地下室
その方向は、私が行っても行き止まりの場所だった。そこだけこの立派な屋敷に継ぎ足したように、晴やかな大広間とは打って変わって、湿気の多い陰気な感じの場所だった。ジメジメと暗い廊下を、私は恐る恐る蛇の後ろをついていった。
数十メートル進むと、やはり行き止まりにつきあった。私が戸惑っていると、大蛇はいきなり太く長い体をうねるようにねじり、首をかまたげた。そして、首を思いっ切り床に突っ込んだ。
私は驚愕し、大声をあげてしまった。なんと蛇の首は固いはずの床に吸い込まれ、長い肢体もスルスルと床に姿を消したのだった。しばらく私は呆然としていたが、その床に近づくとそこに隠し扉があったことに気がついた。私はその床の隠し扉の向こうを覗き込んだ。
中は真っ暗だった。深さはどれくらいなのだろう。もしかしたら、レオはここに落ちてしまったのかもしれない。頭から落ちたらきっと即死だろう。私は数十秒扉の向こうを凝視していた。
よく見ると、黒いはしごが取り付けてあった。これで下に行くのか。はしごは、高所恐怖症の私の大嫌いなものの一つだった。階段なら大丈夫だが、はしごはうっかり両手を離したものなら、下に一直線だ。汗で手がぬめっては尚更である。
普段の私なら、そのように恐怖を感じるだけのはしごだが、しかし今は違った。弟がここに落ちたのかもしれないという非常事態だからである。私は数秒間迷った後、覚悟を決めた。ジーパンに両手の汗をなすりつけ、そろそろとはしごに手をかけた。
ゆっくりと進んでいった。中は真っ暗闇で、目を凝らさないとはしごが見えなかった。一段一段、震えた足を下に降ろしていった。
しばらくはしごを下ると、ようやく足が固い床に着いた。私は手をはしごからそっと離した。背中のリュックを下ろした。そして手探りでチャックを開け、懐中電灯を探すため手をリュックに突っ込んだ。
ようやく懐中電灯を見つけた私は、スイッチを入れた。真っ暗な地下室に光が差し込んだ。懐中電灯をそろそろと左から右に動かした。あのデカ蛇の姿は何故か見当たらなかった。
「ばかレオぉ~いるの~?」
私は心細さを隠すためもあり、大きな声でレオを呼んだ。が、返事はなかった。
私は一歩、また一歩と真っ暗な地下室をあてもなく歩いた。Tシャツからはみ出た両腕がヒンヤリと冷たく、寒気がした。水を打ったような静けさの中に、人間の呼吸と足音だけが存在しているかのようだった。
歩きながら、ふと私は思った。この地下室はどのくらいの広さなのだろうか。そう思った直後だった。
ライトを当てた先に、人のような黒い塊が見えた。私は一瞬怯んだが、すぐにそこに走っていった。
「レオ、レオなの!」
怖い気持ちもあった。もしレオ以外の何かだった場合、どうなるかわからないからだ。しかし今はそんなことを思う場合ではなかった。
ライトを当て、一心にそこに急ぐと、黒い塊は向かって左側に逃げていった。私は急いでライトを左に向け、走って後を追いかけた。
「ねえ、ちょっと待ってよ!」
レオなのかよくわからない塊は、私が息を切らすくらいの速さで進んでいった。返事くらいすれば良いのにと、私は少し苛立った。
塊のスピードはどんどん速くなり、私はついに追いつけなくなってガックリと膝を床につけた。はあはあと息切れが激しかった。
「ま…待って…」
私は息を切らしながらつぶやいた。そして、塊が逃げていった方に再度顔を上げた。
すると、ボンヤリとした、小さな白い光が向こうに見えた。私はいきなりの光に目を細めた。なんだろう、これは?最初は大蛇で次は意味不明の塊、その後はわけのわからない光?もうホントに何がやりたいわけ?私はしばらくまじまじと白い光を見つめていたが、しょうがないと心を決め込んで、膝を冷たい床から離し、立ち上がった。そして、光のある方向へと歩きだした…。
光はさっきの塊とは違い、私を待ちながら進んでくれた。私の息はだんだん整っていった。暗闇の中を、謎の光に導かれて進んでいく。それは、今までにない不思議な体験だった。
何回か右に左に進んだ後、突然白い光は止まった。私はいきなり歩みが止まったことに困惑し、懐中電灯をキョロキョロと動かした。
「ねえ、ここに弟いるの?」話し掛けても答えてくれないことは承知の上で、私は光に話し掛けた。しかし、光はもう消えていた。私は急に心細くなった。
「レオ、レオ、レオ、泣き虫、意気地無し、根性無し、彼女無しレオ…」
小さな頃に作った歌を急に思い出し、怖さを紛らわすため歌を口ずさみながら、私はソロソロと進んでみた。どこを歩いているのかわからない不安と、早くレオを見つけ出したい責任感に押し潰されそうだった。
どれくらい歩いただろう。私は腕時計を懐中電灯で照らしてみた。なんと、もう9時になりそうだった。「やば!」私は焦った。もうこんなことしてる場合ではないのでは?いくら歩いてもレオはいないし、そうよ、ここにはレオはいないんだ。そう思い、私はクルリと身を翻し、ダッシュで帰ろうとした。その瞬間だった。
「たす…て…」
私の胸がビクンと飛び上がった。突然、か細く、しかしはっきりとした小さな声がどこからか聞こえた。今のは何!もしかして、レオの声?
私が恐怖を抑えようとしていると、その声はまた聞こえてきた。
「た…け…て…」
私は後ろを振り返った。
そこには、先ほどの塊のようなものがあった。よく見てると、かすかにうごめいている。「レオ…なの?」私は恐る恐るそれに近付いていった。すると突然それはクルリと身をよじった。
私は怖いながらも懐中電灯でそれを照らした。顔らしきものが見えた。髪の毛のようなものが顔全体にかかり、目が二つ、その中で光っていた。
「あ…ああ…」
私はさすがに怖さに耐えきれず、後ずさりをした。するとその塊がまた声を出した。
「…助け……テ…サ」
そう言葉を発した瞬間に、塊の顔が白く光った。強い光に私は反射的に目をつぶり、顔を手で覆った。
それは一瞬の出来事だったが、私には長く感じられた。そして光がおさまり手を恐る恐る顔から離した。そこには、すでにあの塊はなかった。
私は走った。怖いという感情よりも、危険だという気持ちが強かった。懐中電灯を左右に動かし、早く、出来るだけ早く帰らないといけないと思った。
右も左もわからないまま、がむしゃらに走った。何とか梯子にたどり着いた時は、半泣きだった。懐中電灯を口にくわえ、一気に登り、この地下室から脱出した。
夜の屋敷は驚くほど不気味で、私は耐え切れず泣き叫んだ。レオと二人で見つけた秘密の入り口を探し、とりあえずはこの忌ま忌ましい屋敷から逃れられた。
焦りのあまり何度も転び、泥だらけになりながら山を駆け降りた。方向はわからなかった。ただ、早く家に帰って、母に弟のことを告げなければいけないという責任感から、がむしゃらに走り続けた。
行きの時に渡った長い橋があった。私は一瞬ほっとした。あんなにテキトーに走ったのに、ここに辿り着けてラッキーだと思った。高所恐怖症の人間ならではの怖さを忘れ、橋を渡り切った。




