違和感
バス停から亜理沙の家に案内するまでの間も、羽奈は亜理沙を“さん”付けで呼び、丁寧な言葉遣いで接してきた。
十年も経てば、別人のように性格が変わってもおかしくない。亜理沙も母の美沙が嘆くほどに変わったのだ。羽奈も内面まで淑やかな少女へと変わったのかもしれない。
しかし、この拭いきれない違和感は何なのだろう。
「まあ羽奈ちゃん、いらっしゃい。すっかり女の子らしくなって、見違えちゃったわ」
「いえ、あの……、ありがとうございます」
美沙の反応に、羽奈は少し困ったように笑った。
その日は宮森家全員──といっても亜理沙と両親の三人しかいない──で羽奈の歓迎パーティーを開き、盛大にもてなした。
羽奈はずっと笑顔で、それなのに何処か居心地が悪そうにも見える。
「あ、そうだ。羽奈ちゃん、部屋は亜理沙と一緒でいいわよね?」
「ふえっ!?」
これには亜理沙のほうが変な声を上げてしまった。
「お、お母さん、ちょっと……」
「いいじゃない、女の子同士なんだし。十年ぶりに会ったんだもの、積もる話もあるでしょ。ほら、ガールズトークってやつ?」
「お母さんったら……。なんかゴメンね、羽奈ちゃん」
「いえ、大丈夫ですよ」
会わない期間が長すぎて、余所余所しくなってしまっているだけではないのか。話しているうちに自然とくだけてくるかもしれない。そう期待していたのだが、やはり羽奈は丁寧な口調のままだった。
亜理沙の部屋に入ると、羽奈はバッグの中から植木鉢を取り出し窓辺に置いた。
驚いたことに、羽奈は鉢の他にはほとんど何も持ってきていなかった。
鉢に植わっているのは、トゲのない星のような形のサボテン。忘れるわけがない。随分大きくなってはいるが、間違いなくそれは亜理沙がプレゼントしたものだ。
「羽奈ちゃん、そのサボテン、まだ持っててくれたんだね」
元は花屋の店頭で安売りされていた手のひらサイズの小さなサボテンだ。とっくに枯れてなくなっているだろうと思っていた。
「はい。本当に大事に育ててくれました。フィリーという名前まで付けてくれて……」
嬉しいはずなのに、羽奈の言い方が更に違和感を生む。
育ててくれた、付けてくれた、どちらも羽奈の視点の言葉ではありえない。
話せば話すほど増していく違和感。違和感。違和感。
何かがおかしい。歯車が噛み合わない。
もう昔のような関係には戻れないのだろうか。いや、きっと戻れる。戻りたい。
「羽奈ちゃん……、どうして亜理沙さんなんて呼ぶの? どうしてそんな話し方するの? 私は羽奈ちゃんとあの頃みたいに仲良くしたいのに……」
思いきって心の内を吐露した亜理沙を、羽奈はしばらく黙って見つめていた。真剣な眼差しで。
「亜理沙さん……、私、亜理沙さんに話さなきゃいけないことがあります」
羽奈は窓辺に置いた鉢を抱え、亜理沙と向き合って座る。
「私は、羽奈さんではありません」
羽奈が自分は羽奈ではないと言い放った。カフェオレ色の髪も飴色の瞳もあの頃のまま変わらない。顔立ちも大人っぽくはなったが面影は充分に残っている。亜理沙は間違いなく彼女が羽奈だと確信している。それなのに、本人は羽奈ではないという。双子の姉妹だとでもいうのか。
「この身体は羽奈さんのものです。でも、羽奈さんの魂はここにはいません。今、この身体の中にいる私はフィリー、十年前に亜理沙さんが羽奈さんに贈ったサボテンです」
羽奈は何を言っているのだろう。身体は羽奈で、中身はサボテン。そんな馬鹿な話があるだろうか。荒唐無稽にもほどがある。
「私をからかって楽しい?」
苛立ちから、刺々しい言葉が飛び出す。
全ては彼女の演技なのだと、困惑する亜理沙を見て面白がっているのだと、そうとしか考えられなかった。
「信じられなくて当然だと思います。私自身も未だにこれが夢じゃないかと思うくらいですから。でも、本当なんです」
「もうやめて!」
亜理沙はベッドに身を投げ出し、壁際に寄って羽奈に背を向けた。タオルケットを頭から被り、全身で拒否の姿勢を示すと、羽奈はそれ以上話すのを止めた。
羽奈と同じ部屋で過ごせることに一人で胸を弾ませ、十年の月日が生んだ距離が縮まる時を願い待ち焦がれていた自分が酷く惨めに思えて、亜理沙は唇を噛んだ。