8 仕方ないな
王様……おうさま……オウ……サマ?
口をパクパクさせる私に、彼はふふんと笑う。
おもむろに立ち上がり、ちょうど腰掛けのような形の岩に座ると、足を組み私を偉そうに見下ろした。綺麗な鼻で自分の手をくんと嗅ぐと、とびきり偉そうな口調で話し出す。
「やれやれ……臭いモノを拭いたら、手が臭くなった。貴い王の手が臭うなんて大問題だな。……さて、こうなった原因をどうしてくれようか。打ち首か、柱にくくりつけて魔鳥の餌にするか。ああ、魔蛇に生き血を吸わせるのもいいな」
蛇!! ひいっ……それだけはご勘弁を!
ははあ!と、咄嗟に地面にひれ伏す。
しんと静まる洞窟内。
あら? と頭を垂れたまま目線だけを上げれば、彼……いえ、王様が臭そうな手で口元を覆い、くっくっと笑いを堪えていた。
怒って……ない?
それとも臭いでおかしくなっちゃった?
「面を上げろ」
一回ゴホッと咳払いした後、やっぱり偉そうな口調で命令される。
よかった! 正常みたい!
ホッとしながら、顔をそろそろ上げてみた。
「まあ……臭いのは承知の上で、勝手に拭いたんだから赦してやろう。それに極刑にするなら、のっぺらぼう呼ばわりされたあの時点でとっくにしている。私は寛大な王なんだ」
……いい王様でよかった!
「ありがたき幸せにござります~!!」
叫びながら深々とひれ伏す私に、王様はとうとうブハッと吹き出した。
「お前……本当に不細工で面白いな」
ぶさっ……一度ならず二度までも……!
文句を言おうと口を開きかけるも思いとどまる。ダメよ、リリエンヌ……相手は王様なんだから。
ひきつる顔を、無理やり白薔薇の微笑みに変えてみせた。
「さて……もう秘密の交換などというまどろっこしいことは終わりだ。ここからはシュターレ国の王としてお前に尋問する。嘘偽りなく答えてもらおう」
まどろっこしいってなにさ。自分が提案したことじゃないの。正体を明かした途端偉そうに!
おっと……ダメダメ。王様ですよ、リリエンヌ。
「ははあ! 仰せのままに~!!」
「プッ…………よし。ではまず、お前の情報を整理しよう。白薔薇の魔力を持っていた……ということは、春と花々の加護を受ける隣国ファメオ国の出身。その魔力で運良く平民から貴族令嬢に成り上がったが、出来の悪い頭を取り繕う為、散々不正行為を働いた。青薔薇の魔力を持つ皇太子と恋仲にあったが……まあ、これはお前の妄想の可能性もあるな。とにかく何らかの理由で、皇太子に魔力を剥奪された。あと、歳は18だったか」
妄想なんかじゃないわ! それに歳は17よ!
言い返したいのを堪え、頭を下げ続ける。
「その通りでございます~ですが歳は17でございます~」
やっばり歳だけは譲れない!
ふんと、こっそり鼻を鳴らす。
「では、ファメオ国出身の17歳の成り上がり貴族の元白薔薇の魔力持ちのお前が、何故シュターレ国に居るのか。越えられないはずの国境をどうやって国境を越えたのか。その経緯を洗いざらい話せ」
────全てを話し終わった時、彼は赤い頭を掻きながら、信じられないといった面持ちでこちらを見ていた。
「もう一度訊くが……やはり断罪された人物というのは、本当にお前なんだな?」
「はい、そうです。皇太子殿下の婚約者を傷付けてしまった罪で、魔力を剥奪され、シュターレ国に追放されてしまいました。国境なんか、越えたくないのに簡単に越えられましたわ」
可哀想でしょ? 罪人だけど悪いようにしないでね?
と瞳を潤ませてみる。
「俺としたことが……その珍しい色の薄いコートを着ている時点で、お前がファメオ国の人間だと、断罪され此処に追放された人間だと、すぐに気付くべきだったのに」
そうね。王様も結構頭が悪いんじゃ……
「そうだ!!」
不意に張り上げられた声にビクッとする。
「お前、断罪されたくせに、馬鹿みたいに明るすぎるんだよ。好きだった男に魔力を奪われて、たった一人で追放されたくせに。雪の中を楽しそうに歩くわ、バクバク魔獣を食らうわ、狩りに出るわ。もうちょっと分かりやすく、悲壮感を漂わせとけ」
ばっ……馬鹿?
もう……もうもうもうもう! 不細工だの馬鹿だの悪口ばかり!
「占い処へ行くまでは瀕死だったし、ちゃんと悲壮感もあったのよ! 魔獣を食べて元気になっちゃったんだから仕方がないじゃない!」
あっと口を押さえるももう遅い。でも彼は、そんな私にひらひらと手を振った。
「いい。二人きりなんだし普通に話せ。かしこまられると気持ち悪い」
「……極刑にしませんか?」
「寛大だと言っただろう」
「分かりました。じゃあ今から普通にしますからね。王様なんだから嘘はナシですよ? ……はあ、疲れたわ」
うーんと背伸びをし、お行儀悪く手足を伸ばす私を、王様はまじまじと眺めている。
「悲壮感が微塵もないのは、本来の罪人じゃないからかもな。……入れ替わったんだろ? そのラビニア嬢とやらと運命が」
「占いのお婆さんはそう言ってたわ」
「で、正しい道に戻るには、レッドダイヤの魔力を持つ王とファメオ国へ戻れと?」
「ええ。だから王宮へ行って王様へお願いしようと思ったんだけど、行かなくても会えちゃったなんてラッキーだったわ。よろしくお願いしますね」
手を合わせ、得意の上目遣いで見上げるも、思いきり眉をしかめられた。
「……誰が協力すると言った」
「ええっ!? 一緒に来てくれないの?」
「俺は国境を越えられないと言っただろう。それにレッドダイヤの復元の魔力は、俺にとってはおまけみたいに些細な力だ。ファメオ国に行ったところで、お前の運命をどうこう出来る気がしない」
「どういうこと?」
「復元の魔力が作用するのは物にだけ。だから……」
すっと手をかざされ、私の顔が一瞬赤い光に包まれるも、すぐに消えてしまった。
「生きているお前を綺麗にすることは出来ない」
私は手鏡を覗きながら、髪をつまんで鼻の下に持っていく。確かに、まだ臭いしボロボロのまま。コートはこんなに綺麗になったのに。
「レッドダイヤの魔力は、破壊と燃焼が主だ。……さっき外で魔鳥の焼き鳥を見ただろ?」
「ええ! 洞窟の中まで揺れたの! すごい力ね」
「あれはほんの一部の力だ。全てを解放したら、村の一つぐらい簡単に吹き飛ばせる」
村一つ……想像するだけで身震いする。
「復元の魔力を最大限に使ったって、自分の指先一つで破壊したものですら直すことが出来ない。それほど力の差があるんだよ」
「でも……歪んだ道を復元するって。確かにお婆さんにそう言われたのよ?」
「何でだろうな」
王様はふわあと欠伸をする。
「とにかく俺にもやることがあって忙しいんだ。まあ……先にこっちの用事に付き合うなら、試しに国境まで行ってやってもいい」
「本当!?」
「ああ、行くだけな。どうせ越えられないだろうが」
「ありがとう!」
シャカシャカと四つん這いで近付き、大きな手を取るも、「臭い」と追い払われる。
失礼ねっ!
怒りのせいで、可愛い“ぷくっ”を通り越した、本気の膨れ面が出てしまった。開いた鼻の穴からフーと空気を抜くと、落ち着いて問う。
「王様の用事ってなんなんですか?」
「……自分の顔を得る旅だ。まずは創造主の意思に逢う為、『裏鏡』を探している」
◇◇◇
『創造主の意思?』
『ああ。そこにあんたの顔を得る鍵があるだろう』
『どこだ? どこにある?』
『深い深い、裏鏡の底にある。だが、あんた一人じゃあ無理だ。……白薔薇の魔力を持つ者と共に探せば、鏡に辿り着けると水晶は言っている』
『白薔薇……ということは、ファメオ国の人間か? だが俺は国境を越えることは出来ない。どうしたら会える?』
『毎晩、月と逆の方角に歩き続けるといい。そうすれば、いつか向こうからやって来るだろう』
『向こうから……それはもしかして……! さっきあんたが言っていた、断罪されこの国に追放されるという人物こそが、白薔薇の魔力持ちと言うことか?』
『さあ、どうだろうね。とにかく会えば分かるはずだよ。きっとすぐに絆されちまうだろうから』
◇◇◇
昨日会ったばかりの、女の無防備な寝顔を見ながら、占い処での老婆とのやり取りを思い出す。
よほど疲れていたのか……元令嬢らしからぬ、ぽかんと開いた間抜けな口から、涎をだらりと垂らしている。
……仕方ないな。
もう一度新しい雪で湯を沸かし、汚い顎をタオルでそっと拭いてやった。
“絆される”
なんとなくその意味が分かった気がしていた。
本能のままに動いているとしか思えぬ彼女に、気付けばペースを乱され、こうして手を差し伸べているのだから。
自分の髪を、はっきり赤だと言った彼女。
白薔薇の魔力は全て剥奪されたと言っていたが……顔を取り戻す鍵を握っていることは間違いなさそうだ。
寝返りを打った彼女から、ふわっと漂う生臭い臭いに、思わず笑みがこぼれる。
本当に臭い。『裏鏡』とやらに辿り着く前に、鼻が曲がりそうだ。いつもながら……自分では鼻なんか見えないのに、においだけするなんて本当におかしい。
手で顔の中心を探るも、凹凸のないつるっとした皮膚に触れるだけだ。
仕方ない。朝起きたらまずは、あそこへ連れて行ってやろう。
自分の毛皮は彼女の敷布団になってしまった為、本当に仕方なしに、ごろりと固い岩の上に寝転がった。
ずっと空っぽだった自分の中を何かが埋めていく。
そんな不思議な感覚に、無いはずの瞼が柔らかく下りていった。