第32話 祝賀会(中編)
会場から離れ、廊下を無言のまま歩く沙織。その背中を追いかける隼人は、だんだんと気が重くなっていた。
ただの話なら会場でもできるはずだ。ちょっとした内容なら廊下の適当な場所でもいい。だが極めて重要な話であれば別だ。
沙織が人目を避けているのを知り、これから話す事がその手の部類だと察して、隼人の気分は沈んでいたのだ。
「ここなら聞かれることも無いだろう」
「それで、俺に話ってなんでしょうか?」
外へ出る用の非常口手前で止まり、ようやく口を開いた沙織に隼人は質問を投げ掛ける。
少々食い気味なのは自覚してたが、折角楽しもうと思ってたパーティーを開始早々にお預けされてるのだ。さっさと終わらせて戻りたい。というのが隼人の偽らざる心境だった。
「そう急くな。お前が決勝戦で使った魔法についていくつか聞きたい事と、誓約しておこうと思ってな」
「どれの事ですか?」
沙織の口から出た言葉でこれから話しあう内容を徹頭徹尾察した隼人は、さっきまでの早く終わらせたいという気持ちより、自らの保全の為にシラを切る事を選んだ。
「言っておくが、お前がハッカーで情報収集を得意としてるのは知っている。どんなに惚けようが意味は無い。そんな事をしても時間を徒に費やすだけだ。折角の祝賀会、自分だけ楽しめないのはイヤだろう?」
「なんの事か本当に分からないですが、確かにそれはイヤっすね」
沙織の問い詰めに、あくまでも知らないと言った体を貫く隼人。
素性を知られているのなら、さっさと吐いてしまった方が良いのは分かっているが、一度シラを切ってしまった以上引くに引けなくなった。
「そうか、まあいい。私がお前させる事は二つ。何処でアレ知ったのかを話してもらう事と、今後アレを使わず、教えず、広めないと誓って貰う事だが…」
「うっ!かはっ!」
隼人は沙織に胸ぐらを掴まれ壁に叩きつけられる。
「言ったはずだ。是非は聞いてないと」
眼だけで刺せる程の鋭さに、言葉だけで潰せる程の重いトーンで、このまま殺されると錯覚する。
「すまない。手荒な事をさせないでくれ」
だが沙織はすぐに手を放し隼人を解放する。
さっきの実力行使は脅し。謝罪の言葉から本意ではないと分かるが、聞き分けがよくなければ、それも致し方ないとも言っている様でもあった。
「…分かりました。話しますよ」
無駄な抵抗、意地は敵を作るだけだと悟り、隼人は沙織に洗いざらいを話す事を決めた。
「いつだったかは覚えてませんが、七英雄に関する資料を漁ってた時にアレを知ったんすよ…」
何処で誰に聴かれているか分からないから、隼人は自ら判断し、沙織に倣って隠語で話し始める。
沙織は話を遮らないようただ黙ってそれを聴いていた。
「いつだったかは忘れましたが、流れに任せてネットサーフィンしていたら普通じゃ見つからない、辿り着かない、入ろうとすると弾かれる特殊なローカルサイトを見つけたんですよ。そのサイトは『禁止目録』って名前で、そこにアレの詠唱文が書いてあったんです。俺はざっと全部読んで、結構面白い内容だったからリンク保存して後でゆっくり読もうとしたら、次の日にはサイト丸ごと消えてなくなってたんです。しかも復元されないよう跡形もなく綺麗サッパリ……」
「ふむ…なるほど。それがお前が知り得た経緯という訳か。では今後アレを人前で使わないと誓えるか?」
隼人の話を聞いて納得した沙織は間髪入れずに隼人へ宣誓を促す。
「…誓います」
この宣誓を決して軽い気持ちでするものではないと知っている隼人は、世界規模の重要な秘密を担ってしまう事に躊躇いながらも渋々宣誓した。
だが、いくつかの疑念がある。
例えば、何故沙織はサイトの件を深く問い質さなかったのか?
サイトに書き上げた人物は宣誓をしたにも関わらず第三者に見られる可能性を無視したのだ。そちらを調べるのが最優先であるのは明白だ。だが沙織はそれを少しも気に留めなかった。
沙織はサイトの主に誰か心当たりがあるのか?それとも或いは沙織が…
「では戻ろうか」
そう言って身を翻す沙織。
もしその憶測が本当だとすれば、その時から隼人はわざと泳がされていた事になる。
そう考えた瞬間、背筋が悪寒が走った。
隼人はその疑念を口にせず、沙織の背中を無言で再度追いかけた。
□□□
ティア達と別れた刹那は、会場を見渡す。
別れた途端。一気に孤独感に襲われて途方に暮れてしまいそうになるが、取り敢えず何か食べよう思い、食べ物が沢山並べられているテーブルの方へと向かう事にする。
向かっている途中、テーブルの近くで会話している一団が目に入る。
(あれは…ギル)
身長の高いギルは、一団の中でも頭一つ飛び出ていてすぐに目についた。
そしてその周りには境と琥珀、そして見知らぬ女子二名が揃っていた。
「あ!黒神さん!丁度良いところに!いまインタビューをして回っているんですが…!」
「ちょ!?」
見知らぬ女子のうちの一人が、刹那の存在に気付いたようで、目を爛々(らんらん)と輝かせながら刹那に詰め寄って来る。
「文乃さん」
いきなり女の子に接近されてたじろいでいると、もう一人の見知らぬ女子が声を掛けてその子を静止させてくれた。
「あ!そうでした、すみません!改めまして、順位戦、司会をしていた常盤文乃です!」
「同じく順位戦、解説役をしていた柊奏です。初めまして黒神さん」
明るく元気な文乃と落ち着いた雰囲気な奏。
二人との面識はこれが初めてだが、既に親しい関係を築いているような感覚を得ている自分がいた。
それは司会と解説をしていた彼女達(特に文乃の方)も同じ感覚だったのだろう。
不思議な感覚だが、これも一種の交友とも言えるのだろう。
そして二人の自己紹介と文乃の発言を思い返して、刹那はようやく"どういった状況だった"のかを理解する。
「それでは、黒神さん!惜しくも準優勝という結果になってしまいましたが、今回の順位戦の感想を是非ともお聞かせください!」
「あ、えーっと…」
理解はしたが、録音をしようと端末を差し出し構える文乃の相手に戸惑いを隠せず、刹那は生返事を出してしまう。
「ほら、文乃さん。困っているじゃないですか。いくら無礼講でも、いきなりインタビューするのはマナーが悪いですよ。それにまた問題を起こしたら今度こそ大変なことになりますよ」
刹那が困惑しているのを見かねた奏が、暴走する文乃を止めに入ってくれる。
それ自体は有り難かったが、奏の"また"という発言に、"順位戦賭博行為"というの思い当たり過ぎる節が頭に過ったが、それについてはどうやら既に叱られているという、要らぬ事情が判明してしまった。
「あうぅ…確かにそうですね。今回はやめときましょうか」
奏に釘を刺されて意気消沈とする文乃。これで少しは落ち着いて話ができる状態にはなった。
状況を鑑みるに、ギルと境と琥珀が話している所に、文乃が詰め掛けてきた。という状況だったのだろう。
「…巻き込んで悪いな」
文乃が落ち着いたのを見て、ギルが声を掛けてくる。
謝って来たのは、文乃の処理を刹那にさせたことに対してだろう。
「そうでもないよ。僕の方こそ、話し合いの邪魔じゃなかったかな?」
「…邪魔をしに来たのか?」
気を遣っていると、ギルはそんなのは要らないと言うように揚げ足を取り、揶揄ってくる。
その顔はいつものポーカーフェイスではあるが、ほんの少し表情が柔らいで、笑っているのが見て取れた。
「まさか。それより、みんなは何の話をしていたの?」
「はい。私と沢木先輩はギルバートさんと刃を交えた相手でしたので、その時の互いの技能について話して感心を深めていました」
ギルへ投げ掛けた質問を、その後ろで聞いていた琥珀が代わり答えてくれる。
「それと、和解もしましたね」
「和解、ですか?」
「正確には、”予選の時にケンカを売られた”件についての和解ですが」
(嗚呼、アレか…)
境の含みのある言葉で、何についてなのか察しがつく。
あの時は刹那も横で見ている側だったのだが、元を辿れば刹那と海翔のいざこざが発端だったので、少しいたたまれない気持ちになる。
「私の方の誤解も。準決勝の時には既に解けていたのですが。先程、白神さんの仲介してもらい、ギルバートさんの方にも御理解を得られました」
「ああ。さっきも言ったがアンタを誤解していた。立場も知らずに好き勝手言ったのは悪かった。すまない」
そう言ってギルは境に謝罪する。
流石に頭を下げていないが、それでも真剣に謝っているのだけは、声や態度から窺えた。
風香との時もそうだったが、やはりギルは相手が誠意を以て接すれば誠意を返すようで、不必要な敵は作らないのだろう。
と思いはしたが。初めて会った時、いきなり攻撃されたのを思い出して、刹那はギルの事がよく分からなくなってくる。
「刹那兄さん。難しい顔してますけど、どうかしたんですか?」
どうやら一人で百面相しているのを琥珀に見られていたようで、そんな事を思っていたなどと口にする訳にはいかないので、適当に話をはぐらかした。
「ああいや。会長と沢木先輩の事情って、知らない人からすれば複雑だよなぁ。って思ってただけさ」
「ん?そうでしょうか?」
はぐらかす口実に利用した境が首を傾げる。
ちなみに凛と境の事情というのは、複雑な話ではなく、二校では知らぬ人はいないくらい有名な話で。むしろ刹那は忘れかけていた程だ。
境の家、沢木家は民間警備会社を経営しており、境も幼い頃から家を手伝い、要人の警護などをしてきている。
そして凛の方は。母親も医者で、蒼崎病院という大きな病院も経営している。勿論、多忙で家を空ける事も少なくなかったらしい。
凛の母は、凛の"人を傷付けない"という信条に理解を寄せてはいるが、それでも娘の身の安全を心配し、沢木家にお願いをして、同じ年頃の境を凛の警護の付かせた。
と。大まかではあるが、そういった話が二校では周知されているのである。
要するに。境は一生徒でありながら凛の警護、もとい用心棒なのだ。
「…現に俺は"生徒会長に心酔している輩"と勘違いしていたしな」
「なるほど。では今後は周りに誤解されぬよう、一層気をつけねばなりませんね」
あの時の状況を思い返して、ギルは刹那の意見に同意し、ギルの言った事を境は真に受け止めて、反省しはじめる。
どちらもあまり冗談を言わないというを分かっているが故に、素なのか冗談なのか分からないず、口を挟めないでいると、そこへ文乃が遠慮がちに境の方へ近づいていく。
「あの〜すみません沢木さん。沢木さんが試合で使ってた武装を拝見させて頂いてもよろしいですか?」
「ええ、構いませんよ」
境は文乃のお願いを何の躊躇いもなく快諾し、虚空から個性武装を取り出すと、それを文乃に手渡した。
「おおっ!これが沢木さんの究極武装!試合の時も目を凝らして見ていましたが凄いです!一見いびつに見えるフォルムですが、牽制としても使えるように銃機構を備え、攻守のバランスと瞬間火力不足を考慮してトンファーに可変できる剣とは!まさに圧倒的性能美!くぅ〜、最高です!」
さっきまでの様子とは一変して、受け取った文乃は目を輝かせ、個性武装を色々な角度から観察しながら早口で捲し立ててる。
「いえ、そこまで深く考えた代物ではありませんが…」
生真面目な境は困惑しながらも文乃の杞憂を晴らそうと否定するが、夢中になっている文乃に届いているようには見えなかった。
「すみません、文乃さんはミリオタなんです」
「そうでしたか…」
興奮してまたもや暴走する文乃を尻目に奏が説明して謝るが、逆に境はそれに納得したような顔をして気にしてはいないようだった。
「沢木さん、これはどうやって弾薬をリロードする仕組みなんですか!?」
「ああそれはですね…」
若干食い気味な状態の文乃を相手に、境は要領を得たように丁寧に対応していく。
武装を目の当たりにして興奮する文乃が質問し、境がそれに答えていく事で、元から興味を持っていた奏と、隣にいた琥珀も、普段見慣れない武器を懇切丁寧に説明する境の話に惹かれ、二人の問答を聞き入るようになり、場は女性陣だけでかたまっていった。
「…騒がしくなってきたな」
「だね」
話し相手が境の方へ変わったのを気に、文乃が苦手で、少し離れて様子を見ていたギルの方に、刹那は近寄る。
「…そういえば、義妹とあのうるさいのはどうした。一緒じゃなかったか?」
「ああ、ティアはレノ達の方に。隼人はさっき博…学院長が話があるって連れられて行ったよ」
「そうか」
恐らく隼人と顔を合わせたくなかったのだろう。そう聞いたギルは清々したような表情をする。
それはそれとして。刹那はギルに話したい事があった。
「ごめんギル。僕のせいで…」
「…急にどうした。何故謝る?」
急な謝罪に、ギルは不思議そうな顔をする。
本当はいまここで言わなくても良かったのだが、いま謝っておかなければ、特にギルには言っておかないと、ずっと後悔するだろうと思ったからだ。
「最後の最後。アルウィンさんとの勝負で僕が力不足じゃなかったら、優勝できたのに…」
「…そのことか」
謝った理由を話すと、ギルは険しい表情をする。
だが軽く目を伏せて顔を上げると、険しい表情を解いて真剣な面持ちになった。
ギルと違って、あと少しという所まで届いてた刹那には、責任と罪悪感を感じずにはいられない話だ。
それに加え、大会前から勝ちに執着的だったギルを思うと、その感情はなおのこと大きかった。
「別にお前一人の責任じゃない。兄貴を仕留め損なった俺の責任でもある。それに俺やお前や隼人が、それぞれ最善を尽くした上での結果だ。それ以上もそれ以下もない」
「でも…」
「…気にしてないと言っている。この話はここまでだ。酒が不味くなる」
刹那が言いかけた言葉を不愉快だと言い切り、ギルは持っていた飲み物を煽る。
「「……」」
ギルがグラスを傾け終わった後も、口は閉ざしたままで、二人の間に沈黙の時間が流れる。
目の前で談笑する女性陣とは対照に、気まずい時間が流れるが、刹那は顔を上げることも、口を開くこともできなかった。
「…自分を過小評価し過ぎるのはお前の悪い癖だ。直せ」
しかし、もう話さないと思っていたギルの方から口を開く。
けれど、その言葉は辛辣で、刹那の胸に刺さる内容だった。
「…それと、いつまでも過ぎた事に囚われるのはやめろ。自分を許すのは自分自身で、大事なのは許される事じゃない。それからどう示し、進むかだ。お前が、振り返って後悔してばかりの人生を送りたいというなら、話は別だがな」
「そんな事は…!」
ないと否定しようと、声を出して顔を上げる。そしてギルと目が合う。
こう言えば、否定して刹那が顔を上げると分かっていたかのような顔を、ギルはしていた。
険しい言葉とは裏腹にその顔は和らいでいて、本当にそう言っているのではないと知り、言葉の続きが止まる。
「…俺は今より強くなろうと思っている。もう二度と同じ過ちを繰り返さない為に…」
目の前で談笑する女性陣を見ているようで、何処か遠くを見つめ、目標を話すギル。
そんな独白のようにも聞こえたそれが、胸の内をほんの少し明かしてくれたのだと理解するのは、そう難しくなかった。
「…お前は?」
「僕は…」
そして不意に自分へ向けられた問いに、迷いと焦りを感じながらも、さっきのギルの言葉を思い出す。
「僕は……僕も強くなるよ。大切なものを守れるように」
「…それでいい。乾杯」
「…!乾杯!」
そう言ってグラスを交わす。
互いに胸の内を明かし、知り合って、認め合う。
ここまで深い信頼を築いた人が、今までに数えるほどしかいなかった刹那にとって。言葉にはし難い安心感と居心地の良さがあった。
「おっと。文乃さん、そろそろ準備の時間ですよ」
そして。境の説明を聴いていた奏が、不意に時間を思い出して文乃に声を掛ける。
「え?もうですか?もう少し沢木さんのお話を聞いていたいんですが…」
それを聞いて文乃は名残惜しそうな声を出して残念がっていた。
「準備、というのは?」
「はい!ちょっとした余興を開くので、その準備です!」
「補足しますと、余興の司会と進行役を学院長に任されたんです。私達が上側に参加しているのは、その為です」
境の問いに文乃の答え、奏が追加で説明をする。
「全員参加型で賞品とかもありますので。是非、参加してくださいね!皆さんそれでは〜!」
「貴重なお話ありがとうござました。失礼します」
そして文乃は慌ただしく、奏はその後ろを追い掛けるように去っていった。
「大変そうですね…」
二人の背中を見て、境が言葉を漏らす。
好奇心のまま動く文乃の手綱を握る"奏"が。
というのは言わずとも、ここにいる全員が共感している事だった。
「ちょっと失礼するよっと」
「うわっ!」
四人で見送っていると、刹那の背後から聞き馴染んだ声と共に、いきなり抱き着かれた。
「あの、先輩。いきなり抱き着くのは心臓に悪いので止めてもらえませんか?…」
勿論、刹那にこんな事をしてくる人間は閃しかいない。
声を掛けながら、首に回された腕を解こう腕を掴むが外れそうになかった。
「驚かせたのは悪いね。つい愛しい人が隙だらけだったもので、我慢できなかったんだ」
謝罪の言葉を述べ、あっさり腕を解く閃。
そしてその代わりに、刹那の腕にゆっくり手を這わせ、手まで辿り着いた後、指を絡ませて恋人繋ぎをしてくる。
関係をリセットしたとはいえ、刹那は閃のペースに流されるのが少し癪に感じたので、やり返してやろうと、繋いできた手を強く繋ぎ返す。
「んっ…!」
すると繋ぎ返されると思ってなかったのか、閃が矯声を漏らし、場が凍りつく。
「オホン!閃さん、風紀を乱さないで下さい」
閃のせいで(刹那も悪いが)少しイケない雰囲気になったが、一緒に来た風香が、わざとらしい咳払いをして空気を変えてくれる。
「おー風紀委員長がお怒りだ。怖い怖い」
それを引き際と見た閃は頬を紅潮させたまま、おどけながら刹那から離れる。
「貴女も風紀委員長でしたでしょうに、何を言ってるんですか全く…」
別の校とはいえ、同じく風紀委員長をしていたのに、悪ふざけをする閃に風香は呆れてみせる。
「同じと言っても、高名さでは負けるけどね」
「その言い方ですと、実力では負けてないように聞こえますが?」
「フフ。どちらが上か、確かめてみるかい?」
二人の問答があらぬ方向へと進み、一触即発の雰囲気が醸し出し始めたのを感じて、仕方なく刹那は仲裁に入る。
「先輩。こんなとこで挑発するのはやめて下さい。風香も。こんなのに乗るような人じゃないでしょ?」
「ええ勿論、冗談ですよ」
「ああそうだ、冗談だとも」
敵意を霧散させ笑い合う二人のやり取りを見て肩の力が抜ける。
刹那は二人に上手く弄ばれたわけだが。仲が良さそうなのが確認できて、徒労感より微笑ましさの方が勝った。
だがそう思っていたのも束の間。風香の背後に忍び寄る女の子が目に入る。
輪になって話している都合上、風香以外はその女の子の存在に気付いていたが、女の子の狙いは風香のようで。
刹那達に口元で人差し指を立てて、静かにするようジェスチャーをしていた。
「風ちゃん隙ありー!」
そして女の子はほぼ至近距離で大声を出しながら、風香に抱き着くように飛び掛かった。
「み°ゃ!?いだだだだ!痛い痛い痛いギブギブッ!」
がしかし、それを見事に躱され。風香に右腕を取られ関節を極められていた。
仕掛けられた側の風香はというと、まさに風紀委員長のそれで。
鬼気迫る気迫を出しており、女の子が口で降参を宣言しているにも関わらず、一向に手を緩めようとはしなかった。
「全く、何をしているんですか貴女は…」
襲いかかった女の子を確認してから、呆れた様子でようやく風香は手を放す。
「だからやめた方が良いって言ったのに…」
更に風香の後ろから大人しそう女の子が、苦笑いしながら遅れてやって来る。
驚いたことに、遅れてやってきた女の子は、風香に制圧された女の子と瓜二つの姿形をしていた。
「皆さん知っているかと思いますが私から紹介します。こちらにいるのが蘭咲夜さん」
「蘭咲夜です」
風香に紹介された咲夜は、軽くお辞儀をする。
「そしてこっちが双子の妹の蘭美咲です。」
「美咲だよー!って風ちゃんいま私だけ敬称抜いた!?」
「貴女には必要ないかと」
元気よく自己紹介する美咲だが、風香は彼女を冷たくあしらう。
「うえ〜ん咲夜〜。風ちゃんが冷たい〜」
「美咲の日頃の行いが悪いからでしょ」
「それより、皆さんが困っているので、そろそろ茶番は止めてください」
「はいはーいやめまーす」
二人はDクラスの代表メンバーで、嵐子のチームメイトだ。
Dクラスチームは準々決勝のBクラス戦で、海翔の幻影弓の圧倒的な制圧力に為す術もなく敗退したが、顔見知りの嵐子だけでなく、二人も印象もそれなりにあった。
「凄いです、本当にそっくり」
「Bクラスとの試合の時から思っていましたが、お二人は本当によく似ていますね」
印象に残った理由は、二人が双子で容姿が瓜二つだったからなのだが。
こうして間近で見ても二人の見かけ上の違いは、髪型くらいだけだった。
「でしょ〜」
「双子ですから」
自慢気に言う美咲と、控えめに答える咲夜。
「けどこうして話してみると、二人の性格は大分違うようだ」
「…姉の方は引っ込み思案で、妹の方はお転婆といった印象だな」
「閃さんとギルさんの言う通りです」
みんなが思っていた事を閃とギルが代弁し、風香は二人に代わってそれを肯定する。
「ギル君失礼だねー。無神経って言われてたりしない?」
「…フン、そっちは図々しいと言われてそうだな」
美咲は初対面のギルに物怖じするどころか、口を尖らせて揶揄するが、ギルもそれに対して嫌味を返す。
言葉だけ聞けば険悪そうだが、実際は売り言葉に買い言葉をしているだけで、どちらも言葉自体を本気にしているようではなく、言葉だけの交友している感じだった。
「ねね、咲夜!アレやろうよ!」
「え〜、一人でやりなよ」
そして煽っても乗らないギルに見切りをつけたのか、美咲は咲夜に近寄って何かしようとし始めた。
「んん!…蘭咲夜です。皆さん、今後ともどうぞよろしくお願いします」
そして何をするかと思いきや、いきなり自身を咲夜と騙り、自己紹介し始める美咲。
その演技は横にいる咲夜を鏡で写したかのような演技であった。
「ほら、美咲も挨拶しなさい」
「え、本当にやるの?コホン!美咲でーす!みんなこれからよろしくね〜!」
先駆けて自らを偽る美咲に促されて、気後れしながらも咲夜も後に続く。
羞恥心が残っているからか、咲夜の演技は若干ぎこちなかったが、それでも美咲だと言われれば遜色ないレベルであった。
「「おぉ〜!」」
双子の入れ替わりに一同から感嘆の声と拍手が沸く。
「いい加減にしてください!」
「「はーい」」
そして急に怒った風香に叱られ、声を揃えて演技をやめる咲夜と美咲。
しかし、やめた後の美咲は不満げで、顔にはありありと「つまんない」と書かれていた。
「ちょっと厳しすぎじゃない風香?」
事情も知らずに二人を擁護するつもりはないが、気を張り詰めている風香が見ていられなくて刹那は口を出す。
「そうだそうだー!横暴だー!」
すると、ここぞとばかりに美咲が刹那の陰に隠れて、イタズラな声で風香を非難し始める。
もしかしなくても、美咲に遊ばれていると分かったので、一旦美咲の無視を決め込んで風香を見る。
風香は頭痛を感じ始めたようで、こめかみを押さえているが、刹那と同じ境地に至ったのか、すぐに押さえる手を下ろした。
「先程の行為で過去に多くの人がイタズラされているので、私は厳しくせざるを得ないんですよ」
「なるほどね」
「違うぞー!そんなのただの言い掛かりだー!」
真後ろから聞こえてくる声に、純粋無垢な悪意を感じるが、無垢であるが故に質が悪く。風香がストレスを感じるのも少しだけ共感できた。
「美咲。あんまりふざけてばっかいると、みんなからの印象悪くなるから、もうそろそろやめた方がいいよ?」
「はいはーい、やめまーす」
咲夜に言われて、ようやく美咲はふざけるのをやめ、ニヤニヤしてた表情から、少しまともな顔つきになった。
「ハァ…」
それを見て風香も溜め息を吐いて、やっと肩の力が抜ける。
「ハハ…ご苦労様」
「いえ、大した事ではありません。二人とは幼い頃からの付き合いですから、このくらいは慣れています」
なんと声を掛けて良いのか分からず、取り敢えず労いの言葉を掛けると、風香から意外な話が聞けた。
「ということは、風香さんはお二人と幼馴染なんですか?」
その話を刹那の横で聞いていた琥珀が問いかける。
「そゆことっ!白神ちゃんは察しが良いねー!賢カワイイ子はこうだ〜!うりうり〜!」
「あうぅ〜!やめてください〜!」
そう言って美咲は肯定して、琥珀の髪をワシャワシャと撫で回し始めた。
特に害もなく、琥珀が嫌がっているようには見えなかった為、一同はその光景を微笑ましく見守る。
「白神さんは幼く見えますが、もしかして飛び級なんですか?」
「一応そうなるな。学院長が高等部だけでなく中等部からも数人ほど編入させているようだ」
そしてその光景を見ていた咲夜が、逆に琥珀について聞いてきて、それを閃が代わりに答える。
「年下なのに凄いですね」
「そういう咲夜さんも、十分凄いですよ」
「そんな。私は美咲が危なっかしくて心配だから付いて行ってるだけで、予選を勝ち抜いたのも木代さんの戦略のお陰ですし。私には特にこれといって何もないですよ」
琥珀の事を称賛する咲夜も境は肯定するが、咲夜はそれを否定し始める。
「ほう…"特に何もない"か。ではそんな"特に何もない"君に敗れる程、Dクラスの連中は弱かった。と言う訳かな?」
「いえ!そういうつもりで言った訳では…!」
自身を認めようとしない咲夜に、閃は言葉の揚げ足を取って嫌味っぽくを返すと、咲夜はそれを慌てて否定し始める。
「…謙遜も過ぎれば嫌味になる…。気に入らないかもしれないがみんなが認めているのは事実だ。もっと自信を持っていい」
「そうそう。咲夜はもっと自信を持たなきゃ!」
「…そういうお前は、姉を見習って慎みを覚えたらどうだ?」
「あー!言ったなー!」
呆れるギルにキツく言われてもなお、はしゃぐ美咲。美咲と咲夜を中心に場が賑やかになる中、刹那は少し離れて見守っていた風香に近寄る。
「心配はしてませんでしたが、馴染めているのを見て少しホッとしました」
「咲夜さんはともかく、美咲さんのあの感じなら、誰とでも友達になれそうだけどね」
「ああ正確に言うと。馴染むまでが心配なのが咲夜さんで、馴染んだ後が心配なのが美咲なんですよ…」
「なるほどね…」
風香の言った補足に深く納得する。
傍目から見ても分かるが、咲夜は人付き合いが苦手で、そのまま孤立しないか心配になる。
逆に美咲は人懐っこい分、人間関係で何かしらのトラブルを起こすのでは無いかと不安になる。
という風香の思いは容易に察せた。
「まあ大丈夫なんじゃないかな?みんな良い人だし、いざとなったら僕もフォローするからさ」
「お気遣いありがとうございます。どうか二人と仲良くしてあげてください」
「そうさせてもらうよ。あと今更だけどさ、ステラは一緒じゃないの?」
風香のお願いを聞き入れて、刹那は風香に訪ねたかった事を切り出す。
「ステラさんは一人になりたいと仰ってたので、会場に着いてからすぐに別れました」
「そっか。教えてくれてありがとう」
「…どういたしまして」
返礼をする風香その声から、ほんの少しだけ未練がましくも諦めたような潔さを感じて、刹那は気付かされる。
刹那は人の好意や悪意というような、周りがどういった感情を自分に向けているのか、という感情の機微に疎くも鈍い訳でもない。むしろ聡い方だ。
ただそれらに気付いている事を相手に知られてしまったばかりに、いまの関係が壊れてしまうのが怖くて、気付いてないフリをしているだけだ。
だから、風香がいままで自分にどのような感情を向けているのか知っていたし、触れないよう徹していた。
そしていま、風香がそれを諦めようとしている事も。それが彼女の本心ではない事も知った。そう感じてしまった。
「ん?どうかしましたか?」
顔を凝視してた事に気付いて首を傾げる風香。
その声音から先程までの空虚さは感じないが、今ここで行動を起こさなければ、という衝動だけは胸に残ったままだった。
ただ思い過ごしであるのならそれでもいい。
他人の気持ちを勝手に推し測って、間違えて恥をかく事なんてよくある事だ。
でも、それが単なる思い過ごしではなかったら?
初対面でいざこざがあったとはいえ、風香がいなければ刹那は部隊を組む事も、自分の事情を周りに話す機会も無く、何の変わり映えもない学院生活を送っていただろう。
刹那がこうしてここにいられるのは、他でもない風香のお陰。
刹那にとって風香もステラと同じ様に、既に大切な人の内の一人になっているのを、さっき感じた気持ちから改めて思い知る。
そう気付いてしまった刹那には、風香の好意を蔑ろにする事は出来なかった。
「ううん、何でもないよ。そういえば風香に一つだけ聞きたいことがあったんだ」
「何でしょうか?」
本当に大切なものは、数え切れないほどある訳じゃない。でもたった一つという訳でもない。
そしてそれらに、気持ちをきちんと言葉にして伝えられる機会も、きっとそう多くはない。
「変な事聞くんだけど、誤解せず教えて欲しいんだ。風香にとっての"愛"ってどんなもの?」
「貴方という人は…」
質問の意図を察した風香は、ほんのり頬を紅潮させて、厳しくも呆れた目をこちらに向けてくる。
「あはは…そんな顔しないでよ。こんな恥ずかしい事聞くのは風香だけだからさ?」
苦笑いをして誤魔化すが、そんな非難を向ける目に負けないくらい、刹那は真摯に風香の目を真っ直ぐに見つめ返す。
「はぁ…まあいいでしょう。私にとっての"愛"はどんなものか、でしたね。ふむ……」
根負けした風香は溜め息をつき、聞いた質問の内容を繰り返し確認したあと、しばらく考え込んだ。
すぐに答えられるような質問ではないと分かっていたので、刹那も静かに待つ。
考え込んでから少しして、答えを出した風香が口を開く。
「私にとって愛とは。"大事にしたい、守りたい、独り占めにしたいと思える特別な感情"ですかね」
「そっか。答えてくれてありがとう」
風香の出した答えに安心して、刹那は真剣に考えて答えてくれた彼女にお礼を言う。
「どういたしまして」
「じゃあ僕はステラを探しに行ってくるよ」
「ええ、いってらっしゃい」
刹那が離れる事を伝えると、風香は見送りの言葉を言って、楽しげにしている一同の所へ行く。
「風香!」
「はい?」
輪に戻ろうとする風香を刹那は呼び止める。
そして伝える言葉はもう胸の中で決まっていた。
「"愛"してるよ」
普段なら絶対言えないが、風香の事が好きで大事だからこそ出せた言葉。
多少の気恥ずかしさはあったものの、それ以上に気持ちが勝っただけの話だが、それでも面と向かって伝えるは大切である。
「…っ~!早く行ってください」
「うん、行ってくる」
そして刹那の分まで恥ずかしさに悶える風香の様子を見て、刹那はそのまま振り返らずステラを探しに行った。
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(諦めようとしていたのに、あんな事を面と向かって言うなんて…本当にズルいですね)
刹那の背中を見送る風香は、先程言われた言葉を思い返す。
思い出しただけで、恥ずかしすぎて顔が熱くなり、身悶えするような感覚に襲われそうになって風香は慌てて頭を振る。
「羨ましいね。私も、いつかはああ言われたいものだ」
「氷雨さん!?」
不意に後ろから閃に声を掛けられたのに驚いて、上ずった声を出してしまう。
他の誰かにさっきの一部始終を見られていた事に羞恥心が一気に頂点まで跳ね上がって、色々取り繕いそうになるが、それは鋼の自制心で抑える事ができた。
「閃でいいさ、風香氏。君も彼に惚れたクチなんだろう?」
「…さっきまで諦めてましたけどね」
不敵に笑って問う閃に、風香はさっきまでの動揺を抑え、正直な気持ちを話す。
風香が平静を取り戻せたのは、閃のしたり顔を見て、恋敵が増えたので揶揄ってやろうという魂胆が見えたからだった。
「そうか、そうならなくて良かったよ」
「?」
だがその見えた予想とは裏腹に、閃は急に安心した様な顔をして胸を撫で下ろし始めた。
風香は何故閃が安堵したのか分からず、首を傾げる。
「ですがそれだと、私がいる事で貴女にとってライバルが増えてデメリットなだけではないですか?」
閃は刹那の事が好きで、風香は刹那への恋慕を諦めようとしていた訳だが、さっきの言動が一体どういう意味なのか気になって尋ねる。
「風香氏は分かっていないな。英雄はみんなから好かれるものだろう?」
その言葉で、閃にとって刹那がどういった存在なのかを知り、真意に気付かされる。
「勿論彼と結ばれたい気持ちはあるが。それ以前に私は彼を"愛"しているからね。彼が挫けそうなら精一杯支えるし、困っているのなら一緒に手伝う。声を上げて助けを求めるなら何処へだろうと駆け付けるとも。そして彼が悩みに悩んだ末に選んだ答えなら、それも尊重したいと思っている。それが私の"愛"さ」
「……立派ですね」
閃は想像以上の答えと思い遣りを持っていた事に、風香は驚き、心から彼女を称賛する。
そして閃の考えを聞いて、風香は閃の事を少し誤解していたと思い改める。
「そうでもない。昔、彼と”愛”とはなんなのか?という話をしたんだ」
「随分と思い切った話をしましたね?」
「それほど当時は彼に振り向いてほしかったのさ」
過去の話を思い出したのか笑みが溢れる閃。
それは、単に思い出し笑いをしたのか、それとも自身の大胆な行動を呆れて出たのか。
風香には分からなかったが、どちらとも取れる笑みだった。
「それで、その問いに彼はこう答えたんだ。"独り占めにしたいと思えるだけじゃなくて。たとえそれが自分のものにならなくても。思い遣り、尊重し、その先の幸せを願える気持ちが、愛なんじゃないかな。って僕は思います"ってね」
「フフ、刹那さんらしい回答ですね」
刹那がそう答えるのが容易に想像できて、思わず風香は笑ってしまう。
「ああ。その時私は上手く躱されたと思ったが、後でそれが彼の本心だと分かったよ。だから時々彼に愛されているか確認できれば、それでもいいと思えるようなったんだ」
「そうですか…」
そして風香はようやく、刹那に対する閃の言動に納得する。
閃にとって刹那は、英雄であり、憧れであり、後輩であり、想い人であって。それぞれが同時に存在しているのだと。
「よければ刹那さんの話をもっと聞かせて頂いてもいいですか?」
「勿論さ。じゃあ何処から話そうか…」
刹那の事をもっと知りたいと思い。話を聞かせて貰えないか問うと、閃は快諾して、刹那に出会った時からの事を、振り返るように話して始めた。




