ステータス、オープン!〜文明の衝突〜
実験作です。
「スタートス、グアフネト!」
「やあやあ我こそは斯く斯く然々、この様な者也!」
人類が初めて『ステータス・オープン』を用いたのは原始時代、肉食獣に対する威嚇のためであったと考えられている。一見、弱々しく見える人類という種が『スキル』という道具によって侮り難い存在になったことを『魔力』を用いることによって獣に知らしめたのである。
「貴様のゴシクリヒタイトは⁈こんなの見たことないぞ!」
「ううむ、珍妙な奴め、物の怪の類なるか⁈」
古代のスキルは非常に大雑把なだったと思われがちだが、サー・ドルケムによる『アボラシア地域先住民の研究』によれば話はそう単純ではないとわかる。確かにアボラ人のステータス表示においては『格闘戦』や『槍術』、『密林戦術』などが一括りに『戦の技』と表示されておりスキルの分化が進んでいない様に見える。けれど、そのぶん我々が『生物学』としてまとめているスキルを彼らは『夜におけるムナヘカ鳥の鳴き声からの個体識別』や『乾季の毒性オニマテナハの実を使ったタペタペの餌製造』などといった形で細分化しているのだ。
人間はその生活環境の中で最も自己同一性を表現できる形式にスキルの表示を変え、その表示は集団の中で共有される。これをサー・ドルケムは『スキルの認知』と呼んだ。
「貴様のもつ『天元流剣術』がいかなるものであるかは知らんが帝国魔導士の名にかけて負ける訳にはいかない。くらえ!『信仰の光』!」
「それは拙者も同じこと!我が愛刀の錆となれ!『奥義・空疎無窮』!」
現代においてはコロンビナ合衆国の定めた『国際スキル』が絶対の価値基準と思われがちであるが、それは西側先進国の話である。ウラヌ連邦を始めとする東側の国々を例に出すまでもなく、田舎の村々を訪れた経験があるならばわかるはずだ。『最果村盆踊りⅡ』や『井戸端会議主導・改』といった個性的なスキルが私たちの忘れてしまった豊かさを思い出させてくれる。
「……撤退の合図か。仕方ない、今日のところは見逃してやるぞ異教徒。我が名を覚えておけ、絶対神の加護があるであろう。」
「何度でも攻めてくるがよい!例え拙者が討ち死にしようとも子や孫がお相手するであろう!」
古代からありとあらゆるスキルが生まれ、その優劣を競い合ってきた。スキルによって国が生まれ、スキルによって国が栄え、そしてスキルと共に滅んだ。人々はいつか自分のもつスキルが役に立たなくなることを恐れ、ある者は永遠を求めて神を信じ、ある者は最強を求めて世代を重ねた。
これから語られるのは中世の終わり、人々がそれまでの生き方に疑問を抱き、よりよいスキルを求めて試行錯誤を繰り返した時代に『スキルマスター』と呼ばれた男の物語である。
続かない。おしまい!