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〜シックス〜  作者: 悠栖
13/38

大谷の過去

 冷たい風がまだ吹く中で、力強く頭を出している奴を見つけた。

 あんまりにも珍しかったから、そいつをもぎとってみんなの待つ家に帰った。


「お母さん、これ花? 道にあったよ!」


 お母さんの目の前に突き出してみる。お母さんはちょっと笑ってこう言った。


「あらあら、ツヨシったら。これはつくしって言うのよ」

「つくし?」

「そう、これを見るようになると春が来たってこと」


 そうか、春がきたのか。何だかこのつくしって奴が可愛く見えた。


「育ててもいい?」

「残念だけど抜いてきて育てるのは難しいかもねえ。食材にならできたかしら……やだ、わからないわ」

「ぼく食べないよ」

「はいはい」


 お兄ちゃんとお姉ちゃんがこっちを見て笑ってた。弟たちは寝ていて、もう一人のお姉ちゃんが妹にミルクをあげてた。


 でも、本当の家族じゃない。

 僕たちは本当の家族が居ないもの同士が集まって暮らしている。だからお父さんは居ないし、お母さんも大分歳がいっている。


 なんとなくこの生活を終える日が来るのは目に浮かんでいた。


 つくしが町から居なくなって、ピカピカのランドセルを背負った小学生が外を歩く頃、僕は最年長になった。まだ幼稚園の年長さんだけど。

 なんでも子どもの居ない夫婦がお兄ちゃんとお姉ちゃんを子どもに決めたらしい。


 お母さんは「ツヨシもここを出るのかね」と寂しそうに言ったけれど、僕はそれからしばらくお母さんと一緒に居る。


 時が経ち、梅の香りがする春休み。俺は大分老けた母さんとの約束を果たせそうだった。

 それは、中学を出て働くつもりだった俺が高校に進学するということ。


 孤児院に残ったのは俺だけになっていた。可愛い弟や妹たちはひょっこり出てきた親戚や夫婦に預けられ、今年から俺も寮に住むのでそのうちに孤児院は閉鎖した。

 狭いアパートには、金を遣い切った母さんが今も一人で住んでいる。


 何故俺が引き取られなかったかと言うと、単に可愛くなかったから。

 それは見た目の問題ではない。極端な人見知りもどうかということだ。


 小学校と中学校でやっていた陸上をやめてひたすらバイトに明け暮れた。奨学金の支払いと母さんへの恩返しのつもりだった。


「大谷合コン興味ねえ?」

「ない」


 学校では孤立していた。見た目と成績だけが注目を浴びていたので、当然それを面白く思わない奴らもいた。


「大谷、ちょっと来い」


 ある時俺は生活指導に呼び出された。

 指導室には見たこともない煙草とライターが机の上に置かれていた。


「クラスの奴らから聞いてな。体育の間にロッカーを見せてもらった」

「俺は吸いません。検査してくれてもいいです」

「そういう態度は先生達にも目をつけられるんだぞ。奨学金をとりあげられたくなかったらおとなしく寮に居ろ。十日間だ」


 ようするに教師の評判も悪かったみたいだ。

 しょうがないから停学中はバイトも諦めた。


 その日の夜、寮の中で喧嘩を売られた。


「ざまあみろ」

「辞めろよ学校」


 気付いた時には右の拳が出ていた。

 最初から喧嘩腰だったので場所は外だったため、教師より先に警察が来た。


 見た感じ被害者は俺ではなかった。相手が弱すぎたんだ。


「そうか、向こうが先に喧嘩売ってきたんだな」


 俺を捕えた警官に喧嘩の経緯を話した。狭い交番の中は煙草の臭いが充満していて、そもそもの誤解を思い出して虚しくなった。


「でも暴力奮ったらその時点で負けだろ」

「……はい」


 警官は浅い溜め息をつく。目を合わせないでいると、相手が椅子から乗り出すのがわかった。


「つまんねえから刺激が欲しかったのかい?」


 急な問掛けに、「え」と聞き返した。

 警官の目は少し優しく見えた。


「いや、なんかまだ十五なのに、冷めた目してんなあと思ってよ」

「冷めてなんかない」


 何故だかその時、とても同情された気がして腹が立った。


「今の目標に向かって精一杯なんだ」

「目標って?」

「高校卒業することだよ。なのにこんな面倒な事ばかり起きて」

「卒業はお前の意思か?」


 俺はその時、はっきり「そうです」と言えなかった。

 自分でもわかっている。母さんに言われたからであって、自分自身はあまり意味を感じていなかった。


「親に電話は? どうする」

「……家族は、いません」


 警官は「どういうことだ」と静かに聞いた。持っていたペンを机に一旦置いている。


「孤児院で育ちました。今は高校の寮だし」

「そうか……しょうがないな」


 寮に帰ると、停学期間がさらに延びた。

 もうどうにでもなれという感じだ。


 一週間も経った頃、見覚えのある背広の男が寮の庭に立っていた。


「あんた……この間の警官だろ?」

「おう、覚えてたか。本当は刑事なんだがな。お前と遊ぼうと思ってよ」

「は?」

「先生に許可はとったからよ、行くぞ」

「ちょっと……」


 無理矢理背中を押され、軽自動車の助手席に乗り込む形になった。

「シートベルト忘れるなよ」と言われる。半やけくそになって従った。


「お前さんの世話になった孤児院てのはまだあるのかい?」


 かなり強引に連れてこられたけれど、どうやら駅に向かっているみたいだ。


「いえ、ないです」

「ええ? 行くつもりだったんだけどなあ」


 何を考えているんだ。思わず額を掌で抑えた。

 この間捕まえた高校生を拉致して、あげく孤児院に行くだって?


「勘弁しろよ。何考えてんだ」


 最早敬語を使う余裕もない。使う相手でもないだろう。


「ちょっと興味があったんだ」

「冗談じゃない。俺はこんなときに会わす顔がねえよ」


 刑事は少し黙って、窓を開けた。どうやら煙草を吸うつもりらしい。


「やっぱりお前が真面目なやつだって事は目に余るほどわかるんだよなあ」


 そこで俺は直感した。

 この刑事は教師たちに何か吹き込まれそうになってるんだ。

 だけど、何故そんなに俺をかばうのか。


「俺なんか相手にしなきゃあいい」窓の景色を見ながら、ぶっきらぼうに吐いた。


「俺はよ、お前が我慢して生きてるようにしか見えねえんだ」

「我慢なんてしてねえ。やりたい事もないし」

「俺、お前の欲しいモン当ててやろうか?」


 欲しいものなんてないぞ。そう思いながら、少し刑事に顔を向けた。

 でもまだこの人を信用していいのかわからないから、躊躇う所がある。こんな自分にしつこく構ってくるのは、母さんしか居なかったから。

 余計に信じることは難しい。


 刑事は息を吸って大きな声を出し俺を指差した。


「それはだな。ずばりヒューマンラブストーリー」


 誇らしげに言うその姿は、馬鹿らしさ満点だった。


「あんた馬鹿じゃねえの」


 そうは言っても、動揺した気持ちは嘘を付かない。

 心のどっかで思っていたこと。それは、家族が欲しい、友達が欲しいという事だったんだ。


「大切なものはあるか?」

「……一応」


 刑事の術中に見事にはまっていたわけだ。彼は俺の目を見てさらに心に入ろうとしていた。


「教えてくれたりするかい?」


 初めての事に動揺しっぱなしだった俺は、当然のように完敗だった。


「……孤児院のお母さん」

「よし、会いに行こう」

「嫌だ」

「どうして」

「ずっと会ってない。高校出るって約束したのに、こんな状態じゃ心配かけるだろ」


 刑事は「やっぱりな」と言って煙草を灰皿に押し付けた。灰まみれの小銭が目に付いた。


「約束だか何だか知らねえが、迷いがあるからこの間みたいな喧嘩になるんだ。全部話しちまえよ」


 言われて言葉が出なかった。

 だけど本当は俺も母さんと話したかった。言うことを聞くばかりじゃなく、俺の考えも聞いて欲しかったんだ。

 気が付けば、俺は母さんのマンションの住所を口にしていた。


 マンションの玄関前に立つ。驚かせやしないだろうか。怒られるだろうか。

 そんな心配もあったけど何より、顔が見たかった。


 インターホンのブザーが部屋に響く。だけど、扉の向こうで動く気配が全くない。

 大分耳が遠くなってるから、わからないのかもしれないな……。


「お隣は今入院しとるよ」


 ふと帰ってきた隣の住人さんが声をかけてきた。


「入院?」

 刑事が相槌を打ってくれた。


「昨日救急車が来てたから、市民病院に運ばれたみたいだよ」

「よし、そっちに行こう」


 一瞬足が動かなかった。救急車って、そんな──。


「坊主、顔見に行くだろ」


 刑事に引っ張られて走り出した。地面を踏んでいる感覚がなかった。


 市民病院で母さんの死を知ったのは、それから二十分後のことだった。


 歳も歳だから、心臓を悪くしてしまったそうだ。遺骨は引き取ることに決めた。

 もしかして俺は停学中でラッキーだったんじゃないだろうか。


 刑事はずっと側についていた。暇なのかという思いがよぎる。一人になりたいのに。

 そんな俺の心を知ってか知らずか、刑事は母さんの部屋の片付けを隣で手伝い始め、何やら語り出した。


「俺の嫁さんも昔心臓悪くして死んじまったよ。離婚してたから息子を一人にさせちまった」


 そうだったのか。何て返事をすればいいのか迷った。

 表情は淡々としていたが、嫁さんを亡くすってのは相当辛いんだろう。


「息子が黙って見送ってるのが悔しくて、泣いちまった。俺は今その時と同じ気分だよ。なんで泣かねえ」

「……ガキの頃泣きすぎたんだ」

「嘘つけ」


 視界が歪む。我慢できなくなって、彼の肩を借りた。

 背広がにじんで色濃くなっていくのがわかった。だけど知らない。これはこのおっちゃんが悪いんだ。


 声をあげて大泣きした。



 部屋の中は雲の影響で薄暗くなっている。


「それから俺は、高校を卒業して警察になるための勉強を続けたわけさ」


 真一は夢中で大谷の話を聞いていた。


「そのおじさんと、今も仲良し?」

「どう思う」

 少し俯いて、また顔を上げた。


「僕も、そのおじさんみたいな場所が欲しい」


 大谷の目が丸くなる。だがすぐに微笑んで、真一の顔の前で人指し指を縦に振ってみる。


「場所ね。いい所を突いたな」


 大谷は不適に笑って顎を撫でた。まるで顎髭が生えているような触りかただ。


「きっと自分で感じるんだろう。居心地がいいなあ、とか」

「僕、ここに来るまでも別に居心地悪くなかったよ」

「ならいいじゃねえか」


 大谷の反応は初めてだった。真一は山崎の言葉を思い出す。普通は親と離れ離れにはならない。辛いなら辛いと言えと──。


「でも相手は悪かったのかも……」

「おおよそ、葛藤でもしてたんじゃないか?」


 真一は数回瞬きをして大谷を見た。葛藤とは?


「自分は真一と家族になれる立場なのか? って感じさ。表現はどうあれ、あんたは十五年間生きてこられたんだ。そいつが何よりの愛情表現だろ」

「愛情?」

「少なからず竹内はあんたを愛し育てましたよ」


 心臓が大きく動き出す。その音がうるさくて、つい出す声も大きくなった。


「なんでそんな事言えるの? 僕はただの人質だったんだよ。本当の家族じゃないんだよ?」

「ただの人質だったらあんたを十五年も育てたりしませんよ。ましてや解放するなんてね。

 奴さん、どうやら相当あんたの近くに居るのが良かったんじゃねえか?」


 真一はただただ驚いた。

 まさか、愛情なんて欠片も可能性に入れてなかった。どうしてこの人はそんな事を言えるのか──。


 大谷は目を細めて微笑んでいた。


「あんたも居心地が良かったなら、真実を知ったくらいで失望してちゃいけない。

 人は誰だって間違いを起こすんだ。でもそれを受け入れないと前には進めないぜ。……おっと」


 真一はいつの間にか大谷との距離を縮めていて、彼の胸に額を預けて肩を震わせた。


「もし……もしですよ? あんたが今の状況を淋しいと思うんだったら……俺が家族になれるよう多少の努力はしてみましょうかね」

「うっ……ありがと……」


 泣きじゃくる真一の背中をゆっくり手のひらで叩いてやる。


「……あんたは昔の俺と同じ眼をしてる。俺はあん時救ってくれた人のようになりたいんでしょうね」


 そう言って思い浮かべるのは、今も変わらずヘビースモーカーな上司の顔だった。

 結局俺は、あのとき救ってくれた原田さんには敵わないんだろうけど──。


 やがて大谷の腕の中から、泣き疲れた真一の寝息が聞こえ始めた。



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