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〜シックス〜  作者: 悠栖
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失った声

 事件から数十分後、弥央の家は警察に取り囲まれた。

 赤いランプを背に、赤い死体を見下ろす男。しゃがみこんで顔を観察した。


「……やっと 待ちに待った御対面だな。悪そうな顔しやがって……怖かったろうな、嬢ちゃん」


 その警察の男は弥央に優しく語り掛けるが、何の返答も得られないとわかると再び死体に目を向けた。

 ずっと追っていたその、竹内に。



「原田さん、確かにこの男は十五年前の事件の犯人です」


 若い刑事が歩み寄る。三十代前後の、黒髪で顔の整った男だ。


 原田と呼ばれた男は彼に目を向けてから、死体の側を離れて立ち上がった。


「仏さんには違いねえ。運んでおけ。……嬢ちゃん、お父さんの遺体はこっちで綺麗にして、通夜の準備を手伝わせてもらってもいいぞ」


 弥央は未だ床に座って震えていた。目線は一点を見つめている。


「大丈夫か? ほれ、手え掴みな嬢ちゃん」


 原田警部補に手伝ってもらいながら立ち上がる弥央。

 両手できつく握っていた血まみれの封筒を見つける。何か尋ねると、彼女はその分厚い封筒を弱々しく原田に押し付けた。


「ん? どうした、この大金?」

「……あ……」


 弥央は竹内から渡された二百万入りの封筒を原田の手の中で裏返す。

 すると、男の文字で山中の住所が書かれてあった。


「ここに何かあるのかい? そうだな、高井。車回してこの場所に行ってきてくれ」

「はい!」


 高井と呼ばれた先程の若い刑事は、すぐに駆け足でその場を去った。

 彼を見送らないうちに 原田は弥央の方へと向き直る。


「さあ、嬢ちゃん。怖いけどお父さんのためにも少し話そうか」


 弥央の体が大きく揺れる。縮こまって震えながら気管の辺りを両手で覆い隠した。


 口からヒュウヒュウと喘息のような呼吸音が鳴る。



「く……ひっく……」


 ただならぬ彼女の様子を見て、原田は一つの結論に辿り着いた。



「まさか……声が出ないのか……?」


 弥央は力なく頷いた。その瞳からはひっきりなしに涙が流れている。


 そんな弥央を見ていたたまれなくなった原田は、コートの袖で涙を拭いてやり、そっとパトカーの中へ案内した。



 その頃 先程原田に封筒の住所へ向かうよう頼まれた刑事は、後輩を連れて二台の車で竹内の家へ近付いていた。


「着いたぞ」


 先に着いた車から降りたのは 高井修。原田と同じ銘柄の煙草を咥えている。


「ちょっと、現場で煙草は控えたほうが……」


 後から降りてきたのは 山崎進。これも刑事だが、捜査一課に似合わない優しい雰囲気の男だった。

 天然なのか人工なのかよくわからないパーマネントが日に透けて茶色くなっている。



「随分古い家屋だな……」


 建物自体は大きくないが、空を見上げて視界に映すとその古さがよくわかる。今時見ない木造の建築物だ。さっきの白石家よりも古びている。


「なんか誰も居なさそうですよ」


 山崎刑事が不安気に呟く。捜査を嫌がっているように見受けられないこともない。

 高井はそんな後輩を面倒臭そうにたしなめた。


「何言ってんだ、足元よーく見ろ。動物の足跡ばかりか?」

「え……あっ、これ、新しそうな……」


 山崎は砂地の靴跡を見つけ、警戒心を持ち直す。


「まあ、用心に越したことはないからな」

「そうですね」

「お前先行け」


 高井は二、三歩後ろから腕を伸ばして山崎の背中を押した。


「まさか先に行かせる為に俺を呼んだんすか」


 山崎が情けない声で高井を振り返る。


 この二人は実は高校時代から先輩と後輩の関係である。年齢は一個差だ。

 お互い体育会系の部活に所属していたせいもあってか、山崎は高井の言うことになかなか反抗的になれない。


「違うって、お前お化け屋敷とか好きだろ。捜査の役に立つじゃねえか」

「絶対関係ない……」


 というかここが誰の家かもわからないのに先陣を切るというのは、誰だってごめんだろう。後ろの部隊の刑事達も心なしか後退りしている。


 山崎の心に小さな懐疑心が沸いた。


「……もしかして高井さんが怖いだけなんじゃないですか」


 鈍い音が山一帯に響き渡った。



 高井と山崎は自分の腰の位置にある門を開けると、玄関ではなく庭から入った。


 荒れた庭の木々は風で揺れ動き、不穏な音を立てている。


「俺よりでかい男がびびってんじゃねえ」

「い、今何か聞こえませんでしたか……?」


 腰が抜けかけている山崎。情けない声を出して高井にすがりついている。

 だがそんな山崎に容赦のない言葉が投げられた。


「確かめてきたらいいだろ」

「ええー」


 反論しかけて顔を見ると、高井の鋭い眼光と右手の握り拳が目に入った。

 先程の痛みが頭をよぎる。山崎は慌てて縁側に駆け上がり、正面の部屋の障子を開けた。


「人遣いが荒すぎるよ……」



 ちょうど山崎が入った部屋。そこはかび臭い匂いが辺りに充満した、やけに薄暗い部屋だった。

 逆光のせいもあって詳しくはわからないが、生活できる家財道具がそこここに並んでいる。


 山崎は思い切って数歩前に足を踏み入れた。


 畳の上には有に百を越えるのではないかという本が散らばっている。


 それらを目線で辿っていくと、部屋の隅に何やら人の気配を感じた。



「高井さん! ちょっと……」

「あん?」


 高井も縁側から一歩部屋へと近寄る。

 しきりに手で呼ぶ山崎を訝しげに見て、彼が見ている方へと視線をやった。



「……ふっ……うう……」



 すすり泣く声がカビ臭い部屋に染み込むように響いている。


 部屋の隅に見える人影に、二人はよく目を凝らした。



 歳の頃は十四、五くらいだろうか……少年が一人、泣きながら座り込んでいた。



「ど、どうします?」


 山崎がうろたえながら息を殺して高井に問う。高井は目も合わせずに口を開いた。


「事情聴取だ」


 驚いて高井を見つめる。あんな少年に?


「嘘でしょ? とても何か聞けるようには見えませんよ」

「わかってる。大体の正体は予想ついてんだ」


 高井の言葉に「どういうことですか?」と聞くが、直接の返事は無かった。

 ずかずかと土足で踏み入る高井。少年と離れたところにある机の上を見た。


 鮮やかな水彩画やデッサンを描いた画用紙が数十枚並べてあった。



「山崎、よく部屋を観察してみろ。この家は恐らく……」

「……竹内の家?」


「そうだ」と言い放ち、部屋の真ん中に投げ出された一冊の本を拾う。


 なかなか難しい内容だった。きっと学生達が試験で泣きながら読むような、厄介な文学史だ。



 これは、この少年の物か?



 山崎に歩み寄って、肩を叩いて庭へと降り立った。


「高井さん」

「そいつを落ち着かせて車に乗せるんだ。いいな、暴れるようならワッパかけてもいい」

「どこへ行くんですか」

「原田さんに報告」


 言うが早いか、さっさと門を抜けて出て行ってしまった。


「ちぇっ。しょうがない。皆さん、お願いします」


 遠巻きに見ていた他の連中は、山崎の指示で違う部屋へ入っていった。



 高井は先に車に乗り込んで、窓から煙草の煙を漂わせた。


 ──十五年前の、あの事件か……。



 十五年前、高井は警視庁に勤める原田とともに都内に住んでいた。

 それどころか、竹内の犯した十五年前の犯罪をその眼で目撃していたのだ。


 身体が震え、身動きができない。そうこうしているうちに、原田は自分のせいで他県の配属へ飛ばされた。


 未熟さ故に犯人を取り逃した俺たちは……。



 さっきの少年。きっと、彼は……。


 十五年前のあのとき、竹内の人質になった赤子だ。



 高井は車を走らせ事件現場に戻ってきた。


「原田さん!」

「おお、高井。どうだった?」

「少年を一人見つけたので、山崎が署に連れて帰ります」

「少年?」


 原田が目を見開いて聞き返すと、高井は答えを差し出した。


「やはり、あの事件の赤子でしょう」


 高井の声を意識して噛み締める。


「あのときの……か。十五年間育て続けるとはな。既に殺されているかと思っていたが……」


 驚いているのは皆同じだった。


 まさか、竹内があの事件のときに誘拐した赤ん坊が、十五年間生きていたなんて──。



「育てられたなんてもんじゃないっすよ」


 高井が部屋を思い返しながら呟く。


 薄暗い部屋。湿った空気。隅でうずくまる、やたら細い少年。

 そのすべてが、生活感とかけ離れていた。



「何だって?」

「あれは──監禁です」



 山道をくねり降りていく車。山崎は言われた通り少年を乗せて署に向かっていた。


 声をかけると、少年は抵抗せずにおとなしくついてきた。意外な態度に警戒心を解けきれてないのは山崎の方だった。


「名前なんていうの?」


 バックミラーで少年を確認する。


 見た目は女の子のように肌が白い。手足も細く、筋肉が見当たらなかった。かなり幼くみえる顔つきだ。

 黒髪よりも少し薄く茶色がかった髪の毛はざっくばらんに切られており、くせ毛の流れがパーマネントのようになってはいるが、不潔な印象は与えなかった。


 少年は山崎の質問に答えない。車内に重苦しい空気が漂う。


「なんて呼べばいいのかな。教えてくれない?」

「……しんいち」

「えっ」


 少年が声を発した。

 厚く小さな唇から漏れたのは、変声期の来ていない高い声だった。



「……名前。真一」



 山崎は嬉しくなる。少年の瞳の奥にあるものは、年相応に純粋な色を持っていた。


 しかしあまり変化のない表情は、彼にある不安や怯えをも表面化させている。



「そっか、真一くんだね、わかった。僕は山崎進っていうんだ。よろしく!」


 またしても静寂に包まれる車内。山崎は一人空回りをしている。


 バックミラーに映る真一は、微かに瞳を輝かせながら外の景色を見つめていた。


 そうか、あの部屋の様子を見てわかったけれど、やっぱり外には滅多に出ていなかったんだろう。



 山崎の頭に「監禁」の二文字が浮かぶ。



 高井さん……これは一筋縄ではいかないみたいですよ。



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