さらなる夢
泣き喚く赤ん坊を抱きかかえた人が居る。手には赤い液で錆び付いた凶器だ。赤ん坊はしわくちゃの猿のような顔で耐えず声を上げていた。
「どうしてお父さんは人を殺したの?」
僕は呟く。傍観しているのは悲鳴や喧騒で騒がしい病院。だけど誰一人僕に気付かなくて、これが夢であるとどこかで意識していた。
「死人に口なしとは言いますが……」
この声は……。
「大谷さんっ?」
驚いて隣を見ると、同じように病院内を仁王立ちで眺めている大谷さんだった。
「竹内にだって家族は居たんだぜ、それこそ嫁さんや子どもが。だが他所の女との間にも子どもができちまって、竹内は大分参ってたようだ。産ませる気はなかったんだな」
違う人との間に、彼の子どもが? 初めて聞いた。結婚した人との間にしか、子どもはできないと思っていた。
それよりなんでこんな所に居るの?
眠る前に色々話をしたからだろうか。
でも今僕らが話している内容は、きっとデタラメなんかじゃなく、本当に大谷さんが把握しているものに間違いない。
これは夢の中だ。せっかくだから、もう少しこのまま話を聞いていよう。
「お父さんはどうして困ったの? 子ども欲しくなかったのかな」
すると大谷さんは腕を組んで無表情のまま唸りだした。
「うーん、既に自分の奥さんと子どもが居たから、他所の女との間に子どもができるのは家族に対する裏切りなのさ。裏切りたくなかったんでしょうね」
「なら、どうして赤ん坊の僕を連れてったのかな」
僕は一番の疑問を彼に投げ掛けた。起きてる時には聞く勇気がなかった。
僕がお父さんに出会えた事に「必然」が欲しかったから。
「それはきっと一般的に子どもってのが弱いもんだからさ。人質にしたら有利になるから、真一と逃げたんでしょう」
期待はあっという間に砕け散る。やっぱり僕が竹内さんと過ごした時間は、無駄な時間だったのだろうか。
「しかし竹内にだって子どもに罪がないのはわかってる。だから……」
大谷さんが初めてこちらを向いた。
その瞳は僕を見ているような、竹内さんを見ているような、視線の定まらないものだった。
「こっからは俺の予測ですがね? 竹内は一瞬でも、真一と自分の子を重ねて見たに違いない。いや、もしかしたら産むのを止めさせた愛人の子、殺した妊婦の子も頭をよぎったのかもな」
病院内には警察が到着していた。人がたくさん居る。
一際目立って大声をあげている男の人が居た。
「今頃来てどういうつもりだ!」
凄い剣幕だ。警察の人がひたすら頭を下げている。何処かで見たことあるような気がした。
「あれは十五年前の原田さんだ」
大谷さんがその人を指差して言った。
「怒ってるのが真一の本当の父親だ」
「本当の……」
顔が見えない。その人からは、悲しみよりも深い怒りを感じた。
体が震えている。まくしたてる口は止まらない。
そんな彼に、一人の少年が対抗した。
「一番悪いのは犯人だろ!」
「ガキは黙ってろよ!」
僕と同じくらいの歳の男の子は、怒鳴り続ける僕のお父さんに殴られて吹っ飛んだ。
「酷い……」
「あれは高井さんが悪い」
高井さん?
「親は子どもが一番大事だ、興奮するのも無理はねえ」
男の子は立ち上がって、お父さんに掴みかかっていた。一発、二発、拳を出している。
「修、やめるんだ」
「親父……」
更に大きな怒鳴り声が聞こえた。
「警察はどうなってる! 子どもを誘拐された父親を、息子に殴らせる警官がいるんだな!!」
確かに男の子が悪いけど、僕はそんなに怒らなくてもいいんじゃないかと思った。
いっそ恐怖を感じる。あれが僕の父親なんて考えられない。
「大谷さん、お父さん……さっきの竹内さんの事」
「あれは父親には見えねえか」
僕は頷いた。やっぱり僕は一緒に暮らしてきた人がお父さんだと思う。
「真一の事は、罪滅ぼしのつもりで育てたんじゃないか」
僕は代わりであれ、竹内さんの子どもになれたんだろうか。大谷さんは言葉を続けた。
「そして恐らく、育てていくうちに真一に対して本当の愛情が芽生えたんだ」
本当に驚いたときって、何も反応できないんだと知った。
まだ大谷さんの唇は動いているけれど、夢はそこで止まり、聞こえていた音は全て遮断された。
その後聞こえてきた言葉は、違う人に向けられているものだと感じた。
「人は時々生きている事がしんどくなって、逃げてこの世界から居なくなっちまったりするんだ」
「竹内もそうなんでしょう。でも……決して生きる辛さや、死ぬ事に対する疑念を持たせたかったわけじゃないんだ」
「わかってくれよ──」
最後に、誰かの名前を呼んでいた──。




