真実の傷口
白い壁に、白い天井。部屋にはうっすら消毒液の匂いがする。
目に飛込む光に眩しくて眉をしかめた。さっきから、誰かが名前を呼んでいる。
「ん……」
「起きたか」
名前を呼び続けていたのは、真っ先に飛んで来てくれた人だった。
「高井さん……」
「ああ、大丈夫か? 今先生を呼んでくるからな。大人しくしてろ」
それだけ告げて高井は出ていった。
どうやらここは病室らしい。
「弥央、痛いところはないか?」
「原田さんも……またごめんなさい」
「いや、同じ事件を追ってたんだ。弥央が狙われていたとは気付けなくて、すまなかった」
「私はどこを怪我したの」
「頭だ。頭を殴られた。ナイフの柄の部分で」
「そっか……」
「そんなに喋って大丈夫なのか?」
「うん、不思議と元気」
高井が医師を連れて入ってきた。説明を聞くと、頭を二針縫ったらしい。
長い黒髪の感触は気付かぬうちに消えていた。
「お前を襲ったやつはもう捕まえたから、安心しなよ」
「ありがとう……あの……」
弥央は意を決して気になっていたことを聞いた。
「真一くんは、軟禁されていたの……?」
弥央の衝撃的な言葉に、原田と高井はすぐに反応できなかった。
「男がそう言ったのか?」
原田が見つめ返すと、弥央は小さく頷いた。目線は伏せたままだ。
「……ああ、そうだよ。弥央の事件の日に解放されたんだ」
弥央の脳裏に、葬儀での真一の言葉がよぎる。
僕のために、僕のせいで──。
そんなことを言える立場ではないだろうに……。
「私……謝らなきゃ」
「何を?」
「何も知らずに、叩いたりして……」
すると高井が口を開いた。
「歩けるようになったら言えばいい。連れてきてやる」
原田は驚愕の眼を高井に向ける。弥央はそれには気付かなかった。
「ありがとうございます、高井さん」
「じゃあ弥央、長居するわけにもいかんし、今日は遅いからゆっくり寝るのがいい」
「はい」
二人は早々に切り上げ、病室は弥央ひとりきりになった。
廊下に出た途端、原田の顔は険しくなる。高井の予想通り、原田は焦っていた。
「高井、いつになるのかわからないのにあんなことを」
「同じ病院に居るとは言ってませんよ」
「そんなこと知ったら余計気にするだろ?」
「だからわかってます。真一には大谷もついているし」
珍しい二人の口論の種は、真一の被害だった。
二人が弥央の元に向かった後、嫌な予感がして小杉を捜しに行った大谷はあまりの勘の良さに自分を恨んだ。
小杉を捜している途中、突然不安が襲い真一の部屋を訪れたのだ。
「入りますよ、真一。真一っ」
大谷は乱暴に扉を開ける。
そこには、壁にもたれて青白い顔をして泡を吹いている真一の姿があった。
「真一っ!」
大谷は慌てて駆け寄った。
仕事柄大谷にはこの状態を見てピンとくるものがあった。真一の袖をめくりあげて腕を見ると、そこには数箇所の注射の跡。
予想通り、麻薬だろう。
慌てて呼んだ山崎が医務室から人を連れて帰ってきた。
「山崎、これは病院行きだ」
「わかりました」
「それから、小杉が怪しい。原田さんに連絡だ」
大谷は真一の身なりを整え、おぶって山崎の車に乗り込んだ。
車内は終始無言だった。言い表せない怒りが二人を取り巻いていたのだろう。
病院に着いて、二人で真一を支えながらゆっくりと歩いた。
「……大谷さん、離していいですよ」
だが、大谷は撫然として山崎に答えない。
「そんな顔してないで、ここで待ってて下さい。ね?」
山崎は真一を連れて受付に行き、大谷はその場に立ち尽くして様子を見ていた。
あっという間に真一に処置が施される。山崎は大谷を呼びに向かった。
その直後、一台のパトカーが外に停まるのが見えた。そちらに目を向ける。知った顔を見つけた。
「高井さん!」
「ああ大谷、お前の読みは当たった」
「小杉は?」
「仲間が捕まえた。弥央が襲われた時の目撃者もいる」
「弥央ちゃんが?」
山崎は廊下の先に連れて行かれた弥央を見送る。高井は声のかけようがなかった。
「……行ってくる」
山崎の横を通りすぎる。高井は罪悪感でいっぱいだった。
しかし何故小杉は真一を盗撮し、弥央に傷を負わせたのか? 何か一連の事件に関与しているのか……。
真一と弥央が病院に運びこまれて六時間が経過した。
眠り続ける真一の横で同じく、大谷も久しぶりに眠っていた。
この事件に関わってから、二時間以上睡眠をとるのは初めての夜だった。
「山崎……?」
大谷は誰かが部屋を出ていく気配を感じた。目を覚まし病室を見渡すと、やはり山崎の姿がなかった。
「ああ、あっちに行ったのか」
山崎はその頃、弥央の病室を訪れていた。
数回ノックをすると、か細い声が「はい」と応答した。
「お邪魔します」
「あ……山崎さん」
微笑んで、ベッドの弥央に近付いた。椅子を引き寄せて側に座る。
「どう? 具合は」
「まだ動けないけど、意識はしっかりしてます。山崎さん、今日は仕事終わりですか?」
「うん、まだだけどね。ちょっとこの病院に来てるんだ」
「え? どうして?」
「まあ……事件が続くからね」
少し後ろめたそうな返事に弥央は首を傾げた。
と同時に、もしかすると──という疑念がよぎる。
「真一くんですか……?」
「え?」
「いえ、さっき高井さんが言ってたような気がして」
もちろん高井から真一の名前など聞いていない。しかしずるい言い方を選んでしまった。結果、弥央は山崎を騙す事になる。
「ああ、聞いてたの。そうだよ。ちょっとこれから付き添うことになるからさ」
「私、真一くんに会いたい」
山崎は突然の申し出に驚いた。
「それは、弥央ちゃんが無理だよ」
「いや、どうしても会いたいの……」
しゅんとする弥央に胸が痛んだ。
望むとおりにしてやりたいけれど、弥央の体の為にはならない。ここははっきりと明言しておかなくては。
「弥央ちゃんが元気になってからじゃないと駄目だ」
それきり弥央は黙ってしまった。
もうそろそろ部屋を出てやらないと弥央も眠れないので、山崎は優しく声をかけて部屋をあとにした。
弥央はわかっていながら、山崎を無視した。どんなに優しくされても、今の弥央の頭の中には真一のことしかなかった。
早く会って謝りたい。確かめたいと──。




