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第十三魔導武装学院  作者: 黒姫
第一章 学内順位戦編
13/35

焼かれた過去を持つ者

登場人物紹介


氷雨閃ひさめ せん

 氷のように蒼白い髪を持つクールなお姉さん。二校の元風紀委員長。真面目で真っ直ぐな性格であり、常に率直に物事を言う。そのせいで現実的、合理的な人だと思われがち。左腕全体に大きな火傷痕があり常に包帯を巻いて隠している。凛とは腐れ縁の仲。


レノンハルト・フォン・イグニス

 燃える様な赤く結われた長い髪が特徴の青年。不良校で有名な五校の元生徒会長、兼風紀委員長を務めていた。まともな仕事はしていないが、人一倍仲間を大切にする人で、五校の生徒からは尊敬の意を込めて『兄貴』と呼ばれている。


新規登場人物


緋櫻紅司ひざくら こうじ

 真っ赤な髪が特徴的な五校の元生徒会副会長。昔からレノンの右腕であり、よき理解者。常に飄々とし裏表の無い性格。センスと要領が良く、どんなことでもこなすことができる。五校ではレノンに代わり、実質的な生徒会の業務を担っていた。


マリア

 レノンの育て親。『境界なき教会』のシスターであり創立者で、信仰の自由を体現させて、隔たりのない信仰を普及させようとしている。常にレノンの身を案じており、献身的で聖女のような女性。


クラリッサ

 レノンの元教育係。『境界なき教会』のシスターで、教会の基本的な業務を任されている。シスターではあるが身内との会話ではがさつな態度を取り、口よりも先に手が出るタイプ。


アグネーゼ

 『境界なき教会』のシスター。やや内気な性格だが、教会で保護している子供達の教育係を任されており、子供達からは慕われている。誉められることにめっぽう弱く、レノンによくからかわれている


アヤネ・フォン・イグニス

 レノンの姉。レノンと唯一血の繋がった家族。面倒見がよく気さくで明るい性格だが、だらしのないが玉に瑕。『境界なき教会』のシスターになる為に日々勉強中。

ー6年前ー


 目の前で炎が燃え盛っていた。


 火の手はあっと言う間に私を取り囲み、私の逃げ場を奪っていった。


 事故の経緯は実にあっけないものだ。未熟な生徒が使えもしない中級魔法を行使しようして失敗。そして予想通りの暴発。結果、飛び散った火が校舎に燃え移り大火災。

 そして中でも最悪な事は、校舎は昔からあるもので設備も古く、火災の対応が全くされていなかったことだ。


 不運にも、たまたま校舎の中にいた私は二次災害に巻き込まれた被害者だ。


 燃え盛る炎から、私の逃げる場所は無く、また消すすべも無かった。


 いや、術はあった。魔法という最大の対処方法が私にはあった。


 それを思い出した私はすぐさま、襲い来る炎から身を守る為に魔法を行使する。


「水流放て『ウォーターフロウ』」


 当時の私にでも扱える初歩の水魔法を唱え、炎に向かって飛ばす。

 それが逆に炎の勢いが増してしまうことを知らずに……


「あぅっ!」


 “水蒸気爆発”という言葉を知っているだろうか。

 高温の火に向かって水をかけると水が熱せられて急激に気化して。高温、高圧の水蒸気となることによって起こされる現象である。

 日常でも、引火した油を消そうと水をかけて水蒸気爆発が起こる事例がある。


 無知な私はその事を知らず、その現象を引き起こした衝撃で吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。


「うぅ……嫌だよ。こんなところで死にたくない」


 いまの私にはこの炎を消す事はできない。左腕に走る激痛がそれを思い知らせる。


 一体私が何をしたいうのだ。ただ今まで大人しく良い子にしてきたのに、何故こんな目に会わなくてはいけないのだろう。


「誰か………誰か助けてよ……!」


 私は自分の無力さと運命を呪い、嘆いてその場でうずくまり泣き叫んだ。


 その声が届いたのか。横壁が崩れ、一人の少年が現れる。


「キミ!大丈夫!?」


 彼は文字通りここまで斬り進んできたのだろう。彼の手には一振りの刀が握られ、そして来た道は全て綺麗に切り開かれていた。


「……うん。だいじょ、うぅっ!」


 私は立ち上がって強がりを言おうとしたが、左腕が更に痛みだし踞る


「もう少しだけ我慢してね。すぐに助け出すから」


「うぅ、うくっ!ひくっ!うわあぁぁぁぁ!」


 そう言うと彼は私を抱き抱えて、来た道を走る。私はそんな彼に必死にしがみつき、いつまでも泣きじゃくっていた。


 それが、私が初めて黒神刹那に出会った日のことだった。


□□□


 カーテンから漏れる朝日で目が覚める。


 十三校の学寮でこのように起こされることはないが、いま自分が娯楽区のホテルにいることを思い出す。


 ベッドから起き上がり自分の顔を触ってみると涙が流れていた。


「夢か……」


 いや夢ではない。実際にあった事だ。名前も知らない彼の決死の覚悟で救助されたのを今でも鮮明に覚えている。

 そして助けてくれた彼が刹那だったと私が知るのは、かなり後のことだった。


 彼の助けがなければ、あのまま私は死んでいただろう。


「…………」


 閃は自分の左手を見て触り、実感する。

 そしておもむろに左腕に巻いていた包帯を外し、改めて再確認する。


 左腕全体に渡る火傷跡。


 火を消そうと必死に放った水魔法による水蒸気爆発で、突きだした左腕は他の箇所に比べて治療が不可能な程の酷い火傷やけどを負った。

 日常動作に支障は無い。


 当時、現場に居合わせた凛の治療によって、左腕以外の箇所にあった火傷は残っていない。

 勿論、彼女も当時は未熟であり、私の左腕の火傷が治せなかった事がかなり悔しかっただろう。

 そこから、凛は私につるむようになった。


「フッ……」


 腐れ縁ではあるが、心配性な彼女の事を思い出して、つい笑みがこぼれる。

 何の運命かは知らないが、彼女とつるむことによって、私は再び彼に会うことができた。そういった意味では、彼女に感謝しなければならない。


 再びあった頃の彼は、以前にも増して研鑽を積んで強くなり、格好良くなっていたが、私が覚えているかつての彼の姿は見る影もなかった。

 凜に聞いたところによると、副会長の碧川みどりかわ海翔かいとにひどく打ちのめされたらしい。それ以外にも何かあったと思うが、残念ながら知るすべがない。


 彼と生徒会室で会った日。少しだけ期待していたが、やはり私を助けたことを彼は覚えてはいないようだった。


 しかし、それで良かったのだ。私にとって彼は憧れであり、命の恩人であり、初恋の人であることには変わりがないのだから。だから私はめげずに彼に告白しているのだ。


 6年前の事故にあった日から私は決意した。


 私を助けてくれた時の彼のように、どんな窮地に立たされても立ち向かえる人になろうと。そして、今度は彼を助けられるようになろうと決心した。


「ん~~!」 


 閃は大きく伸びをし、ベッドから出る。


「さて、朝練でもするか」


 もう変えられない出来事を嘆くくらいなら、よき教訓になったと思って前に進もう。でなければ助けてくれた彼に顔向けできない。

 そう思いながら、日課の朝練をするために着替える閃であった。


□□□


 朝靄あさもやがきれいに晴れる頃。居住区の道を赤く結った髪を揺らしながら歩くレノンの姿があった。


「~♪」


 順位戦の開会式が始まるにはまだ早すぎる時間だが、わざわざ宿泊先のホテルがある娯楽区から出て来て散歩をするような場所でもない。

 だが呑気に鼻歌を歌いながら、ある目的地を目指してレノンは歩いていく。


「っと。ここか」


 レノンが足を止めた場所は教会だった。

 仰々しい訳ではなく、しかししっかりと存在感のある。住宅街の中にあっても、さほど気にならないぐらいにこぢんまりとした教会。

 教会の表札には『境界なき教会』と書かれていた。


 まだ門は閉まっていたが、レノンはそれを勝手に開けて中へと入っていく。

 そして教会の扉に開けて中に入ると、そこはこぢんまりとした外装に比べ、整然とした綺麗な内装になっていた。


「へぇ~。結構良い感じになってんじゃねぇか」


 教会の内装にレノンは思わず感嘆の声を出してしまう。


「申し訳ありません。どなたかは存じませんが、まだこちらの方は準備が…………あら?」


 レノンの声を聞き付けたのだろう。奥の扉から修道服を着た女性が出てくる。整然とした佇まいで控えめに声を出すが、レノンの顔を見ると少し驚いた表情になる。


「イグニスじゃない。久し振りね。元気にしてた?」


「おぅ。俺はこの通りだ。そっちも順調にやっているようだな。クラリッサ」


 クラリッサと呼ばれたシスターは相手がレノンと分かると、淑女然とした佇まいが抜けて砕けた態度になる。


「そうね。こっちはやっと引っ越しが終わって、落ち着いたって感じかしらね」


「ハハッ!そりゃよかった」


 腕と足をそれぞれ組んで壁にもたれるクラリッサ。その立ち姿はシスターにあるまじき姿勢になっていた。


「そういえば今日は大事な試合があるんじゃなかった?なんでここに居るのよ?まさか……またあんたなんかやって停学処分になってるんじゃないでしょうね?」


「なんもやってねーよッ!今日は俺の試合じゃねぇし、順位戦の開会式まで時間があったから、落ち着いたかどうか気になって、ちょっくら顔出しに来ただけだっつの」


 クラリッサが腰に手を当てて呆れたようにレノンに聞くと、レノンは頭を掻きながら鬱陶しそうに言葉を返す。


「ハハーン。あの問題児のイグニスが真面目にやっているとはね~。神罰でも下るんじゃないかしら?」


「ハッ!言っとけ」


 クラリッサはからかうように言うが、レノンはそれを鼻で笑い飛ばす。


「クラリッサ~、誰とお話してるの~?」


 クラリッサと軽口を交わしていると奥の扉から小さな女の子が顔を出す。


「あ!ハルトお兄ちゃんだ!」


「ホントだ!」


「ハルトお兄ちゃんお帰りー!」


「おうお前ら!ちゃんと良い子にしてたか?」


 女の子の声をきっかけに次々と子供達が出てきて、みんなレノンの元に駆け寄っていく。


「うん!ちゃんとしてたよ」


「ウソよ。このまえソラとケンカしてたじゃない」


「ば!ケンカじゃねぇしっ!ソラが危ないことするからおれは止めようとしてただけだよ」


「わーった。わーった。リクはソラを止めたんだよな?」


 女の子と男の子が口喧嘩をし始めたのをレノンは間に入って仲裁する。


「でもケンカするのはよくねぇぞ?ちゃんとソラと仲直りはしたか?」


「うん!シスター・アグネーゼの前で、ゆびきりげんまんしたよ!」


「そうか。じゃあ肩車をしてやる。よっと」


「やったー!」


「えー!リクばっかりずるいー!ハルトお兄ちゃん。アタシも!アタシも!」


「よし、じゃあ右側に乗せてやるよ」


「キャー!」


 レノンが来たことによって、子供達は手がつけられないほど大はしゃぎをする。


「こらこらみんな。勝手に出たらダメでしょう。……ってイグニス。来てたのね」


 子供達を呼び戻そうとして、もう一人奥から綺麗な女性が出てくる。


「シスター・アグネーゼ!……前より美人になったか?」


「イ、イグニス!顔から火が出るようなこと言わないで下さい!」


「いやだって、本当のことだもんよ」


「も、もうっ!」


 手放しで褒めたレノンの世辞に、アグネーゼは頬を赤らめる。


「わー。シスター・アグネーゼの顔が赤くなってるー」


「かわいいー」


 恥ずかしがるアグネーゼを見て子供達はわいわい騒ぐ。


「それより、ほらみんな。イグニスが帰ってきて嬉しいのはわかりますが、いまは朝食の時間ですので部屋に戻りますよ」


「えーっ。オレまだハルトお兄ちゃんと遊んでいたい~」


「アタシもー!」


 気を取り直したアグネーゼは、子供達を呼び戻そうとするが、駄々をこねてなかなかレノンから離れようとしない。


「コラッ!あんた達!シスター・アグネーゼの言うこと聞かないと神罰下すわよ!」


「キャー!クラリッサがおこったー!」


「しんばつだー!にげろー!」


「おおっとっと」


 クラリッサがピシャリと子供達を叱ると、みな面白怖がってレノンの後ろに隠れる。


「ほらお前ら、シスター達を困らせるな。大人しく戻って朝ごはん食べてこい。そしたらまた遊んでやるから。な?」


「「は~い」」


 レノンが子供達をたしなめると声を揃えて返事をし、アグネーゼと共に奥の部屋へ戻っていく。


「あんた本っ当に子供達の扱い上手いわよね……」


「ハハッ。俺は慕われているからな!そういうクラリッサは相変わらずすぐ神罰しようとするからチビ共から怖がれるんだぜ」


「うっさいわね!あんたも昔は言うこと聞かない暴れん坊だったくせに。いい?あの子達はあんたに似たんだからね。良い手本になるためにもう少ししっかりしなさい!ホントにあんたには世話が焼けるわ」


「それこそ余計なお世話っつの。てかそれを言っちゃ、俺はあんたを見て育ったんだから、あいつらがやんちゃに育つもの無理ねぇぜ」


「なんですって!?」


「あ~っと、口が滑っちまった」


 再びクラリッサと軽口を交わしていると言ってはいけないことを言ってしまったレノン。

 クラリッサからは殺意にも似た、何かが出てきている。


「やっぱりあんたには本格的に神罰を与えないといけないようね」


 クラリッサは動きやすい様に修道服の袖を捲り、裾を払い、拳を鳴らして構える。


「いまさら俺に神罰なんて要らねぇよ!」


「問答無用っ!鉄拳制裁!」


 く風の如く、至近距離まで詰め寄ったクラリッサは、レノンの鳩尾に正拳を放とうとする。それをレノンは防ぐように腕を構える。


「取り込み中失礼するよ」


 だが突然の来訪者によって、それらが衝突することはなかった。いや、触れそうになったところを文字通り間一髪でクラリッサが動きを止めたのだ。

 レノンとクラリッサは声を掛けた人物を見る。レノンより控えめだが同じく真っ赤に染まった赤髪の男が教会の入り口に寄り掛かっていた。


紅司こうじ!?」


「あら、紅司こうじじゃない。今日は見知った客人が多いわね」


「あだっ!」

 

 紅司を見てクラリッサはさっきまでの剣幕を霧散させるが、それと同時にレノンの頭をぶん殴る。


「おい!クラリッサっ!不意討ちとか卑怯だぞ!」


「気を抜くあんたが悪いのよ。自業自得よ。むしろ、これだけで神罰を済ませてあげるんだから感謝しなさい」


「ハハハ、ハルトもシスターも、相変わらず仲が良いな」


「「どこが!?」」


 紅司こうじは笑って仲の良さを評価するが、二人は同時にそれを否定する。


「てかなんでお前まで来てんだよ?つけてきたのか?」


「いや、お前の部屋に行ったらいなかったからな。もしかしたらと思って、こっちに顔出してみりゃビンゴだったってわけだ」


 レノンの質問に紅司は答えると、指鉄砲を指しながらニッと笑う。


「ったく。お前まで抜け出してきたら、熱輝が困るだろ」


「アイツはいつもこの時間帯は寝てるだろ。起きる前に俺とお前が戻りゃ問題ねぇよ」


 レノンに対して臆することなく、歩み寄りながら言葉を返す紅司。レノンに対して無遠慮に物を言う人間はそう多くはない。紅司はその多くはない人間の一人だ。


「ただ教会ここが気になって来た訳じゃないだろう?お前が理由もなく、勝手な行動するようなヤツじゃないのは昔からの付き合いだからよく知ってるさ。……さっさと用事を済ませよ」


 レノンの横を通り過ぎ様、肩に手を置いて気遣うように言うと、紅司はクラリッサの方へと更に歩みを進める。


「……それはそうと、シスター・クラリッサ。ガキ共は元気にしているか?」


「ええ、変わりないわよ。むしろ元気過ぎて困っちゃうわ……」


 クラリッサも紅司が機転を効かしているのを察し、紅司の話に付き合いながらアグネーゼと子供達がいる部屋へと入っていく。


「ったく、余計なことしやがって。まあそこがお前の良いところだけどよ……借りだとは思わねぇからな……」


 独り言を漏らしながら、レノンは別の部屋へと向かう。


「すぅ……すぅ……えへへ~」


 入った部屋では、一人の女性が机で聖書を枕にして静かに寝息を立てており、何の夢を見ているのか知らないが、だらしない笑顔をしていた。


「はぁ……アヤ姉またこんなとこで寝やがって……。風邪引くだろ」


 レノンはアヤ姉と呼んだ女性を抱き上げると近くのベッドに移動させる。


「うぅん~、ん~、すぅ……すぅ……」


「……」


 抱き上げた時に少しだけ起きたが、ベッドに寝かせるとまた眠りにつく。レノンはしばらくの間、アヤネの安らかな寝顔を慈しむように見つめる。


「母さんに似てきたな。アヤ姉」


 脳裏に焼き付いている母親の記憶と今のアヤネの姿が重なり、そっと優しくアヤネの頬を撫でる。


 10年前にあった魔導大戦でレノンの両親は死んだ。アヤネはレノンの唯一の肉親になる。

 戦争で両親と住む家を無くして、途方に暮れていたレノンとアヤネが辿り着いたのが、この『境界なき教会』だった。

 当時、ここは異端な教会として迫害されていたが、それでも戦争の真っ只中、数少ない信仰の拠り所になっていたり、難民や家族を失って身寄りの無い子供達を保護したりなど慈善活動も行っていた。

 レノンとアヤネはその保護された子供達の一部だった。


「……少し借りるぜ」


 アヤネが肌身放さず身に付けているペンダントを、レノンはアヤネを起こさないように、ゆっくりと外し取る。十字を基調とした盾のようなペンダント。母親が遺した唯一の形見だった。


 レノンはアヤネを起こさないよう部屋から出ると、祭壇の前に行き静かに祈りを捧げる。


「……」


 この教会に信仰する神は様々だ。キリスト教、イスラム教、仏教、世界中で認知されている宗教を全て纏めて隔たりをなくし、信仰の自由を体現させた教会といえる。

 ここが『境界なき教会』と呼ばれる所以はそこから来ている。

 各宗教からすれば、背信以外の何者でもないことだが、それでも実際には身近に環境が無い人達が利用していることが多く、黙認されている。


「イグニス……来ていましたか」


 静かに祈っていると不意に後ろから声を掛けられる。慈愛に溢れ、優しく包み込みような暖かい声。レノンはゆっくりと振り向くとそこには整然とした佇まいで一人のシスターが立っていた。


「……マリア先生」


 声を掛けた女性は、孤児となったレノンとアヤネを拾ってくれた恩人。育て親でもあり、この『境界なき教会』を発足した人でもある。


「元気にしていましたか?何か変わったことはありませんでしたか?」


「あぁ、この通り元気だ。こっちの学校はまあまあだが、面白い奴等が一杯いるぜ」


 心配そうにしているマリアを安心させるようにレノンは話す。


「そうですか、それは良かった。くれぐれも体調には気を付けるのですよ?あと、他の方々には余り迷惑はかけないように」


「わーってるよ。先生はほんと変わらないな」


「イグニスが心配で言っているのですよ。久しく連絡が来ないと思ったら、急に『転校するからみんなも一緒に行こう』なんて言うから」


「あ~、それはわりぃ。生徒の保護者も含め、新しい家を提供して一緒に六芒ここに住むことができる。って聞いたからその手続きで手間取って連絡が遅れたんだよ」


 レノンは申し訳なさそうに謝る。


「それはよいのですが、定期的に連絡くらいは下さい。私もそうですが、みな貴方のことを心配しているのですからね」


(マリア先生、昔から変わらないよな。いつもみんなのことを気にかけてくれて。まだ若いはずなのに……そういえば確か歳は今……) 


「む、イグニス。いま失礼な事考えていますね?」


 マリアの年齢について思考を巡らそうとすると、それを察知したのかマリアはレノンを不機嫌そうに咎める。


「ちょ~っとだけな。先生いま歳いくつだっけ?」


「ふぅ……イグニス。そうやって他の女性に対してみだらに年齢の話はしていないでしょうね?」


「してねぇよ!失礼だろそんなことしたら!」


「貴方のことだから、もしかしたらと思っただけです」


 マリアの問いに全力で否定すると。マリアは少々呆れながらも安堵する。


「……私は今32です」


「全然見えねぇ。22の間違いじゃねぇの?」


 不満ながら質問に答えたマリアにレノンは少しおどけた調子で返す。


「イグニス。冗談はそこまでにしさない」


「冗談なものかよ。俺は本気で言ってるぜ」


暖人はると


「……」


 マリアがレノンの本名を口にすると、レノンはどこか巫山戯ふざけた調子を霧散させ真面目な顔になる。


「貴方達、姉弟きょうだいは10年前のあの日から。……特に貴方は炎に魅入られています」


「解っているよ。先生」


 世界を、町を、家を、両親を。大切だったものを何もかもを焼かれた戦争…


「9年前の事件で貴方に新たな姓を与え……」


 全てを燃やし尽くす、あの時の光景が目に焼き付いて…


「4年前の事件でも貴方の名前を変えました」


 今でも頭から離れない。


 全てを奪われたのだ。勿論悲しかったし憎んだ。

 当時8歳だったレノは戦争を恨んだ。しかしいつかは幸せな日々が壊れ、こうなることを理解していたし覚悟していた。

 よわい8歳の子供がここまで想像するものではないが、レノは違った。あらゆる可能性の先を見据え、そうならないように願いながら生きてきた。


「しかし、日を増すごとに貴方に取り付く呪いは強くなっています。それはいまこの時もです」


 あの時の炎は、いまでもずっと大事なものを燃やし尽くさんとレノに取り憑いている。


 レノは元々魔法の素質があった。あの炎はそれを知って、レノ取り憑いたらしい。らしいというのは自覚が無いのとマリアがそう断言するからだ。そしてそれを見抜いたマリアはレノン達を教会で保護したのだ。


 レノが魔導学校に入ったのは教会に迷惑を掛けない為と、少しでも炎を制御出来るようにする為だった。


「解ってるさ、心配すんなよ先生。これでも俺、結構頑張ってんだぜ?」


「イグニス……」


 そう言ってニッと笑ってみせてマリアを安心させる。


「あ、これ。アヤ姉に返しといてくれよ先生。あとシスターの勉強頑張れよって言ってたって言付けもな」


 アヤネから借りたペンダントをマリアに差し出す。


「……自分で返して伝えるのが筋だとは思わないのですか?」


「わかっちゃいるんだけど……。アヤ姉いま寝てるし、面と向かって言うのはちょっとな……」


 レノは頬を掻きながら照れくさそうにする。


「はぁ……わかりました。私から伝えておきます」


「ありがとう先生」


「ですが。今後はしっかり連絡をすることを約束してください」


 ペンダントを受け取る前にマリアはレノンに条件を提示する。


「…わかったよ。ちゃんと連絡する」


 レノンは渋々ながら条件をのむとマリアにペンダントを渡す。


「じゃあ、あとはよろしく頼んだぜ先生」


「ええ、イグニスも気を付けるのですよ」


「おう!」


 そのまま手を振りながら出口に向かう。


「待たせたな紅司」


「何。そんなに待ってなどいないさ」


 外には門に寄りかかるようにして紅司が待っていた。


「行くか…」


「ああ、そうだな」


 レノンと紅司は、熱輝のいるホテルに向かうため、教会をあとにした。

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