PHASE.2 きな臭いお揚げ
タッソに連絡を取る前に私は、事務所にコールしてクレアにフレデリックとの面会の次第をバーマン夫妻にどう説明するか、具体的な指示を告げた。
ったく、いい年したハードボイルドが報連相だ。
『さすがはスクワーロウさんですね』
「そう言うことは、契約通り報酬が振り込まれてから言いたまえ」
『はいっ、スクワーロウさん!』
いつもとっても返事がいい。この子も精一杯やってくれているのだ。外商のサラリーマンみたいだとか、文句を言ったら罰が当たる。
『で、午後は、どうするんですか?』
「引き続きこの仕事だよ。ヴェルデのところから、ダドたちが喜びそうな情報を拾って来る。君は?」
『わたしは…あっ、すみません。今日は、午後からお休みを頂いてました。その、ちょっと予定があって』
「例のソーシャルワーカーの彼氏かな?」
こちらもやたら返事が良かった。つい先月、スラム街で消息を断った子供の捜索の依頼で、クレアは気の合う男と出会いやがったのだ。早速、リア充である。まあ事務所は年の離れた私しかいないから、仕事に支障がない範囲で恋愛するのは自由だが。でも、ふんっ。なんだかちくしょうである。この街に来たばかりでクレア、えらくリス・ベガス・ライフを謳歌してないか。
『あ、スクワーロウさん、お昼少し戻って来れませんか。実はちょっと大事なお話があるんです』
「大事な話?何かな。心の準備がいることじゃないだろうね?」
『違います。健康診断です。リス・ベガス探偵協会の定期検診申し込んだので、来週水曜日、わたしとスクワーロウさんの分、予約してあるんですけど』
「適当にやってくれたまえ」
問答無用で、私は通話を打ち切った。馬鹿を言っちゃあいけない。この街で長らく、私はこのキャラでやってきたのだ。泣く子も黙るハードボイルドが、健康診断だって!?
ヴェルデはオフィスにいなかった。これもまた新人らしい、狸のようにアイシャドウを塗りたくったビーバーの女の子(出っ歯の狸に見えた)が教えてくれたのだが、ヴェルデはまた何か新しい商売を始めたらしく、ここのところ出張続きだと言う。
「だからなんや?堅気の商売や、おどれにつべこべ言われる筋合いないで?」
郊外にある、ヴェルデが経営する狸そばチェーンの自社工場である。大量のパックそばつゆや天かす、そしてふにゃけた蕎麦玉が流れるラインの一角に、何やら最新鋭っぽい機械が設置されている。そこから出てきたのは、黒板消しくらいの大きさの巨大なお揚げだ。
毎度ながらこの狸の腰の据わらなさには、ほとほと呆れた。
「天かすやくざのあんたが、油揚げ?なにやってんだ?」
「何かしとんじゃい!これはただの油揚げやないぞ。ヴェルデ特製、巨大栃尾揚げじゃい」
栃尾揚げとは越後の名産の特大のお揚げのことらしい。厚揚げのようにフライパンで焼いて、生姜醤油で食べると美味しいのだが、まさかこんなところで見るとは思わなかった。
「どこにも負けへんけつねうろん、作るためにうちとこと共同開発したんどす」
聞き慣れない京都弁を、私の耳が捉えた。すると生産ラインに紫色の振袖を着た、妖艶なギンギツネの女性が、うどんの丼持って立っていた。狐のファミリーの人じゃないか。どこかで見たことある。
「マローネ・ロッソ、あんた、ヴォルペを裏切ったのか?」
「弟は弟。それにあの子は、やくざ。うちは真っ当な商いやっとる堅気どす。そんなの関係あらしまへんえ」
「でもやくざと手を組んでるじゃないか」
「阿呆、蕎麦作っとるときは堅気じゃい」
よく分からん。絶対こいつらにしか、通用しない理屈だ。
「うちのお店は手延べうどんと手揚げのきつねさんだけで、長年やらしてもろとります。でも今回は、リス・ベガスいちのけつねうろんを作りたい、と言う社長はんの熱意に負けて、こうして企画に賛同させて頂いとるんどす」
「その馬鹿でかい揚げを、うどんにぶち込むのか?」
言うまでもないが、うどんの汁を揚げが吸うのである。それこそ揚げがふやけたら、丼の中が取り返しのつかないことになると思うが。
「喧しいわ!この業界、紹介されたもん勝ち、目立ってなんぼの世界や。こんなでかいお揚げさんを入れたけつねうろん、見たことないやろ!?ちゃんと食えるかどうかなんてことより、それが大事なんや。お前これ、動画とかSNSで紹介されてみい。反響どっかんくるで!?」
あーそう。勝手にやってくれ。そう思ってると丼の中が未知の動きを見せ始めた。
「あっ、揚げがぷくぷく膨らんできてる…」
今や大きなお揚げは、うどんを覆いつくさんばかりだ。なんだこれ。汁吸わんのか。
「当たり前や。ふにゃけんようにこの栃尾揚げ、ひと手間加えてあるんや」
毎度毎度、ヴェルデが作るもんは不気味だ。お汁を吸ってしんなりしない揚げを作ったら、そもそも食べにくいと思うのだが、食べることは二の次三の次だと言うので、これ以上余計な差し出口はやめよう。
「偽造IDやと。そないな裏仕事に、手を染めとる暇なんぞあると思うか?」
「いや、あんたはそうだろうが。誰か部下が勝手にやってるとしたら、問題じゃないか」
「阿呆言え。うちの組織はアナクロもんばかりや。いまだにIDとITの区別もつかん。どこの頭もSNSどころか、まともにメールも打てへんやつばかりやで」
相変わらず昭和な連中である。ここまで来ると、その時代に流されない姿勢、逆に立派だ。
「新しいやつは機械に強いだろう?」
「そないな人材、いたら欲しいけどな。わしかてお前、やっとこ勉強してんねんで」
ぎこちない仕草でタブレットを取り出したヴェルデはうるさそうに私を追い払うと、和服美人のマローネと、でれでれ打ち合わせを始めた。年甲斐もなく、こっちもリア充か。なーんか面白くない。
不貞腐れて帰ろうとすると、ちょうどもう一人、到着するところだった。高価そうなダークスーツを着た優雅なクロヒョウである。
(あの男…)
どこかで見たことがある。私のハードボイルドなセンサーが盛大に警告音を鳴らし始めていた。
「マイケル・ジャッジス?」
ダドは首を傾げるばかりだったが、リックはすぐに市警のシステムで調べてくれた。
「名門工科大出の、元・証券マンだ。投資ファンドを持っていたが三年前、株価操作と証券偽造の罪で起訴された。ファンドはヴォルペ・ロッソのフロント企業だった」
「裁判記録を見てみると、証拠不十分で不起訴になってますね。そのとき不正に稼いだと言われている約一億一千万ドル近くが、今なお行方不明」
「この男は確か資産を凍結され、ニャーヨークからも出られないようになっているはずだ。まあヴォルペの組織なら、どんな横紙破りもやってのけるだろうが、わざわざ州境を越えさせて何か仕事をやらせる理由が分からないな、リック」
「とりあえずその、マローネの会社とヴェルデで建てたと言う自社工場の資金の動きを当たってみます。ジャッジスが不正に稼いだ金をそこで、マネーロンダリングしているのかも」
ジャッジスの金は、証券で稼いだ金だ。それは、いまだに現金化されたと言う話を聞かない。ヴェルデがどこまで知っているかは知らないが、資金洗浄に新事業を利用されているのなら、これほど間抜けな話はない。
「あの狸め、最近、自分がやくざだってことちょっと忘れてるからな」
「おれも若い奴らにはついていけん。そろそろリックに夜番の主任でもやらせて、足を洗いたいよ」
ダドは困った顔をすると、顔中の皺を丸めたティッシュみたいに深くした。
「バーマン夫妻と話したよ。夕方には、来るそうだ」