何も読めない人
目覚めるといつもと違う天井が見えた。いつもの部屋じゃない、布団の感覚もどこか違う。
いつからここにいるのだろう。
真一はまだぼんやりとした脳内を探る。確か、確か僕はあの子に謝りに……。
鈍い頭痛に襲われながら、真一はベッドから背中を起こした。
「起きましたかい?」
突然の声の主は、昼間声をかけられた童顔の特例刑事 大谷だった。
「気分はどうですか? ゆっくり寝れたでしょうかね」
「あんまり、かな……」
「目が死んでるや。なんとなくわかるよ」
もうすぐ日付が変わる真夜中だ。大谷は間食としてコンビニのレアチーズケーキを手掴みで食べていた。かなりの甘党である。
真一は大谷の目を盗み見る。
彼には他の人物とは何処か違う雰囲気が漂っていた。情で動いてるわけでも、理性で動いてるわけでもなさそうだ。何を考えているのかさっぱりわからないのに、お互い通じるものがあるような気がした。
「あんたは何を悩んでるんだい?」
「え? 悩みって……」真一は問い返す。
次の瞬間にまたもや意識は頭の中を一周した。しかし そんな事を急に言われても、ただでさえ夢見が悪かったのだ。あまり思い出したり誰かに話す気にはなれなかった。
「……ま、急に言われても話す気にならないか。でも俺はずっとあんたと喋りたかったんで」
「どうして?」
「さあ。俺に似てる気がしたからかな」
驚いて目を丸くした。
確かにそんな事を一度も考えてないかと言われると、そうではない。何も言わずとも伝わるようなシンパシーが両者にはあった。
何故か「似ている」と言って俯く大谷。真一はそんな彼に暗闇を感じた。
まるで眠っていて夢を見ていない時のような、真っ暗な世界を持っているんじゃないかと。
「大谷さんはお父さん居た?」
「いや」
「お母さん居た?」
「いや」
想像通りのような常識外れのような回答だった。強いて言うなら、答え方が常識外れなのだろう。
「いわゆる孤児ってやつさ。孤独なこどもと書くんだ」
「じゃあ僕も?」
「……難しいことはわかんねえ」
「え? 何が難しいの?」
「大人の逃げ方だよ」
彼から「大人」という単語が出るのはなんだか似合わない。
「大谷さん大人に見えない」
「だから簡単に逃げれるのさ」
真一は何も掴めないまま、ただ大谷に惹かれていた。
それは目指したい兄が出来たような、先輩の真似をしたがるような心境にも似ている。
最も本人はそんな風に感じることはなかった。ひたすらヒナ鳥の刷りこみの様に彼になつき、知識を吸収していこうとしていた。
「じゃあさ、大谷さんは何でここにいるの?」
「警察になったきっかけか? そうだな……代わりに真一の話も聞かせてくれるってんなら話そうかな」
「うん、いいよ」
「本当にわかってるのかね」
基本表情のない大谷だが、真顔で冗談を言う独特の柔らかい空気だけは出せるようだ。真一は何も気にせずに大谷に詰め寄る形になった。
「そんな犬みてえに近付いてこなくても話すぜ。そうだな、ここに来たのは三年前か」
「そういえば何歳?」
「二十五」
なるほど若かった。けれど童顔だからか二十歳と言われてもわからないかもしれない。
「とりあえず俺が普段どんな事件に立ち合っているか話しましょう」
霧雨が降り頻る寒い朝。
こんな日は家で静かに過ごしたいと思うが、そんな時に限って悪い事件は起こるものだ。
「全員手を挙げろ! この鞄の中に入るだけ金を積めるんだ、早くしろ!」
雑誌から目だけを出して様子を伺っていた客は「そんな馬鹿な」と内心で小馬鹿にした。
ネット犯罪が氾濫している世の中で、今時貴重な銀行強盗だ。数は七人、その内飛び道具を持っているのが窓口に詰め寄る三人だった。
「おいお前! 手を上げろと言ってるだろ」
入り口付近の男がその客に刃物を突き付ける。
「あ、僕二十肩なんで」
「そんなもの初めて聞いたわ! ふざけてると切り刻むぞ こらあ!」
「どうせなら鉛弾が好いねえ。三人まとめて脳天撃ち抜いてくれよ」
生意気な口を訊くその男に、強盗達は怒りを抑えきれなかった。
「良い度胸だ。他の奴らの見せ占めにしてやるよ」
窓口の三人が揃ってその客へ顔を向けた。
その僅かばかりの時間だが、一瞬の隙を見付ける。
次の瞬間、素早い動きで行動に出た。
先刻迄頬にぺちぺちと刃物を当ててきた奴の手首を掴んで、一番左の小銃を持った男に定めて背負い投げをした。一気に二人がなだれて倒れこみ、そこへ警備員が取り押さえに入った。
「この野郎!」
狂乱しだした窓口のど真ん中の奴──恐らく首謀者──が銃を撃った時には、既にスライディングで床に潜り込み、足元から抑えにかかっていた。いとも簡単にその男の凶器は奪い取られた。
「全員武器を此方へ渡せ。あ、銀行員さん、もう大丈夫ですから自動ドアロックお願いします」
「うわああーっ!」
残りの一人が力任せに発砲する。その銃弾は、遥か頭上を通り過ぎた。
「てめえらは満足に銃も撃てない奴と組んでんのかい? 雑魚ばっかなんだな」
挑発した途端に、刃物を持った三人とさっきまで跨っていた奴がとびかかってきた。
怒りに身を任せた動きは容易く読み取れる。
「その動きが雑魚だってんだよっ」
一番端の男の斜め後ろに素早く回り込んだ。側腹部に中段蹴りをお見舞いしてやると、強い衝撃で強盗達は雪崩れ込み、憐れな終演を迎えたのだった。
「はい、凶器は預けとくね」
銀行員に銃と刃物が手渡された。あまりに早い解決に全員茫然としている。
「あ、あの、貴方は」
「別に正義のヒーローじゃありません。只の非番の警察官、当然のことをしただけだい」
言って広げた警察手帳には、「大谷剛」と書かれてあった。
「奴ら縛るんで縄か何かないですかね?」
「こっちのが好きだろ」
声に振り向くと同時に、大谷の手の中に手錠が飛込んできた。
「あらら、随分と遅いご到着で」
そうやって含み笑いを隠しつつ確認したのは、原田と高井と複数の警官だ。
「全く大谷は犯人より乱暴な奴だなあ!」
原田が大口を開けて笑っている。
大谷もまんざらではなさそうだ。ただ一人原田の隣で目を細めている刑事を除けば、全くうるさくない事件だった。
「──で、何で防犯カメラのコピーテープをもらってきたんすか?」
「みんなに俺の活躍を見せようと思って。さあこの一般人の善行を誉め称えてくれ」
「現行犯逮捕でしょ……立派な警察が」
「カツ丼は?」
「出ないしそれ犯人っ」
「山崎つれないねえ。報告書作ってるやつと遊んでこよーっと」
「はあ……凄いんだけど変な人」
山崎は溜息をつきながら大谷を見送った。
大谷は報告書を書いていた部下に自分の活躍を納得いくまで書かせた後、この間までこんなに派手に暴れることは久しぶりだった、と思い出していた。
「そういや俺今日非番だったんだな……」
何をムキになって暴れたんだか。憧れの原田に少しでも良い面を見せたくて……。
大谷は仮眠室のベッドに倒れ込んだ。




