影を裂く牙
祇園の夜は静かだった。
屯所の庭に、虫の声だけが響いている。
白瀬かのんは縁側に座っていた。
包帯を巻いた手を見ている。
昨日の戦い。
何もできなかった。
ただ立っていただけだった。
その時。
足音が聞こえた。
「白瀬」
顔を上げる。
白川せなだった。
黒髪が夜風に揺れている。
「はい」
かのんは慌てて立ち上がる。
せなは淡々と言った。
「神禍が出た」
かのんは驚く。
「え」
「でも、白瀧隊長は」
「隊長は別任務」
せなは言う。
「だから私たちで行く」
かのんは一瞬迷った。
でも。
頷いた。
「……わかりました」
せなは少しだけ笑った。
その笑みは、どこか冷たかった。
⸻
祇園の裏路地だった。
灯りの届かない細い道。
黒い影が揺れている。
神禍。
一体。
大きい。
影が膨らむ。
白い目が歪む。
かのんの身体が強張る。
せなが言う。
「行きなさい」
かのんは固まる。
「……え」
「あなたの任務よ」
せなの声は冷たかった。
「神紋、出るかもしれないでしょ」
かのんは神禍を見る。
怖い。
身体が動かない。
神禍がゆっくり近づく。
影が伸びる。
かのんは後ろに下がる。
「……無理です」
小さく言う。
その瞬間。
神禍が跳んだ。
黒い腕が振り下ろされる。
かのんは避けきれなかった。
影が身体を打つ。
吹き飛ぶ。
地面に叩きつけられる。
呼吸が詰まる。
痛みが走る。
腕。
足。
動かない。
神禍が近づく。
白い目。
真っ直ぐ。
かのんへ。
その瞬間。
白い光が走った。
斬撃。
神禍の身体が裂ける。
影が崩れる。
せなの刀だった。
神禍は消えた。
静寂。
かのんは地面に倒れたまま動けない。
せなが近づく。
見下ろす。
その目は、冷たかった。
「……やっぱり」
小さく言った。
「使えない」
その時。
背後から声が響いた。
「せな」
低い声。
白瀧だった。
せなが振り向く。
白瀧が立っていた。
若白髪が夜風に揺れている。
目は穏やかではなかった。
せなは少し肩をすくめる。
「隊長」
白瀧はかのんのそばにしゃがむ。
「かのん」
声が少し強い。
「大丈夫?」
かのんはかすかに頷く。
「……すみません」
白瀧の手が止まる。
「なんで謝るの」
かのんは言う。
「私が弱いから」
白瀧は黙った。
それから立ち上がる。
ゆっくり。
せなを見る。
「……どういうこと」
せなは答える。
「神禍討伐です」
「隊士として当然の訓練」
白瀧の声は低かった。
「まだ怪我してる」
せなは言う。
「だから?」
沈黙。
祇園の夜風が吹く。
白瀧は言った。
「君らしくないね」
せなは笑った。
「そうですか」
その笑みは鋭かった。
「隊長こそ」
「変わりましたね」
白瀧は何も言わない。
せなは続ける。
「昔はそんな顔しなかった」
少し間があって。
「その子」
かのんを見る。
「そんなに大事ですか」
沈黙。
白瀧は答えなかった。
それが。
答えだった。
せなの目がわずかに揺れる。
ほんの一瞬。
でも。
確かに。
その奥で何かが壊れ始めていた。




