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〜シックス〜  作者: 悠栖
17/38

二つの事件

 弥央は警官に連れられて、原田の部屋にやってきた。


「おう、弥央! 待ってたぞ、どうだ? 調子は」

「おかげさまで。今日から実家へ戻ろうと思ってます」

「そうかそうか。もう大丈夫なんだな」

「はい」


 会いにきて良かった、と弥央は心から安心した。原田さんの声を聞いていると、なんだか深く安らいで懐かしい気分になる。


「原田さん、捜査に行かないと……」


 声をかけたのは、高井だった。


「弥央?」

「高井さん、お久しぶりです」

「すっかり元気になったな」


 高井は原田とは逆に無表情で挨拶をした。

 昨晩勢いで抱き締めた気まずさが本人の中にあるようだ。だが、その頃から名前を呼び捨てにしている事については気付いてないらしい。


「原田さん、もう先に出てるやつが居るぞ」


 高井が原田を促す。まるで仕事に集中しろと言わんばかりだ。だが原田はおかまいなしに笑顔で事情を説明した。


「弥央がな、今日からもう家に戻るらしい」

「……あんな広い家にか?」


 高井は原田と違って少し心配そうな顔をした。

 実はそれは、山崎の動揺にも似ている。


「それじゃあ、お仕事もあるみたいですし、これで」

「ああ、また来なよ」


 その空気に遠慮して、弥央は切り上げた。声をかける原田とは対照的に、高井は去る姿を追うこともなく床に目を伏せた。

 真上から照らす太陽が眩しく目を細めさせる。


「行くか」

「ああ」


 原田と高井は別の事件を捜査していた。


「原田さん、聞き込み始めようぜ」

「それじゃあ三チームに分かれるぞ」


 今朝八時頃、署内で会議が行われた。事件の内容は、女子大生を狙った誘拐事件。私立女子大学がある区で発生している。

 季節的に暗くなるのも早いので、学校側も対応に困っているようだった。


 そして犯人を特定する事が出来ないまま、昨日遂に二度目の被害が出てしまった。


「被害者は二人とも二十歳。共通点は長い黒髪だ」


 原田と高井の元に、聞き込みに行った警官が戻ってきた。


「やはり手口や目撃証言から、前回と同じ犯人ではないかと思います」


 目撃証言とは、一人の男性。中肉中背で小綺麗な格好をした好青年だという。


「服装は、黒のジャンバーと黒のスニーカーが一致。背格好も一致です」

「容疑者を絞ろう。B班は前科のある者との照合を頼む」


 原田は指令を下した後に、部下と話していた高井を呼びつけた。


「高井、前回と今回の被害者の相違点は?」

「報告書三ページ目、第二段落。前回はグリーンのワンピース。今回は白いブラウスに紺のスカート。服装が違いますが、髪型・体型共に共通点有り。身長も百六十五センチ前後です」


 家族から預った被害者二人の写真を見て唸る原田。


「このへんの警備を配置し直しますか」

「それがいい。目撃者がいないかもう少し詳しく聞いていこう」


 その時、高井は原田のずっと後ろからこちらを見ている人物に気付いた。


「……原田さん、こっちの住宅から聞いていきましょう」

「おう」


 原田は高井に歩み寄り、高井も反対に向き直る。


 だが、二人並んだと同時に高井は向きを変え、怪しい人物に向かって走り出した。

 怪しい人物は焦って逃げ出す。


 高井の足の速さは捜査部一だ。程無くして、高井は怪しい人物を捕まえた。


「何故逃げた。署まで来てもらおうか」

「あ、あんたが追ってくるからだろっ」


 高井はすぐ側の電信柱に、暴れる男を押さえつけた。胸ぐらを掴み顔を睨む。

 その時、得意の勘が働いた。


「あんた、マスコミだな。三日前の記者会見に居た筈だ」

「そうですよ、只のマスコミです。早く離さないと記事にするぞ」

「今日は非公開捜査にしてある。どうしてこの場所がわかった」


 事件解決の遅れを民衆に知らせない為、また犯人に気付かれない為に今回は撮影禁止にしていたのだ。


「報道、いや、言論の自由だ」

「名刺の一枚もくれねえか?」


 尚もその男は引き下がらない。まだ若いようだった。


「取引きの仕方を知らねえな。てめえの上司に伝えろ。大人しくしねえと報道権を奪い取るぞ」


 黙りこくって唾を飲んだ記者は、震える唇で話し出した。


「……と、取引きなら可能なんだぞ。こっちは警察も知らない情報を持ってるんだ」


 高井の表情が微かに動いた。

 それまで隣で成り行きを見ていた原田が二人に近付く。


「高井、離すんだ」


 ゆっくりと両手をほどき、後退する。高井の顔は不満で充ち溢れていた。


「原田と言います。この事件の責任者だ」


 記者は、二、三度咳き込みながら名刺を原田に手渡した。


「……高井、あの週刊誌の記者だそうだ」

「何ですって」


 今にも食って掛りそうになる高井。二人の部下に前を塞がれた。


「中村さん。何が希望ですか」


 中村記者は、高井を睨みながら乱れた衣服を整えた。


「女子大生誘拐事件の特集記事を、優先的に取材させて下さい」

「……情報によります」

「もちろん。この事件の犯人について」


 原田と高井の目が大きく見開かれた。


「匿っているのか? 共犯とみなしますよ」

「違います。私がここに居るのは、ある非通知からの電話で知ったからです」

「なんと。何日の何時頃」

「優先取材を」

「ふざけるなっ」


 高井は再び中村記者に詰め寄った。肩を掴んで畳み掛ける。


「その電話の時点で警察に知らせるべきだろう、違うか。それにお前らは二日後に出版する内容に許可を出していない被害者の写真を出すつもりだ。罪になるのはお前なんだよ!」


 中村記者は怒鳴りつけられ、大きく動揺した。

 原田も一歩近付き、中村記者に話し掛ける。


「今この刑事から御聞きになった通りです。原則的に住民には無条件で協力してもらっている。もちろんお礼は十分にさせてもらってますがね」


 原田が高井の肩に手を置くと、高井は苛立ちを露にしながら手を離した。原田は続ける。


「被害者の写真とは、三日前の時効直前の逮捕の事です。それは貴殿方が記事を出すに当たって、我々の目の前に来るのは非常に不利だとは御存知かな」


 次第に険しい表情を見せる原田。中村記者の顔からは、先程までの余裕は見られない。


「中村さん。貴方が今ここに居るのは何故だと思いますか」

「それは、電話が……」

「あんたは上司が記事の差しかえから逃れる為の、エサにされたんだよ」


 高井が鋭く言い放つと、愕然とした。原田も続いて頷く。


「さあ、話を聞かせて下さい」


 警官に連れられ、中村記者はパトカーに乗り込んだ。



 廊下に耳を側立てると、静かに足音が近付いてくるのが判った。

 早めの昼休みに備えて財布でもとりにきたのか、あるいは──。


「カメラの様子がわからなくなって、焦ってんのかね」


 大谷に物的証拠はない。ただ、可能性を揃えるとこの人物が浮かび上がってくるのだ。


 ──根負けしてはいけない。


 仮にも自分は取り調べの脅し役だってこなしている。

 なまじ相手が同業者なだけに、認めさせるのは難しいかもしれない。だがここが勝負のしどころだ。


 ドアが開かれた。目的の人物であることを後ろ姿で確認すると、閉まりかけていたドアの鍵をわざと音を立ててロックした。


「小杉さん、ちょっと質問してもいいかい?」


 小杉と呼ばれた青年は、雷光が落ちたように素早く振り返る。

 だが次の瞬間、彼は不自然な笑顔で大谷を見つめかえした。


「なんですか大谷さん。急にびっくりしますよ」


 間違いない。この反応はクロだ。

 これで思い切って口を叩くことができると、大谷は幾らか安心した。


「勝手に入ったことは怒らないのか?」

「あなたが質問があるっていうんだから、それなりの事情があるんでしょう」


 小杉は動揺を欠片も見せない。大谷は相手が引っ掛かる様に努めて話を続ける。


「まるで俺が来ることが最初から分かっていたみたいだぜ」

「まさか。大谷さんはなかなか自分から話し掛けない事で有名です」

「よっぽどなんだよ。わかるだろ?」


 それまで相手に合わせて瞳を細めていた大谷の表情が一変した。


「本当はてめえだって苛立ってるんだろ? 最近何か大事なもんなくしたんじゃねえか」

「最近?」

「例えば、今朝と違うことさ」


 カシャン、と音を立てて大谷の手から黒い物体が重力に従って壊れた。

 それは細長く小さな超小型カメラだった。


「え? 幾らしたよ」

「経費の説教ですか?」

「堂々としてるな。そんなに未練のある職場でもねえだろうに」


 段々と大谷に苛立ちが募る。小杉はわざと大谷を煽っているようだ。


「悪いけどそのカメラと僕は何の関係もありませんよ」

「今更とぼけるんじゃねえよ。指紋まで見せないと納得出来ねえのか?」

「是非お願いします」


 指紋というのは、大谷のハッタリだった。こう堂々と返されたという事は、きっと最初から証拠の処理は行き届いていたのだろう。


「やってらんねえ。報告して謹慎にさせる。お前を辞めさせる手段なんて幾らでもあるんだ、覚えとけよ」


 叩き付けるようにして扉を閉める大谷。

 部屋に残った小杉は今にも崩れそうな表情をてのひらで抑え、不気味に笑い出した。


「ははっ、ははは。香織、面白すぎる」



 原田と高井は警備を配置した後、中村記者を連れて署に戻ってきていた。


「じゃあ相手のことは本当に何も知らないんだな」

「はい、はいそうなんです。僕は本当に上司から押し付けられただけだし、声も変えてた。あなた方が来る場所を告げられただけなんだ。もう解放してください」

「上司に引き取りに来てもらわなきゃな。ただし、竹内の特集を組んだ奴だ。早くしろ」


 取り調べ室での応答は三十分程経っていた。中村記者は部屋に入った途端に怯えだし、先程までくってかかっていた態度は嘘のように消えていた。


「これじゃ振り出しに戻るじゃねえか」

「写真の件は大谷が大体の見当はつけてるらしいから待ってみるしかない」


 高井と原田は見合わせて軽く頷いた。何よりも署内で撮られているのが問題なのだ。


 丁度その時、大谷が部屋に入ってきた。


「なんだ大谷、そんなに怒って……」

「わかります?」

「額に怒って書いてあるからな」


 軽口の原田にも気を回す余裕がないほど大谷は苛立っていた。しかも中村記者の事は毛程も気にしていない。


「どう考えても小杉しか居ないんですよ。ただ物的証拠がなくて」


 大谷の出した名前に高井が反応する。


「小杉か! なるほど、あいつは評判良くないからな。原田さんわかるか?」

「ああ、なんとなく聞いてるよ。ちょっと婦警に迷惑かけてるみたいだしな、話はくる」


 小杉は就業態度も悪く、どこか単独行動を取る節があった。噂の飛び交う婦警達の間でも評判は良くなかった。


「仮眠室の隠しカメラ、あいつに見せてやった。そしたら関係ないから指紋見せてみろって笑いながら言いやがった」


 大谷はまた思い出して、怒りが再沸している。


「もう完全に容疑は固まりました。謹慎させましょうよ」

「そうだな、俺から言っておく」

「お願いします原田さん」


 大谷は頭を下げ、初めて中村記者の存在に気が付いた。


「そこに居るのは誰です」

「問題の週刊誌の記者だよ」

「吊るし上げますか」


 大谷の真顔のシュールさは中村記者の恐怖を煽った。

 高井は気分良さそうに声を出して笑う。サディスト振りでは二人は意見が合うようだ。


「まあまあ。そうだ、あの記事を書いた上司がもうじき来るみたいだ」


 原田が若干下手に出ながら、本命に話を向ける。


「じゃあそっちは火焙りだ」

「おっ、高井さん、魔女狩りですね」

「いや、二人とも落ち着いて……」


 怪しい笑い声に中村記者が怯え出す。

 絶妙なタイミングで、警官が問題の記者を連れてきた。


「御通ししてくれ。中村さんは少しお待ち頂けますか」


 二人は入れ違いとなった。大谷と高井は壁にもたれ、原田が席まで案内した。


「岡田といいます。この度はうちの新人が御迷惑おかけしました」

「まあ、座ってください。二、三質問させていただけますか」


 机の上には、例のページが開かれた週刊誌が拡げられていた。


「この写真ねえ、問題なんですよ。記事を差しかえていただけますか」

「えっ? 何を言ってるんですか。貴殿方警察から送られてきたんですよ」


 高井はすかさず岡田記者へと詰め寄った。


「このような写真は確認されていない。現在盗撮として調査中だ」

「そっちの様子がおかしいから、こんな事もあろうかと持ってきた。印の押された封筒です」


 岡田記者は胸元から一枚の封筒を取り出した。高井が受け取り確認する。


「原田さん……」

「本当なのか」


 その封筒の裏には、警察署の住所と完封の印がしっかりと押されていた。

 大谷もそれを見て声を上げる。


「小杉を尋問すりゃ解決ですよっ」


 その瞬間、取調室の扉が「失礼します」の声とともに開かれた。


「原田警部補、先程の事件の新たな被害者です! 住民が目撃して犯人は逃走中」

「なんだと!」

「行きましょう!」


 ばたばたと続いて出ていく原田と高井。大谷は報告に来た警官を捕まえた。


「今朝会議が開かれたやつか?」

「は、そうです。同一犯がようやく捕まりそうですが、今回の被害は傷害事件です」

「犯人像は」

「中肉中背、三十代の男です」


 まさかとは思った。だが目を離してから一時間は経っている──。

 嫌な予感を感じ、大谷は岡田記者を警官に任せて部屋を出た。



 真一は部屋で一人ベッドに伏せていた。


 どうして僕はいつも周りに迷惑をかけるんだろう。

 本当の親に会える日はいつか来るのだろうか。


 会えなくたって構わない、どうせ最初から期待はしてなかった──。

 そう思い始めていた頃。


「真一くん」

「あ、はい」


 真一はノックされた扉へ走りより、鍵を開けた。

 ゆっくりと扉が開かれる。


「駄目じゃないの? こんなに簡単に人をいれて……」


 真一の目の前には、見知らぬ人物が立ちはだかる。その影はゆっくりと真一に迫りよった。


「誰ですか」


 大きめの警服に、深く被った帽子。声は高く、とても署の屈強な戦士には見えない。

 影は妖しく微笑んだ。


「義理の姉」


 真一は事態を掌握する事は不可能だった。


「あんたさえいなけりゃ、いまごろ……」


 女の影が真一を覆う。


 真一は声もなく意識を失った。



 バスが発進する音。慌てて坂を駆け降りるが、結局間に合わずに置いてけぼりになってしまった。

 まあいいや。急がなくたって未来は変わらない。

 これからは一人であの家に住むのだ。父との思い出が溢れる、あの家で。


 弥央は土産を渡して軽くなったショルダーバッグを反対の肩にかけなおした。


「もう帰っちゃうの?」


 突然低い声が耳を霞める。

 驚いて振り返った先には見たことのない男が立っていた。


「本当のこと知った方がいいんじゃない? 真一くんだって可哀想な子なんだから」

「誰」


 突然背中に感じる恐怖。得体の知れない声に、弥央は微動だにする事は出来ない。


「誰かなんて知る必要はない」

「大声出しますよ」


 じりじりと男が距離を詰めてくるのが分かる。

 なんでいつもこんな目に遭うのか──。


「それは困る」


 後ろから首に腕を回される。眼前には銀色に光る鋭利な刃物を突き出された。

 あの日の光景が甦り、声も出せない。


「死ぬ前に良いこと教えてやるよ」


 男は低い声で囁いた。


「知ってるか? あんたの父親を殺した竹内って男はなあ、真一を軟禁してたんだぜ。十五年間も」


 竹内と聞いて、弥央の体に戦慄が走る。


「聞こえなかったか? 真一だ、シンイチ。あの男の子は誘拐されて、殺人鬼に育てられたのさ」


 ──誘拐? 軟禁?


「知らなかっただろう。知らずに蔑んでいたんだろう。自分だけが不幸とでも思っていたか? ふふっ」


 弥央はショックで声が出ない。

 苦しい。誰か助けて……。


「被害妄想。家なんかより帰るところがあるだろ。父親のところにいけよ」


「きゃあーーっ!」


 男は驚いて声の方向へ顔を向けた。


 すると、坂の上の一軒家の二階から一人の女性がこちらを見て青ざめていた。


「ちっ」


 男が右手を振り上げる。


 避ける間もなく、弥央は道に崩れた。走りさる靴音が小さくなっていく──。


「おい、弥央! 弥央なのか」


 意識が朦朧とする中で、あの人が走ってこちらに来るのが見えた。

 ああ、この人が来てくれたら大丈夫──。


「弥央、弥央! おい、ゆっくり車に乗せるぞ」


 弥央は安心して目を閉じた。



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