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〜シックス〜  作者: 悠栖
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謝罪

 つま先にひっかけたスリッパは大きすぎて、すぐに脱げそうになる。真一はこけそうになりながら走っていた。

 なんだか元から何もない空っぽな心に、入り込んでくる情報が大きすぎて とても普通ではいられない。


「俯いてると見逃すぜ」


 真一はピタリと歩みを止めた。視線を前へ向けると、資料室で会った男がこちらを見つめて口角を上げていた。


「なに……なにを?」

「今見てるものん中にあるさ」


 今、見てるもの……? それより、この人の名前は……。


「大谷さん!」

「あいよ」


 視線を近づけると、大谷は瞳に笑みを映した。


「僕はあの女の子に会っちゃいけないんだよね?」

「なんで。会いたきゃ会えばいいじゃねえかい」


 思いもよらない言葉に驚いて声が出ない。

 真一は自分の存在を罪深いものと思い始めていたからだ。


「弥央に何か言いたいことがあるんだろ?」

「言いたいこと……」


 真一の瞳が映した弥央の色は、赤ではなく、白だった。

 弥央の純粋に真一を見る目。何も知らない瞳は悲しみから逃れようと唯真っ直ぐに前を見つめていた。


「高井さんと山崎が探してるぜ。どうするかは真一の人生だ」


 そう言って去っていった大谷。

 残された真一は、しばし大谷の言葉を頭の中で反復していた。

 そして再び走りだした。今度は逆方向に──。



 弥央の家の一室。線香の香りがする中、原田はブレーキをかける車の音を聞いた。


「弥央、ちょっと待っててくれ」

 きっと高井と山崎だろう。原田はハンカチで額の汗を拭き取りながら庭へ出た。


 葬儀は殺人現場となった弥央の家で行われた。父親の遺した額と村の有志で集まった軍資金で、白石幸雄は安らかな眠りを授かった。

 弥央は母親と並んで微笑む幸雄の顔を見つめる。彼女は既に前へ進もうとしていた。


「きゃあ! なんだいあんた!」

「止まれボーズ!」


 庭で葬儀に参加していた村の人々が急にざわつき始める。病で逝った母の喪服を借りて遺骨を見つめていた弥央の気も、そちらにとられ始めた。


 廊下をばたばたと走る音。弥央は驚きながら慌てて廊下へ歩み寄った。


「真一!」


 弥央の目の前で派手に転んだ少年は、部屋の畳に思い切りしりもちをついていた。どうやら高井が腕を掴んで勢いを殺したらしい。


 周囲を騒がせた正体は、猛スピードで突っ込んできた真一だった。


「あ……」

「弥央さん、気にするな。こいつはただ勘違いして……そう、ここがどういう場所かわかってなくて。遊びにきただけなんだ」


 弥央の驚いた顔を見て、高井は必死に言い訳をした。

 わかっている。二人を最初から会わせないようにするなんて、不可能だと。だがこの場で何か問題が起きるよりはましだ。


「違うもん」


 真一は高井の手から逃れ、弥央の前に膝と手をついた。


「ごめんなさい!」


 真一は謝った。

 突然の出来事に弥央はどうしていいかわからない。それは高井も例外ではなく、いつの間にか部屋の前には原田と山崎も合流していた。


「僕のせいだから、悲しまないで。僕のお父さんは僕のせいでひとをころしたんだ! だから……」


 弥央の黒い瞳がみるみるうちに小さくなっていく。

 弥央は右手を振りかざす。


 瞬間、乾いた音が空中を裂いた。

 真一の左頬はみるみるうちに赤くなった。



 タイヤの数センチ脇はすぐ田んぼになっている。そんな急カーブをいくつか越えると、一つ目の信号が見えた。山崎は信号が赤になるのを確認して、ゆっくり車のブレーキを踏んだ。


「……真一くん……どうしたんだよ」


 ふっとため息をつく。バックミラーには後部座席で横になる真一が映っていた。


 真一が弥央に突然謝ってから葬儀は混乱を招いた。

 泣き出して出ていってしまった弥央の心も、思わぬ攻撃でショックを受けた真一の動機も、宙ぶらりんになったままだ。


「……まだ寝てる? 真一くん」


 何が起きたのか聞いてみようとしたが、無駄だった。

 真一は固く心を閉ざしていた。


「……ぐっ……う、う、う」

「真一くん!」


 急に苦しみだした真一の様子に、山崎は慌てて車を道の脇に寄せる。

 ぎりぎり二車線だが、幸い自分たち以外に車道を走る車は一台と見当たらなかった。


「真一くん、どうしたの? どこか苦しい?」


 何度も呼びかけるが真一は目を開かない。シャツの胸元をくちゃくちゃに握り締め、まるで悪夢にうなされているかのように眉間に皺をよせるばかりだ。


「やめて……やめて、とうさ……」


 睫が涙で濡れている。

 やがてその瞳から一筋の涙がこぼれると、真一は静かに寝息を立て始めた。



 飲み込んでも飲み込んでも出てくる涙。

 脳内に響く低い声。


 たった一人残された家族を、大好きな父親を、いとも簡単に自分から奪った男……。


 弥央の心は深く傷付いていた。そして、人間とはこんなに脆いものだったのかと気付いた。


 そんな奴の言うことを聞いて、いまさらその子どもなんてやつに謝られたくなかった。


 まさかあの子がそうだったなんて……。

 自分の父親が殺されるきっかけだったなんて──。



「弥央……さん」


 家を飛び出して泣きじゃくっていた弥央。そんな彼女を、高井はすぐに追いかけてきた。


「ずっと黙ってるつもりじゃなかったんだ。会わせるのは避けてたかもしれないが……」


 弥央は口元を抑えながらずっと泣き続け、高井の言葉に首を横に振った。


 謝って欲しくなかったの……。


「……弥央さん? どうした……」


 弥央は必死に高井を見つめるが、表情も歪んで想いを伝えることができない。


 次第に息も荒くなり、大口を開けて子どものように大泣きしていた。


「ひっ……あっ……」


「声が……! 何か言いたいのか……?」


「ああ……うわあああん!!」


 ついに弥央は大声をあげて泣き出した。


 それを見て高井はいてもたってもいられなくなり、思い切り弥央を抱きしめた。


「弥央、大丈夫だ。大丈夫だから……」

「ふっ……うう……。あたし、あたし……」

「わかってるよ。いいんだ、今はわからなくて」


 そう言われると少し落ち着いた。

 この感情は持って当たり前だと、今は許せなくていいんだと思えた。


「……ありがとう……高井さん」


 かすれた声。涙でびしょ濡れの瞳。


 人の心が、ほんの少しだけ浮上する瞬間を見た気がした。


「いや。原田警部補に報告に行かなきゃな」


 弥央はようやく初めの一歩を踏み出せたと感じた。


 家の中に戻ると、原田が自分の事のように両手を挙げて喜んでくれた。


 もやもやした気持ちが少しでも吹き飛んで、弥央は皆に感謝した。



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