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一話 異世界はすぐそばに


転寝に身を委ねていれば、頬を撫でるは春の軟風。

柔らかな鉛筆の音にノートを捲る音を目覚まし代わりに、ゆっくりと瞼を開ける。

校庭に生えた桜の花の匂いでもって、意識が徐々に覚醒する。

窓から差し込む西日は、春にしては少し暑く、カーテンをひらひらと煽る風が心地よい。

そんな穏やかな昼過ぎの授業中。三学期最後の期末試験が終わったこともあってか、教室内の空気は緩く弛緩していた。


「ぅ、ん」


寝ぼけ眼で黒板の上に飾られている時計を見てみれば、短針が十三時半過ぎを指していた。

どうやら、この授業の大半を寝て過ごしてしまったらしい。

だが、高校一年生最後の期末試験も先週終わり、つい昨日テスト用紙が全て返却された。

右上に赤いペンで書かれた数字は全て平均点ギリギリではあったが、一つも赤点は取っていない。

春休み期間中の補修の危機を無事乗り越えた生徒ならば、三学期の授業で学ぶ物は何もない。

あぁいや、国立の大学を目指している生徒たちならば大学受験へ備えて自己研鑽をする必要があるかもしれないが、特に夢もなければ具体的な将来像もない僕がする事は特にない。

ならばと思い、もう一度夢の国へと旅立とうかと目を閉じようとしたとき、後頭部に軽い衝撃を感じた。


「おいおい、俺の授業で優雅に二度寝だなんて随分とひでぇじゃねぇか。朝陽和水くん?」


「……黒見、先生」


顔をあげてみれば、すぐ真横に居たのは一人の見慣れた男性。このクラスの担任でもあり、日本史の授業を受け持つ教師だ。

無精ひげの生えた顎に、乱雑に整えられた短い髪。よれたシャツはアイロンすら掛けていないのだろう。先程まで読み上げていた教科書を丸め、肩に乗せている姿なんてまるでチンピラだ。

だが、この見た目の緩さが物語るように学生達の敵ともいえる校則に対しても緩く、生徒たちには好まれ妙に生徒間で人気のある教師でもあった。

稀に何も知らない煩い保護者からクレームのような物が来るようだが、こんな先生であっても生徒の面倒はよく見ている方で逆にその保護者の方が立場が浮くと言えば、生徒たちからの人気のほどが分かるだろう。

なお、下の名前は憶えていない。


「期末も終わったからって随分と余裕そうだなぁ、朝陽?俺の声はそんなに心地よかったか?」


「先生の声にそんな心地よさはありませんよ」


「よぉ回る、口だこって」


ぽかり。

黒見先生からの丸めていた教科書での追撃。

勿論、痛みはない。


「寝てしまった事に関してはすみません。でも、黒見先生だって、もうすることないから適当に歴史のうんちく語ってただけじゃないですか。それも、自身の趣味であるオカルト寄りの。だから、、あぁ寝ていっかなって」


本来ならば日本史の授業であったはずなのに、途中からオカルト方面に脱線し始めた黒見先生の授業。

それが退屈かと言われれば、そうでもなかったがお昼休み前の体育で体力を使いお昼ご飯を食べた後の授業というのは、眠くなるものだと古来より決められている人間のシステムだ。

つまり、僕が寝るのも人間として致し方のない事で。


「おいおい、俺の講義をオカルトだなんて言葉で片付けられるのはいささか不服だな。俺のはれっきとした史学だ。年号だなんて覚えるだけ無駄だろって舐め腐っているお前らに歴史の面白さを伝えるためにだな……」


「半ば、妄想も混ざってるじゃないですか。なんですか、信長の活躍の裏には秘密組織がいたとか。今時の子供は信じませんって」


「かぁ~っ!これだから今時のがきんちょ世代は。昔ながらのオカルトにロマンを感じないのかよ」


黒見先生はこの高校に存在する歴史研究会とは名ばかりのオカルト部の顧問をしている。

以前、この学校の歴史という名前の七不思議を特集した学内新聞を読んだことがあるが、その大半が妄想で書かれており、とても下らない事だったと記憶している。


「せんせ~、それよりさっきの話の続き聞かせてくださ~い」


「あ、俺も俺も~」


僕なんかのお小言を傍から聞いているよりも、妄言のような先生のオカルト談義を聞いている方が楽しいのだろう。

クラスの男子たちが手を挙げ、声を上げ、オカルト談義の続きを促す。

女子たちはと言えば、私達は関係ないと言わんばかりにそれぞれのグループに纏まって雑談を交わしている。

学級崩壊しているのではないかと思えるほどの緩さだが、これはこれで他の先生の授業や校長の授業見学の際にはきっちりしたりするので、クラス内の結束は他クラスに比べれば固い。


「女子は叱らないんですか。先生そっちのけで雑談してますけど」


「あっちは起きているからな。起きていれば、話は耳には入っている。つまり、俺の講義を聞いてはいる。生徒の務めを果たしているという事だ」


「何ですか、その理論は」


「それに俺が仕事をしているというのに、寝ている奴の顔を見るのは腹が立つ」


「そっちが本音じゃないですか」


寝てた僕も悪いが、先生の方も大概だとは思う。なんてことは口が裂けても言わないけれど。

僕への注意が他へと向かうなら、またオカルト談義に戻ってくれる方がありがたい。


「もう残り十五分程だ。いいか、もう寝んなよ?」


「はいはい、分かりましたって。もう寝ませんって」


黒見先生は丸めていた教科書を広げなおすと、教卓の前へと戻っていく。どうやら、先程まで話していた内容の続きを話すようだ。

大分序盤辺りで寝てしまったため、話の前後が良く分からない。

確か、眠る前はこの土地の伝承について話していたような気がする。

まぁ、聞いていたところでテストにも出なければ、将来の役に立つこともないだろうし、この話は耳に入れず聞くだけ聞いて、後は右から左耳だ。

僕の席は教室内の一番左端。クラス内でも良い立地にある場所だが、その分クラス内でも一番教師から警戒される位置だ。

授業の残り時間は十五分程。流石に授業中にスマホを弄ることは許されてはいない。

十五分という短いようで長い時間。残り時間を有意義に潰す方法は何かないかと窓の向こう側へと視線をやれば、奇妙な存在が目に入った。


「……ん?」


冬が終わり春の訪れを知らせる柔らかな光の差し込む窓から、校庭を眺めていると、サッカーグラウンドの中心に誰かが立っていることに気が付いた。

真っ黒な日傘をさしており、顔は伺い知れない。その立ち姿からして女性だという事が辛うじて分かる。

冬が終わり春になったとはいえ、日光自体を拒否するかのような全身黒ずくめの姿はどこか異質に映り、昼下がりの日の差す校庭には不似合いだ。

女子生徒だろうか。だが、他のクラスの人間達の姿は何処にもないし、今の期間の体育はバスケか卓球。どちらも体育館を使うスポーツだ。つまり、生徒がこの時間に外にいることはあり得ない。

かといって、誰かの保護者だとも思えない。第一、保護者ならば来客者用の玄関から来るはずだ。

一瞬、体育の先生かとも思ったが、あの人は日傘なんて差す人間じゃない。

ならば残る選択肢は不審者だがキョロキョロと校庭を見渡しているその後ろ姿に敵意らしいものは感じない。どちらかと言えば、何かを探しているかのような印象を受ける。

どっかのお偉いさんだろうか?


「怒られてやんの~」


馬鹿にするような嘲笑をもって、隣から声を掛けてきた男子に振り返る。


「うっさい。眠たかったから仕方ないだろ。漣の方だって碌に話聞いてないだろ」


「いいんだよ、起きてりゃいい授業なんだから。黒見先生も春休み前に終わらせられるのは終わらせとけって言ってたろ?」


「やる気が出ないんだよ。春休みまで残り三日。なら、まだ余裕がある」


「とか言って、実際何一つ手を付けずぐーたらするだろ、俺達。なら今やった方がいいって」


その通りではある。

学生の大半は不思議なもので、やらなければならない事があったとしても何だかんだと理由をつけて後に回し、最終的に自身の首を真綿のように締め上げていく。

逆にこういった授業や自習の時間といった時でもなければ、宿題をやらないのだから困ったものだ。

そういった意味では、この黒見先生の緩い授業は今のうちに春休みの宿題を減らしておけという心遣いなのかもしれない。

なので、やった方が良いとは分かっているのだが、どうしてもやる気が出ない日もある。今日はそのやる気の出ない日だっただけ。


「やる気が出たら、やるさ。それより、漣。あのグラウンドにいる人誰か分かるか?」


サッカーグラウンドの真上にいるという事は、サッカー部関係者の誰かなのかもしれない。

漣はサッカー部の部員だ。彼ならあそこに居る人が誰なのか分かるかもしれない。


「人なんて、何処にいるんだ?」


「は?いや、いるでしょ。全身真っ黒な人が」


「何処にもいねぇけど。何言ってんだ、お前」


「そんな筈は……」


もう一度、窓の外へと視線を戻す。

だが、日傘を差した女性の姿は何処にもない。

まるで最初からそこに誰もいなかったかのようにグラウンドはがらんとしていた。

周囲をネットで囲われているサッカーグラウンドは行き来できる通路が二つしかないため、この窓から見えない場所までの距離はかなり離れている。

連との会話時間は、ものの数分。その間にあの女性は何処に消えてしまったというのだろうか。

走ればあの部室棟の影や桜の木の影に隠れて見えなくなるかもしれないが、あの重装備の女性が走るとも考えにくい。


「春眠暁を覚えずって言うしな。まだ夢を見てんじゃねぇの?」


「……使い方間違ってるぞ」


あれは夢だったと言われれば、確かにそうかもしれない。

だが、夢という言葉で一蹴するにはあまりにリアルで、現実味のある夢であった。

結局、その授業が終わるまであの女性が再びグラウンドの真上に現れることはなく、夢の内容が心の靄のように残り続けたまま、残りの授業の時間を過ごすのであった。

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