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ジョナサンが花屋でナタリーに声をかける少し前。
農地の多い町の南東にある一軒家。そのリビングでは、一人の女性が長い夕陽色の髪を束ねもせずソファでごろんと横になっていた。
「もう着替えるのも面倒だなあ……。この時間だともう誰も来ないし」
色白の素肌に直接厚めの上着、ゆったりしたズボン姿で、とりあえずと辺りを見渡し、
「えっと、下着下着……」
ところどころ寝癖のついた髪を押さえつけ、立ち上がったところで突然部屋にノックが響いた。
玄関の扉には鍵、何より扉が開く音すら聞こえていない、ってことは……!
「ま、待った。ストップ、入ったら叩き出す!」
「フレディ、急ぎの話があ……」
バシンッ
開きかけたドアを蹴り戻す。鈍い音、それから、ぐっ、と呻き声が聞こえたが構わず、フレデリカは急ぎひととおり見られる衣服を身につけ、手近なコートを羽織り、何事も無かったかのように改めてドアを開けた。
「あ、ユーク、珍しいね。あなたが尋ねてくるなんて。っていうか鍵勝手にピッキングするな」
「……知るか」
金髪の御者姿で来たユークは、鼻を押さえつつ中に入り、ざっとリビングを見渡した。
床に散らばる衣類、テーブルには汚れた食器類。自然と眼差しは険しくなる。
フレデリカが慌てて、
「これは片付けるつもりでいたんだよ?ええと、今日にでも」
「いや、どうでもいい。それより、すぐ出てくれ。〈影〉を抜けてきた。縛り上げたジョナサンが連中に見つかるまで、時間がない」
「うわ、とうとうか〜。服と日用品と……まあいろいろ、すぐに準備するから」
真顔で任せて、と胸を叩く。
「急げ。おれは例の、潰れたカンザス商店の裏で待つ」
言うだけ言ってさっさと出て行くユークを見送り、さっそくフレデリカは積まれた衣類の中から比較的綺麗なものを集め、部屋に置きっ放しの旅行カバンを取りにいった。
ナタリーがジョナサンに紹介されたその家を探し当てた時、辺りは次第に夕陽色に染まろうとしていた。
馬車から下りて蔦のはびこる入り口の門に手をかけ、中を覗き込むと、人目を引く朱色の髪と地味なベージュの服装をした女性がちょうど出てきて戸締まりをし始める。
「あの、フレデリカ・マイヤーさんですか?」
と声を投げかけた瞬間、その女性がパッと振り向き鋭く睨んだ。
「誰?」
「あ、あの」
ナタリーがどう話そうかと迷っているうちに、彼女はさっさと門まで歩いてきて、周囲に目を配り、
「急いでいるんだけど。何?」
「私はナタリー・クラストです。あなたがエリックさんの知り合いだと窺ったのですが……」
「ふーん……なるほどなるほど。で、あなたさ、足は速い方?」
「え?いえ、普通ですけど」
「じゃあ、全力で走って」
「ええっ?」
ひやりとした感触とともに手をぐっ、と掴まれる。
しかし、いくらも進まないうちに近くの茂みから不揃いな髪の少年が飛び出してきた。
「待て!」
「うわ、来たよ」
うっとうしそうなフレデリカに対し、
「こ、ここは絶対通さない」
と言って道を塞ぐ少年は、よく見ると体が震えている。
「いや〜通さないとか言われても……」
フレデリカが言い終わる前にタタタッと足音がして、また少年が現れた。まったく同じ顔で逆に伸びている前髪を揺らし、
「お待たせ。おまえにしては頑張ったじゃん」
「お、遅いよサキ」
「これでも急いだんだって。裏通りにそれらしい馬車が一台。だがまず……こいつらを先に、やる」
うろたえと、敵意に満ちた表情。それ以外は鏡に映ったような二人だが、片方伸びている髪が揺れると、その下には、
「目、目がないっ」
ナタリーは思わず叫んだ。
「うるさいな、どうでもいいだろ」
いまいましげにサキが吐き捨て、肌を覆っている前髪を摘む。
「で、あなたたち二人だけ?」
辺りを窺っていたフレデリカが静かに問いかける。
「もうすぐ仲間が来る。逃げようとしても無駄だ」
ぶっきらぼうに答えるサキ。もう片方の少年は不安そうに周りを見回している。
「……フレデリカさん」
極力双子を見ないようにして、震え声を出すナタリーの背中をフレデリカは落ち着かせるようにポンポンと叩き、
「ん〜、なんか来る気配なさそうだけど」
「だからどうした?おまえらを足止めをすればいいだけのことだろう?ヨナもオレも、なめると痛い目に遭うぞ」
身構えるサキに、あくまでも余裕を見せ、
「見た目で判断したりしないから大丈夫」
と自然に構える。
お互い睨み合い、緊張が漂う。徐々に薄暗くなり始めた街の中で、片方ずつしかない双子の琥珀の瞳が光を反射してぎらつく。
「潰れろっ」
サキが動いた。空気が震え、揺らいだ次の瞬間、ナタリーたちにずしりと重圧がかかり、石畳に押し付けられる一瞬前、フレデリカが手のひらを突き出すのと同時に朱金の稲妻が双子を襲う。
悲鳴を上げ相手が倒れ、のしかかる重みがふっ、と消えた。
「さ、行くよ。早くしないと仲間が来ちゃう」
フレデリカの促しに、ナタリーは震える膝を叱咤しながら立ち上がる。
「今のはいったい」
「あとで説明するから。急いで!」
走りだした二人の側へ馬車が来て止まる。
「くそが、待ちやがれ!」
「おい待て!」
まだ痺れる体を動かし立ち上がるサキに、追いついてきたアッシュの静止が飛ぶ。
「なんで止めるんだよアッシュ!いっちまうだろうが!」
「隊長の命令だ。俺たちでは彼女には、敵わない、と。ヨナは大丈夫か?」
「寝てるだけだろこんなん」
サキが土埃の中、転がるヨナを足蹴にしすると、彼は小さく呻いた。
「深追いはしなくていいそうだ。後はティーラーがやる」
「あいつがかよ……」
「我慢しろ。俺だってすぐにでも追いかけたいのを堪えてるんだ」
「ちっ、仕方ねえ、戻るか。おいこら起きろヨナ!戻るぞ」
「隊長も、いったい何を考えてらっしゃるのか……まるで掴めん」
アッシュのぼやきは、馬車が去り、日の傾きかけた地面に溶けて消えた。