30 ヒロインの椅子はひとつだけ?
「色々とお世話になりました。お土産も沢山ありがとう」
「いいえ。散々辛い思いをさせてしまったのだから、当然のことよ。本当に……本当にごめんなさい」
「もういいわよ。刺激的で、素敵な冒険だったわ」
朝日の中、爽やかに挨拶をする私達の隣で、殿下はよろよろと立っている。
あらら……辛そうね。臭い同士で意気投合したのか、夕べはレッドとかなり飲んでいたから。それに比べてレッドの方は、お肌つるっつるで元気一杯だけど。
「おい、アル。人の上に立つなら、ラビニアだけじゃなく周りも大事にしろよ。いざという時、大切な女を守る為には、信頼と人望が何より大切だ」
「……ああ。肝に銘じておく」
夕べから何度も繰り返している会話を、更に念押す国王と、素直に頷く未来の皇帝。シュターレ国とファメオ国、お隣さん同士仲良く出来たらいいわよね。
「じゃあそろそろ行くわ」
「ええ」
これでもかとお土産を詰め込んだ馬車の扉が開き、レッドにエスコートしてもらいながら足を踏み出す。
さあっと掠める、故国の甘い花の香り。これから向かうシュターレ国の、ピンと張った清らかな空気とは全然違う香り。
私はふと足を止め、創造主を振り返った。
「……ねえ、創造主の本当の名前は何て言うの?」
「え?」
「私達を創った世界で、貴女が呼ばれていた名前。本当は何て言うの?」
創造主は、すうっと息を吸うと、切なげに微笑いながら答えた。
「……春花」
「ハルカ?」
「ええ。ハルカ」
「へえ! ラビニアにも負けない素敵な名前ね。なんとなく貴女っぽいわ」
「……ありがとう」
目を合わせ、ふふっと笑う。
「ハルカ、私を創ってくれてありがとう。この国も、シュターレ国も、レッドもローズも両親も。みんなみんな、創ってくれてありがとう。貴女は色々複雑で大変だったかもしれないけれど、私はこの世界が大好きよ」
ハルカの顔がくしゃりと歪み、黒い瞳から涙が溢れた。
「うっ……うう……ああ……」
上手く言葉にならないのか、口を開きかけては苦しそうに喉を震わせる。細い背中をよしよしと撫でている内に、少しずつ呼吸を整えてくれた。
「リリエンヌ……お願いがあるの」
「なあに?」
「シュターレ国を貴女に託したいの。レッドと二人……自由に創って。シュターレ国は、まだほとんどが、真っ白なキャンバスだから」
「そうね。雪だらけだし」
私の言葉に、ハルカはくすりと笑う。
「貴女なら……レッドを創ってくれた貴女なら、きっと素敵な国を創れるわ。いつか、殿下と一緒に遊びに行くわね」
「ええ! 落ち着いたら手紙を書くわ。届くか分からないけど、国境も越えられたんだから、色々試してみる」
「うん」
「そうねえ……馬車や馬よりも速い乗り物があったら、もっと移動が楽なのに。シュターレ国の地面は雪ばかりだから、鳥みたいに空を飛べた方がいいわ」
「私が居た世界にはあったの。海も山も国境も、簡単に越えられる空飛ぶ乗り物が。本当に、大きな鳥みたいだったわ」
「そうなの!? 素敵ね!」
「ふんふん! ふんふんふん!」
一緒に興奮するローズを見て、私はふと思う。
「鳥じゃなくて、大きな蝶でも素敵よね。人でも手紙でも、何でもひらひら遠い場所へ届けてくれるの。ねっ、ローズもそう思わない?」
「ふん! ふんふ~ん」
同調するように、その場でひらひら踊りだすローズ。可愛いわねと眺めていたその時、私の身体から白味を帯びたピンク色の光が現れ、ローズをすっぽりと包んだ。
「ローズ!」
────光が消えると、そこには巨大な蝶が居た。
さつまいも色の羽に豆粒みたいな模様。確かにローズだけど……大きさが全然違う。
すごい、人が十人くらい乗れちゃいそう。一体何倍になったのかしら。
「愛の……魔力よね。キスも何もしていないのに、どうして突然?」
「本来の魔力が戻ったからじゃないか? すごいんだな……白薔薇の令嬢は」
感心するレッドと共に、空を舞う巨大な蝶をぼんやりと見上げる。やがてローズは地面に降りると、私の前に片方の羽をひらりと落とした。まるで「乗って」と言っているみたいに。
「……いいの?」
「ふん!」
「もしかして、シュターレ国まで飛んで行けちゃう?」
「ふんふん!」
任せて! と胸を張るローズに、その場の全員がわくわくと目を輝かせていた。
少し不安だったけれど、馬車の荷物を全部と、私達二人が乗ってもびくともしないローズ。ひらひらと舞い上がるにつれ、ラビニアと殿下の姿がどんどん小さくなって行く。
「またね! また会いましょうね!」
完全に見えなくなるまで大きく手を振ると、私達は前を向き、北のシュターレ国を目指した。
来る時は一日がかりだったのに、帰りはほんの数十分だった。問題はここからと……気を引き締める。
けれど国境を越えた瞬間、レッドは毛皮姿に、ローズはうねうねの小さな魔獣に戻る。前みたいに苦しむこともなく、二人ともすんなりと環境に適応してくれた。
一方私は……あまりの寒さに、マリーンさんからもらったコートを急いで羽織り、お土産にもらったブーツと手袋で防寒装備を整える。
自分の為には使えないなんて……本当に損な魔力だわ。……まあ、レッドとローズが元気ならそれでいいけど。
懐かしい雪を笑顔で踏み締める二人に、胸がほっこりと温かくなる。
「……真っ白で、本当に綺麗な国ね。でも、もう少し住みやすいと嬉しいわ」
「そうだな。リリーはどんな国にしたい?」
「そうねえ……まずは、歩きやすくて馬車も通れるような、そんな道が欲しいわ。ファメオ国との国境から首都まで、ずっと続いているの」
私の身体から溢れた光が、雪の平原に石畳の道を創る。先の見えない、長い長いその道は、本当に首都まで続いているようだ。
「……すごい! すごいわ! 私」
「ああ。素晴らしいな」
「でも、これじゃ少し殺風景ね。せっかくだから、道沿いに綺麗な花が欲しいわ。雪の中でも枯れない、丈夫な色とりどりの花を」
再び溢れた光が道沿いを伝い、美しい花を次々に咲かせていく。「綺麗だな……」と見つめるレッドの向日葵の方が綺麗で、思わず見惚れてしまう。手をギュッと握れば、微笑みながら握り返してくれた。
そんないい雰囲気をぶち壊すのは、待ってましたとばかりに、上空に響くヤツらの羽音。背後からはシュルシュルと、もっと不気味な気配を感じる。
うええっ、やだやだあ! 何とかしなきゃ!
「魔鳥は人肉を食べないし、魔蛇は生き血を吸わない! 人を襲ったりしないで、お行儀良く、赤い林檎と苺を食べるのよ」
ポンポンとそこら中に木が生え、赤い林檎が実る。雪の中には、赤と緑の苺畑が広がった。自分に迫っていた嫌な気配はくるりと方向転換し、それぞれの場所で美味しそうに食事をし始めた。
……ふう、よかった。
鳥肌が残る腕を擦っていると、ローズのうねうねに、つんと指を引っ張られた。
「ん? どうしたの?」
「ふん……ふんふん……ふん……」
こっ……これは……!
うるうると自分を見上げる十五個の豆粒に、ローズの切実な想いを悟ってしまう。
うう……どうしよう。
あの味を思い出すだけで、自然と溢れる涎。少し葛藤した後で、私は覚悟を決めた。
「魔獣は食べても美味しくない! 魔獣は人間のお友達! その代わり、シュターレ河の魚は、牛よりも豚よりも鶏よりも魔獣よりもとびきり美味しい!」
さらさらと水の流れる音がし、向こうに河が現れる。活きのいい美味しそうな魚が、水面からピチピチと跳び跳ねるのが見えた。
「ふんふんふん!」
ありがとうとはしゃぐローズを肩に乗せると、さりげなく涎を拭い、三人で石畳の道を歩き出す。
「さあ、リリー。次は何を創る?」
「うーん、そうねえ。とりあえず安全は確保したから、お土産を渡しに行きたいわ! 壁掛けにもなるし羽織れるショール。気に入ってくれたらいいんだけど」
「気に入ってくれるさ、きっと。……俺もお礼を言いに行きたいな。婆さんのお陰で、めんこいリリーに逢えたんだから」
ぷるぷるの唇を遠慮なく受け止めていると、目の前が眩しい光に包まれた。道のど真ん中、さっきまで何もなかった石畳の上には、いつの間にかあの占い処が建っている。
私達はニヤリと笑い合うと、手をしっかりと繋ぎ駆け出した。
「お婆さあん!!」
────ヒロインの椅子は、ずっとひとつだけだと思っていた。奪われて、哀しくて、絶対に元の場所へ戻りたいと。
だけど、必死に歩いていたら、新しい椅子が魔法みたいに現れたの。
レッドの隣に座れる、特別で素敵な椅子が。
きっとどこかに隠れている、自分だけの素敵な椅子を見つけられたら。
いつだって、誰だって、幸せなヒロインになれる。
~完~
ありがとうございました。




