二話 平穏な日常
授業の終わりを知らせるチャイムが鳴り響く。
緩くはあったが授業という拘束時間から解放され、学生達の空気は先程とは比べ物にならないほどに弛緩する。
「はいはーい。授業が終わって浮かれるのもいいが、ちゃちゃっとホームルーム終わらせるぞ」
黒見先生が教卓の上で、書類を纏めながらホームルームの開始の合図を告げる。
生徒たちも教科書を机の中にしまったり、スマホをポケットに戻し気だるげではありながらも席に着いた。
「つっても、連絡事項は一件だけだ。近頃、この高校周辺でペットの失踪事件が相次いで起きているからな。一応連絡しておくが何か不審な物や不審人物を見つけたとしても、近寄らず警察に通報するように」
バインダーに閉じられた一枚の紙を僕たちへと見せつけながら、黒見先生はその文字を読み上げる。
小動物の死体。その言葉の指し示す通り、この地域では近頃、ペットが相次いで失踪する事件が発生している。
被害に遭っているのは主に屋外で飼われている動物たちだ。犬や猫などの動物達がある日を境に姿を見せなくなる。回覧板で見た情報が正しければ一か月ほど前からペットの失踪事件は起きていた。最初期は数匹程度。だが今日に至るまでにおよそ、五十匹近い動物達が行方不明になっている。
精神的な問題を抱えた猟奇殺人犯という物は最初は小動物から犯行をはじめ、次第にその対象が大きくなっていき、最終的には人間へとターゲットを絞るともいう。それを警戒してか、最近パトロール中のパトカーの台数が多くなったような気もする。
だが正直な所、そのような警告をされたところで実際に怖がったり姿の見えない犯人に対して恐怖を抱くほど、僕らは大人じゃない。この事件に対しても、対岸の火事程度に思う人間が多数だろう。
僕を含め、学生というのはそんなものだ。
「その影響で春休みまでの残り三日間の授業が短縮になったが、どーせ寄り道せず帰れなんて言った所で、お前達は聞かんだろうし、俺もあーだこーだ注意するつもりはない」
黒見先生の言葉通り、短縮授業に心躍っているのがこのクラスの大半だ。勿論、それは僕も含めて。
黒見先生も生徒たちの気持ちは重々承知しているのだろう。特に咎めることもしない。
一応、形だけの釘差しだけはするようではあるが。
「春休みまでもう少しだ。いつも通り、トラブルを起こさずお行儀よく過ごせ。くれぐれも警察の厄介になるような事はすんなよ。それと日直は日誌を俺の机の上に置いといてくれ。じゃ、解散」
やはり適当な黒見先生のその締めの言葉で、ホームルームは終了する。
授業を乗り越え学校という監獄から解放された生徒たちは一斉に騒ぎ出す。
放課後、部活動に勤しむ者もいれば、短縮授業という普段よりも短い時間で学校が終わった事による特別感から、早速帰りに何処へ寄り道をしようか話し合っている者もいる。
「で、どうすんよ和水。今日この後のご予定は」
「特にないよ。委員会とかも特にないし」
帰り支度をしながら、漣の言葉に返答する。
帰り支度とは言っても、鞄の中に入るものは弁当やノート、ペンケースといった物で全てで時間も十秒と掛からない。
「ならよ、今日この後遊び行かね?」
「別に僕はいいけど、そっちは部活はいいのか?」
「サッカー部はここ最近の不審な事件のせいで、放課後の部活動は暫くは休みだってさ。今朝、顧問が言ってた」
「ならいいけど、僕、今月結構厳しいんだよね。先月、散財しすぎたから」
不思議なことに高校生という種はいつの間にかお金を使ってしまう人種で、つい最近まで財布の中にあったと思っていたお札がいつの間にか、綺麗さっぱり消えてしまっている。
塵も積もれば何とやらとは昔の人は良く言ったものだ。例え、数百円程度の買い食いであっても気づけば数千円となってしまっているのだから。
「そっかぁ。じゃあ、パーサイドはどうだ。あそこならそんな金が掛からんし」
「パーサイドか」
パーサイドというのは、この高校から自転車で十分ほど離れた場所にあるカラオケ店だ。
よくあるチェーン店の類で黒見先生が学生だった時代から既にあったと言われており、僕たちのような高校生がターゲットの為か、学割を使えば数時間格安で遊ぶことが出来る。
学生御用達の娯楽スポットだ。
そっと薄い財布の中身を確認。今の僕の手持ちは千円札二枚のみ。小銭もあるにはあるが、その大半が十円や一円玉の集まりだ。戦力としては数えられない。
「パーサイドぐらいなら大丈夫かな。うん、いいよ」
「なら、決まり。んじゃ、他の連中にとられる前にさっさと行こうぜ」
「オッケー」
と、放課後の予定も決まり、鞄を背負い椅子から立ち上がった時の事であった。
「いいねぇ、学生諸君は。学校から解放されたら、直ぐ遊びに行けて。俺はまだこれから仕事だっちゅーのに」
僕と漣の間に割って入りこむ形で、黒見先生が声を挟む。
その声音は僕たちを羨んでいるかのような物であった。
「ん?何すか、黒見先生。俺達になんか用っすか?」
「んや、漣。お前には用はない。あるのはこっちだ」
「僕?」
黒見先生はそういうと、僕の肩に手を乗せた。
ずしりと右の肩に手の重みを感じるとともに、何か嫌な予感がした。
「朝陽。お前はさっきの授業寝た罰として、お前には今から使命を下そう。この後、歴史研究会の部室整理をちょっと手伝え」
「うぇ」
「え~、黒見先生そりゃないぜ。俺達これからカラオケに行こうって話してたんだぜ?」
僕が声を出すよりも先に、漣が嫌そうな抗議の声をあげる。
「あー煩い煩い。別に長時間拘束したりしねーから、ちょっと部室の整理を手伝ってほしいだけだって。具体的に言えば、ちょっと増えた部室のガラクタをゴミ捨て場まで運んでほしいだけだ。いい加減、片付けろって校長の爺さんに今朝言われちまってな」
歴史研究会は一応は部として存在している為か、部費が下りてくる。
その部費を使って部員たちは奇妙なオカルトグッズや、ガラクタを収集しているとは生徒達の間でも周知の事実である。
ただ、その結果として不要なものが溜まりに溜まっているらしい。
部室として使っている空き教室の一室には、何に使うかもわからない壺や到底読むことのできない、何語で書かれているのかも分からない本が置かれているとか。
だが時たま、そういったガラクタが何かの郷土史にとって重要な物であったりすることもあり、過去に数回、地元の新聞に取り上げられたりもしている。
そんな事もあり、この学校の上位陣はあまり歴史研究会に口をはさんだりはしない筈なのだが、今回ばかりは校長たちも耐えかねたらしい。
「そういうのは部員にやらせればいいじゃないっすか」
「今日は部活が休みの日だからな。あいつらは絶対来ない」
果たして顧問としてそれでいいのかと問いたくはなる。
「それに手伝ってくれたら、礼に俺の持ってるクーポン券やっから。ゴールド会員様限定の半額クーポンだぞ。ほれほれ」
そういって黒見先生が懐から取り出し、見せつけるように僕たちの顔の前でぴらぴらとさせるのは安っぽい金色が印象的な半券であった。
その表面には赤い文字で室内、時間料金共に50%オフとデカデカと書かれている。
なるべくお金を抑えたい僕からすれば、喉から手が出るとまではいかないが、それなりに欲しい
「分かりました、手伝えばいいんでしょ」
「え~、まじか和水」
「ゴミを運ぶだけだったら、そんなに時間も掛からないだろうし。漣は先にカラオケ行って部屋取ってて。後で合流するから」
「はぁ、しゃーないか。分かった。んじゃ、先行ってるから終わったら急いで来いよ」
漣は少しばかり不満げな表情を浮かべると、他の生徒たちに混ざって教室を出ていった。