両国へ
意味が分からないくらい重いぬいぐるみをプレゼントされ、「これをわたしだと思って大事にしてね」と伝えられ、違う『重み』が加わった日。謎の好意を抱かれているのはひしひしと感じるものの、ほとんどの行動は『思わせぶり』で挙げ句の果てには、
「○○さんはわたしの『推し』なんです!」
と彼女の中のラインを強調するような宣言を受けている。そもそも出会った経緯が大学の友人から『ビジネス上の知り合い』を紹介されて、たまたまお互いに相撲好きだったのでアカウントでやり取りするようになった関係。数ヶ月前に飲み屋で会った際には「両国」に出向いた話と、「実はちょっとテレビに映り込んだんですよ!」というハイテンションの報告で結構盛り上がった。
『実は○○さんに大事なお話がありまして、是非○△(店舗名)まで車にてお越し下さい』
という意味深なメッセージを受け取りドキドキしていた身に力士を模した巨大なぬいぐるみを指さされた際には思わず絶句してしまった。生きていれば「こんなこと」もあるものだろうか。それほど広くない自宅に飾るのは相当骨が折れたが、数日が過ぎて寝室のその場所に収まってみると意外と悪くない。
思い返せば相撲を好きになったのは幼稚園時代。たぶん何かの気まぐれだったのだろうか少し気になる女の子に相撲の勝負を挑まれ、勢いのままに『押し出し』を食らって敗退。嬉しいというよりかは、
<自分は女の子にも負けるんだ>
と軽くショックを受けていた記憶。何せ当時はガリガリだったし。以後、相撲は見る専になりテレビの中継も名物力士の名を覚え、その人が勝ち名乗りを挙げれば自分も一緒になって喜ぶように。いつの頃からか緑色の「まわし」に言い知れぬ愛着を覚えていて、その色のまわしで横綱まで上り詰めた力士の名に『龍』が使われていたことから、小学校時代には『ドラゴン』のグッズを集めていたりもした。頂いたぬいぐるみのまわしの色はよくある『紺』。この色のまわしをしていたとある大関のややもすると愛想のないインタビューの姿が思い出される。全体的に派手さのない『渋い』取り口で、ファンはそれほど多くない印象ではあったが厨二病を患いかけていた自分にとっては、そのぶっきらぼうな感じが好ましく思え、やはり好きな女子が、
「○○くんはこれ、どう思う?」
とファンシーな文房具を褒めてもらいたさそうにしていた際に、
「別に」
なんて言葉を吐いてしまい、好感度をダダ下げさせてしまった苦い記憶がある。仕事でとあるプロジェクトが無事完遂した日、寝室でほの明るい照明で淡く浮かび上がっている『彼』=『彼女』(「わたしと思って」と言われたので)に、
「どうですか?居心地は」
と何となく話しかけてみたりもした。
『悪くないよ。この丈夫な柱で『鉄砲』もできそうだ』
自信満々な表情からはそう答えているような頼もしさがある。何となく言葉少なのイメージ。現実の方の大相撲も1月の本場所が始まって連日満員御礼らしい。自分が熱心に応援している同郷の『推し』は怪我明けでまだ本調子ではないらしく、何とか勝ち越しできればという印象。堅実な相撲ぶりで人気もある力士ではあるけれど、自分と似ていて『あと一歩』のところで勝ちを取り逃してしまうタイプ。つまりは器用さがない。
「あぁ…このメッセは微妙だな。なんて送ればいんだろうか」
本場所恒例となっている夕方のテレビ中継の後の『総括』を彼女…『川洲さん』に送ろうと文面を練りに練ったものの、切れ味がなくイマイチな表現になってしまう。何より同郷の…奇しくも「龍」が名前に入った力士の黒星でテンションが下がっている状態なので明らかに熱を帯びない。
「あっと…先にきたか」
うかうかしている間に彼女の方からメッセージが届いた。その独特の視点と分析力で『横綱を始めとした上位力士が優勝を意識したプレッシャーで少し硬くなってしまっていた』と評した彼女が文面の最後に、
『○○龍、惜しかったですね。初日よりも明らかに身体が動いていますよ!』
と自分の『推し』のことを気にかけてくれている様子を知ることができた。それを読んで、思うところあり何となく近くのコンビニまで歩き出していた。夜風というには厳しく吹き荒ぶ冷気。月夜ではあってもどこかしら『凄絶』な感じを受けてしまうのは現実の一面でもある。厳しくもあり、温かみもあり。
「俺は『推される側』として良くやれているだろうか」
と小さく呟いてしまった時には何を思っていただろう。
諸事情あって販売再開となったばかりのビール、とつまみを手に取り、相撲人気を象徴するかのように店舗に置いてあった特集記事が組まれた雑誌もついでに購入する。家に戻ってから軽く雑誌の中身を捲っていると『相撲女子の生態』として自宅にプレゼントされたあの巨大なぬいぐるみを飾って愛でている女性の話が載っていた。
『安心するんですよね。守られている感じ』
少し変わった『生態』ではあるものの、女性の言葉にどこか共感を覚えている自分。せっかくだからこの記事のことも文面に加えてメッセージを考え直した。何とか及第点のメッセージを送信すると「その雑誌のこと知りませんでした!チェックしてみます!」と即座に返信があった。
<喜んでくれてよかった>
と内心安心しながらビールを味わっていると、川洲さんを紹介してくれた友人からコールが掛かってきた。
「どう?川洲さんと仲良くやれてる感じ?」
「うん。この間、大きなプレゼントももらったよ」
友人としても川洲さんと仲良くやれていることが嬉しいのであろうと思って会話を始めていたら、「実はね」と打ち明け話のような感じで川洲さんの『とある事情』を伝えてくれた。
「川洲さん、前に付き合った人と『ひどい別れ方』をしてたらしくて、ちょっとした人間不信になっていたそうなんだ。そのとき相撲に出会ったんだってさ。苦笑いしながら彼女が教えてくれたよ」
「あー…なるほどなぁ」
「でも彼女って結構ポジティブを自負してるから今では全然切り替えられてるらしいんだけど…」
「だけど?」
「どこまで『踏み込んで』いいのか迷うんだってさ。最近」
「踏み込む?それはどういう?」
「なんでそういうセンシティブなことを俺に伝えてくれたかも、考え合わせると想像できるような…」
「あ…」
彼女が明確に自分のことを『推し』と呼ぶ理由。もしかしたらではあるけれど、彼女が踏み越えないようにと自分で決めてしまっているラインなのかも知れない。あるいは全然違うことなのかも知れないが。少なくとも友人との会話で「何か」は感じたのは確かだった。
「そっか」
思い立った自分はもう一度新たに彼女に送る、『贈る』メッセージを作成する。
『あの『力士くん』家に居ると安心しますよね。守ってくれているような。俺も川洲さんのそんな存在になれていたら嬉しいです。いつか一緒に両国、行きましょう』
今度はやや間があっての返信だったので内心ヒヤヒヤしていたが、
『ありがとうございます。○○さんはわたしにとって、そういう存在になっていますよ』
というメッセージ見て一安心。『今』はたぶん、これでいいはず。窓からもう一度大きく欠けたあの月を眺める。ここから毎夜あの月は大きくなる。そうしているうちに次第次第に世界は春へと向かい、そして3月場所もやってくる。今場所は完売だそうだから、少なくとも『両国』は…5月以降なのだなと、ぼんやり思うのだった。




