対話
地元の名所や有名店を紹介したガイドブックを手に、大通りを足早に進む。地元ならガイドブックなどいらないだろうと思われるかもしれないが、素人が観光案内をするとなると、案外どこへ連れて行けばいいのかわからなくなるものである。学校の友人たちといろいろ遊び回っているつもりでいても、こういうとき、自分の行動範囲が存外に狭いことを実感する。
たまに立ち止まって振り向くと、羽奈は黙って数歩後ろを付いてきている。
彼女に街を案内してやるよう亜理沙に命じたのは、母の美沙だ。
肩を並べながらも互いに無言で朝食を口にする二人を見て察したらしく、出がけに美沙は「何が原因か知らないけど、ちゃんと仲直りするのよ」と耳打ちしてきた。
全くもって余計なお世話である。
必要最低限の会話しかない観光案内は、実に味気なくつまらないものだった。
とにかく間が持たない。気まずい。
今の二人は周りからどう見えているのだろうか。二人の間に漂う空気は、仲の良い友人同士のそれとはかけ離れていた。
ガイドブックに頼りつつ何とか時間を潰し、空が赤く染まり始めた頃、二人は休憩のために小さな公園に立ち寄った。
「……飲み物買ってくる、何がいい?」
声音が冷たいのは自覚していた。おそらく羽奈にも伝わっているだろう。
「あ……、なんでも、いいです」
羽奈は控えめな声で俯き加減に答えた。
「座って待ってて」
「はい」
東屋のベンチに、羽奈はちょこんと腰掛けた。
亜理沙は近くの自販機に向かい、ポケットから無造作に小銭を取り出す。夕刻になっても真夏の風は生温く、汗ばんだ額や首筋を舐めるように撫でていった。
「どうして、こうなっちゃったのかな……」
手の中で小銭を弄びつつ、ポツリと口をついて出た独り言。
羽奈がどういうつもりであんなことを言ったのか、いくら考えても納得のいく答えは見つからない。やはりからかわれ馬鹿にされているとしか思えないのだ。
自販機に小銭を入れて適当にボタンを押し、二本の缶ジュースを持って東屋に戻ってみると、羽奈は膝の上にサボテンの鉢を乗せて寂しげに見下ろしていた。
羽奈のバッグのファスナーが開いている。宮森家に来た際と同じ大きめのバッグを持って玄関先に現れたとき「まさか」とは思ったが、羽奈は今日もずっとサボテンの鉢を持ち歩いていたらしい。外径十cm程度の鉢とはいえ、およそ半日もの間、少女の腕力で抱えて歩き続けるのはさぞかし骨が折れたことだろう。
亜理沙の胸中に様々な想いが交錯する。
もっと気遣ってあげればよかった、という後悔。
そんなものを持ってくるほうが悪いと、鬱陶しく思う感情。
そして、何故そこまでサボテンにこだわるのか、という疑問。
「羽奈さん……」
切なげな声で、羽奈自身が羽奈の名を呼び溜め息を吐いた。
溜め息を吐きたいのはこちらのほうだ。わからないことが多すぎる。
亜理沙は平静を装って羽奈の隣に座り、缶ジュースを差し出した。
「炭酸、飲める?」
「あ、はい、大丈夫です」
羽奈は自分の真横に鉢を置いて缶ジュースを受け取り、プルタブを開けて少しだけ口を付けた。
「ねえ」
「なんですか?」
昨夜は聞きたくないと拒否した話を今更知りたいと言ったら、羽奈は呆れるだろうか。それでも、このままでは心がモヤモヤしっぱなしでどうにかなってしまいそうだ。
「昨日の話、もっと詳しく聞かせて」
「亜理沙さん……!」
沈んだ表情をしていた羽奈が、ぱっと目を輝かせた。おかしなことばかり言っていても、やっぱり可愛いものは可愛い。急激に頬が熱くなるのを感じて、思わず顔をそらした。
「誤解しないで、まだ信用したわけじゃないんだから。とにかく、何がどうなってるのか教えてよ」
「はい」
亜理沙に促され、羽奈はとつとつと語り始めた。
「先週、羽奈さんの十六才の誕生日に、イチイの精霊が来て……、羽奈さんの魂を連れて行ってしまったんです……」
「イチイって、子供の頃に羽奈ちゃんとよく遊んだ、あのイチイの樹?」
十年前、羽奈はイチイの樹の傍が一番お気に入りの場所だと言って、亜理沙を何度も連れて行ってくれた。樹齢三百年を越すそのイチイの樹には精霊が住んでいる、祖母からそう聞いたという羽奈は、「会いたい」と繰り返していた。
「すみません、私はそのときまだお花屋さんにいたので、よくわからないんです」
「ああ……、そういえばそうね……」
確かに、亜理沙が美沙にサボテンを買ってもらったのは、羽奈と別れる直前だった。まあ辻褄は合う。とりあえずは受け入れて、最後まで彼女の主張に耳を傾けよう。。
「羽奈さんが行ってしまった次の日の朝、私はこの身体の中にいました」
「ちょっと待って、どうしていきなりそうなるの?」
最後まで聞こうと思ったそばから、つい口を挟んでしまった。
ただでさえ突拍子もない話だというのに、更に内容が飛躍した。
「おそらく、イチイの精霊の力です。魂を失った身体は死体と同じ……、羽奈さんの身体が朽ちてしまわないよう、代わりに私の魂を入れたのではないかと……」
「そんなことできるの?」
「あのイチイの精霊なら、容易いかと……。植物の精霊の力は、永く生きた分だけ増していきますから……」
残念ながら亜理沙はスピリチュアルな知識には乏しい。そういうものなのか、という感想しか出てこない。




