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〜シックス〜  作者: 悠栖
20/38

斎藤香織

 記者に電話をしたところ、あの女が病院に運ばれたことは知らないようだった。

 病院にはまだマスメディアは来ない。計画を確信すると、笑いがこみあげてきた。

 あの男に借りた警服は、とっくに燃やした。


 だが、あの女は死んでいない。という事は失敗だ。失敗に終わっているのだから、捕まっているのかもしれない。

 もしも、自分の事を言ってしまっていたら──。焦りを感じた。早く用を済ませてここから逃げよう。


 眠る少年の袖をまくりあげる。今からまた注射針の痕が増えるのかと思うと、ぞくりと背中を電気が走り抜けた。


「そうだ、どっかで会ったと思ったんだ」


 後ろから急に声が響いた。動揺して注射を取り落とす。


 なぜ。しくじった。しっかりと鍵はかけたはずなのに──。


「これ、預からせてくださいよ」


 注射は拾われた。顔も見られた。絶体絶命だ。


「そんな特徴持って犯罪犯しちゃまずいでしょう。ねえ、看護士さん」


 そっと自分の顔に人差し指を当てる刑事。よくよく見ると、それは自分の顔のほくろの位置だった。


「斉藤香織、麻薬所持及び傷害の疑いで逮捕する」


 ナース姿の斎藤香織に、手錠がはめられた。


「……あの男が喋ったの」


 香織が震える声で大谷に問いかけた。


「小杉が吐いたみたいだぜ、洗いざらい全部な。楽なもんだろ? 聴取では言われることにただ頷いてりゃいい」


 今朝までは気付かれなかったのに。なんて失態──。香織は心で激しく地団駄を踏んだ。


「よくもまあ、堂々と病室に入ってこれたもんだよな」


 まじまじとその姿を見つめる大谷。

 真一に優しく語りかけ、刑事たちを起こした天使のようなナースは偽りの姿だったということになる。


「さあ、行くぞ」


 真一の描いた似顔絵は病院内ですぐに見つかった。

 同僚の看護士達が反応したのだ。


 大谷は直ぐ様作戦を立てた。真一を部屋に一人にすれば相手が行動に出るだろうと、わざと部屋から離れて様子を見守った。

 案の定、真一の担当看護士が捕まったのである。


 山崎も大谷の作戦に応じてわざと部屋を離れていた。

 大谷が斉藤香織を連れていったあと、再び真一の警備に戻った。


「真一くん、もう大丈夫。犯人は捕まったからね」

「今朝のお姉さんでしょう?」


 今朝の、という言い方に山崎は疑問を持った。


「……まさか、最初からあの看護士だって知ってた?」

「ううん、さっき思い出した」


 さっきって、いつだよ……。山崎は拍子抜けして肩を落とした。いつもいつも、この少年は気まぐれで突然だ。


 だけどもっと突然なのは男よりも女のほうかもしれない。


 病室の扉がノックされた。

 山崎は犯人が捕まったばかりで気が緩んでいたのだろう。相手を確かめるより先に、病室の扉を開けた。


 廊下に居たのは、車椅子に乗った弥央だった。


「こんにちは」

「弥央ちゃん」


 弥央は包帯をぐるぐると頭に巻かれた状態で、警備の警官と一緒にやってきていた。


「ね、昨日言った通り。顔だけでも見たいの」

「そんな、急に……」


「山崎さん?」

 真一の声が響いた。


 こんな時ばかりタイミングが悪い。今偶然寝ていたならどんなに気が楽だったことか。


 車椅子は警官に押されて真一の部屋へ入っていく。

 真一は目を真ん丸く見開いて、ただただ弥央を見つめていた。


「真一くん……」

「あ……」


「ごめんね。どうしても謝りたかったの。ごめんね」


 まさか再び弥央と会えるとは思ってもみなかった。


 自分は彼女と顔を合わせていいのか? 余計に悲しませてしまった筈なのに。

 真一の顔が微かに曇る。



 ──会いたきゃ会えばいいじゃねえか。



 大谷の言葉を思い出した。

 ただひとつ言えるのは、彼女はもう泣いていないという事。



「……いえ」


 真一はふわりと花が綻ぶように笑った。

 その純粋な笑顔に弥央の頬も弛む。


「体 大丈夫?」

「うん。あなたこそ、頭が……」

「弥央」

「え?」

「私の名前。教えたでしょ? 弥央って呼んでね」

「あ……」


 今になって思い出した。初めて会ったときは確か、弥央は声が出なくて筆記で会話したんだ。


「声……」

「うん。声も出たんだから怪我もすぐ治るよ。真一も早く元気になってね」

「ありがとう……。弥央も元気になって」


 五分ほど喋ると、再び弥央は警官に連れられて部屋を出ていった。真一は姿が見えなくなるまで手をゆっくり振り続けた。


 遂に二人は理解し合ったのか。

 二人の世界に入ることのできなかった山崎は複雑な気持ちでうつむいていた。


 ──嫉妬しているのか、俺は。


 顔をあげずに、目線だけで真一を盗み見る。


 真一の瞳から大粒の涙が溢れていた。


「えっ? 真一くん……どうして泣いてるの」

「わからない……」


 そして小さく「嬉しいのかも」と聞こえてきた。


 真一は目を伏せてぽろぽろと涙を流していた。

 それは、悲しい涙ではなかったのだ。


 チクリと針が刺さるのを感じた。山崎の胸に罪悪感に似たものが植え付けられた。


 真一は純粋に感動している。涙を流している。

 なのに自分はそんな子に対して嫉妬心を持ち、二人の会話もろくに聞けなかった。こんなに浅ましいやつはいない。


 二人で病室に居るのが、正直辛かった。



 小杉と香織は別々の部屋で同時に事情聴取が始まった。これは両方の意見が食い違うことのないようにするためだ。

 小杉のもとには高井、香織のもとには大谷が尋問役としてついていた。


「二人の被害者は自宅から保護した。最初から白石弥央が目的だったのか」


 高井が小杉を睨み付ける。


「陽動作戦か」


 小杉は何も言わない。高井は容赦なく脅しにかかった。


「斉藤香織も同時に聴取されてる。乱暴な扱いにしてやろうか」

「やめてくれ!」

「じゃあ一言でもいいから話すんだな」


 小杉は下唇を噛んだ。しかし聴取の厳しさは職場なので十分理解している。話す方が身のためだと思った。


「……三年前の夜中、見回りをしているときです」



 三年前 地域生活安全課である小杉は、年々増加する若者たちの夜の犯罪を取り締まるために、徘徊する少年少女たちに話を聞いていた。

 その中で斉藤香織と出会った。


 私服でモーテル街を見回る中、一台の車が猛スピードで駐車場から飛び出してくる。


「逃げんなよ! 金払えって」


 それを追うように女性もまた走って駐車場から出てきた。長い髪が濡れている。


 正直面倒くさかったが、ここまでわかりやすい台詞を吐かれたなら、検挙の数稼ぎになると思って声をかけた。


「逃げられたの? 金もらえずに」


 すると女性が凄まじい形相でこちらを睨みつけてきた。

 しかしその後は小杉をまじまじと見つめる。その目に妖しい光が映りこんだ。


「一人で怪しいわね。あなたでいいわ」


 ぎゅっと手首を掴まれて連れ込まれそうになる。慌てて小杉はその手をこちらから掴んだ。


「あのね、僕警察」

「警察?」


 胸のポケットから警察手帳を出して提示した。だが女は怯むことなく再び引っ張りだした。


「ちょっと! おたく援助交際でしょ?」

「お金はもらわない。丁度いいわ」


 小杉にはその女性の言ってる意味が何一つ理解できない。

 だが、相手が美人で妖艶的な魅力の持ち主であることは明らかだった。


 泊まりの予定である部屋の扉が開かれ、中を覗く。

 乱れたシーツに濡れたバスタブ、つけっぱなしの有線放送。

 小杉は簡単に刺激された。


「ねえ、お願い聞いてほしいの……何でもするから」


 シャンプーの香りがする濡れた髪。最早理性は吹き飛んでしまった。

 ただ広いだけの洒落た気配もない部屋は余計に男を体の内側からひきずり出される。


 もつれこむベッドを見下ろし、甘い悲鳴が響き渡った。



「──十五年前? しかもそれ東京じゃないか」

「当時はね」


 その女、斉藤香織を抱いてしまった小杉は後ろめたさもあって話を聞いていた。


 だが、それとは別にもう少し一緒にいたいという思いが生まれていたのも事実だった。


「本当にその男の子と姉弟なの?」

「お母さんの子どもだもん。攫われたときは結婚してなかったけど、あたし達は同じお腹から生まれてきてる」

「どういう意味?」


 煙草の紫煙を一気に吐き出して灰皿に押し潰した。


「あたしの両親はあたしができたときはまだ結婚してない。お母さんの浮気だったの。

 そんときの旦那がまたえらく暴力的なやつでさ。六年ぐらいしてからかな、お母さんが逃げてきたのは」

「そうなんだ……。でも、俺にどうしろっていうの?」

「あと三年で時効なのよ」


 香織の手には、口紅のついた煙草が挟まれている。


「でもあたし知ってるの。そいつが攫われてもまだ生き延びてること」


「そんな馬鹿な。十五年だよ、殺人犯だろ」

「見たのよっ」


 香織はムキになって高音で叫んだ。


「この目で見たの。家の中の人影を」


 思い出して怒りで震える香織。


「そんなの悔しいじゃない。お母さんの前の旦那がまた出てくるかもしれない。それだけはいや。だったらあたしが殺す」

「警察の前で滅多なこと言うなよ」


 小杉が肩を落として溜め息混じりに吐くと、香織は蛇のように彼に絡み付いた。


「もうあなたは逃げられないわよ」


 小杉も自分で薄々感付いていた。

 もともと警察になりたかったわけではない。何とか就職できる道を探したが、同僚に溶け込めず暗中模索の日々だった。


「大丈夫、できる限りのお礼はするから。それにあなた初めてだったみたいだし、付き合ってあげる。警察にも女は必要でしょ?」


 苦い唇でキスされても気にならなかった。美人は煙草も似合う。


 それからも二人は密会を続けた。小杉はどん底まで堕ちていくしかなかった。


 三年後の現在、香織は看護学校を卒業して病院で働いていた。

 小杉の署に真一が来たと知ったときは、驚きと嬉しさで全身が打ち震えた。


「殺すのか?」

「さんざん待たされたんだからちょっといたぶってからにする。これ取り付けてよ」

「小型カメラ?」


 何故こんな物を看護士が持っているのか。香織は不思議がる小杉に答えた。


「ナースは副職にそんなこともするのよ」


 含んだ物の言い方。男を悦ばせる為だとわかった。


「なんでだよ、やめろよ。そんなに男と寝て楽しいか」

「今回のことが成功したらあんた一筋にしてもいいわよ」

「……本当か」

「この映像はあの男に送りつけるの」

「あの男?」

「伊藤隆吉」


 香織の瞳が、一層 妖しく光った瞬間だった。


「男の子の父親?」

「一人で何してんのか知らないけど。子どもに注意を引かせて、あたし達家族を楽にさせて」


 悔しげに呟いた後、小杉を見つめて口角を上げた。


「あんた、あたしが欲しい?」

「……わかりきった事を」

「手引きしてくれる?」


「何を」問うと首筋に手のひらが添えられた。


「そもガキが居なければ良かったのよ。邪魔者を一緒に消して欲しいの」

「殺しを手伝えって」

「小細工を頼むわ」


 二人の唇が重なる。小杉が深さを増そうと前のめりになると、京遊びの様にするりと腕から逃げられた。


「あたしの為に、誰か殺せるの?」


 ふん、と鼻で笑われる。

 小杉の狂気は その一言で見事に引きずり出された──。



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