登場人物全員悪女!
物語の序章のような感覚で読んでいただければ幸いです。
「――もうこれまでだ」
城内で毎年行われる、各領主やその子息子女が集まっての盛大な夜の舞踏会にて始まるシーン。ゲーム内でもほとんどクライマックス近くの時期に挟まれるこのイベントシーンにて、主人公である第一王子のアレスのこの一言から始まる言葉の続きを、私は知っている。
「君にはもうほとほと愛想が尽きた。アンジェローネ・ラ・デ・ヴァイル」
王子の口から発せられる厳しい言葉に、他の皆々の注目も自然と一点に集まっていく。王子と向き合うようにして立っているのは、自らの悪性を示すかのような、シックな黒を基調としたゴシック調のドレスを身に着けた一人の令嬢。
「領地内の政治に無関心な上、その我が儘ぶりを発揮し、各種税金とは別に領民から別途金銭を巻き上げている。そして自らの存在を誇示する為にこうした社交場に必ず表れ、そして他の子息子女の悪い噂を流し、風評被害をまき散らす……まさにお前こそが悪女! この場にいてよい存在ではない!」
本来ならば、「なっ――」とか言って絶句しつつも、自らが積み上げてきた悪行をバラされたことを歯噛みし、それまでの仮初の笑みとは違う、悪鬼羅刹のごとき怒りの表情を浮かべ、アレスを睨みつける――筈だったが、私はそうはできなかった。
「えっ、ちょっ――」
「よって君を、この場限りでこのグリシュタイン国の社交界から追放する!!」
歯噛みする代わりにあわあわとした様子で口をパクパクさせるだけで、周りからすれば言い訳しようにも何もできない悪役令嬢としか映っていない。
しかしそれもしょうがないことでしかない。
なぜなら私はアンジェローネでありながら、アンジェローネではないのだから。
◆ ◆ ◆
「うぅーん……はっ!?」
結局のところ快眠とはいかず、うなされた末に目が覚めるような形で私は体を起こす。
無理もないことだ。まさか自分が楽しく遊んでいた男性向けのニッチなギャルゲー、「六人の公女様!」に出てくる唯一の悪役令嬢、アンジェローネが断罪されるシーンを主観視点で体験するような夢を見たのだから――
「――って、あれ?」
目を覚ましたのはいいが……これもまた夢? 私が普段生活しているのは都心のワンルームマンションの一室で、薄っぺらな煎餅布団に横になって寝ていたはず。このような広々とした空間に豪華絢爛な装飾がなされた貴族の寝室のはずがない。
「お、落ち着け私……確かに昨日は飲み会でお酒を飲みすぎたかもしれないけど、こんなことになる筈がないわ……」
それにさっきから自分が発している声も普段とは明らかに違う。まるでアンジェローネに声を当てている声優さんと同じような、小悪魔的でありながらも、凛々しく芯の通った声で――
「――って、まさか!?」
飛び出すようにベッドの布団をはねのけ、寝室に備え付けられている化粧台の前に立ち、大鏡で自分の姿を確認する。そこに映っていたのはそろそろ三十歳という年齢が見えてきた目にクマを携えたOLの姿ではなく自分がひそかに推しとしていた十七歳の若き悪役令嬢、アンジェローネ・ラ・デ・ヴァイルそのものの姿だった。
本来であれば悪役に相応しいクールな三白眼に、開いた口から時折覗き見える八重歯と色々と特徴が並べられるものがあるのだが、今鏡に映っているのはただただキャラクターとして相応しいものではない、予想外の出来事に慌てふためく悪役令嬢の姿だけ。
「えぇーっ!? 流石にまだ夢でしょ!?」
そうして自分の頬――ではなく、アンジェローネの頬をつねってみるが、起きている時と同様の痛みが伝わってくる。
「……えぇー……」
こうなってくると言葉も出てこない。ただただ困惑の声を漏らすだけで、それ以上は何も言えない。
「まさか自分が推してたキャラに転生したなんて……」
異世界転生――確かに最近漫画やライトノベルで流行っているジャンルで、まったく知らない訳では無い。しかし実際に自分自身の身をもって体験するなんて、一体誰が予見できたというのか。
「……こうなったら仕方ないわ。一度やりこんだゲームですもの、何とか無事クリアして――いや、このままだとまずいわね……」
現在の時系列的な進行度合いによっては、詰んでしまう可能性もある。特にこのアンジェローネ、自身が第一王妃として――ヒロインとして選ばれなかった場合、大抵はこれまでのしっぺ返しとして酷い目にあった挙句、最後は行方不明になるというむごい仕打ちが待っている。
そうなってしまってはせっかく転生した第二の人生の幕引きとして、非常に後味が悪いものになってしまうのは間違いないだろう。
「ひとまず状況を把握しないといけないわね……まずは朝の支度でもしましょうか」
パッと周りを見渡す限り、使用人の姿が見えない。それはこのアンジェローネに対する忠誠心が低いことを示唆しているのか、あるいは別の意味があるのか。何はともあれ、ひとまずは自分の支度は自分でするべきということか。
後はどうせなら推しになるのではなく、押し周りの人物となってアンジェローネを愛で――支えたかったという願望は、この際胸にしまっておくとしよう。
◆ ◆ ◆
とはいえ元々のゲームが中世ヨーロッパを参考にしているのか、普段着としてきているであろうドレスだが、どう考えても一人で着るのは難しいように思われる。となると、やはり使用人について貰わないといけないが――
「――本当に誰も来ないのかしら」
かといって、寝間着のまま外をうろつくのは貴族としてはしたない。何よりアンジェローネらしい行動とは思えない。
「……折角なら、この空いた時間で色々と振り返った方がいいわね」
まずは現状の整理。最初に考えるのは、自分自身の身に起きた転生について。
ゲームで唯一、公式に悪役令嬢として設定されたヒロイン、アンジェローネ。彼女はゲーム内で唯一、王妃として選ばれなかった場合に悲惨な結末を迎えることが決定づけられているというある意味可哀想なキャラクターだ。しかし彼女以外のヒロインを推しているファンからはそうなるべきだと言われており、ゲーム内でもとにかく悪辣な行動が目立つ悪女として描かれてきている。
そして彼女が悪役として決定づけられている一番の理由が、彼女が王妃として主人公から選ばれた際には、今度は残された五人のヒロイン候補である貴族子女が皆いずれも何かしらの決定的な悲惨な目にあわされるという、まさに他ルートを知るファンからすれば復讐とも言えるような展開が待っているという点だった。
「アンジェローネ……まさかアン様に転生するなんて、思ってもみなかったけど」
そんな彼女だが、私のようなニッチなファンは確かに存在する。それはやることについては悪逆非道そのものながら、キャラデザインがぶっ刺さる人にはぶっ刺さるものだからだ。
かくいう私もクールな三白眼の悪役キャラというのにかっこよさを感じていて、今こうして自分自身がアンジェローネとなった際も、彼女のイメージを崩さないことを第一に考えていくつもりだ。
「そして問題はイベント進行度……」
こうなっては夢だと思っていた社交界追放宣言も、もうそこまで話が進んでしまっていると考える他ない。
「となると……あれ? これってもしかして詰んでない?」
このイベントが発生した時点で、以降アンジェローネのフラグは全てへし折られ、彼女がヒロインとなるルートは閉ざされてしまうことが確定してしまうことを知っていた私は、今度は別の意味で顔を青ざめなければならなくなる。
「うぅ~、どうすればいいのよぉ……」
さっきも確認した通り、アンジェローネが選ばれなかった場合の全てのルートの結末として、行方不明となるオチが待っている。ゲームではたったの一文で表現されるものだが、私にとってそれは実体験となって襲い掛かる。
行方不明となった先にどんな酷いことが待っているのか。想像できないししたくもない。
「こうなったら、何とかしてルートを修正しないと……」
それかあるいは、別の国などの有力な貴族に鞍替えをして、行方をくらませるという意味での行方不明という方向にもっていくしかない。
「とにかく、何としてでも生き延びてやる……」
そうして決意のこもった顔つきをすることで、私はようやく悪役ながらも芯のある、アンジェローネらしい表情を浮かべることができた。
「……それにしても、本当に誰も来ないわね」
暫くの間頭の中で考え事を纏めていたが、その間も誰も部屋を訪ねてくるものはいない。
もしかして社交界からの追放を受けて、領民や従者からの信用もなくなり、夜逃げをされたのでは――
「おはようございます、アンジェローネ様! 今日はお早いお目覚めでございますね!」
自分のものではない声のする方を振り向くと、そこにはよくあるメイド服姿に身を包んだ、ヴァイル家に仕えるメイドの一人がドアを開けて入ってこようとしていた。
「お、おはよう……えぇーと……」
「おや? まさかまだ少しお眠いのでしょうか?」
「い、いいえ違うの。名前をど忘れしてしまって――」
「あっ……いえいえ、私なんて最近雇われた新参者ですのでお気になさらず! ちなみに私はレオネと申します。以後は名前を憶えて頂けると幸いです!」
年齢としては自分と同年代か、少し年下だろうか。その口ぶりからアンジェローネとは日が浅く、そして何かしらの嫌な目にはまだあっていないようだ。
「え、ええ……そのうち覚えておくわ」
果たして今の受け答え、アンジェローネらしかったのだろうか。
自分がアンジェローネの皮を借りた別人だということは悟られてはまずい。あくまで今まで通り、毒舌も交えながら、悪役令嬢らしく過ごしていかないと。
「ふんふふんふふーん♪ 今日のドレスはどれにいたしましょうか」
そうして提示されたのは二着のドレス。一方は血のような赤にアクセントカラーの入ったドレスと、もう一方は真っ黒で一切の差し色がない大人びたシックなドレス。
「そうね。じゃあ黒を貰うわ」
「承知いたしました! アンジェローネの昔からのお気に入りの色ですし、何より高貴なその身にお似合いの色ですからね!」
口が動くが手はその倍以上に動いている。テキパキと衣服の紐が結ばれ、コルセットが絞られ、そして導かれるままに手を伸ばし、足を曲げるなどして衣服を着ていると、いつの間にか立派なドレス姿に仕上げられている。
「……素敵ね」
「何をおっしゃいますやら! アンジェローネ様はいつでも素敵でございますよ!」
それにしても、元の世界では決して着ることが無かったドレスを、異世界に来てから初めて着ることができたという感動は抑えることができない。暫くしてからハッとした様子で顔の表情を無感情なものに戻すと、それとなくレオネに今後の予定を聞くことにした。
「今日は何かあったかしら?」
「そうですねー……やっぱり昨日の社交界追放の件について、父君であるグレゴール様から、朝食の時間にお話があるようです」
「やっぱり……」
社交界追放は確定事項。となれば、後はどういった手を使うべきか。それかもしくはこのまま父親の指示に強制的に従わされ、挙句行方不明になったとして処理される強制イベントが起きてしまうのか。
「……お父様はどんな様子だったの?」
「やっぱり社交界追放は深刻に受け止められていたようで、問題はどうやってアンジェローネ様を再び社交界に戻すか、頭を悩ませているようです」
となると、父親の手を借りて社交界に戻れないか、これから模索できる道が生まれるということ。これがゲームであれば、固定された選択肢から選ぶしかない。しかし今の私の前には、選べる選択肢は無限に存在する。
「……お父様には、感謝しないといけないわね」
「……そうですね」
一拍遅れてのレオネの返事が不思議に思えたが、私はそれを追求せずに、部屋を後にしていった。
◆ ◆ ◆
先行するレオネの後を追って、大広間へと向かう廊下を歩いていると、一人の青年(?)とすれ違う。
「おや? アンジェローネ様ではありませんか。こんなお早い時間に起きていらっしゃるとは珍しいですね」
なぜ私が青年に(?)をつけたのかというと、男物のタキシードを身に着けていながらその顔立ちは中性的、そして背中の端からちらちらと揺れているのが見えるくらいに髪が長く、肉付きも少ない細身であるところから、男装した女性と思われてもおかしくはなかったからだ。
「いつもであれば起床時刻は九時を過ぎるはずですが……おや、時刻はまだ八時を過ぎたばかりですね。なんとも珍しい」
そういう本人も寝起きなのか、ジト目状態のまま懐中時計を取り出して時間を確認している。
現時点での率直な感想として、このような主人に対して不愛想な者が従者としてこの場にいるのが、ヴァイル家にとって相応しいと思えない。
「バレット! 貴方、下僕の身分でありながら相変わらず口が過ぎるわよ!」
「それは申し訳ございません。思ったことがすぐ口に出るタイプなので」
そうして懐中時計を片手に謝罪の言葉を並べるが、悪びれるような態度をとっていないところから、この下僕身分の人間はアンジェローネのことをあまり良く思っていないように思える。
だとすれば、アンジェローネとして取るべき態度はただ一つ。
「……思ったことがすぐに口に出るなんて、まったく躾がなっていないようね」
あきれた様子で反応を示してみせることで、険悪な雰囲気のままその場を離れる――それがこの場における正解だと思っていた。
「……だったら直接、私を躾けては頂けますでしょうか?」
「えっ? へっ?」
こちらのそっけない態度に対して、バレットと呼ばれた下僕はずずい、とまるで自己アピールするかのように頭を下げながらこちらの顔を覗き込むようにじっと見つめてくる。
「な、なんで私が……」
「ですからこの若輩者で未熟なバレットを、アンジェローネ様自らの手で躾を――」
「はいはい、そうやって構って欲しいからって近づかないの!」
「むっ……」
そうやってレオネから無理やり引きはがされるような形で、バレットは私の傍から離される。バレットの方はというと、少しばかり残念そうな表情を浮かべつつ、背を向けて去っていく。
「まったく……そんな構ってちゃんな態度だからアンジェローネ様に鬱陶しがられているってのに……ですよね、アンジェローネ様」
「……っ! え、ええそうね!」
そうはいってもいわゆるガチ恋距離と言われるところまで急接近されると、こちらとしても変な意識をしてしまう。
不愛想に見えて構ってちゃんなダウナー系美男子……ありかもしれない。
「…………」
しかしこのような態度は普段とは違うのだろう、レオネはこちらを訝しげにじっと見た後、再び前を向いて歩き始める。
だが一つだけ、誰かにできるという訳でもないが、言い訳ができるのであればさせて欲しい。それはレオネにしても先ほどのバレットにしても、本来のゲームであれば役柄名とシルエットだけで会話が進行していくだけのモブキャラ。それがこうして一人一人個性を持った姿で現れるのだから、こちらとしては新鮮なリアクションを返さざるを得ない。
そしてこれから会うであろうアンジェローネの父親もまた、私にとっては全くの初対面となる。
「……グレゴール様も後ほどご着席されますので、お先に席についてお待ちください」
そうして長いテーブルの置かれた大広間へと足を踏み入れるたのはいいものの――
「……どっちに座れというの?」
当然ながら元々は日本のしがないOLでしかなかった私が、貴族のマナーやルールに詳しいはずもなく、テーブルの端に用意された三つの席のうち、どれが上座でどれが下座か分からずにいる。
「……こういう時って、大抵部屋の奥側が上座のはず」
そう思って部屋の手前側に一つ用意してある席の方へと腰を下ろし、自分の父親がやってくるのをじっと待つことに。
「……とはいえ、だとすればこの空席一つが妙に気になるのよね」
自分と父親だけであるなら、席は二つで足りるはず。となれば、空いた一席には誰が座るのか。
「もしかして座る場所間違えた――」
「おはよう我が愛しき娘よ。今日は早起きだったそうじゃないか」
立った拍子というべきか、声のする方を向いてそのまま朝の挨拶を私は返そうとした。
――たったそれだけの筈だった。
「おはようございま、す……お父、様……?」
娘が悪役令嬢だとすれば、父親はマフィアのボスか何かだろうか。明らかに堅気とは思えない強面の男が、大広間の入り口からこちらへと向かってくる。
「なんだ、どうした我が娘よ。いつも通り席につきなさい」
「え、ええ……」
父親に促されるまま、そのまま腰を下ろして椅子に座りなおす。父親はまた表情をにこやかなものに戻し、そのまま反対側の一番端から、一つ空いた席に腰を下ろし始める。
「……あれ? こちらの席ではありませんの?」
一家の長とあれば、一番の上座に座るのがマナー。それを敢えて一つ空けて座る意図がつかめない。
「ああ。いつもならお前と向かい合っての食事だが、今日は大切な貴賓を朝の食事会に呼んでいてね。席を一つ空けているんだ」
「でしたら、私はここでよろしかったのかしら?」
「勿論、むしろそこに座って貰わないと困る」
一体誰がここに座るというのか。貴賓と呼ぶからには相応の人が来るのは間違いないだろうが、朝からこのような席を設けるとは、いったい何が起こるというのか。
「それよりも、だ。アンジェローネ」
「はい、お父様」
父親であるグレゴールはそれまでの砕けたような雰囲気から一変して真剣な表情へと切り替わると、こちらの容態を伺うような言葉を投げかける。
「大丈夫だったか? 昨日は随分と酷いことを言われたようだが」
「昨日……もしかして、舞踏会のことかしら?」
「ああ……その様子だとよほどのショックだったろう。可哀想に、我が娘に悪い所など一片たりともないというのに」
どうやら昨日の舞踏会で第一王子から突き付けられた言葉のショックが大きかったせいで、その場で気絶するように倒れたのだという。本来であれば睨みつけながらも自分の足でしっかりと歩いて退場していくのが大筋だが、私の場合そうはならなかったようだ。
「それに記憶が少し混濁しているようだ。一番長く身の回りをしてきたレオネの事を、まるで初対面であるかのように応対していたと聞いたからな」
どうやら従者として一番長い付き合いがあったレオネへの対応から間違えていたようで、そのせいか私は記憶を無くしていると思われている様子。
――ならば都合がいい。このまま記憶を失っていることにして、暫くの間は情報を得ることにしよう。
「……実はショックなのか、記憶が欠落していて、こうしてお父様の事もまるで初対面のように感じてしまうのです」
そうして頭を抱えて下を向くと、グレゴールは慌てた様子で駆け寄り、娘の身を案ずるように肩を掴んで抱きしめる。
「大丈夫だ、アンジェローネ。私がついている。記憶を無くそうが、どうなろうが、お前は私のたった一人の娘なのだ」
「ありがとうございます、お父様……」
多少罪悪感はあるものの、今後の事を考えればこうして記憶をなくしたふりをした方がいいのは間違いない。
「できれば少しずつでも、昔の私の事を教えてくださいますか? 出来るだけ記憶を早く取り戻すためにも――」
「そう急くこともないさ。少しずつ、ゆっくりと思い出してくれたらそれでいい」
ここまでの父親の対応からして、この親子間の仲は悪いものではないようだ。ならば行方不明エンドを回避するためにも、今後も出来る限りの協力をお願いするとしよう。
「その為にも、今日はアンジェローネの記憶を取り戻す第一歩としても、非常に相性の良いお方がお見えになることになっているんだ」
そうしてタイミングよくといった様子で、大広間の扉が再び開かれる。その方を向くと、執事と思わしき老いた老人がうやうやしく頭を下げながら開いたドアに手をかけてドアを固定しており、一人の青年が一瞥した後にこちらの方を向き、そして満面の笑みを浮かべて一歩一歩と歩みを進めてくる。
「――おはようアンジェ! 君の家にまた招待されるなんて、嬉しいよ!」
「……まさか――」
この青年は知っている。だがアンジェローネとこのような関係があった描写なんてなかったはず。
ゲームでもサブキャラクターとして登場して、その立ち姿もきちんと描写されている。しかしこのような二人の仲を匂わせるような場面なんてあった覚えなんてないし、そもそもアンジェローネ推しの私にとってはこの組み合わせは寝耳に水レベル。
第一王子であるアレスの唯一の兄弟でありながら、何かと思案することが多い兄と違って、フランクな性格の持ち主。明るい性格を表現するかのようなラフなヘアスタイルでありながら、目を合わせた者に厳格さを感じさせるような、王族の血を受け継いでいることを示す金の瞳を携えた青年。
「――エメリッヒ第二王子……?」
「やだなぁ、こうして私的な場ではいつものようにエメリッヒと気軽に呼んでくれていいのに」
「えっ、あっ……えぇーっ!?」
「……ん? どうしたんだいアンジェ。おーい、もしもーし」
性格は変わらないままだが、二人の間の距離感が明らかに近い。近すぎる。先ほどのバレットよりも下手すれば顔を近づけてこちらの顔色を覗き込んでいるようだが、私としては理解が追いつかずフリーズしてしまっている。
「一体どうしたのアンジェ? まさか昨日のことで――」
「実はそうなのです、エメリッヒ王子殿下。色々と話すべきことが積み重なっておりまして。立ち話もなんでしょうから、食事をとりつつお話をしていきましょう」
「ふーん……そっか。なら、詳しく聞かせてもらうとしようか。アンジェは勿論私と向かい合う席でいいよね?」
「あ……はい……」
「――記憶喪失!? それは大変だなぁ」
従者や下僕の手によって朝食が運ばれていく中、エメリッヒ王子は私の身に起きたことに対して、まるで身内に起きた不幸であるかのように酷く心を痛めていた。
「まだ医者には見せていないのですが、どうやら我が娘の記憶は酷く虫食い状に欠落しているように見受けられまして。最初は父親である私にすら、覚えがないといった様子だったのです」
「そんな中で私の名前は覚えておいてくれたみたいで、嬉しいよ」
「そんな、滅相もございません! 王子殿下と娘の仲睦まじさは、亡き妻がこの場にいたなら嫉妬していたと思えるほどでしたから、忘れていようはずがございません!」
半分放心気味になりながらも、私はかろうじて二人の会話に耳だけはしっかりと傾けることが出来ていた。
二人の会話を聞いている限りだと、実はアンジェローネとエメリッヒ王子は隠れて付き合っていたようで、その為なのかゲームでも詳しく描写されることは無かったようだ。
振り返ってみて唯一ヒントとして考えられたのは、まさに主人公である兄がアンジェローネを娶るルートを選んだ際に、最後にそれぞれから祝福の言葉を投げられるイベントシーンにてただ一人、第二王子だけがあまり祝っている様子では無かったということぐらいか。
そんな隠し設定であるこの二人の関係性は、ゲームをしていただけの頃であれば胸躍るものがあっただろう。しかしこうして自分の実体験となった場合、ただただ理解が追い付けないだけになってしまう。
「それで、アンジェ」
「は、ひゃい!」
突然話の矛先がこちらへと向けられ、返事をする声が思わず裏返ってしまう。
恥ずかしさのあまりに顔を真っ赤にする私だったが、エメリッヒ王子はそんな様子を微笑ましそうに見ている。
「フフッ、こうしていると初めて君を紹介された時を思い出すね」
「そ、そうでしょうか?」
「うんうん、あの時も父君に晩餐会に連れてこられて、緊張していたよね」
存在しない記憶について話を振られても、こちらとしてはどうしようもない。その後も雪崩を打ったように様々な思い出を語ってくれてはいたが、生憎一つも分からない。
そうして困惑する私の様相を感じ取ってか、エメリッヒ王子は小さなため息を一つ漏らし、やれやれと言った様子で首を横に振る。
「……どうやら、名前以外は覚えていないようだね」
「大変不快な思いをさせてしまい、申し訳ございません。娘の非礼は、私が代わりに――」
「そんなことはどうだっていい」
まだ食事もしていないというのに席を立つ――ということは、記憶を失ったアンジェローネに対して、愛想が尽きたということなのか。
記憶喪失で乗り切るつもりがいきなり大きなミスをしてしまい、思わず顔を下に向けてしまう。
このまま王子は出て行ってしまう――そう思っていた矢先に、誰かが私の手を取ってしっかりと握りしめている。
顔を上げるとそこには、退出したと思っていたエメリッヒ王子の姿があった。
「思い出を無くしたのなら、また一から作っていけばいい。私に対する愛情を無くしてしまったのなら、また愛してくれたらいい。今の君にとって、私が相応しい者だと想ってもらえるように――」
――無くした記憶を満たすだけじゃない、溢れんばかりの愛を君に捧げよう。
「……うぅ~~っ!!」
兄の方もそうだったのだけれど、よくもまあ歯の浮くセリフを言えるなぁと第三者視点ではそれなりに楽しみながら聞けていた。しかし現にこうも真っ向から言われてしまうと、心臓の鼓動が早くなってしまう。それに真っ赤になった照れ顔を隠そうにも手を片方握られ、もう片方で何とか隠しながら顔を逸らすことでしか逃げることができない。
「ふふ……君は何時だって、真正面から好意をぶつけられると照れてしまう子だったよね」
「……ウォッホン!! 殿下には大変申し訳ないが、これ以上惚気られると私もこの場に居づらくなってしまう。その辺で勘弁して貰えないだろうか」
「ハハ、確かにそうだね」
最後に少々からかいすぎたとばかりに、頭をポンポンと撫でられる。
「では、逢瀬はまた二人きりの時に」
そうして何事もなかったかのように、エメリッヒ王子は再び私と向かい合う席へと腰を下ろし、朝食が運ばれるのを再びじっと待っている。
――恐るべし第二王子。そして恐るべしアンジェローネ。よくもこの人たらしとも言える第二王子を自分だけに夢中にさせたものだ。というより、この様子だとゲームに置き換えるとすれば弟が狙っていた女性を兄が寝取った形になるのか。それは確かにエンディングで唯一不機嫌になるわけだ。
こうなったら私もまた、エメリッヒ王子と再び蜜月の関係を築けるように頑張らねば。
……決して今の流れでドキッとしてしまった訳じゃないと、自分には言い訳を立てておこう。
◆ ◆ ◆
――同時刻。アンジェローネの父であるグレゴール・ラ・デ・ヴァイル辺境伯が統治している国境近くの領地から遠く離れた首都圏内のとある屋敷の中庭にて、同じく朝食の場が設けられている円形のテーブルを二人の公女が囲んでいた。
その光景は一枚の絵画として切り取れば実に映える程に様になっており、気品の高さと優雅さを辺りに振りまいていた。
「それにしましても、昨日の舞踏会は胸がすく思いでしたわ」
「まったくもっておっしゃる通りですわね、ジゼルお姉様。あのアンジェローネの顔を見ました?」
「ええ、勿論見たわよリサ。追放宣言の瞬間のあの青ざめっぷり、思い返すだけでも気分が良くなるわ」
かたやジゼルお姉様という敬称で呼ばれ、かたやリサという愛称で呼ばれた二人の令嬢が語っているのは、昨日の王族主催の舞踏会についてだった。同じ第一王子を狙う者として、ライバルが目の前で散っていく様を見るのはいつだって嬉しいものだと、晴れ晴れとした表情で語っている。
「それはそうと、エルは昨日の舞踏会にいなかったみたいだけど……まさか“お楽しみ”を優先したのかしら?」
「エイルフィンお姉様のことでしたら、まさにその通りですわ。ついでに言いますと、オフィーリアお姉様も教皇様とのお約束を優先されたようで」
「全く……あの二人には自分が貴族の令嬢であるという自覚は無いのかしら」
「あったら舞踏会に出ているに決まっていますわお姉様」
この場にいない二人の令嬢の名前を出し合い、それぞれが別の優先事項ゆえに舞踏会に顔を出さなかったことに対してあきれたといった様子のジゼルを見て、リサもうんうんと頷いて同調する。
「タリアは来ていたようだけど、今日はまだ顔を出していないわね」
「日課の沐浴の後、朝の視察に出向いているみたいですわ」
「仕事熱心で何よりね。ほんと、エルに爪の垢を煎じて飲ませてあげたいくらいだわ」
ジゼル、リサンドラ、エイルフィン、オフィーリア、そしてタリア――これらの名前はいずれも、「六人の公女様!」に出てくるヒロインの名前であった。それぞれが名門貴族の出身で、容姿も性格も様々。しかしそれぞれ少なくとも悪役令嬢キャラのアンジェローネよりも、彼女たちを推すファンの人数は上である。
そしてその中でも人気を二分するとされているのが、このジゼルとリサンドラの二人だった。
冷徹でクールビューティな完璧主義者――かと思いきや、意外にも手先が不器用というギャップ萌えを確立している令嬢、ジゼル・アルテナ。誰にでもフレンドリーで、アンジェローネを除く他の四人全員と交友を持っている年下の妹のような令嬢、リサンドラ・アガール。「六人の公女様!」を語るにあたってこの二人は絶対に外せない程の人気令嬢が、同じテーブルを囲んでいる。
ちなみにこうして朝食の際にこの二人が同じテーブルに座っているというのは原作にはない描写であり、当然ながらアンジェローネが知る由もない。
「まぁ、今日は朝からパイだなんて、私の家では珍しいけどジゼルお姉様の家ではよく出てくるものなの?」
「今日は特別な日だから、デザートにラズベリーパイをね」
そうして従者の手によって運ばれてきたパイだったが、そのまま従者の手で切り分けようとしたところをジゼルは手を挙げて制する。
「お嬢様、パイを切り分けようとしただけなのですが――」
「いいのよ。今日は私がやりたい気分なの」
「で、ですがお嬢様――」
「いいじゃない。どうせこの場には私とリサしかいないのだから、多少の失敗くらい大丈夫よ」
「そ、そうおっしゃいますのであれば……」
ジゼルはいたってにこやかに答えていたが、従者は何故かひたすらにその笑顔を怖がっていた。そして笑顔のままのジゼルから逃げるようにして、足早にその場を去っていく。
「……それで? うまいことアンジェローネを社交界追放へと追いやることができたのですもの。そろそろ“分配”について話し合う必要がありそうね」
「っ! それは素晴らしい考えですわジゼルお姉様!」
分配という言葉を吐きながら、ジゼルは切り分けるためのナイフをパイにずぶり、と沈めていく。それを見ていたリサンドラもまた目を輝かせ、ジゼルの手によってパイがどう切られていくのかをじっと見つめている。
「ではまず、リサには何を差し上げようかしら?」
「んー、でしたら私にはあの目つきの悪い下僕の男を含めた、従者達全員を頂きたいところですわ」
元のゲームのキャラ設定通りこうしたことに慣れていないのか、ジゼルはグチャグチャとした切り口を残しながら、更に上に乗せられたラズベリーを数個落としながら、歪な形にパイを切り分けていく。
そうして予想以上に汚く切られていくパイを見て、リサンドラは大きくため息をついてしまう。
「あーもう、ジゼルお姉様ってば、料理の取り分け方を習わなれなかったのですか?」
「むぅ……悪かったわね、不器用で」
そうしておおよそ元の形の五分の一――三角に切られたパイは皿に盛り付けられ、ジゼルの手によってリサンドラの前に置かれる。
「それではリサに与えられるのは、ヴァイル家に仕える人間全員ね」
リサンドラはそうして目の前に置かれたパイを愛おしそうに見つめるが、これだけでは足りないと、切った際に大皿に漏れ出たラズベリーをフォークで突き刺し、自身のパイの上に飾りつけるように乗せてこう言った。
「折角ですもの、アンジェローネも貰おうかしら」
「あら? どうして?」
「だって彼女だって、性格はともかく見た目は立派な“商品”になれるんですもの」
そうして笑みを浮かべるリサンドラの顔は、普段の彼女を知るものであれば誰しもが否定したくなるような、いびつに歪んだものと化していた。
しかしジゼルはその顔を見ても眉一つ動かすことなく、淡々とその目的についてリサンドラに問いを投げる。
「もしかして彼女も競売にかけるつもり?」
「どうせ残りも皆で分け合うのでしょう? 折角ですもの、好き嫌いなく何一つ残さず食べ尽くさないと怒られてしまいますわ」
リサンドラ・アガール――ゲームでは決して語られない、アガール家の裏の家業。それは表には決して出すことはできないものだった。
「その手の変態貴族には目玉商品として受けそうじゃない?」
「相変わらずおぞましい商売をしているのね」
「あら? ジゼルお姉様がお付き合いしている相手に比べれば可愛いものですわ」
そしてジゼルが同じように裏で糸を引いている物事について、リサンドラはここぞとばかりにつっつき始める。
「まさかよりによって隣接している他国の宰相と通じているなんて、一体誰が信じるというのでしょうね」
「いくらここが敷地内だからって、あまり大声で言わないでもらえるかしら。どこで誰が聞いているかもわからないというのに」
そうして自分の分を取り分けたジゼルは、少し大きめに切ってしまったパイを見ながら、自分が欲しい分をこの場にいない三人にも向けて宣言をする。
「私はあの土地が欲しいのよね。将来的に隣国に差し出すこともできるような、“取引材料”として自由に動かせるあの土地が」
「ジゼルお姉様ったら、欲張りなんだから」
「心配しなくてもタリア向けに麻薬栽培の土地の貸し出しもしてあげるし、フィーには聖堂を建てさせてあげるから問題ない、でしょ?」
そうして残りの三人分までをもグチャグチャと切り分け終えると、ジゼルはナイフについたラズベリーをこそぎ取るように、指でなぞって口へと運ぶ。
「まあお姉様ってば意地汚い」
「いいじゃないの。どうせ誰も見てないんだし」
「さっきどこで誰が見ているか分からないって言ったくせに……」
そうして分けられた五つのパイ――それはそのまま、傍目にはヴァイル家を暗示しているようにも見えてくるものだった。
「残った第二王子はエルにでもあてがっておけばいいでしょう。あの子なら今更交際相手が一人増えたくらいで何ともないでしょうし」
第二王子とアンジェローネの関係性、それは誰も知る筈がない秘め事。しかしジゼルは既にこの情報を掴んでおり、そして同じように分配の一つのピースとして扱っていた。
「第二王子ってば可哀想、よりによってあんなふしだらな人を最後に選ばされるなんて」
「こら。アガール家のご令嬢がそんなことを言わないの」
そうやって二人して笑いあっているが、話している内容は悪役令嬢顔負けの邪悪そのものだった。
そして本来のゲームであれば誰も知る筈がない、彼女たちの本当の素顔がそこにある。
「ヴァイル家解体計画、まずはどこから頂こうかしら……」
ジゼルはそうして自分で切ったパイを更に切ろうとナイフを構え、どの部分から食べていこうか、どの部分から切り分けたら美味しく食べきることができるのか、喜びを浮かべながら迷っていたのだった。
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