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〜シックス〜  作者: 悠栖
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新しい道

 弥央が病室に入ってから約一時間後、真一が目を覚ました。


「真一っ」


 うっすらと目を開く真一に駆け寄った。弥央の姿が霞んだ視界に映る。


「弥央、なんでここに……」

「大谷さんから高井さんに連絡があって、ついてきちゃったの」

「そんな……せっかく退院したのに」


 変だね、と言って真一は笑った。弥央は安心して涙を流す。


「弥央って、たくさん泣くね」

「真一が心配だったのっ」

「どうして?」

「どうしても。何もないのね? 大丈夫?」


 真一は少し考える仕草をして、また微笑んで弥央を見つめた。


「大丈夫だよ。何も心配ないよ」


 弥央は「良かった」と呟いた。


 真一は自分を心配して泣いている弥央を見て、今までにない感情を覚えた。

 なぜだか心臓が高鳴る。


 喜び? 嬉しい……? 自分のせいで泣いているのに?


 真一はそこまで考えて、思考回路を止めた。


「な、泣かないで? そうだ、僕もうすぐ退院するんだ」

「本当?」

「うん。だから大丈夫」


 退院したら真一はどこへ行くのだろう。たった一人で暮らすのだろうか。


 ここ最近弥央はそんな風に真一を心配していた。実のところアパートを借りようかと思ったのも、真一にいい道標になればいいかと思ったのだ。


 弥央は次の瞬間、自分でも思ってもみなかったことを口にしていた。


「真一、私の家に一緒に住む?」


 真一は驚いて声が出なかった。弥央の顔付きは至って本気だ。


「私達、いつまでも原田さん達のお世話になってちゃいけないと思うの」


 真一は少し前に高井に聞かれた言葉を思い出した。


 この先どうしたい……?


「いつかは一人で暮らさなきゃいけないもんね……」

「まだ先でもいいよ」


 不安げな瞳を弥央が捕らえた。


「二人で協力して生きていこうよ」




 取り調べ室には、原田と高井、大谷と山崎の四人が揃っていた。


 大谷はふらふらと室内を歩き回り、山崎は伊藤隆吉の身元や情報を調べていた。

 原田と高井は向かい合って座り、ただ黙りこんでいる。


 高井が沈黙を破り、原田に話しかけた。


「よう、原田さん。こいつは何罪だ。数えきれやしねえ」

「高井……他の人に聞いて?」

「あんたそれでも捜査本部の一員か!」


 高井が勢いで机を叩くと、大谷が歩を弱めて間に入ってきた。


「ふざけるのも程々にしなせえよ原田さん。取り調べできる状態の時にここで何度か脅したら、あっという間に無期懲役の罪が出来上がりますよ」


 つまり下手に弁護士をつける前に、全てを尋問にて自供させようという計画だ。


「むごいよ大谷くん」

「何言ってんだ、そんな仕事あんただって何偏もやってきただろ」


 大谷は何をいまさらとでも言うように、変化の無い表情で話し続けた。


「押しに弱い奴が刑務所行きを承諾するのなんて見慣れてる。それが例え警察の私情のせいでもな。冤罪ってやつが怖くて犯人脅すんだからね」


 どっちが悪者なんだか……と最後に付け足した。


 辺りが静寂に包まれる。

 原田は、普段にはない真面目な顔で大谷を見据えて口を開いた。


「俺はそんな警察が大嫌いで仕方ねえ。だがな、正義じみた事言ってるうちに周りからは白い目で見られるようになるんだよ」

「そのとおりですねえ」


 大谷が相槌を打つ。原田は更に続けた。


「仲間に信用されなくなっちゃお終いだ。わかるだろ? だから俺達は犯人にとっておきの罪突きつけて見送るんだよ」


 すると大谷は立ち止まり、原田を見つめる。


「相変わらず嘘をつくのが下手な人だねえ」


 原田は目を丸くして大谷を見た。間抜けな顔だ、と大谷は笑った。


「そんな後味の悪い嫌な役を俺達にさせまいと、厳しい顔見せてんだろ? バレバレなんです」


 気が付くと、他の二人は堪えきれなかったのか下を向いて笑っていた。

 どうやら下手に弁解しないほうがよさそうだ。原田は諦めて話題を変えることにした。


「まったくお前らは……わかったよ。とりあえず覚醒剤から洗っていけ。問い詰めるうちに不法侵入、家庭内暴力まで吐かせるんだ。頼むぞ」

「あれ、どこ行くんですか?」

「……煙草」


 そして原田は部屋を出ていった。


 大谷と高井が顔を見合わせて笑っていると、山崎が調査を中断して二人に振り返った。


「あの、財布の中に入ってた薬のゴミと診察書で調べてみたんですけど……」

「ん? 何を?」


 伊藤はどうやら何かの病気の治療中だったようだ。山崎が見解を述べる。


「そこの病院に行かないと確認できませんが、おそらくHIVに感染してるのかと」


 二人の顔が硬直した。


「……伊藤隆吉が……エイズ?」


 大谷は固まったまま山崎を見た。高井の表情にも驚きが隠せないようだ。


 そこで山崎はあるだけの知識でフォローを入れる。


「でも普通の生活で伝染する可能性は無いに等しいですし、目立った症状もないですよね。多分今の段階は免疫力を維持してるのかと……」

「注射の回し打ちでは感染するよな?」


 高井が山崎に顔を向けた。一見冷静な素振りも、瞳を覗けばそこには深い怒りの炎が燃えたぎっている。


「どういう事ですか? 伊藤は誰とそんな危険な……」

「真一だよ」


 高井が言って吐き捨てる。煙草の火を灰皿に押し付けた。


 山崎はデスクに両手を叩きつけ、派手な音をたてて立ち上がった。


「……やっぱ、誰でもそうなるよな」


 高井は一人呟き、切れた煙草を買いに部屋を出た。部屋には立ったまま動けなくなった大谷と山崎が残った。



 就寝時間まであと少しの病室で、弥央は一人考えこんでいた。


「真一の養育費二百万は原田さんが預かってて……仕事探さなきゃ貯金は崩すの嫌だし……」


 なんだか脂汗が浮いている弥央だが、すぐに視線は今しがたトイレから出てきた真一に向けられた。


「大丈夫? やっぱりまだストレスとかで体調悪い?」

「わかんない。でも、大丈夫だよ」


 そう……と呟いて、ベッドにそっと体を乗せる真一を見守る弥央。


 弥央は真一が伊藤隆吉に覚せい剤を打たれた事を知らない。ただ数日前のドラッグで体に負担が残っているのだろうと思っている。


 しかし、真一がまた何か心に病んだものを背負ってしまったとは感じていた。少しのよそよそしさと、輝きの鈍い瞳──。


 だが、弥央は無理矢理聞き出そうとは思わなかった。心の中からただ真一の側に居たい、と思っていた。


 高井さん……あたしが今一番考えてるのは、この子だよ……でも恋かはわからないの。弟のように思ってるのかな。


 ただ、あたし達二人が出会ったのは確かに……運命、かもしれない。



「原田さん、こりゃあマスコミの対応が怖えな」


 高井は原田の居る喫煙所へと向かっていた。


「修か。そうだな、早いとこ刑務所に送り出してえな」


 またも疲れ気味の顔で自分の名前を呼ぶ原田に、高井は思わず苦笑した。


「何だ、仕事モードは終わりか?」

「お前らの方が取り調べ得意だろ? 上司には楽させなさいよ」

「わかってますよ、原田さん」


 そんな高井を見て、原田は「お前も変わったな」と言葉を漏らした。二本目の煙草を取り出している。


「今回の事件に関わった奴ら、皆変わったよ。全ては真一から始まったんだな。あいつがあの夫婦の間に、あの病院で産まれた時から何かが始まったんだ……」


 竹内が真一を育てた時間も、俺達親子が離れた時間も、全部今に繋がってる。


「みんな成長しただろう。辛いこともあった。目を背けたくなる現実も……だが逃げない強さを持っている」


 原田はぽつぽつと語った。高井は側で静かに聞いていた。相槌ひとつも打たず、視線を向けたままで。


「素直な気持ちってのを教わった気がするよ」


 そして高井もぽつりと言葉を溢した。


「本人は何も気付かないもんだな……」

「まあな。それが純粋な心なんじゃねえのか?」

「ははっ、確かに。……あんたはむちゃくちゃ純粋だ」


 高井は悪戯に笑った。


 翌日、真一と弥央が高井に連れられて署に戻ってきた。

 高井は口数の少ない真一を心配していた。顔色はまだ悪い。


「真一、本当に体は大丈夫なのか?」

「うん、平気だよ」

「そうか……昨日も大変だったのにな。少しは落ち着いたか?」

「昨日? 何が大変なの?」


 高井は立ち止まり振り返って真一を見た。


「何って……昨日大谷と一緒に居たんだろ」

「大谷さん? ……覚えてないけど。昨日起きたら居てくれたのは弥央だよ?」


 ねえ、と弥央に向けて答えさせる真一。だが弥央にも本当の所はわからない。


「真一……どうしたんだよ、なあ。お前忘れたわけじゃねえよな。退院してきて大丈夫かよ……」

「そんな言い方酷いよ高井さん。折角退院できたのに……」


 弥央が高井に抗議するが、真一はそれを制止して口を開いた。


「僕たち二人で暮らしていきたいんだ」


 高井は突然の言葉に驚きを隠せなかった。

 何を考えてるんだ。弥央の目を見つめる。


「おい、弥央お前止めろよ」

「……ごめんなさい、私が言い出したの」


 高井は弥央と真一の繋がれている手を見た。

 予測もつかなかった事が、今現実に起きている。その感覚に眩暈が襲ってくる。


「だから、高井さん。早く僕の戸籍何とかしよう」

「あのな、真一……お前の父親が見付かった。身元調べりゃ伊藤の素性もわかる。だけどまだ複雑なんだよ。母親も見付け出して、ちゃんとお前に会わせたい」

「父親? 母親? ……嫌だ、僕のお父さんは竹内さんだ。僕は竹内真一だ。行こう弥央」


 真一は弥央を引っ張り、高井の目の前から去っていった。


 愕然とした。こんな終わり方あるかよ。問題が一切解決していないまま、彼ら二人はここから姿を消すのか。


 高井は気分を落ち着かせようと煙草を取り出したが、ライターの石をどれだけ削っても火はつかない。オイル切れだ。


「親父……どうしたら……」


 高井の叫びは降り始めた雨の中に消えていった。



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