第5話 強敵
テレビは無常にも前田の死を教えてくれた。
「え・・・?」
未来はポカーンと口を開けている。
雪路は、朝食を作る手を止め、テレビの見える位置まで移動した。
テレビの画面ではライブ映像で現場の様子を伝えている。
『こちらが通り魔事件のあった新宿駅前です。ご覧の通り、沢山の警察が現場を封鎖しています―』
ふと雪路は、テレビに映った『警察官』に目がいく。
その顔に雪路は見覚えがあった。
「・・・こいつ、僕を殺した奴だ―」
雪路はその『警察官』を見るや否や、家を飛び出した。
テレビを見て呆然としていた未来も、とつぜん家を飛び出した雪路に気付き、寝巻き姿のまま慌てて後を追った。
雪路の脳裏に、死んだときの事がフラッシュバックする。
死の痛み、無表情な『警察官』の顔、叫び戸惑うクラスメイト。
そして沢山の血と肉塊―
雪路はすぐに、前田を殺した通り魔が『警察官』だと確信した。
その考えに、何の根拠も無い。
だが、その考えが正しいと、雪路は思い込んだ。
あの『警察官』は狂っている。
また、無差別に意味の無い殺人を犯した。
そして、のうのうと現場で警察の仕事をしている。
雪路のハラワタから、怒りが込み上げてくる。
その怒りは、殺されたクラスメイトのためや正義感から来るモノではなかった。
単純にテレビに映った『警察官』の無表情な顔が、ムカついただけだ。
もはや人間ではなく、『ゾンビ』の雪路は尋常ではない速さで、街を走り抜けた。
車を抜き、電車を抜き、川を飛び越え、あっという間に前田が死んだ新宿駅の前に到着した。
顔中に包帯を巻いた不審者が現場に現れると、周りにいた野次馬たちは驚く。
雪路はそんな事は気にせず、野次馬を掻き分けてあの『警察官』を捜した。
事件現場のすぐ近くに行くと、簡単にあの『警察官』は見つかった。
「居た」
雪路が小さく呟くと、あの『警察官』も雪路にすぐ気が付いた。
「・・・」
『警察官』は眉間にしわをよせ、現場で指揮を取っている上司らしき人物に何かを告げると、ゆっくりと事件現場から離れていった。
雪路は『警察官』から目を離さず、現場から離れようとする『警察官』のあとを追った。
『警察官』は少しずつ人通りの少ない方へと向かい、雪路もそのあとに続く。
次第に2人は、人のまったくいない路地に入り、いつの間にか裏路地にある広い空間へと辿り着いた。
「何かと思えば、野良の『鬼』か・・・」
警察官が面倒臭さそうにため息をつく。
が、雪路はそんな隙だらけの警察官に、問答無用で襲いかかった。
『ドン!!』
しかし、雪路のコブシが警察官に当たる前に、何処からともなく現れた2匹の『仕鬼神』に、組み付かれてしまう。
「思慮の浅い雑魚だな。喰っていいぞ・・・」
警察官は、捕まっている雪路を蔑みながら、2匹の仕鬼神に伝えた。
2匹の仕鬼神は嬉しいにニヤつく。
「邪魔だ!」
次の瞬間、2匹の仕鬼神はニヤついたまま、頭と胴体が離れて絶命した。
「・・・!?」
警察官は思わず目を見開く。
雪路は返り血を浴びながら、組み付いていた2匹の鬼を引き千切っていた。
そして雪路は、再度、警察官へと突進した。
「っち!・・・ダンキ、メキ。仕事だ」
警察官はそう言うと、素早く携帯電話を取り出した。
携帯電話の画面が光を発する。
雪路の目の前には、大柄な半裸の大鬼が光と共に現れ、行く手を遮る。
警察官の傍らには、光と共に和服姿で顔に布を被った鬼女が現れた。
「っく!」
警察官に突進していた雪路は、突然現れた大鬼に攻撃されるが、間一髪避ける。
「避けるか・・・。ダンキ、気をつけろ。その鬼、意外とやるぞ。メギ、援護してやれ」
「うぅー。旦那、オラたちが出るほどの相手なのか?」
「そうですよ。私たちは、旦那様の懐刀。やすやすと抜いてはいけません」
2匹の仕鬼神は警察官に不満を漏らした。
「だまれ。本官は職務中だ。早急に仕事へ戻る必要がある。こんな野良鬼に構っている時間は無い。さっさと片付けろ」
「あいよ。たっく、めんどうせぇな~」
「はぁー。旦那様の仰せのままに」
2匹の仕鬼神は、言葉とは裏腹に目をギラつかせ、獲物である雪路を睨みつけていた。
雪路はそんな仕鬼神たちを無視して、『警察官』だけを睨みつけていた。
雪路は2匹の仕鬼神を相手に良く戦った。
ダンキと呼ばれる大鬼と正面から殴り合い、相手の顎を砕き、腕をへし折り、目を潰した。
だが、後ろに控えているメギと呼ばれる鬼女が呪文を唱えると、瀕死のダンキの傷が見る見るうちに治癒されていく。
「いってぇ~。こいつぅ、ぶっ殺してやる」
「ダンキ!だらしないですよ。旦那様はお急ぎです」
「うるせぇな~。こいつ、結構つえぇぞ」
ダンキはまるで寝起きのように体を伸ばし、先程まで歩けないほどの傷を負っていたとは思えないような元気さを見せる。
「やっかいだな」
雪路はすぐにこのままではジリ貧だと理解した。
目の前のダンキとかいう大鬼は強いが倒せない相手ではない。
が、後ろにいるメキとかいう鬼女が傷をすぐ治すせいで、ダンキは不死身に近い耐久性を得ている。
ゾンビである雪路も耐久性には自信があるが、相手と違って傷がすぐに治るわけではなかった。
このまま戦い続ければ、いずれ動けなくなるのは雪路の方だった。
しかし、雪路にこの状況を打開する術はなかった。
『警察官』と鬼女を狙いたいが、大鬼のダンキが立ちふさがり、そのダンキは鬼女のメキの治癒で倒す事が出来ない。
雪路の負けが、じわじわと迫っていた。
20分後。
警察官はやっと動かなくなった雪路を見て、深くため息を付いた。
「はぁー・・・。かなり時間が掛かってしまった。何者だったんだこの鬼は?」
その問いに2匹の仕鬼神は肩をすくめる。
と、血だらけで腕の折れ曲がった雪路が何とか体を起こす。
「驚いた。まだ動けるのか・・・。なぜそこまで、本官にこだわる・・・」
雪路はゆっくりと立ち上がり、『警察官』を睨みつけた。
「お前は殺した奴の事なんか覚えていないクソ野郎なんだな。僕は絶対にお前は許さない・・・」
雪路はそう言うと、ボロボロの体を引きずりながら『警察官』に向かって歩き出した。
「不愉快だな。本官は物覚えは良い方だ。だが、貴様の事は知らない。それは貴様が覚えるに値しない存在だからだ。ダンキ、そいつを殺せ。頭を入念にすり潰せ」
『警察官』がそう命令するとダンキは頷き、死に損ないの雪路を簡単に転ばせ、何度も何度も頭を踏みつけた。
雪路の頭がミシミシと音を出し、血がにじみ出る。
少しづつ、雪路の頭が潰れていく。
そんな悲惨な光景から目を背けていた鬼女のメキが、一番最初に異変に気付いた。
メキは何気無く空を見る。
雲一つない晴天だ。
「あら?見間違いかしら、空が赤く滲んでる?」
メキが呟いた瞬間だった。
その場に居た全員に、言い様の無い感覚が走る。
背筋が凍りつく様な感覚。
心臓が鷲掴みにされる様な感覚。
全身から汗が噴出し、理解出来ない恐怖がその場に居た4人駆け巡った。
メキは直ぐに『警察官』の側に行き臨戦態勢になり、ダンキは雪路の頭を潰すのをやめ辺りを見回す。
『警察官』はガンホルスターに手を掛ける。
雪路は、気絶しそうになりながらも、何とか意識を保っていた。
雪路を含む、その場の4人は汗をかきながら、言い様のない恐怖に備えた。
先ほどまで青かった空は、次第に赤黒く染まっている。
「なんだ今の感覚は・・・」
『警察官』は初めて無表情ではなくなり、焦りの顔を見せる。
「だ、旦那様!これは一度体験した事があります」
メキは殺気立ちながら言った。
「たしか20世紀前半にあった大戦中、東京が火の海になる前日―」
メキが全てを言い終わる前に、1匹の鬼がその場に現れた。
『ギギギギ!』
その姿は小さく、幼稚園児程の身の丈、土気色の肌、体は痩せ細り腹が異様に膨らんでいた。
「・・・っ!?」
『警察官』やメキは最初はその鬼に驚いたが、すぐに緊張感がなくなる。
その鬼は『餓鬼』と呼ばれる最底辺の鬼だった。ゲームの序盤に出てくる敵よりも弱く、息を吹きかければ死んでしまう程で、警戒するに値しない鬼だった。
「なんだ餓鬼か。ダンキ、殺せ」
「あぁー、めんどくせ」
『警察官』はまた無表情になるとダンキに餓鬼の始末を命令し、ボロボロの雪路に向きなおす。
「あの雑魚を殺したら、次は貴様だ。脳漿をぶちまければ貴様だって死ぬだろう?」
『警察官』が雪路に向かって喋りかけていると、ダンキと餓鬼の戦いは終わっていた。
『ギギギギギィ』
ダンキの体はバラバラに引き千切られており、餓鬼はそんなダンキの死体を美味しそうに頬張っていた。
「え・・・」
「・・・?」
「っ?」
その場にいた雪路、『警察官』、メキの誰もが理解できなかった。
なぜ、ダンキがバラバラに成っているのか。
なぜ、雑魚の餓鬼がダンキを食べているのか。
空は赤く染まり、異様な恐怖が駆け巡った後。
なにが起きたのか、理解している者は以外にも多く居た。
とあるネット生放送で、何が起きたかを伝えている者が居たからだ。
地獄化を知る者たちは、そのネット生放送を見ていた。
『やあ、みんな。知ってる人は結構いると思うけど、いま“地獄の門”が開いた』
ネット生放送に写る、一人の青年はそんな事を言っていた。
『場所は“渋谷駅”だ。そこが中心地、みんな分かったかな?』
青年は白髪に白いカッターシャツに白いチノパン姿だった。
『色々と準備してた人たちもいると思う。自分が地獄門を開こうと思ってた人もいると思う。でも、ボクが開いた。誰よりも早く開いた。“教会”や“千代田”の連中じゃなく、ボクが開いた』
白い青年は、自分に酔いしれている様に頬を染めながら微笑んだいた。
『さあ、待ちに待った“地獄”だ』
白い青年は両手を広げ、天を見上げた。