2
お待たせしました。事情説明回です。文が多くてすみません。
ナタリーとフレデリカ、二人を乗せた馬車は凄まじい勢いで出発し、しゃべることもままならないほどの揺れが続いた。
跳ねる荷物と体をなんとか押さえつけ、半刻ほど経ったころ、少しずつ速度が緩み始め、やっと落ち着いたところでナタリーがフレデリカに向き直ると、彼女は片手で顔を覆い、俯いていた。
顔色が、あまりよくない。
「あの、フレデリカ……さん?大丈夫、ですか?」
「全然大丈夫くない。やばいなぁ……大激怒だよ大激怒」
ナタリーには言っている意味がよくわからなかったが、それには触れず、
「あの……さっきのは……あの人たちはいったい」
ためらいがちに尋ねると、フレデリカは小さく首を振る。
「ああもう……どこから話せばいいのか……ちょっと待って」
懐から茶色の小瓶を取り出し、一気に流し入れ、苦かったのかさらに顔をしかめた。
「えっと、それは」
「馬車酔いの薬」
くらくらするのか、フレデリカはそう言って頭を押さえつつ、
「あのさ、ナタリーは、どうしてあたしのところへ?」
「それが……ジョナサン・カーズウェルさんって人が」
「うぇ……あいつの差し金かー。こりゃますます言い訳が立たなくなってきちゃったなー」
「い、いったい何が起こってるのかわからなくて、あ、あの、ば、化け物……どうして……」
スカートを握り締め、涙を流すナタリーの背中をさすりながら、
「化け物……か。実は、彼らもおんなじ人間なんだけど……どう説明するか、な~」
困ったように窓の外を見れば、馬車はあちこちで脇道に入りながら、暗い道を走り続け、しばらく経って、速度を落とし、レンガ造りの家が並ぶ通りで止まった。
「あ、着いた。……仕方ないか。まずは安全なところへ行こう」
「こ、ここは大丈夫、なんですよね!?」
不安げなナタリーを安心させるように頷き、馬車を降りると、御者が積まれていた荷物を手渡し、馬車を置いてくる、とぶっきらぼうに言って去った。
「……しばらくは冷めないか」
「え?えっと……?」
「こっちの話。気にしない気にしない」
と言いつつ、フレデリカは若干ふらつきながらも石の歩道を歩き始める。
「とにかくついてきて」
薄暗がりの中、細く目立たない道を選んで進むフレデリカ。その後ろについて歩いていると、今更ながらナタリーの心に急速に不安が広がってきた。
なんでこんなところまで来てしまったんだろう。あの、変な力といい、何かとんでもないことに巻き込まれてるんじゃ……?
そんなことを思い、後悔しているあいだにも、目の前のフレデリカはどんどん進み続けている。
しばらく道なりに進んで通りの角を何回か曲がり、比較的大きめな家の裏口らしきところへたどりつくと、彼女は迷いもせずノッカーで扉を二回打った。
ややあって、ドアが軋みながら開き、淡い灰色の髪に灰色の口ひげを生やしたコート姿の老人が顔を覗かせる。
「どなたかな?今は休業中で……と、フレデリカじゃないか」
「イシュー、いいからとにかく入れて」
彼はその勢いに顔をしかめつつ、すぐに中へと二人を招き入れた。
「あと一人くるから」
フレデリカの言葉に頷き、暖かみのある色合いで統一された廊下からランプを取る。
突き当たり右にあるドアを抜けると、そこは天井の高いホールに繋がっていて、右手には二階への階段、左手には正面玄関があり、ちょうど待合い場所のような椅子やテーブル、小さな本棚まであった。
それらを横切り、イシューはすぐ目の前のサロンの中へと二人を案内する。
ぼんやりと薄暗い部屋の真ん中にあるソファを見た瞬間、疲れた疲れた、と迷わず座るフレデリカ。
「……やれやれ。そちらのお嬢さんも好きなところへ座りなさい。すぐにお茶を用意する」
イシュー老人が持っていたランプを置き、部屋に火を灯すと一気に部屋が明るくなる。
お茶を待つあいだ、まるで自分の家かのようにくつろぐフレデリカとは対照的に、ナタリーは落ち着かない気分でそわそわと、意外に長い待ち時間を座っていた。
やがてドアが開き、イシューがお茶とビスコッティ、それから後ろに先ほどの御者を伴って戻ってくる。
「イシューさん、その人は……?」
不安げなナタリーの横で、フレデリカが御者へ声をかける。
「おーい、いいかげん変装解いたら?」
呼びかけに対し、御者はしぶしぶ帽子と眼鏡を取った。
「エリックさん!?」
うろたえるナタリーにかまわず、彼はさっさと空いている席へとまわり、気負いなく自然に腰掛ける。
「あの、全然話が見えないんですけどっ」
思わず彼女が叫ぶと、フレデリカがあ〜、ごめんごめんと手を軽く振る。
「ま、こいつはとりあえずほっといて、話を先に進めようか。まず、私たちを襲った彼らについてなんだけど。ナタリーは『夜の使者』って知ってる?」
「なんでいきなり……知ってますよおとぎ話ぐらい。どこからともなく現れ、人に紛れている魔物のことでしょう?悪い子は連れて行かれるとかで」
「それが、『夜の使者』は実在するんだよ。あなたたちの知らない、まったく違った存在として」
それを聞いた彼女は引きつり笑いを浮かべ、
「あの、そういうくだらない冗談はよしてください」
「いや、本当本当」
パタパタ手を振りつつ、軽い口調を崩さないフレデリカに、イシューは溜め息を吐いた。
「フレデリカ……その言い方だと誤解を招くんじゃないのかね。まだお互い自己紹介もしとらん。わしはイシュー・グランマニエ。医師をして生活を立てておる。フレデリカとは、数年来の付き合いでな」
まあ、ここに来る時はほぼ厄介事を持ち込んできよる、とちらりとフレデリカを見た。
「んなことないって。ええと、改めて自己紹介するね、あたしはフレデリカ・マイヤー」
はらりと目にかかった朱色の髪を退けながらフレデリカが笑う。
「ナタリー・クラストです。えっと、そっちは……」
自然とその場にいる全員の視線が金髪の青年の方へいき、彼はエリック・フィールド、と投げやりに名乗った。
「それで、話を戻すが……フレデリカのいう『夜の使者』云々はさておき、この世界には、生まれつき、普通の人とはちょっと違った、不思議な力や姿を持つ人々がいる。そして、彼らをわしらは特殊能力者と呼んでおる」
「えっと……話がよく……」
困惑気味のナタリーに苦笑し、イシューは棚から燭台をわざわざ持ってきて、
「まあ、見てくれ」
右手を燭台に向けてパチン、と鳴らすと、かざすと、突然テーブルの蝋燭に火が灯った。
ナタリーが、短く悲鳴を上げる。
「もちろんこれは、手品や大道芸の類いではない」
勘違いされないようにと、イシューが念を押した。
「わしのいた隣国には、特殊能力者を保護する組織があり、そこにはある概念があってな」
イシューは一度自分の内側を探るように目を伏せ、
「“世界は目に見えぬ小さな力の集まりでできていて、目に見えぬその力は、精神感応と外部の働きかけにより性質を変える”といった考えだ。今火が灯ったのは、わしが火をイメージしてそのとおりに目に見えぬ力を動かした、ということになる」
「でも……私たち、隣に国があるなんてみたことも聞いたこともないです!西には険しいミュール山脈があって、聳え立つ絶壁と凍てつく大地、そこに住まう獣。未だそこを踏破した人はいない、無法地帯だ、って」
「それはあくまでこの国の話であって、わしらの組織は幾度となく山脈を越え、こちらに出入りしておるんじゃ」
イシューは言葉を選びながらなんとか話そうとするが、
「だから、そんな話とか変な力のことなんて今までまったく聞いたこともなかったんですよ?」
ナタリーは言い募る。それを見て、フレデリカが横合いから口を挟んだ。
「ちょおーっと待った。一応最後まで聞こう?話進まないよ。先は長いってのに」
「で、でも……いえ、わかりました……。続けてください」
そう言いながらも懐疑的な眼差しでじっと見つめてくるナタリーに、老人はどう説明したものかと考え込むが、そこで、今まで黙っていたエリック扮するユークが、
「一つ気になることがある。話から察するに、グランマニエ医師、あなたは特殊能力者ではない、と?」
「そのとおり。わしらは生まれつきではなく、修行によってその‘力’を行使する者。これがその証じゃ」
イシューは上着の裾をまくり、茶色の腕輪を見せた。
……色は違えど、ユークはその形状に見覚えがあった。
「“特殊能力者”。こちらでは『夜の使者』『化け物』とも呼ばれる彼らは……生まれつき特殊な能力を持ち、百から二百人に一人、という確率で生まれるため、この国では昔、裏で取引され、兵器として利用されていた。が、酷い大戦ののち、当時の権力者たちがもう二度とそんなことが起こらぬよう、法を定めた。すなわち、特殊能力者を見つけしだい、いや、生まれしだいすぐ処分するようにと。彼らは悪魔の使いで、放っておくと害をなす、という理由もくっつけてな」
そこまで一気に言って深いため息を吐く。
「その法律を作った後、たまたま強い力を持った特殊能力者が生まれ、暴走して被害が出て、それがあっというまにそれが浸透したらしいよ。最悪なことにね」
吐き捨てるようにフレデリカが言う。
「今じゃ生まれても、見かけてもすぐ通報され、殺される。最近では、授産婦や医師がらみであんまり一般市民には知らされなくなってるという話も聞いたよ。母親には死産だとかなんとか言って。……まあ、悪魔の子を産んだと世間に騒がれたら大変だし、合理的なのかもね」
「その話は知っている。が、まずはナタリーをどうするか、だ」
ちらっと彼女を見たが、どうも話についてこれそうにない。
「えと、つまりその……話をまとめると、危険な力を持つ化け物たちの名前が特殊能力者で、いるのは確かで、それで、そいつらが私たちを狙っている、と」
何がなんだか、というように早口で呟くナタリーに老人は首を振る。
「化け物じゃない。彼らは、特殊な力、姿を持つといえども同じ人間じゃ」
「……あああ、もう!何がなんだが」
少女が頭を押さえて呻き、イシューは気の毒そうにそれを見やったが、視線をフレデリカと、エリック青年へと向け、
「これで、こちらの話は終わった。さて、フレデリカ。そろそろ、いきなり、且つ慌てて訪ねてきたのか事情を教えてくれんか」
「ああ、それはね、あいつに聞いて」
そう金髪の青年を指差すと、彼は顔をしかめつつも頷き、
「で……どこから話す?」
「最初から言えっての」
フレデリカが絶妙なタイミングで突っ込んだ。