。まあ、初めてのがあれじゃ、」
バシン!とドアが開いて、
「ティーラー、余計なこと言うなよな。そんなことどうでもいいんだ」
急ぎ足で来たサキが口の軽いティーラーを睨み付けた。
喧嘩が始まってはたまらないと、ジョナサンが慌てて、
「いや、サキのおかげで、アッシュが助かったんだよ。呼吸停止の時間も短く、壊死も避けられた」
「……たいちょ〜、もうこの話はナシで」
フォローどころか傷を抉るその言葉に、涙目になりつつ、あれは人工呼吸、ただの人命救助とぶつぶつ呟くサキ。その後ろから、沈んだ様子のヨナが現れる。
収集がつかなくなりそうな雰囲気の中、部屋の奥、低い背のソファに座っていたハウエルがぼそっと呟いた。
「……それで、報告は」
「え、ハウエルいたの?」
「いやいや、真ん前じゃないか。それは気づかないと」
軽口を叩き合うサキとティーラーに、
「二人とも、いいかげん席についてくれ」
とうとうジョナサンが大声を出す。
二人は即座に口を閉じ、それぞれに動いて棚から水差しとグラス、ワインのボトルをテーブルに用意する。夕食を取っていないジョナサンの前には、チーズとクラッカーが置かれた。
メンバーが思い思いに席につくのを待ってから、〈影〉の隊長は口火を切る。
「みんな、遅くに集まってくれてありがとう。まず、現状を確認したい。今のところ、アッシュの他に調子の悪いものはいないか?」
これには全員が頷いた。
「そうか、よかった。……それで、盗まれた書類の件だが、アッシュとサキが新たな情報を手に入れたようだ。サキ、報告を頼む」
「はい。途中領主の親衛隊と接触したものの、やっと書類の在りかに辿り着く決定的な手がかりを手に入れました。それがこれです」
テーブルの上に、変色した一枚の紙を置く。
「輝くカーシアの木の四つの交差する下に……って、これだけ?」
フォルミナが専用の鉄製カップを両手でぎゅっと握りしめ、驚きの声を上げる。
「…大丈夫、調べはついてるよ」
ティーラーがウインクをしつつ彼女に告げ、それからあらかじめ用意しておいた地図を取り出した。
「この街にカーシアの木は二〇四本。輝く、という言葉は太陽を現している、と判断して、太陽にしっかり照らされているカーシアのうち、領主館の近くで、交差した地点がはっきりわかるほど適度に間が空いているのは三十か所です。後は端から当たるしかないでしょう」
「仕事が早いな」
「……まあ、得意分野ですから」
ティーラーが植物と同調、操ることができるというのは、ここにいる皆が知っている。
ジョナサンが頷き、
「話を戻そう。報告から親衛隊のことが出たが、先程までの呼び出しで、領主アグノン・ラターから咎め立てがあった」
「あのジジイ、今度は何を」
「サキ、言葉に気をつけなさい。……〈影〉はしばらく謹慎するようにとの領主の御達しだ。これから監視の目が厳しくなるとみていい」
げっ、とサキが呻く。
「領主はナタリエ・クラスト、それから《カラス》の二人の行方を追っている。私たちが同じように追えば、かち合う可能性が高くなる」
その名を聞いて、多くの者がその顔色を変える。
「まさか、《カラス》を野放しにするのですか?」
珍しくフォルミナが表情を険しくして問いかけた。
「そうじゃない。今は書類の手がかりを優先させるべきだ。こちらがわざわざ探さなくても、向こうは領主たちが捜索している。任せればいい」
若干不満そうな表情は残ったが、彼女も他のメンバーも納得したように頷いた。
「それで、書類の調査はサキに代わってティーラー、ヨナ、それからフォルミナに一任する」
「は、はいっ」
ヨナが慌てて返事をし、ファルミナもまた、握ったとき変形させてしまったカップを花びらのように丁寧に戻しつつしっかりと頷いた。
「あれ?オレは?」
「サキはこれから一週間、謹慎処分だ。アッシュの世話に当たれ」
ええ〜と情けない声を上げるサキに、
「サキは命令無視しすぎだな」
「むしろこれぐらいで済んで感謝しないと」
ティーラーとフォルミナが口々に言う。
「……それで、二人はこの一六か所を調べてくれ。くれぐれも慎重に。それからハウエル」
ずっと黙って話を聞いていたハウエルが首を傾けた。
「ティーラーもだが、君たちは動けば目立ちすぎる。ここにいてくれ。……ただ、敷地内で時々暴れてくれていい。謹慎を言い付けられて癇癪を起こしたと見せかけるんだ。何もないと逆に疑われるからな」
わかった、とハウエルが短く返事をし、ティーラーも頷く。
「話はこれで全部だ。各自、しっかり頼む」
歯切れよく返事をし、それぞれ各々の任務について考えを巡らせる彼らを見て、ジョナサンの顔にかすかに苦い笑みが浮かんだ。
《カラス》の欠落は大きいが、それでも……ここで立ち止まるわけにはいかない。
無性に煙草が吸いたくなり、早々に部屋を退出すると、ティーラーに呼び止められた。
「隊長」
「どうした?」
「例の、‘彼ら’の行き先のことですが……これをどう使うのかは、任せます」
ジョナサンの手にカラサの枝と《カラス》たちの居場所が記された地図とを渡し、では、と一礼して彼は優雅にその場を去っていった。