絶望の日々
その後、どうやって家に辿り着いたかは、あまり覚えていない。とにかく必死で森を走り続けていた。
何とか家に到着できると、パトカーが数台家の前に止まっていた。ドア付近で額に手を当て、疲れた顔で警察と話していた母を見つけ、私はダッシュで母の元へ走った。
母は突然現れた私に目を見開き、驚いた顔をした。私が半泣きで母に言い寄ろうとすると、母は身をよじり、私を振り切った。そして一発、私の右頬を力の限りひっぱたいた。
「何して…どこに行ってたのよアンタたち!今、何時だと思ってるのよ!」
「…」
強い口調で母は私を叱った。母としては当然かもしれなかった。私は何も言えず、叩かれた方の頬を無言でさすった。ただただ絶望した気持ちだった。
「レオナルドも出て来なさい!二人には話があるわ」
「あっ…」
私は口を開きかけた。だが、何かが私を黙らせた。私は口を開けず、地面に目を落としてしまった。それを見た母は、さらに私に聞いてきた。
「ねえ、どこなの?」
母は威圧するように私の顔を覗き込みゆっくりと言った。私は覚悟を決めた。
「レオが…レオが消えちゃったの!私が悪いのよ、全部!アイダスの森にある屋敷に二人でいっ…」
「レオが消えた!?それに、なんですって、ア、アイダス!?ミサにも行かないで何してたと思ってたら…あんたたち、そこまで何しに行った訳!」
私には、理由を言う勇気と気力が残されていなかった。とにかく、それより大事なことを言おうとした。
「レオのこと私、捜したのよ!でも、どこにもいなくって、わ、私…」
最後まで言えなかった。私のせいだ。私の責任だ。私が全て悪かったのだ…
私は母から顔を逸らした。堪えきれない想いが涙となって溢れ出てきた。
「…ちょっと来なさい」そんな私をしばらく見ていた母は私の腕を掴み、さっきまで話し込んでいた小太りな黒人警官を素通りし、ずんずんとパトカーの方へ歩いていった。
「今すぐアイダスの森にある屋敷に行って下さい。私も車で行きますので。私の息子が行方不明なんです」
随分と落ち着いた口調で、母はガリガリとした老警察官に話し掛けた。
「ん、何っ、アイダスですと!?」
警察官はくわえていた安物の煙草を落とした。
「ええ!だから早くして欲しいんです」
母はイライラしたように声を張り上げた。
警察官は、足で煙草の吸い殻を踏み潰し、一瞬遠くを見てフリーズしたが、突然思い付いたように急いでパトカーの運転席のドアを開けた。
「レイモン、今からアイダスだ」
「アイダス?そこに子供がいるのか?」
レイモンと呼ばれた男の切れ長の目が、疑わしげに一瞬濁った。
老警察官は言った。
「早くしてくれ。こちらの親子も行くそうだ。緊急事態だからな」
レイモンはサイドミラーから鋭い視線でノリン達を見た。そしてトランシーバーで何かを手短に話した後、車から言った。
「ラピスさん、娘さんもこちらに同行いただけますか」
母は言った。
「はい、私は車で…」
「いえ、夜道ですから、はぐれない為にもパトカーにご同乗願います。それから娘さん」
いきなり振られた私は、ビクッと肩を上げた。
「…はい」
「君は助手席に乗ってもらおうかな。道を教えてほしい。アイダスの、どこに行ったんだい?」
「弟と二人で、大蛇の出る屋敷です」
「屋敷?…まさか…」
レイモンは一瞬、深い眉間に深刻さを刻んだ。が、平静さを取り繕り、「では乗って下さい」と形式にそった口ぶりで言った。
警察による捜索は、その日から丸々一ヶ月続けられた。アイダスの森は、私の予想を遥かに超える広さがあったらしかった。もちろん屋敷での捜索も行われた。私は警察と同行した際に、大蛇が潜った床扉のことを教えたのだが、奇妙なことにそんな扉は見つけられなかった。レオのことも見つけられず、何一つ手がかりを掴められないまま、捜査はお蔵入りとなってしまった。
私はその一ヶ月間気が気でなかった。夜中も朝方まで眠られず、ずっとベッドの中で静かに泣いていた。三日ほど捜査に同行したが、子供だしまた何かあると困るということで、捜査からは外された。正直学校には行く気になれなかった。だが私が家にいると、事件以来体調を崩してしまった療養中の母が、ヒステリーを起こし私を殺しかねないのは百も承知だったので、逃げ込むように学校へ行った。
レオナルド行方不明事件は町の大スクープとして既に町中に広まっていたらしい。私が学校に着き、自分用ロッカーから荷物を取っていた時、視線とコソコソ声を感じた。私は荷物を取り、バンっとロッカーを閉めた後、後ろをちらりと振り返った。
柱の陰に、同じ学年のライラとクルエラがいた。二人は顔を見合わせたりノリンを見たりして、意地悪な笑みをみせていた。
「…何」
私はイライラしながら、二人に言葉を投げつけた。すると二人はまた顔を見合わせた。
「ねえ、あの屋敷に行ったの?」ライラがわざとらしい心配そうな猫撫で声で小首を傾げた。
「…そうよ」
「弟君、助かるかしら?」クルエラの声と顔は、この事件のことを楽しんでいるのを、もはや隠そうともしていなかった。
「知らないわよ!」
私の頭の血管が、何本かブチリと切れた。私は教科書を脇に抱え、ダッシュで幾何学の教室へと行った。あの二人が弟の安否を心配しているのではなく、この平凡な町の一大スクープとして楽しんでいるのは、火をみるより明らかだった。
教室に一歩足を踏み入れたとたん、騒がしかった空間が、一気に水を打ったようにシンとした。私は正直一瞬戸惑ったが、平静を装い、いつものように、窓側の一番後ろの席へと歩いていった。
席に座り、頬杖をついて、ぼんやりと窓の外を見た。自転車を漕ぐおじさんや、チュロス屋の車などが見えた。次第に、またザワザワと教室が賑わってきた。いくつかの視線も 感じたが、気にしないふりをした。
景色を見ながら、私はただただレオのことを考えていた。バカなレオ。弱虫で泣き虫な、はなたれ小僧。勉強だけは出来たけど、人に頼らないと何も出来ず、何も上手くいかない弟。
ふと窓に映る自分を見て驚いた。知らぬまに、涙を流していたのだ。私は服の袖で、誰かに気付かれないように、そっと涙を拭いた。
涙だけは、誰にも見られたくなかった。




