人には嫌われる令嬢なのに、なぜかあなたの竜にだけ好かれています
セレスティア王都の貴族街で、エリシア・ローレンは少し変わった令嬢として知られていた。
無口。
笑わない。
お茶会でも必要なことしか話さない。
悪いことをしたわけではない。
けれど、人付き合いが苦手なだけで、いつの間にか「冷たい令嬢」と呼ばれるようになっていた。
エリシア自身も、それを直そうとはしなかった。
どうせ何を言っても、うまく伝わらない。
そう思っていたからだ。
そんな彼女の屋敷に、ある朝、一頭の竜がやってきた。
「……また来たのね」
庭の花壇の横で、大きな青い竜が座っていた。
翼をたたみ、こちらを見ている。
「グレン」
「ぐる」
「今日は何も壊していないでしょうね」
「ぐる」
エリシアは花壇を見る。
一部の花がつぶれている。
「壊しているじゃない」
竜は顔をそらした。
「あとで植え直します」
「ぐる」
「あなたがやるの?」
当然、できない。
エリシアはため息をついた。
この竜は、最近よく屋敷へ来る。
名前はグレン。
王都の竜騎士団に所属する飛竜だった。
そして、グレンにはちゃんと相棒がいる。
その相棒も、少し変わった人だった。
「本当に申し訳ない」
昼すぎ。
屋敷を訪れた青年が深く頭を下げた。
名前はカイル・ベルク。
二十五歳。
王国の竜騎士で、グレンの相棒だった。
長い黒髪。
まじめそうな顔。
背が高く、制服もきちんとしている。
ただし。
とにかく無口だった。
「今日で三回目です」
エリシアが言う。
「……すまない」
「先週は庭木を折りました」
「すまない」
「その前は洗濯物を持っていきました」
「……すまない」
「それしか言わないのですか」
カイルは少し困った顔をした。
「他に言うべきことが、思いつかない」
エリシアは黙った。
自分と似ている。
そう思った。
グレンは庭でのんびり寝ている。
「どうして、うちに来るのですか」
「わからない」
「あなたの竜でしょう」
「そうだが、竜は人の持ち物ではない」
「それは知っています」
「グレンは自分で来ている」
「なぜですか」
「……わからない」
また同じ答えだった。
エリシアは少しだけ笑いそうになった。
「あなたも、あまり話すのが得意ではないのですね」
「……そう見えるか」
「見えます」
「あなたに言われるとは思わなかった」
「どういう意味ですか」
「いや」
カイルは目をそらした。
「何でもない」
その時。
グレンが立ち上がった。
「ぐる」
そして、エリシアの背中を鼻先で押した。
「ちょっと」
前へ一歩よろける。
そこにカイルがいた。
ぶつかりそうになり、カイルがとっさに腕を伸ばす。
「危ない」
「……ありがとうございます」
エリシアはすぐ離れた。
グレンは満足そうだった。
「ぐる」
「今の、わざとですよね」
「たぶん」
「止めてください」
「努力する」
「努力では困ります」
カイルが少しだけ笑った。
それを見て、エリシアは驚いた。
この人も笑うのだ。
その日から、グレンはさらによく来るようになった。
二日後。
「また来たの?」
「ぐる」
三日後。
「今日は花壇に入らないで」
「ぐる」
四日後。
「パンはあげません」
「ぐるう」
「そんな顔をしてもだめです」
そして毎回、少し遅れてカイルが迎えに来た。
「すまない」
「今日は何も壊していません」
「そうか」
「でもパンを三つ食べました」
「すまない」
「私があげました」
「……そうか」
会話は少ない。
それでも、少しずつ話す時間が増えた。
カイルがどんな仕事をしているのか。
グレンと出会ったのはいつか。
王都の上から見る夕日がきれいなこと。
エリシアが花を育てるのが好きなこと。
人の多いお茶会が苦手なこと。
いつの間にか、エリシアはカイルが来るのを嫌だと思わなくなっていた。
むしろ。
「今日は遅いですね」
自分からそう思っていることに気づき、少し戸惑った。
ある日の午後。
エリシアは母から呼ばれた。
「来月のお茶会、参加しなさい」
「またですか」
「あなたも二十一でしょう」
「はい」
「いつまでも家にいるわけにはいかないわ」
言いたいことはわかる。
結婚の相手を探しなさい。
そういう意味だった。
「最近は、あなたのことを冷たいと言う人も多いのよ」
「知っています」
「少しは笑いなさい」
「無理に笑っても変でしょう」
「そういうところよ」
母は悪い人ではない。
娘を心配している。
それもわかる。
でも、エリシアには苦しかった。
自分はただ、うまく話せないだけ。
それなのに、それだけで人から遠ざけられる。
部屋を出たあと、エリシアは庭へ向かった。
そこには、グレンがいた。
「また来たの」
「ぐる」
「今日は、ちょっとだけいて」
エリシアは竜の横へ座った。
グレンは何も言わず、そばにいた。
しばらくして。
「また何かあったのか」
声がした。
顔を上げると、カイルが立っていた。
「……どうしてそう思うのですか」
「いつもより元気がない」
「わかるのですか」
「少しは」
エリシアは驚いた。
カイルはグレンの反対側へ座った。
「話したくなければ、話さなくていい」
「……あなたは、いつもそれですね」
「何がだ」
「無理に聞かない」
「聞かれたくない時もあるだろう」
エリシアは少しだけ笑った。
「やさしいのですね」
カイルは目をそらした。
「そうでもない」
「そういうことにしておきます」
しばらく二人とも黙っていた。
不思議と、気まずくなかった。
その夜。
エリシアは考えた。
カイルといる時は、無理に話さなくていい。
沈黙しても、相手が怒らない。
何か面白いことを言おうとしなくてもいい。
それが、とても楽だった。
そして。
たぶん、自分は彼が好きなのだと思った。
気づいた瞬間、胸が苦しくなった。
どうすればいいのかわからない。
恋愛の話は本で読んだ。
お茶会で聞いたこともある。
でも、自分がそうなるとは思っていなかった。
「……どうしよう」
もちろん、だれも答えてくれなかった。
数日後。
グレンが来なかった。
次の日も。
その次の日も。
カイルも来なかった。
四日目。
エリシアは心配になった。
そして自分でも驚くほど早く、竜騎士団の本部まで来ていた。
入口の騎士に聞く。
「カイル・ベルク様はいらっしゃいますか」
「カイルなら、北の街道へ出ています」
「何かあったのですか」
「山くずれです」
エリシアの顔が青くなった。
「けが人を運ぶため、竜騎士団が出ています」
「グレンも?」
「もちろんです」
「いつ戻るのですか」
「早ければ今日の夜でしょう」
エリシアはうなずいた。
「ありがとうございます」
それだけ言って帰った。
屋敷へ戻っても落ち着かなかった。
何度も窓を見る。
空を見る。
夕方になった。
夜になった。
それでも来ない。
夜遅く。
庭から音がした。
「ぐる」
エリシアはすぐ外へ出た。
「グレン!」
青い竜が立っていた。
少し泥だらけ。
でも大きなけがはない。
その横にカイルもいた。
「ごめん。こんな時間に」
「無事だったのですね」
「ああ」
エリシアはほっとした。
そして、その瞬間。
目から涙が出た。
「……え」
自分でも驚いた。
カイルも驚いている。
「エリシア?」
「何でもありません」
「泣いている」
「見ればわかります」
「どうした」
「心配したんです」
言ってしまった。
「あなたも、グレンも。何日も来ないから」
カイルは黙った。
エリシアは顔をそらした。
「すみません。変ですよね」
「変じゃない」
「でも」
「俺も、会いたかった」
エリシアが顔を上げる。
「……え?」
「仕事をしている間、ずっと考えていた」
カイルは少し困った顔をした。
「戻ったら、ここへ来ようと」
「どうして」
聞いたあとで、エリシアは後悔した。
でもカイルは逃げなかった。
「好きだからだと思う」
エリシアは固まった。
あまりにもまっすぐだった。
「……思う?」
「こういうことを言ったことがない」
「私もありません」
「なら、お互いさまだ」
カイルは少し笑った。
「エリシア」
「はい」
「俺は、あなたといる時が楽だ」
「それ、告白としてどうなんでしょう」
「だめか」
「もう少し何かありませんか」
カイルは真剣に考え始めた。
エリシアは思わず笑った。
「冗談です」
「そうか」
「私も」
エリシアは少しだけ息を吸った。
「あなたといる時が、一番楽です」
「それは」
「はい」
今度はちゃんと言う。
「私も、あなたが好きです」
カイルの顔が少し赤くなった。
それを見て、エリシアはまた笑った。
「ぐる」
グレンが二人の間に顔を入れた。
「ちょっと」
「グレン」
竜は満足そうだった。
「まさか」
エリシアはグレンを見る。
「最初から、こうするつもりだったの?」
「ぐる」
「絶対そうだ」
カイルが言った。
「あなたの竜、かなりおせっかいですね」
「俺も今知った」
「花壇を三回壊したのも?」
「それはたぶん別だ」
「そこは認めるのですね」
二人は笑った。
それから少しして。
王都の貴族たちの間で、小さな話題が広がった。
冷たいと言われていたローレン家の令嬢が、最近よく笑うらしい。
しかも相手は、無口で有名な若い竜騎士。
「意外ね」
「どこで知り合ったのかしら」
だれも本当のきっかけは知らない。
青い竜が勝手に庭へ来て。
花壇を壊して。
パンを食べて。
そのたびに無口な竜騎士が謝りに来た。
それだけだった。
でも、恋の始まりなんて、案外そんなものなのかもしれない。
「グレン!」
今日も庭から声がする。
「また花壇に入ったでしょう!」
「ぐる!」
「カイル!」
「すまない」
「あなたまでそれしか言わないのですか!」
アステリア王国のどこかで。
一頭のおせっかいな竜は、今日も二人の間に大きな顔を入れている。




