行方不明
シュルシュルと草むらを滑る音がした。私たちはハッと後ろを向いた。ザワザワと草木が震え、私たちは寒気立った。「行こう!」私は急ぎ足で物音がする方向へ走った。レオも迷わずついてきたが、入り乱れた草に足を取られて転んだ。何やってるの!と私は叫び、レオの腕を引っ張った。
二人で”何か”を捕らえるため走る。その何かの正体を私たちは直感的に感づいていた。これを見つけるために私たちはここまで来たのだ。そう、それは幻の大蛇だった。
シュルシュルとした音は段々近付いてきた。私たちは全速力で後を追う。すると草むらから暗い緑の、馬鹿みたいに図太く長いうねうねが姿を現した。しかしそれは一瞬で、屋敷の裏口へ吸い込まれていった。私たちは呆然とした。
「どこ行っちゃったんだろう…」
レオが唖然とした様子で呟いた。私は何も答えず、屋敷の方へ走っていった。”あれ”が裏口に入っていったということは、私たちにだって入れる入り口があるはずだ。私は人間の大きさが入れる入り口を探した。途中でレオも手伝った。しばらく探していると、ツタや苔で覆われていて見付かり辛かったが、四角い扉のようなものがようやく発見された。
相当長い間、使われずにいた扉なように見えた。扉に張り付いたツタや苔や土などを、嫌々ながら掴み取り除いた。子供一人が入れるくらいの大きさだった。レオならたやすく入れそうだが、私が入れるかは少し疑問だった。
私はどきどきしながら扉をそっと押した。動かなかった。すぐにドアノブがあることに気が付いた。レオが後ろでじっと見守っている中で、私は今度こそ、とドアノブを捻った。
ギギギギ…と錆びた音が耳をくすぐった。私はしめた!と思い、唇を舐めた。後ろからそろそろとレオが近付き、扉が開いたことを見ると、嬉しげな声を発した。
「やったねノリン!」
レオが目を輝かせて叫んだ。私はフフンと鼻を鳴らした。そして半開きの扉を思い切って全開にした。
すると扉の向こうから、土煙と同時にムワッとした臭いが漂ってきた。かび臭いような卵が腐った臭いのような、何とも形容しがたい悪臭だった。
「うっわ」
私は鼻を手で覆った。レオが「なになに」と扉を覗き込みにきたが、彼も臭いにやられたようで、すぐに鼻を摘んだ。
「…すごい臭いだねここ」
「何十年も使ってないんだから、汚れとか溜まってんじゃない?誰かこの家、引き取って綺麗にしてくれたら良いのにね」
私は出来るだけ鼻で息をしないように、口ではあはあと息をしながら扉を通り抜けようと試みた。背中を丸め膝を曲げて、身体を縮めてみた。身体を捻り「何よここ。臭いし入りづらいし…」と悪態をつきながら、何とか扉の向こうへ通り抜けることに成功した。
扉の向こうは石畳の床だったので、ゴロンと向こう側に倒れ込んだ私は頭を打ち、ジーンとした痛みがしばらく残った。レオは笑いながら難無くスルリと扉を通り抜けた。屈辱感に私は燃えそうになったが、ペッと唾を吐くことで抑えた。
私は立ち上がり、部屋を見回した。
辺りはうす暗く、全体を見渡せないくらいの広さだった。恐る恐る一歩を踏み出すと、足元に埃が舞った。レオが私の肩に手をかけた。いきなりだったので、私は驚き叫び声を出してしまった。
声は部屋中に轟いた。この響き方だと、私たちが思っていたより遥かに、この屋敷は広いのだろう。
「何すんのよ」
私は振り向いて弟を睨んだ。
「ごめん」
レオはただ怖かったために私の肩に縋り付いただけらしかった。
私たちはさらに、一歩また一歩、というようにそろそろと屋敷に入っていった。吹き抜けになっていて、かなり高い所にある天井は、美しいステンドグラスだった。屋敷のどこを見ても、息を呑むような装飾が施されていたが、大部分は埃によりくすんでいた。
私が屋敷の内装に見とれ立ち尽くしていると、レオは焦ったように私に話し掛けてきた。
「ねえ蛇どこかな」
「ああ蛇ね!忘れてたわ」
しばらく屋敷を歩き回った。壁には何十枚もの肖像画が飾られていた。歴代の宿主の姿だろうか。髭の長い厳格そうな男性や、紫色の珍しい色をした瞳が印象的な、ハッとする程に美しい女性の肖像画など、どれもとても立派な絵に見えた。興味をそそられて少し見ていると、一枚だけ顔の部分が黒くなっているものもあった。焼き焦げた跡だろうか。私が肖像画に見とれている間、レオが螺旋階段を見つけた。そこから2階に行けるようだった。私たちは2階に行くことにした。
階段を上る度、舞い上がる埃に鼻をぐずぐずさせながら、私たちは2階に着いた。深紅のカーペットが敷かれ、上から下を見下ろせる作りになっていた。
あの大蛇は一体何処に行ったのか。私は弟に提案した。
「ねえ、二手に分かれて探さない?」
「何?デカ蛇を?」
「うん。私は2階を見るから、アンタ、一階探しなさいよ」
「えぇえ!一人じゃ怖いよ!」
「何言ってんのよ。デカ蛇見たいんでしょ?」
「そうだけど…」
弟は目を下に伏せた。
弟がなかなか決断しないので、私はリュックからあるものを取り出した。
「レオ、これ、なんだかわかる?」
「え?」
「お守り。私も同じの持ってんの。あんたにいつかあげようと思ってたの。これね、これがあれば悪いこと起きないから」
私が弟に差し出したのは、卵形をした銀のペンダントだった。
「これ…僕にくれるの?」
「うんあげる。これ、父さんのなんだ」
「父さんの!?」
レオは目を丸くして驚いた。
「じゃ~決まりっ。後でね」
「そんなあ!」
私はずんずんとレッドカーペットの上を歩いた。後ろを振り向くと、弟はまだこちらを見ていた。私は腕を伸ばし、人差し指で下を指差した。弟は一瞬泣きそうな顔をしたが、渋々階段を下りていった。
父親のペンダントを出したのは、良い案だったと思った。私たちの父は四年前に他界しており、あのペンダントは父の形見だった。しかしレオが5歳の時だったから、彼は父の顔をぼんやりとしか覚えていないというが。
吹き抜けになったコの字型の廊下を歩き、紅い扉をいくつか見つけた。私は一つの扉のドアノブに手を伸ばし、グイッと引いた。
ギギッと錆びた音が鳴った後、微かに埃が舞った。私は慎重に扉の向こうに足を踏み入れた。
応接間だろうか。ペルシャ絨毯の上の豪華なテーブルが、二つの猫足椅子に挟まれていた。しかし向きはバラバラで、片方の椅子はひっくり返っていた。壁には海の風景画や、赤い画面にシカが何頭か刺繍されたタペストリなどが飾られていた。
デカ蛇が物陰のあまりないこの部屋に隠れられるハズもなかった。私は部屋の入口の真向かいにあるドアにさっさと手をかけた。
こんな調子で二番目三番目の部屋を物色したが、当然のことなのだろうか、蛇は見つからなかった。でも、と私は思った。確かに草村の中をうねりながら走るアレを私たちは見たのだ。そして多分、蛇はこの屋敷に入った。
私は2階を諦め、階段を下りた。一階にいるレオはどうなったろう。2階より一階の方が広い。なのに、あんな小さな頼りない弟を一人にしてしまったことに対し、私は今更ながら後悔した。
「レオ!レオ!!」
途中、屋敷内に柱時計の音が聞こえた。轟くような大きな音だった。何だか鐘の音が多い気がしたので時計を見たら、5時だった。私は蛇よりも弟が心配になり、彼を連れ戻すことを優先した。大声で弟の名前を叫びながら、私は屋敷の一階を歩き回った。一階はかなり広々としていた。大理石の床を歩く足音が遠くまで響いた。入れる全ての部屋を廻った。大広間、客室、寝室、キッチンなど、とにかく行ける所を走り回った。
「あのバカ、どこに行ったのよ」
これだけ探し回ったのに、レオはどこにもいなかった。何故、何故?という気持ちが頭を支配していた。あんな臆病な子をここに連れて来たのが間違いだったのかもしれない。きっと今どこかで泣いてるのかも。どこにいる?遠くにいるはずはないと思うけど、でも近くを捜しても出てこないということは、遠くにいるのかな…。
時間を確認したら、もう6時近かった。私の額が、疲れと焦りの汗で濡れた。屋敷の窓の外は段々と暗くなり、夕日の明かりが屋敷の中にさしこんだ。
どうしよう。これだけ探しても、レオは見つからなかった。もしかしたら私の知らない部屋があるのではないか。私の頭の中にはもう、巨大蛇などはなかった。その時だった。
ずるずると大理石の床を滑る音が、どこかから聞こえた。私はびくっとして辺りを見回した。何の音だろう。レオが出してる音?いや、もしかして、まさか…
突然目の前を横切る、長く黒っぽい物体が現れた。私は目を疑った。とんでもなく太く長い体に、ヌメヌメと光る皮膚。何と言うことだろうか、巨大蛇だった。私は言葉を失ったまま、しばらく静止状態にいた。しかし蛇はスルリと廊下をすり抜けていきそうだった。私はハッと我に帰り、急いで蛇の後ろについていった。




