番が憎いと攫われましたがその程度で壊せる絆じゃございません
「セレスどれが良い?どれも似合ってて選べないか。やっぱり全部買おう」
そう言うと、まるで初めから決めていたかの様に、ケイオスは手にしていた装飾品全ての購入を側近に指示している。
「待って、ケイオス!」
「ダメ待たない。待ってたらセレスは何にも欲しがらないからね」
「そんなぁ……」
こうなると頑固なケイオスには、もう何を言っても響かない。
ドレスも宝石も必要な分しか持ちたがらないセレスティアに、彼はいつだって贈り物ができる機会を狙っているのだから。
「……わかったわ、ありがとう」
「良かった」
結局、譲ったのはセレスティアだった。
けれど毎回こうでは困ってしまう。
それにいくらケイオスの個人資産から購入しているとはいえ、悪い噂でも立ったら大変だ。
念のため言っておかなければと、セレスティアは隣に座るケイオスの瞳を真っ直ぐにとらえて言った。
「でも私、本当に何もいらないのよ?」
「うん。知ってる。それは俺も」
「ふふっ」
ケイオスの言葉にセレスティアは思わず笑ってしまった。
何て正直で嘘のない心をくれるのだろうか。
セレスティアの考えていることなど、ケイオスにはお見通しなのだろう。
腕を引き寄せられ、そのまま膝に乗せられた。
首筋に触れる鼻先が擽ったくて、セレスティアは僅かに身を捩った。
「え〜……」
「そんなに絶望しないで」
「いや、するでしょ」
「そう?」
「うん」
「う〜ん、仕方ないわね」
少しだけ考えてから、セレスティアは大きく両手を広げてケイオスの頭を抱き込んだ。
ケイオスは幸せそうにセレスティアの首筋に顔を埋めると、頸の匂いをうっとりと嗅いでいる。
一見するといかがわしげな動作であるが、ケイオスにとっては極めて当然の行いであった。
なぜならケイオスは、狼の神人を先祖に持つこの国の王太子なのだから。
◇
太古の昔、まだ国々が存在しない頃、天界からこの地に一人の神が降り立った。
狼によく似た姿をした神は、その地に住む一人の少女を自らの番だと言って妻にした。
神の力を注ぎ込み、国を創り大地を豊かにした彼は、妻が死ぬと大層嘆き悲しんだ。
そうして代々王族にのみ番を見つける力を残すと、妻の魂を抱え天界へと還って行った。
それがこのウルフレング国にまつわる始まりの記である。
初めは半信半疑であった者も、最初に番を見つけた王が現れてからは皆一様に考えを改めた。
王族だからといって、誰しもが番を見つけられる訳ではない。
生涯巡り会わないままでいることも、珍しくはなかった。
けれど番と出会えた王族は、明らかに他者よりも抜きん出ている者ばかりだった。
ある者は希代の名君として。
またある者は救国の祖として。
近隣諸国の母と呼ばれる王女もいた。
故にこの国では番が何よりも尊重されて来た。
その存在こそが、国の繁栄と密接に繋がっているのだと。
しかしそれも時が経ちすぎた。
長い年月で始祖の血も薄まってしまったのか、今や番を見つけられる王族など滅多にいなかった。
番を尊重しながらも、いつしかこの国も他国と変わらない身分制度を重んじる王政を敷くようにもなっていた。
そんな時、王が番を見つけたのである。
だが厄介なことに、王には既に他国から迎えた王妃がいた。しかも番だという子爵令嬢は、あろうことか王妃付きの侍女だったのだ。
これには皆、家臣一同頭を悩ませた。
何よりも番は尊重されるべき存在である。
だが王には既に王妃がいる。
しかも番である侍女自身が、王妃を慮って妃になるのを辞退したいと言い出したのだ。
いくら王が望んだとしても、すぐに王妃と離縁する訳にはいかなかった。
王妃には、その当時産んだばかりの王女がいたからだ。
どうしたものかと答えを出せずにいるうちに、番の侍女は身籠り慌てて側妃の位を授けたのである。
しかし心労が祟ったのか、王子を産み落とすと側妃はそのまま生き絶えてしまった。
これに焦ったのは王の側近たちだった。
高位貴族の彼らは、番に先立たれた王族がどの様な末路を辿るのか学んでいた。
そのため彼らは必死に回避策を考えた。
幸いなことに、生まれて来た王子は亡くなった側妃によく似た瞳をしている。
珍しい金の瞳と目があえば、まるで亡くなった側妃に見つめられているかのような錯覚さえ覚えるほどだ。
ならば、これを利用しない手はない。
側妃は亡くなる寸前に王子の成長を王に託していたのだと、ありもしない話を作りあげ、王子を取り上げた産婆を使い王に奏上した。
どうか、せめて王子の番が見つかるまでは、王には玉座を守っていただきたい。
最愛の番の遺言ならばと、半身を亡くしながらも王は頷いた。
そして同時に、王命を下したのである。
何としても王子の番を見つける様に、と。
◇
「あの時はさすがにちょっと怖かったわ」
いつまで経っても自身を抱きしめて離さないケイオスに、半ば呆れながらもセレスティアは思い出した様に呟いた。
「あの時って、デビュタントの夜会の時?」
「ええ、そうよ」
「嬉しくって、つい……」
二年前、十五歳になったケイオスの初めての夜会には当然国中の未婚の令嬢が集められた。
そこにはブラハウンド公爵令嬢であるセレスティアも勿論いたのだが。
いくら公爵令嬢とはいえ初めての夜会である。緊張してエスコートしてくれている兄の腕をきつく掴み過ぎ、抗議されてしまったくらいだ。
そんなセレスティアがファーストダンスをしようと、兄の手に自らの手を合わせようとした時。
「見つけた……っ!」
玉座の隣で突如立ち上がった少年が、セレスティア目掛けて猛然と駆け寄って来たのである。
会場中に悲鳴が上がり、楽団の音楽が中断される中、セレスティアの前までやってくると、少年は躊躇いなくセレスティアを抱きしめた。
「!?」
「嬉しい!やっと会えた……俺の番!」
「え!」
突然見ず知らずの男に抱きしめられたことも、その男が自分を番と呼ぶことも、到底受け入れられないのに。
不意に背中に回された腕が動いて、その指先がセレスティアの頸をなぞった瞬間。
身体中が痺れて、呼吸すらままならなくなった。
(な、なに!?)
得体の知れない感覚に自分自身を作り変えられてしまう。そんな恐怖にも似た感情にセレスティアは襲われた。
それなのに。
「可愛い顔をよく見せて」
(!!)
目の前の男はうっとりとした瞳で、ただセレスティアを見つめていたのだった。
◇
「本当〜にっ!嬉しかったんだって!!」
何度目かもわからない、セレスティアがいかに怖かったかという昔話をすれば、これまた何度だってケイオスは必死に弁明を繰り広げていた。
「ふふっ……知ってるわ」
だからつい面白くて、セレスティアは時折ケイオスに話してしまう。
確かにセレスティアにとっては、最悪な出会いだった。
けれど、あの後改めて会ったケイオスはきちんとセレスティアの希望を聞いてくれた。
『番だからではなく、ちゃんとお互いのことを知りたいです』
それがセレスティアのたった一つの希望であった。
そもそも公爵令嬢が政略結婚から逃れられる訳がない。
側妃の一件から国をあげて望んでいた王太子の番である。それも身分的にもこれ以上ない公爵令嬢が相手なのだ。断る選択肢などあるはずもない。
それならせめて、年相応に仲を深めてから婚約したい。あと初対面が強烈過ぎて、若干貞操の危機を感じていたのもある。
そんなセレスティアの願いを、ケイオスは二つ返事で受け入れた。
そうしてどんなに僅かな時間でも、ほぼ毎日の様に会いに来るものだから、セレスティアの方が割とあっさりと陥落してしまったのである。
尻尾を振った大型犬が毎日自分目掛けて走ってくるのだ。どうしたって情は湧く。
「……まだ怒ってる?」
昔を懐かしんでいたせいか、心ここに在らずであったセレスティアの顔を、不安気にケイオスが覗き込む。
「もう怒ってないわ」
途端に、満開の笑顔になったケイオスがおかしくて、セレスティアも声を上げて笑う。
「そろそろ帰らなくちゃ」
「泊まってけばいいよ」
「ダメよ」
「……馬車まで送る」
見送りなど本来なら王太子がすることではないのだが、番相手の制限はかえって悪手だ。
王太子宮の者たちも、果ては王でさえも、番に関することはケイオスの好きにさせていた。
「じゃあ、お願いするわね」
ようやく膝の上から解放されると、セレスティアはエスコートを促す様に、ケイオスへと手を差し出した。
◇
一緒に公爵邸に付いて来ようとしたケイオスを何とか引き剥がしたセレスティアは、帰路を馬車に揺られていた。
いつもと同じ、王宮からほど近い公爵邸へと帰るだけの道のはずが、なぜか今日は窓からいつもと違う景色が見える。
「ミア、道が違うわ」
同乗している侍女にそう言えば、侍女は焦って御者へと詰め寄った。
「お、お嬢様!御者が変わっています!」
「!!」
王宮で馬車に乗り込む時は、確かに公爵家の御者だった。いつの間にか護衛の姿も見えない。
途中で乗っ取られたということだ。
セレスティアはきつく両手を握りしめた。
必ず助けは来る。
それまで何とか時間を稼がなければと。
暫くすると馬車は止まった。
目の前に聳え立つ塔は、王都の安寧を祈願して東西南北に建てられた神殿の遺物だ。
その内のどれかだろう。
「お降りください」
馬車の扉が開かれる。慇懃だが有無を言わさぬその態度から、おそらく貴族に仕える者だと推測された。
大人しく馬車から降りると、周囲には数人の騎士の姿が見える。きっと見えない場所にはこの倍はいるだろう。
セレスティアは真っ直ぐに背筋を伸ばすと、促されるままに塔へと入って行った。
永遠にも思えた階段を登り切ると、塔の最上階に辿り着いた。
ミアと二人、押し込められた部屋には窓から夕陽が差し込んでいる。
ならばここは西の塔だろうか。
セレスティアがそう思案していると、背後で解錠の耳障りな音が、大きく響いた。
「お嬢様!」
ミアがセレスティアを守る様に、前へと出る。
セレスティアはミアの肩越しに、今回の首謀者の姿をはっきりと認めた。
「驚きもしないとは、相変わらず可愛げのない」
嘲る様に吐き捨てると、その人物はセレスティアへと近づいて来た。
ミアが必死にセレスティアを庇っている。
セレスティアはそっとミアの腕をとり、大丈夫だと暗に告げた。
ミアは不安気に瞳を揺らしていたが、セレスティアの意思を汲み取り、身体を離す。
「ご用がおありなら、私から参りましたのに」
セレスティアは真っ直ぐに向き合うと、平然と言ってのけた。
まるで王宮で会ったかの様に。
「お前を呼んだら余計な者まで付いてくるでしょう?」
「それは確かに」
「忌々しい顔など見たくもないわ」
「まあ!酷いお言葉」
「最後くらい本音で答えてあげてるのよ。わたくしは慈悲深いから」
どの口がと、セレスティアは奥歯を噛み締めた。
挑発に乗ってはならない。せっかく情報を聞き出せる機会なのだから。
湧き上がる怒りを鎮めるために組んだ両手が、微かに震えた。
「王妃殿下」
目の前の人物を、セレスティアははっきりと呼んだ。
「なぜこの様な真似をなさったのですか?」
無駄なことをと、言外に滲み出た意図を感じとったのか、王妃の口元が醜く歪んだ。
「お前はまだこの状況がわかっていないようね!」
王妃の怒鳴り声が、室内に反響する。
「そうおっしゃられましても……王妃殿下が私を攫わせて監禁したことしかわかりませんもの」
セレスティアがそう冷静に返すと、王妃の瞳に愉悦の色が灯った。
「そうよ。お前はもうここから出られないの」
「なぜなのですか?」
「わからないと?」
「ええ、わかりませんわ。教えていただけますか?最後とおっしゃるのなら」
王妃はセレスティアの言葉に満足気に頷いた。
「そうね、いいわ。教えてあげる」
なぜセレスティアを攫ったのか。
「お前があれの番だからよ」
瞳を昏く染めながら、口角だけを歪に吊り上げて、王妃は語り出す。
「番などとおぞましい」
「!!」
それはこの国の民にとって、決して許容出来ない発言だった。
「まるで獣ではないの。姿形だけ取り繕っても所詮は卑しい獣の血筋」
「……不敬でございますよ」
「だったら何だと言うの!!」
激昂した王妃がセレスティアの頬に手を振り上げた。
しかしその手がセレスティアに触れることは決してなかった。
王妃の手がセレスティアに触れる直前、無数の光がセレスティアを包み込み、王妃の手を弾き飛ばしたのだ。
「これよっ!忌々しいっ!!」
腫れ上がった手を押さえながら、王妃は血を吐く様な叫び声を上げた。
「番?それが何だと言うの!?わたくしは王女として生まれた王妃なのよ!!それがこんな番ごときにっ!!」
王妃は狂った様にセレスティアに憎悪を吐き続けた。
王家に生まれた者は自身の番に出会うと、その身を守護するために祝福を授ける。
そしてその力は直系である程に強いと言われている。
セレスティアに直接的な危害を加えることなど不可能なのだ。
だから、なぜと。なぜこんな愚かな真似をしでかしたのか、呪詛を吐き続ける王妃の姿を見ても、セレスティアには理解出来ないでいた。
「……番が憎いのですか?」
セレスティアの静かな問いに、王妃は一瞬その瞳を光らせた。
「そんなものでは済まないわ。あの女、卑しい身でわたくしから何もかも奪おうとして……」
「あの女?」
「あれの母親よ」
それはケイオスの母、側妃のことだと言う。
「たかが侍女風情が!わたくしから王も、王妃の座も!王女から王太子の座も奪おうとしたのよ!」
番に出会ってしまえば、周囲にはどうすることも出来ない。だからこそ、王家では婚姻を結ぶ際には必ず番に関する条項を明示する。
それでもと、軍事力に劣る自国の保護を目的として、ウルフレングとの婚姻を強硬に望んだのは王妃の母国であった。
「婚姻の際に、両国間で番に関する取り決めが定められているはずです」
「わたくしは王女なのよっ!」
番が見つかった時に、母国からも通達されているはずだ。王命に従う様にと。それが母国の利益になるのだから。
「我が国では番は何よりも尊重されます。たとえ他国の王家であろうとも、口出しは許されません」
「知ったような口を……あれのせいで増長したのね」
王妃は忌々し気に舌打ちすると、たったいま思い出したかの様に呟いた。
「そうよ、お前の兄も」
兄が何だと言うのか。
「番ごときのために王女との縁談を断ってきたわ!」
ブラハウンド公爵家は、薄くとはいえ王家の血を引いている。
本来なら番を判別する力は無いはずだったが、セレスティアがケイオスと出会ったせいか、その兄であるアドニスも触発されて自身の番を見つけていた。
しかしそもそもアドニスに懸想した王女が一方的に縁談を迫って問題を起こしていただけで、王太子の後見である公爵家の嫡男が、反対派閥である王女との婚姻を受ける訳がなかった。
もはや単なる言いがかりである。
「それもこれも、全部お前とあれが出会ったせいよ!!」
叩きつける様に叫ぶと、王妃は大きく息を吐き出した。
「もういいわ……そうね」
そう言って突然その手を振り上げたかと思えば、王妃はセレスティアの傍らにいるミアを殴りつけた。
「なにをするのっ!?やめてっ!!」
弾かれた様にセレスティアがミアを庇う。
その姿を嘲笑うかのように、王妃は声をあげて笑った。
「侍女など何の価値もないわ。あの女も番でさえなければ……!!」
「な、にを……まさか!」
嫌な予感に、声が震えた。
番に直接危害は加えられない。
側妃が亡くなった際にも徹底的に調査がされているはずだ。そして何も出てこなかった。
けれど直接ではないとしたら?
ミアを抱きしめるセレスティアの腕に、無意識に力がこもった。
「ええそうよ。身の程知らずなあの女はわたくしが殺してあげたの。勿論、直接危害など加えていないわ。出来ないもの」
まるで罪の意識のない告白に、セレスティアは信じられない思いだった。
「あの女は殊の外悪阻が酷かったから、煎じた薬を水で薄めて出しただけよ」
「!!」
「身体は何一つ害していないでしょう?ただあの女の体が、お産に耐えられなかっただけだもの」
まるで天罰だとでも言わんばかりに、王妃は高らかに笑った。
「最低だわ!」
耐えきれずにセレスティアは叫んでいた。
「何とでも言うがいいわ。もう会うこともないのだし」
そう言うと、王妃は扉の外で待機していた数人の兵士に合図を送り呼び入れると、そのまま兵士にミアを拘束させた。
「やめて!離してっ!!」
「お嬢様!」
セレスティアの肩に僅かに触れた兵士は弾き飛ばされたが、他の兵士に回収され部屋の外へと引きずり出されて行った。
人数が多過ぎる。このままではミアを連れて行かれてしまう。
解決策を求めて、セレスティアは必死に頭を働かせた。
「あら感謝して欲しいくらいだわ。本当ならお前を痛めつけてやりたかったのよ?絶望したあれの顔を想像しただけで心が踊るもの」
セレスティアの態度が理解出来ないとでも言いたげに、王妃は首を傾げて言う。
「でも侍女で我慢してあげるの」
わたくしは優しいからと。
「お前はここで一人で餓死しなさい。それなら何一つ危害を加えた事にはならないものね?……はっ、ははっ!!」
言いたいだけ言い放つと気が済んだのか、もう用は無いとばかりに王妃は踵を返す。
その後に、兵士に引きずられたミアが連れて行かれる。
「ミアっ!!」
「お嬢様!!」
セレスティアは必死にミアに手を伸ばしたが、捨て駒になる兵士が前に飛び出して来るせいで、ミアまで手が届かない。
そうして遂には、無常にもセレスティアの目の前で扉が閉められた。
「ミアっ!ミアっ!!」
家具一つ無い室内には、セレスティアの悲痛な泣き声だけがずっと、響き渡っていた。
◇
気がついたら暗闇の中にいた。
たった一つある窓からは、月明かりが溢れている。
いつまでも泣いている訳にはいかない。
何としてもここを出て、ミアを助けて、王妃の悪事を明らかにしなければならないのだから。
セレスティアはそう決意すると、窓辺へと歩いて行った。
窓からは雲一つ無い空に満月が見えた。
ウルフレングにとって満月は特別なものだった。
狼神人を開祖に持つこの国は、皆満月に願いを込めるのだ。
満月に向けてセレスティアも祈った。
ミアの無事を。ケイオスとの再会を。
「飛び降りるのは無理そうね……」
窓には施錠がされていなかった。セレスティアは窓から下を見下ろしたが、この塔の高さでは脱出は諦めるしかなかった。
これもまた、王妃の狙いなのかも知れない。
餓死するか耐えきれずに窓から飛び降りるか。
いずれにせよ、手を汚さずにセレスティアの命を断つことが出来るのだから。
「……腹の立つこと」
あんな狂人でも、今までずっと王妃として敬って来たのだ。
ケイオスへの冷たい態度も、尊大な王女の傲慢さも我慢して。
だがもう、それも終わりだ。
間接的とはいえ、側妃殺しにまで手を染めていたのだ。言い逃れは出来ない。
罪を暴くためにも、セレスティアはここから出る必要がある。
助けは来る。必ずケイオスが。
けれど、それまでセレスティアの身が保つだろうか。助けが三日後なら?一週間後なら?
どうしたって、悪い考えに飲み込まれそうになる。
セレスティアは弱気な自分自身を振り払うかの様に、大きく首を振った。
大丈夫、絶対に。
満月に祈りながら、そう固く誓った。
ふと塔の下で、何かが走っているのが見えた。
真っ直ぐに近づいて来る黒い塊は、だんだんと月明かりに照らされて、その姿を顕にする。
(え)
そこにいたのは、荘厳な銀色の狼だった。
塔を見上げるその瞳は黄金に輝いて、真っ直ぐにセレスティアを見つめている。
(まさか、そんな)
狼神人が狼に姿を変えられたのは、初代から数代までのこと。
血が薄まった今となっては遠い神話の話だった。
けれど。
セレスティアは、あの瞳を知っていた。
見間違えるはずが無い。
だってセレスティアは、番なのだから。
狼はセレスティアに呼びかける様に天高く遠吠えをした。
まるでそこから飛び降りろとでも言わんばかりに。
普通に考えれば、この場にとどまるべきだろう。だが、セレスティアは自分の直感に賭けることにした。
「受け止めなかったら婚約解消よ!」
塔の下に届く様にと大声で叫ぶと、セレスティアは勢いよく窓から飛び降りた。
「!!」
セレスティアの瞳が目を瞑る直前に捉えたのは、猛然と塔を駆け上って来る銀色の狼の姿だった。
◇
「セレス!良かった気がついてっ!!」
目覚めると、一番に飛び込んで来たのは泣き腫らした最愛の番の顔だった。
「……大丈夫よ……泣かないの」
そう言って頭を撫でれば、ケイオスは堪えきれないとばかりに力一杯セレスティアを抱きしめた。
「ごめん……ごめん、ごめん」
これ以上泣くとまた目が腫れてしまう。
セレスティアはケイオスの背中をあやすように撫でた。
「ケイオスのせいじゃないわ」
いくら警戒していようと、まさかあんな暴挙に出るなどと想像出来るわけがない。
ましてや相手は一国の王妃なのだから。
「ミアはどこにいるの?」
段々とはっきりして来た頭で、一番の懸念事項を口にした。
セレスティアが助け出されているのなら、もう塔は壊滅しているはずだ。
早くミアに会いたかった。
「……うん」
セレスティアを抱きしめているケイオスの腕に、一瞬だけ力がこもった。
「ケイオス……?」
「もう少し休んでからにしよう」
ケイオスはセレスティアの肩口に顔を埋めたまま、視線を合わせようとしなかった。
身体中から血の気が引いていく気がする。
「……ミアはどこ?ケイオス」
「……うん」
「顔が見たいわ」
セレスティアの声に涙が滲む。
知ってしまったら、きっともう自分は正気ではいられない。
それでも、知らなければならないのだ。
セレスティアはケイオスの背に回した手に、力を込めた。
ケイオスが小さく息を吐く。
「今、綺麗にしてる」
「な……に」
「ミアは、セレスの前では絶対きっちりしたい人だったでしょう?」
「そう……だけど」
「だから、綺麗に整えてから会いに行こうね」
「ケイオス……私の顔を見て」
「……」
緩慢に顔を上げたケイオスがしっかりとセレスティアと視線を合わせた。
その瞳を見れば、ミアがもう二度と目を開けることは出来無いのだと、嫌でもわかってしまった。
「いやっ!!」
「セレス!」
腕の中で泣き喚くセレスティアをケイオスは抱きしめ続けた。
ずっと小さい頃から姉の様に側にいたミアを無惨に殺されて、セレスティアが正気でいられる訳がなかった。
「セレス、セレス!何でも言って。俺を罵ってくれてもいい。気の済むようにして」
「っ……!!」
ケイオスのせいではない。
彼自身、理不尽に母を殺されていたのだ。
だが、この経験したことのないような怒りの業火はセレスティアを今にも焼き尽くしてしまいそうだった。
「っ……ケイオス」
ケイオスに無我夢中でしがみつくと、セレスティアは呟いた。
「お願いを、聞いてくれる?」
「勿論」
「欲しいものがあるの……」
「うん。言って」
「……何か聞かないの?」
「セレスはいつも何にも欲しがらないからね。なんだって叶えてあげるよ。番の願いは絶対だ」
「……」
セレスティアの指に力がこもる。
口に出してしまったら、もう今までの自分ではいられない。
だが、それでも。
この胸の怒りだけは抑えられなかった。
「あの人に、ミアと同じくらいの思いをさせて欲しいの」
それは純粋な憎しみからの渇望だった。
理屈も何もない。
きっとセレスティア自身も堕ちてしまったのだ。
「ああ、勿論」
それでもどんなに愚かでも、ケイオスだけはセレスティアを愛しているのだと、その昏く光る黄金の瞳が告げていた。
◇
「人がっ!人が落ちてるぞっ!死んでる!!」
セレスティアが攫われてから三日後、西の塔の下で若い女性の死体が発見された。
高貴な衣服を身につけたその女性は、後頭部から落下したために顔は綺麗なままなのだという。
清められ棺に納められると、その遺体は王宮にほど近い教会へと運び込まれた。
王家や公爵家の面々が検分するためである。
「それでは、どなたからなさいますか?」
国王夫妻に王太子、それに公爵夫妻と嫡男夫妻が一堂に会した場で、司祭はそう尋ねた。
他にも主だった家臣が連れ立って控えている。証人となるためだ。
「私が見よう」
声を上げたのは王だった。
番の死がどれほどの衝撃か、王は誰よりもわかっている。王太子にやらせるのは忍びなかった。
それに公爵夫妻に我が子の死に顔を見せたいとも、思えなかったからだ。
「ではこちらに」
「うむ」
促されるままに王が棺の前へと立つ。
そうして司祭がその顔へとかけられた白布を取る。
現れたのは、まだ若い少女の様な顔だった。
「!?」
棺に眠る遺体の顔を見た途端に王は口元を押さえた。背後では心配そうに様子を伺っている王妃の気配がする。
だが王は、近づいて来ようとする王妃を片手で止めた。
近づかせる訳には行かなかったからだ。
「……いかがでしょうか」
聞き難そうに司祭が王に尋ねる。
「……ブラハウンド公爵令嬢ではない」
王の言葉に、その場にざわめきが起きる。
歓喜と戸惑いと。
王妃に近い者たちは青ざめてもいた。
「さようでございますか」
そう言うと、司祭は白布を遺体に被せようとした。しかし王がそれを止めた。
「待て、告げねばならぬことがある」
王はその場で振り返ると、一堂を見渡した。
そうして涼しい顔をした王太子と、平然としている公爵家を視界に留めると、おおまかな事態を瞬時に悟った。
「遺体はブラハウンド公爵令嬢ではない。
だが、この遺体は王家で弔う必要がある」
漣の様なざわめきに包まれる中、王は告げた。
「この遺体はメテオラ第一王女である」
誰かが悲鳴を上げた。
倒れた者もいるようだった。
王の言葉に、信じられないといった顔で王妃が棺へと近づいた。
「なっ!?メテオラ!?」
そうしてその変わり果てた姿を見て、その場に崩れ落ちる。
「あああっ!なぜっ!?なぜなの!!」
棺に縋って泣き喚く王妃の背中に、ケイオスの冷たい声が飛ぶ。
「出生の秘密に耐えかねたのでは?」
「!!」
その場の誰もが驚いてケイオスに視線を注ぐ。それは王でさえも例外ではなかった。
「どういう意味だ、ケイオス」
誰よりも愛しい番と同じ眼差しで、ケイオスは父である王を真っ直ぐに見つめた。
「言葉のままです父上。姉上は王家の血を引いていません」
「なにっ!?」
「おかしいと思いませんでしたか?直系であるはずの姉上が番がわからずに虚偽を述べるなど」
「!!」
第一王女であるメテオラはセレスティアの兄であるアドニスに一方的に想いを寄せていた。そして彼女はアドニスを番だと言い張った。
けれどメテオラとアドニスの間には何の反応も起こらなかった。
メテオラは番の証である守護の祝福をかけられなかったのだ。
番の虚偽は重罪である。だが、その時たかが王女の我儘だろうと有耶無耶にしたのは王妃だった。
この国は番を何よりも尊重している。
その直系の王女が自らに流れる血筋に反して虚偽を口に出来るものだろうか。
当時から疑念はあったのだ。
それが今回、明らかになっただけに過ぎなかった。
「連れてこい」
王太子の指示で、猿轡をされた一人の男が兵士に連れて来られた。
緑がかった黒髪は、一目で王妃の祖国の出だとわかる。
「当時外交官として我が国に滞在していた者です。王妃、王女と共謀してメテオラ第一王女を王太女とするようにあちらの国に働きかけておりました」
偶々入国したところを捕らえたのだと、ケイオスは言う。
「メテオラ姉上に瓜二つですね」
「!!」
その言葉に全員の視線が男に集まった。
言い逃れが出来ないくらい、その男は王女に生写しだった。
「嘘よっ!嘘です陛下っ!!王太子がわたくしを陥れようとして……っ!!」
自身に縋りつく王妃の姿に、王は大きく息を吐き出した。
「当然の報いだろう。番を害そうなどとしなければ、メテオラが死ぬことはなかったはずだ」
少なくとも王の在位中は。
王の言葉に、王妃はその場に崩れ落ちた。
「してケイオスよ。なぜ父に言わなかった?」
そんなにまで信用が無かったのかと、王はじとりとした目で王太子を睨めつけた。
「申し訳ありません父上。番に関することはお互い冷静さを欠くと思いまして」
「お互い?」
妙な言い回しに引っかかりを覚えて、王は眉根を上げた。
「ええ。説明は彼女からの方が良いでしょう。セレスティア!」
「!!」
ケイオスが呼びかけると協会の入り口の扉が開かれる。
現れたのは行方不明になっていたはずのブラハウンド公爵令嬢セレスティア、その人だった。
セレスティアが歩き出すと、自然と周囲に道が出来る。
誰もが奇跡を目の当たりにしている気分だった。
「体調は悪くない?」
セレスティアが目の前にやって来ると、その頬に手を添えて、ケイオスは心配そうに顔を覗き込む。
「大丈夫よ」
心配症な番を安心させる様にセレスティアは微笑んだ。
「陛下」
そうして王へと向き直ると、毅然とした態度で声を上げた。
「王妃殿下の犯した罪について、発言してもよろしいでしょうか」
「わたくしは罪など犯していないわっ!黙りなさいっ!」
セレスティアの言葉に、王の足元にへたり込んでいる王妃が取り乱した声を上げる。
威厳など微塵も感じられないその姿に、周囲の者は皆一様に眉を顰めた。
「構わぬ。誰か王妃の口を塞いでおけ」
「陛下!?」
王妃はなおも王へ縋りつこうとしたが、衛兵に取り押さえられ、口を塞がれた。
「ブラハウンド公爵令嬢よ、頼む」
王の言葉にセレスティアは口を開いた。
「ではまず、側妃様殺害についてお話します」
「なんだとっ!?」
セレスティアの一言に、王の目の色が変わった。
無理も無い。
番を害されて正気でいられる者などいやしない。ましてやそれが殺されたとなれば。
憎悪に染まった王の視線が王妃に注がれる。
「側妃様のお身体は悪阻で大変弱っていらっしゃいました。ただし、適量の薬で回復出来る程度のものだったはずです」
王は息を呑んだ。
「証言が必要なら当時の医官や侍女も用意してあります」
セレスティアに加勢するように、ピタリと寄り添うケイオスの声が横から飛ぶ。
セレスティアはケイオスの言葉に小さく頷くと、そのまま王に向かって発言を続けた。
「側妃様は、一体何をお飲みになっていたと思われますか?」
「なに!?」
「側妃様の薬は、水で薄められたものでした。王妃様の命によって」
「!!」
血が通っていないのかとすら思うほど、王の顔からは色が消えていた。
ただその瞳だけが赤く染まり血走っている。
「父上!」
ケイオスが、衛兵の腰へと手を伸ばした王の身体を駆け寄って止める。
「放せっ!此奴はそなたの母の敵だぞっ!!」
王の血の滲む様な叫び声に、ケイオスは頷きながらも王の自由にはさせなかった。
「わかっています。だからこそ父上のお手を汚す必要はありません。相応しい罰を与えましょう」
真っ直ぐな、王の唯一の番と同じ黄金の瞳には、確かな決意が灯っていた。
「父上に秘密にしていたのは、先に話したら殺してしまうと思ったからです」
「!!」
「番を害されれば当然のことです」
「……わかった」
いつの間にか、しっかりと成長していた我が子の言葉に、王は剣から手を離す。
そうして感慨深げに呟いた。
「そなたは番を守り抜くのだぞ」
「はい。命に代えても」
ケイオスの言葉に王は大きく頷いた。
そうして、教会中に響く声で言い放った。
「これより急ぎ王宮に戻り王妃の審問を開始する!罪状は不義密通、不貞行為の子への身分詐称、王太子位を狙った内乱誘致、側妃の殺害……ブラハウンド公爵令嬢を拐かした罪もあるぞ」
王は衛兵に床に押さえつけられている王妃を凍りついた視線で見下ろした。
「忙しくなるな」
「っぐ……ゔゔっ!!」
「引っ立てろ!」
王妃が衛兵に引きずられながら去って行く。
あの日のミアと、同じ様に。
その姿を、セレスティアはしっかりと目に焼き付けた。
◇
「元王妃殿下は国境を出た頃かしら……」
ミアの墓前に花を置きながら、セレスティアはふと溢していた。
「もう出てだいぶ経つかもね。最短で隣国に抜ける分危ない道だから」
王妃から元王妃となったかの人は、全ての審問を終えると身分を剥奪された上で、祖国へと送り返された。
彼女の出国の際、遠目でひっそりと見送ったが、豪奢な馬車に王妃の時と変わらぬ身なりで乗り込んで行くのが見えた。
隣国では数年前から政情不安に落ち入り、各地で小さな内乱が尽きないという。
他国から入国する道には、必ず金品を狙った殺しを躊躇わない盗賊や、人攫いが待ち構えているそうだ。
しかし元王妃が祖国に帰るためには、必ず隣国を通らなければならなかった。
一目で貴族だとわかる馬車など良い鴨だろう。その上護衛一人付いていないのだから。
「御者はセレスを攫った奴にやらせてるからね」
「うん……」
「隣国に入るまでは監視をつけてたけどその後はどうだろうね。逃げ出したかな」
逃げ切れるとは思えないけどと、ケイオスはミアの墓前で胸に手を当てながら言う。
「……王女殿下は」
「元王女ね。気にすることないよ。母親の母国と通じて内乱誘致に王位簒奪、その上本人には一滴もウルフレング王家の血が流れて無いときてるんだから。あのまま生きてても毒杯どころか絞殺刑か石打ち……果ては鉱山夫用の娼婦にでも堕とされた後に殺されるのが関の山さ」
ケイオスは、さらりと元王女が生きていた場合の残酷な未来を示唆する。
それはあの日、王妃への憎しみに支配された一言が引き起こした結末への罪の意識を、少しでも軽くしようとする彼の優しさだということを、セレスティアは痛いくらいに感じていた。
「そう、ね……」
あの日、率先して王女の突き落としを進言したのは、側妃の生家の子爵家だったという。
人の憎しみも恨みも、長い年月が経ったとて風化するものでも無いのだろう。
セレスティアとてきっと、見知らぬ誰かからの恨みも憎しみも向けられながら生きていくのだ。
「ねえ、ケイオス」
ミアの墓所からの帰り道、二人寄り添って座る馬車の中で、セレスティアはケイオスを見上げて言った。
「なに?」
番の甘えた声に、ケイオスは自然と顔が緩んでいる。
「もし将来女の子が生まれたら、ミレニアって名付けてもいい?」
ミレニアーーミアと同じ名を。
「勿論!番のお願いは何でも叶えるよ」
そう言うと、愛しくてたまらないと言った様子でケイオスはセレスティアを抱きしめた。
その耳元に、セレスティアはそっと囁く。
「……それならまた、狼になってくれる?」
「……」
「ダメ?」
「……ダメじゃないけど」
少しだけ考え込むと、ケイオスはセレスティアの首筋を鼻先で擽ぐりながら大きく息を吐いた。
「絶対セレス夢中になりそうなんだよなあ……」
「夢中?」
「うん。だって好きでしょ犬」
「それは好きだけど……」
狼神人の姿を可愛がっては、番とはいえやはり不敬なのだろうか。
セレスティアが何と言っていいかわからずに戸惑っている内に、ケイオスの声が先に耳に届いた。
「だから!俺だけど俺じゃないもんあの姿は」
「まぁ」
「拗ねそう……」
「本当にあなたって……」
呆れるやら愛しいやら。
溢れ出る想いのまま、セレスティアはケイオスを力一杯抱きしめ返した。
それから、ケイオスはセレスティアと二人の時には時々狼姿を見せてくれるようにはなった。
けれど彼自身が率先してその姿を披露するようになるのは、幼い子どもたちが喜んで狼を追いかけ回す様になる、もう少し先の話である。
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