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かなえるもの  作者: 田中志摩貴
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その9


マーキュリは、カイキが触れて欲しくない話題や語りたくない核心に近づく頃、自然と話を逸らしてくれるその配慮がありがたい。カイキは嘆くように頭を抱えて反撃する。

「くだらん。お前たちは、いつも神話の話などしてるのか。本当にくだらない。神話や哲学など人生において、何の役にも立たない。何が悲劇だ。人間が生きてゆく方がよほど悲劇だ。生まれたこと自体が悲劇なんだ」

「役に立つかどうかは聞き手の受け取り方次第だと思うけれど――それにしてもカイキ。君に対して常々思っていたことだけれど、君は著しく浪漫が欠如している。情緒というものが、まるで見あたらない」

「お綺麗事だな。浪漫で飯が食えるなら、情緒だろうが哲学思考だろうが嫌というほど養ってやる」

「なんて夢のない……」

 マーキュリは絶句したように目を丸めたが、すぐにカイキらしい発言だと納得して笑みをこぼす。マーキュリが姫を振り返ってふたたびウインクすると、姫はようやく緊張を解いた。パシャは野兎のような小走りで駆け寄ってくると、口唇を尖らせながらカイキの背中を拳で小突く。不安にさせた代償だ。カイキはパシャの頭を指で撫でて、すまないと小さく呟いた。

 カイキが本来の体調を取り戻すと、一行はふたたび目的地を目指した。とはいえ、目的地が何処であるのかは、パシャにしかわからない。緑の芝を踏みしめる自分の靴を見つめながら、カイキは問いかけた。

「なあ、マーキュリ。いつもお前が神話を読んでやっているのか?」

「神話だけじゃないわ。哲学書も童話も学書も本は全部マーキュリに読んでもらうもの」

 パシャが不本意そうに口を挟む。

「姫……それは自慢することじゃない。どんな本であろうと、人の口から聞くより己の眼で文字を追った方が頭に残るものだ。偶には、ご自分で読まれたら如何か」

「本は苦手なの」

 パシャは愛嬌たっぷりな口調で答えた。

「文字は苦手よ。キライなの。いいでしょ。マーキュリに読んでもらうと理解しやすい上によく頭に残るんだもの」

 それ以上追求できない直線的な反論だった。カイキは学童時代に本をたくさん読んだ。課題として強要され、抗えなかったのだから、読むというより読まされた、に近い。

 カイキは屈託なく笑った。

「確かに、俺も本を読むと眠くなる」

「読書の話なんてどうでもいいわ。それよりマーキュリ。さっきの話を聞いてて思ったんだけど、神様って本当にいるの?」

「――神の論議か」

 マーキュリは指で顎を支え、気難しく眉間を歪める。パシャが意気揚々と声をあげて、答えをせがむ。

「だって、マーキュリから幾つもの神話を聞かせてもらったじゃない。大地の女神に天空の神でしょ。あとは海の神、太陽の神、闇の神、月の女神、使役の神、戦いの女神、美の女神。ええと、他に誰がいたかしら」

「神か。天の果てのように不可思議な存在だけれど……何といったものか。難解だな」

 マーキュリは答えに窮して唸りながら寡黙になっていった。パシャは静かに横顔を見つめながら、ひたすら答えを待つ。

(神などいない)

 カイキの胸中は鉛のように重く沈んだ。

 もし神などという絶対的な存在があるのなら、人間という傲慢な意識体が世界を支配して良い訳がない。神がいるのなら、世界の管理者は神であるべきである。神が創造したとされる天地は、絶対的に神のものであるべきなのだ。

 カイキは、神の姿を目にするまでは頑なに神の存在を否定する、という簡略な不信心者ではない。幼い頃は、両親と共にブヴボンに君臨する神に信仰を捧げていた。神という絶対者の存在を信じていた。だが、今は誓える。神などいない。

 もしいるのならば、それは忌まわしい悪魔の声を持っているに違いなかった。

 答えを模索していたマーキュリは、やがてポンと手を打つ。

「こういう説明がわかりやすいと思う。いいかい? 簡潔にいえば、神はいる。ただし心の中にだけれどね。基本的に、個人が何を好み何を崇拝しようとも自由だと僕は思っているんだ。崇めるものは、それぞれが好きに決めていい。例えば――大地に感謝する自然愛好者なら、大地を神だと崇めてもいいし、自分に命の息吹を吹き込んでくれた親を神だとしてもいい。要は、その人が何に神を感じるか否かによると思う」

「神を感じる……?」

 パシャは理解できないことを態度で示すように首を傾げた。

 神の存在があるのかないのか。今まさにそれを問うているというのに、神を感じたものが神だとマーキュリは不思議なことをいう。

 マーキュリは、赤子をあやす父親のような顔で微笑んだ。

「そうさ。だから僕にも神がいる。たぶん、姫にもいるはずだよ」

「マーキュリの神は誰なの? ブヴボン国のみんなが信仰しているのと同じ神様?」

「誠に残念ながらブヴボンの神とは異なるものさ。僕が信仰する神は、僕自身だよ」

「ふうん」

 パシャは拍子抜けしてしまった。マーキュリのことだから、奇想天外なとんでもないものを神だといってくれると、勝手に期待していたのだ。

「僕は僕自身が下した決断によって動くからね。ほら。手も足も言葉も、全て僕が望んだ通りに動いてくれる。僕の目が見ている僕の世界は、僕の力と思考によって成立している。僕が僕として生きている間は、他の誰でもない、僕が神なのさ」

「わかるようでわからないわ」

 神が何でも良い、という概念がパシャには理解できなかった。

 神とは全知全能で、空気や水や大地や生物などの世界を創り、時には人に奇蹟を起こして人々を救ってくれるものであって、けして人間ではない。神とはそういうものだと、漠然と思っていた。

「じゃあ、マーキュリは人間ではないの? マーキュリは神様だったの?」

「もちろん、僕は人間だよ」

「でもね。マーキュリが神様だったら、マーキュリが死んだ後はどこに行くの? 誰が光のある場所まで導いてくれるの?」

「死後も、僕は僕の力で生きてゆくよ」

「死んだのに生きるって、何か変よ」

「――正論だね。語弊があったかもしれないな。そうだね。死んだ後は天国に行くのじゃなくて、たぶん土に還るのだと思うよ。他の物質がそうであるようにね」

「神様はいるけど、死んだ後に召される場所にはいないの? だから土に還るの? だったら、人の魂も土に還るのかしら。でも待って。魂まで土に還っちゃうなら、天国という場所はないってことよね。……だったら神様は何の為にいるの? 神様は何をしてるの? 何だか混乱してきたわ」

 パシャは憤然としながら腕を組んだ。指を一本ずつ折りながら、整理するように言葉を反復させていたが、やがて諦めたように深い溜息をつく。

「わかった。とにかく、死んじゃった後は土に還るのよね。私はマーキュリを信じることにする。だって、マーキュリが間違ったことを教えてくれたことは一度もないもの」

「それはそれは。光栄だな」

 マーキュリは照れたように苦笑した。

 マーキュリの理論を頭で理解できたとしても、カイキに真実などわかるはずもない。ただ今は、神を肯定する気にはなれなかった。神はいない。いるのは悪魔だ。

 各自が思想を巡らせているのか、しばらく黙り込む。互いに顔を合わせることもなく、言葉も交わさない。単調な歩行を続けていると、消えない懸念を独白するような口調でパシャが切り出した。

「でも。土に還るって、どんな感覚なのかしら」

「残念だけれど、僕は死を体験していないからわからない。土に還る――か。きっと、腐食した身体が大地に融解されて土塊と化してしまうことを意味するのだろうと思う」

 答えに怯んだのか、パシャが足を止める。嫌悪感を露にした声で怖ず怖ずと問い返す。

「ドロドロに溶けるかしら」

「恐らくは」

 平然と答えるマーキュリに対し、パシャは両手で耳を塞いで「ぎゃあ」と太い悲鳴をあげた。マーキュリの声を遮る為にあげた悲鳴なのだろうが、何とも色気のない悲鳴だ。

 パシャは嘆くように首を左右に振ると、カイキのいる右後方に飛び退き、その腕にしがみつく。姫は、距離をとったマーキュリの背中に非難めいた声を投げかけた。

「やっぱり、マーキュリへの賛同を撤回するわ」

「なぜだ?」

 カイキは自分の影に身を潜めるパシャを見下ろしながら、率直に訊いた。パシャは批判がましい顔でカイキを見上げ、鼻息を荒くする。

「私は死んだらあたたかい天国に行くの! だって、寒いのはキライだもの」


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