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〜シックス〜  作者: 悠栖
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伊藤隆吉の過去

 初めて見る街の風景。真一は緊張を携えながら、やや緩慢な動作で辺りを見回した。


 ふと捉えた視線の先で、上品なブレザーの制服を着た学生が見えた。

 学生は参考書を読みながらこちらに向かって歩いてくる。


 突然、携帯電話の呼び出し音が鳴った。

 面倒臭そうにポケットに手を突っ込む様子を、真一は懸命に目で追いかける。


 携帯を取り出すとき、後ろから「伊藤」と呼ぶ声が響いた。


 ──その名前はもしや。


 彼に纏う雰囲気は ある人物を思い出させた。

 真一は 彼こそがそうだ という認識を手に入れる。



 ここは、父親である伊藤隆吉の若き日の光景……。



「誰」


 隆吉は自分を呼んだ相手を一瞥した。向こうも制服を着ているから、学生なのだろう。


「頭良い奴は黙らせてやる主義なんだ」

「光栄だな」


 路地裏に入る二人。真一は後を追ったが、次に二人を視界に入れた時 立っていたのは隆吉だけだった。


 喧嘩が強かったという事が一瞬で理解できた。


「まったく、折角 清子からの電話だったのに」


 そう呟いて、隆吉は再び携帯電話を開く。どこかにかけ直しているようだ。


「……もしもし 清子? 電話出られなくてごめん」


 幸せそうに話している。

 ごく普通の高校生だ。多少暴力的なところは見えたが、他に怪しいところはなく、覚せい剤の影も見当たらない。


「今日まだバイト? 遅くまで頑張ってるな」


 清子 と呼んだのは、やはり結婚した真一の母親だろうか。


 隆吉は軽快に歩き出した。鼻歌も交えて、かなり機嫌が良さそうだ。

 向かった先は近くの大手スーパーだ。


 外からレジを打つ女性を見つめて、その次に携帯電話で時間を見て、裏口で座り込んだ。


 煙草を吸って、携帯電話でゲームをしている。


 ──あの人がお母さんで、もしかして……待ってる?


 時刻は夜の十時を回っていた。


 隆吉の様子が明らかに変わった。従業員出入り口を見てソワソワしている。


「お疲れ様でした」

「あ、清……」


 従業員出入り口からは、二人の男女が揃って出てきた。彼らは声を上げて笑っていた。


「清子」


 隆吉の瞳に嫉妬の炎が燃え上がる。それは強い独占欲を映し出していた。


「隆吉? もしかして迎えに来てくれたのっ」


 清子と呼ばれた女性は隆吉の方へ駆け寄った。隆吉はちらりと彼女を見た後、一緒に出てきた男に視線をやった。


「帰るぞ」


 無理矢理 手を引っ張って、強引に歩き出した。清子はよろめきつつ後ろをついていく。


「ちょっと、先輩に挨拶もしないで、感じ悪い……」

「誰だよ! ずっと俺を騙してたのかよっ」


 急に怒鳴られ、清子は驚いて体をびくつかせた。


「なんでそうなるわけ?」

「俺が迎えに来る。もう他の男とは話すな」

「そんなの無理……」


 抗議しかけた声を、平手打ちで黙らせた。


 隆吉は頭を抱えて低い唸り声を響かせる。


「どうして……皆 俺を必要としてくれないんだ……」


 真一は二人の立ち尽くす姿を呆然と眺めていた。


 傍観者である事に深い憤りを感じた。



 ──こんなのって、おかしいよ。

 ──好き同士で こんなの……。



 隆吉が再び歩き出した時、真一と肩が触れ合いそうになった。


 ──えっ?


 瞬間 別の映像が真一の脳に直接流れ込んできた。


 気付けば、辺りは再び違う光景へと変化している。



「お母さん……」

「良い子にしてるんだよ」


 白いワンピースに赤いショールを羽織った女性が、玄関先で小さい男の子の頭を撫でていた。


「一緒に寝てくれるって言ったのに……」

「もう、無理よ。先に寝てなさいね、わかった?」


 女性は男の子の呼び止める声を無視して家を出て行った。


「お母さん……」



 真一は直感で その男の子が隆吉であるとわかった。


 ──必要としてくれないって、お母さんの事……。


 思わず涙が零れてきた。彼は母親に置いて行かれて、愛に飢えていたのか。


 だから誰かに必要とされたくて。

 誰かが欲しくて欲しくて たまらなくて。


 強い 庇護欲と受容体勢?


 最早 歪んだ愛?



「俺は、俺だけの存在が欲しい……」



 隆吉の願いが聞こえた。



 部屋を見渡すと、既に先程の部屋は形を変えていた。

 新しい住まい。小綺麗な賃貸マンションのようだ。


 玄関の扉が開かれた。現われたのは、お腹の大きな女性だった。


「ただいま……」


 後ろに体重をかけて、買い物袋をテーブルに置いた。がさがさと音をたてて中身を出している。


「清子、ただいま!」

「おかえりなさい 隆吉」


 再度 開かれた玄関。彼もまた大きな買い物袋を両手に提げていた。


「お腹の子にもただいま。買い物なら言ってくれたら良かったのに」

「病院のついでだから」


 隆吉は清子を後ろから そっと包んだ。彼女の大きなお腹を擦って、優しく微笑んでいる。


「俺と清子の……俺だけの子ども」


 何度も何度も「俺だけの」と呟いていた。


「早く出ておいで」



 ──嘘だ。


 ──これが あの 怖かったお父さん……?



 目の前の男は、まるで牧師か何かのように優しく笑っている。


 この彼が本当なのか、今そうしているだけなのか……。



「愛してるよ」



 胸の痛みが強く、鼓動は激しく高鳴った。


 ──僕に、言った?


 放心状態でいると、突然 何者かに首を抑えられた。

 眼前に迫る鋭いナイフ。


「近寄るんじゃねえ、この赤ん坊がどうなってもいいのかっ」


 聞き覚えのある、低い声……。



 ──竹内。


 間違いない。それは竹内が真一を人質にとった瞬間だった。


「おい、嘘だろ」


 腰が抜けて倒れ込んでいる看護士。隆吉は彼女を捕まえて震える声で問いただした。



「うちの子ども。明日連れて帰るんだよ」



 限界まで開かれた瞳は段々と血走ってきている。



「なあ、あんたに預けただろ。俺の子。さっきの男は誰の子抱いてたのかな」



 看護士は震えながら小さな声を出した。



「ごめんなさい……」



 隆吉の意識は、坂道を転がるように転落していった。



「……なんで。なんでなんだよっ!」



 暗闇が広がる。またも隆吉は自分を支える存在を失ってしまったのだ。



「生きてるはずだ……生きて……」



 頼りにならない警察を無視して あちこちを探しまわった。


 目撃情報を手に入れた事もあった。自分の足で探した時期もあった。



 いつしか その足は竹内の家へ辿り着く。


「居た……居た」


 庭に面した部屋の障子。開かれた隙間から小さな少年を見つけた。


 あいつだ。俺の子だ。


 警察は頼りにならない。自分で行くしかない。


 隆吉はしばらく竹内を遠目から睨み付け、勢い良く立ち上がった。


 今日の所は家に帰って、清子に報告しよう。



「清子!」


 歓喜の声を上げて家に入る。清子は大きく体を震わせた。

 顔や袖から覗く腕は、青黒く変化している。


「俺達の子ども、見つけたぞ」

「えっ……」

「明日連れて帰ってくる。喜べ!」


 清子の顔は顔面蒼白だ。信じたくないとでもいうように首を横に振っている。


「何だ」

「いや……」



「あなたとの子どもなんて、育てられない」



 隆吉は崩れ落ちた。徹底的な言葉を聞いた気がする。



 愛されていない事はわかっていた。

 だが、子どもまで 認めないというのか。



 ──お父さん……。


 真一は二人をずっと見守っていた。目を逸す事が出来なかった。


 夢でしかないと言いたかったが、胸の痛みがそれを許さない。



 ──僕は結局 望まれてはいなかったの?



 床が抜けて、深い谷底に墜ちていく。


 誰にも 手が届かない。



「僕は……」



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