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5 その瞳に絆されて

 

 それから一時間程歩いた頃だろうか。月を雲が覆い隠し、またチラチラと雪が降り始めた。

 温かくて幸せ……と呑気に考えている間にも、雪はボタボタと重さを増し、全身を白く染めていく。


「今夜はこのくらいにして、何処かで休もう。早く魔獣それを食わないと凍死しそうだ」


 偽物はそう言うと、辺りをキョロキョロと見渡した。

 やがて一点に目を凝らすと、そちらへ向かい歩き出す。しばらくすると、人一人が何とか通り抜けられるくらいの穴が空いた岩山に辿り着いた。


「洞窟?」

「ああ、きっと中は広いぜ。先客が居なければ最高の宿なんだが……人間の気配はないが、ひょっとしたら魔蛇の棲家かもしれん」


 魔蛇……生き血を好む蛇……

 ただでさえ蛇は大嫌いなのに、想像するだけでゾッとする。


「ちょっと見てくるから、その岩陰に隠れてろ」


 指差された巨大な岩の裏にしゃがみ込めば、私の姿をすっぽり覆い隠してくれた。前には岩、背中には岩山、狭い隙間に挟まれているとホッとする。岩にピトッと凭れていると、何やら物騒な物を投げられた。

 ……槍?


「周りからはともかく、空からは丸見えだ。もし魔鳥が来たら、とりあえずそれで凌いでおけ」

「……無理よ! こんなもの使ったことないわ!」


 反論する間にも、偽物はさっさと穴に身体をねじ込み、奥へと入って行った。ランプの灯りが暗がりに消えていくと共に、大きな不安に襲われる。


 魔鳥……人肉を好む鳥……

 空を見上げれば、大粒の雪と共に、鋭い嘴が今にも舞い降りて来そうだ。雪の上に転がる槍を掴むと、両手で柄を祈るように抱き締める。思ったよりはずっと軽いが、ほとんど磨かれていない荒々しい木の感触に、これが武器であることをまざまざと思い知らされた。


 こんな華奢な手で、こんな物騒な物を手にする日が来ようとは……!

 生まれてから今日まで、この手に持った一番重い物は、つやつやに磨かれた米唐檜スプルースのバイオリンだというのに。


 今までは、いつも誰かが傍で護ってくれた。

 護衛はもちろん、家族、友人、そして……自分に恋心を寄せる男達。皇太子殿下も、ラビニア嬢が振り上げたワイングラスから、身を挺して護ってくれた。

 だけど今は誰も居ない。自分の身は、自分で護らなければならないのだ。


 …………あーん! やっぱり偽物と一緒に付いていけばよかったかな。でもこんな気味の悪い所入ったことないし、蛇が居たら怖いんだもん! でも一人でこんな所に取り残される恐怖に比べたらずっとマシだったかも。今から穴に入っちゃおうかな。でもランプもないし……偽物と再会する前に蛇に絡まれちゃったら、結局一人で戦わなきゃならない。

 白薔薇の魔力が残っていたらな……魔鳥も魔蛇も盗賊も、全部私の瞳に絆されてくれたはずなのに。


「……い、おい、生きてるか?」


 ぶつぶつ考えていると、穴の中から愛しい声が響いた。


「はい! 生きていますわ! 殿下はご無事ですか!?」


 こうして声だけだと、まるで本当に殿下に話し掛けられているみたいで。つい敬語になってしまう。


「“殿下” ではないが無事だ。何も居なかったから、中に入れ」


 大きくがっしりした手が、穴から差し出される。

 ああ……やっぱり殿下じゃないんだ。

 落胆しながら取ったその手は、彼の分厚い手袋越しでも温かくて。不思議な安堵感に包まれた。



 彼が言っていた通り、少し狭い場所を屈んで歩いた後は、立っても頭をぶつけない程の空間に広がっていた。それでも前を歩くブルーブラックの頭は、時折岩の天井を掠め、窮屈そうに首を傾けている。


 本当に背が高いのね……190cmはあるかしら。殿下も高かったけど、181cmだったわ。

 ……はあ、だから別人だってば。いちいち比べたって仕方ないのに。


 今までで一番広い、丸い部屋のような場所に辿り着くと、彼はドサリと荷物を下ろす。中から道具を取り出すと、組み立てた薪に手際よく火を熾していった。


「これ、占いの婆さんにもらったのか?」

 魔獣の足に木の串を刺しながら彼は訊く。


「そうよ。お土産にって」

「やはりな……魔力で丁寧に防腐処理がしてある。大した力だ」

「そうなの?」

「ああ。俺も昔、土産にもらった。魔獣は旨いし効能も優れているが、捕まえるのが難しいから貴重なんだ。だから骨も内蔵も、余すところなく食べる」

「狂暴なの?」

「狂暴というよりも……まあ一度戦ってみれば分かる。とりあえず魔獣を見かけたら、こっちの気配を悟られる前に、後ろから真ん中の頭を狙え」

「分かったわ。ねえ、この槍でも倒せる?」

「……命中すればな。護身用にやるから、それは常に持っておけ」

「ありがとう」


 次第にあの野生味溢れる香りが漂い出した。

 串を炎から出せば、生すぎず焦げすぎず、こんがりと良い焼き色が付いている。みるみる溜まる唾を、ゴクリと飲み込んだ。


「ほら、熱いから気を付けろ」


 直に串を渡され、少し躊躇う。白薔薇の令嬢時代……園遊会のバーベキューでは、焼いた肉は給仕の手で丁寧に切られ、皿で渡されていたからだ。チラリと彼を見れば、美しい唇で大胆にかぶりつき、うんうんと満足気に頷いている。

 駄目……涎が出ちゃう……

 我慢出来ずに、ふうふうと息を吹き掛けかぶりつけば、口の中に濃厚な肉の味が広がった。


 ……美味しい! すっっっごく美味しい!

 魚とも、牛肉とも鶏肉とも違う。ほくほくしてプリプリしてジューシーで。微かな塩味もあり、ソースも何もないのに充分だった。


淑女レディーは決して、殿方に口の中を見せてはいけませんよ』


 ええ、分かっているわお母様。食事をする時は、おちょぼ口で小鳥のようにね。分かっている……分かっているのだけど……

 今の私をお母様が見たら、きっと嘆かれることでしょう。


「お前、いい食べっぷりだな。その獰猛な顔なら、本当に魔獣を倒せそうだ」

「絶対に倒すわ! 骨も内蔵も足も、全部食べ尽くしてやるんだから!」

「その意気だ。倒したら半分分けてくれよ」

「いいわよ。その代わり捌いてね」


 大口を開けるだけじゃなく、むしゃむしゃ食べながら会話するなんてお行儀悪すぎだけど……もう止まれないのよ。お母様だって、どんな淑女だって、魔獣を一口食べたらきっとこうなるわ。



 足にも骨があったら、取っておいて美味しいスープが作れたのに……と、裸になった木の串を名残惜しく舐める。老婆の元でも魔獣を食べたからか、身体がカッと熱くなり、額にじわりと汗が滲み始めた。コートを脱ごうかどうしようか迷っていると、彼が器用に火を弱めてくれた。


「ありがとう、熱くてたまらなかったの」

「いや。俺も熱かっただけだ。薪は大切に使いたいからな」

 そう言いながら、毛皮のコートを脱いでいく。


「お前も脱げばいいだろう」

「……これは脱ぎたくないの。絶対に」

「ふうん」


 殿下の顔に言われると複雑な気持ちになる。だって……


「……しっ!」


 開きかけた口を手で塞がれた。

 入って来た穴の方から聞こえる、微かな羽音。まさか……!


「チッ、煙につられて来たか。この雪で誤魔化せると思ったんだか」

「……まっ、まちょう? 入って来ちゃう?」

「いや、穴が狭いから入れない。アイツらは結構デカいんだ。ただ、俺達が出て来るまで、ずっと外で待ち伏せしてるだろうな」


 待ち伏せ……それって、穴から出た瞬間にパクっと食べられちゃうってことよね? 食料が尽きて餓死するか、魔鳥の餌になるか。

 やだやだやだやだ! どっちもやだ!


「羽音が煩くて眠れやしない。面倒だが片付けて来るか。お前は中で待ってろ」

 欠伸をし気だるそうに立ち上がると、彼は短剣一つで穴へ向かって行った。


 一人になると、火がパチパチ燃える音だけが反響し、不気味さを醸し出す。

 もし彼が戻って来なかったら……そうしたら、一人きりで死ぬまで魔鳥と根比べしなきゃいけない。洞窟の中、骨になった孤独な死体を想像しゾッとする。

 ……無理! 待ってなんかいられない! いざとなったら、私も槍で加勢しよう!


 槍とランプを手に来た道を戻り、穴が見えた時だった。強烈な赤い光が外から差し込み、爆発音がドオンと響いた。振動で洞窟が揺れ、天井からパラパラと石の欠片が降って来る。


 ……何が起こったの!?

 慌てて穴から外を覗けば、雪降る中に煙と焦げ臭いにおいが立ち込めている。目を細めると、煙の中に巨大な羽がぐったりと倒れているのが見えた。


 魔……鳥? あの人、魔鳥を倒したの?

 穴から首を出しキョロキョロするも、彼の姿は見当たらない。

 何処へ行ったのかしら……まさか、自爆しちゃったとか?

 咳き込みながら煙が完全に晴れるのを待っていると、目の前を何かがペタペタと通り過ぎた。


 八本のうねうねした手足に、ヌメヌメの丸い鱗頭が三つ。

 あれは……!


 私は槍を手に穴から這い出すと、忍び足で跡を追った。それの動きに合わせて、ゆっくり……ゆっくり…………

てか、おっそ! 魔獣って言うぐらいだから、もっと俊敏だと思っていたのに。大きさも私の腰くらいまでしかないし、全然楽勝じゃない!


 もはや食料にしか見えない。ペロリと舌舐りをし、槍を構えた瞬間────

 それはくるりと振り向いた。三つの頭には、それぞれ五つの瞳。合わせて十五個の瞳から、涙がキラキラと溢れている。身体をプルプル震わせ、うねうねの手(足?)を合わせ、殺さないでと懇願してくるのだ。


 何このコ……不細工なくせに……

 こんな……こんな可哀想な瞳で見られたら……私……


「うっ、うわあああん!!」


 涙で歪んだ視界に、十五個の瞳がニタリと笑ったのが見えた。真ん中の顔の突き出た口から、プシュウと黒いものを吐き出され、顔を直撃する。


 ……何が起こったのだろう……


 ショックで力の抜けた手から、槍が滑り落ちる。そのままその手で黒い視界を拭えば、それはふんふんと嘲笑うように手足を躍らせ、何処かへ去ってしまった。

 しばらくその場で呆然としていると、愛しい声が聞こえた。


「……なんだ? その顔」


 横を見ると、何かを肩に担いだ彼が立っていた。


「もしかして、魔獣にやられたのか?」


 コクコク頷けば、自然と涙が溢れてくる。

「だって……あんなに可哀想な瞳が……十五個も……一斉にこっちを見て泣くなんて……うわあああん! 悔しい! 食べたかったのに! 絶対食べたかったのに!」


「だから言っただろ、気配を悟られるなって……ぷっ……あはははは!!」


 腹を抱えて、大声で笑い出す姿にぽかんとする。


「こんなっ……こんな素直に絆されるヤツ初めて見た……黒い顔が……涙で縞に……はははっ……きっとお前には一生捕まえられないよ……あははは!」


 私……私が絆されたというの?

 散々人を絆してきたこの私が……まさか……


 情けなさすぎて、また別の涙が溢れる。黒いし臭いし悔しいし、最悪よ……もう。



 地団駄を踏む私を見て、更に豪快に笑い転げる彼。

 ……泣きすぎたせい?

 ブルーブラックの頭が、ふっと赤く煌めいた気がした。


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墨を吐かれたのか。蛸や烏賊のように。 この墨は美味しくいただける墨なのかな?
[良い点]  魔獣……!笑笑  なるほどです。そういうことだったのですね。    ふんふんと嘲笑うように、手足を踊らせて……。笑笑  なんかいいですね♪ そして食べて美味しいなんて。リリエンヌちゃ…
[良い点]  環境は人を変えるのか。元々素質があったのか。  リリエンヌ、たくましくなってきましたね。  そして何気に優しい偽物さん。  ラストの様子に、思っていたよりもお若いのかも、と。  捕…
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