3 月の方角へ
『れあきゃら』っていう王様に会って、交渉して、一緒にファメオ国へ戻る。
で、その王様の魔力で、歪んだ道を元に戻してもらうってことね…………
ちょっと! 難易度高すぎない!?
随分簡単に言ってくれるけど、相当よ?
だって、まずはどうやって王様に会うの? 王宮に行ったところで、簡単にはいどうぞ、なんて通してくれる訳ないでしょう? 衛兵につまみ出されるのがオチだわ。
奇跡的に会ってくれたとして、一国の王が、こんな個人的な依頼で国境を越えてくれる訳ないじゃない。
ああ! 白薔薇の魔力さえ残っていれば!
縋る思いで老婆を見るも、何のオーラも見えない。
殿下め……ほんの少しぐらい力を残してくれたってよかったのに。容赦なく、ぜえんぶ吸い取られてすっからかんよ。青薔薇の魔力なんて、大嫌い!
ふらりと暖炉まで歩き、乾かしていた鞄から手鏡を取り出す。花や小鳥の愛らしい銀細工の中心に映る自分は、ボロボロではあるものの、その顔立ちはまだ美しかった。
美の加護をもたらす薔薇の魔力を封じられて、どんな不細工な顔になるかと思ったけど……元々顔は親譲りで可愛かったみたい。人を絆す魅惑的な瞳の輝きは失ってしまったけど、長年培った愛されスキルで何とか生きていけるだろうか。
上目遣いでパチパチ瞬きしてみるものの、全盛期と比べてしまい肩を落とす。せめてもっと小綺麗な格好だったら……
顎に付いていたスープの汚れを、指でごしごし拭った。
「んじゃあ、そろそろお代を貰おうかね」
現実的な老婆の声に、ポロッと手鏡を落とす。
……忘れていた。お店なのだから代金を支払わないと。慈善事業じゃないんだから。
部屋を見回すも料金表は見当たらず、一気に不安が押し寄せる。貴重な水晶を使った、かなり本格的な占いだったけど……一体幾らするんだろう。
待って! まさか、魔獣のスープも代金に含まれるの? どうしよう! 二杯も飲んじゃった! もう~馬鹿馬鹿! 何で最初にちゃんと確認しないのよ!
震える手で、財布とも呼べない粗末な巾着袋を取り出す。
「お幾ら……ですか?」
この中に銅貨が三枚しか入っていないと知られた瞬間、今度こそ大釜に放り込まれるかもしれない。
勝手なもので、充分身体が温まった今となっては、煮られるのも焼かれるのもごめんだった。
えっと……入り口は入ってきたあそこだけみたいね。でもあっちには老婆が居る。ダッシュで振り切れるかしら。
逃げる方法をぐるぐる考えていると、ひっひっと気味の悪い笑い声が響いた。
「心配せんでも、儂は金には興味がない」
金に……興味がない…………やったあ!!
そうよね! 失礼だけど、人肉以外に興味無さそうなお顔だもん!
……人肉……
舌舐りをしながら、私の頭から爪先までを眺める老婆。今度は恐怖のあまり、視界がぐるぐる回り出した。
走馬灯のように思い出される人生に涙を堪えていると、老婆は更にひっひっと声を上げた。
「生憎、儂は人肉にも興味がない」
人肉にも……興味がない…………そうなの!?
「ああ、興味があるのはソレだけだ」
そう言いながら、私の薄いコートを指差した。
「ファメオ国にしか咲かない花で染めたコートだろう? 実にいい色だ。丁度ここの壁が殺風景でね、広げて飾ったら、いい壁掛けになると思わんか?」
そう……確かにこのコートは、ファメオ国の皇室が管理する貴重な花と、繊細な技術で染色された布から作られている。ファメオ国でも非常に高価な品なのだから、この国では目玉が飛び出る程の価値があるのだろう。
何も答えず躊躇う私に、老婆は続けた。
「どうしても手放すのが惜しいなら、コレと交換してもいい」
いつの間にか老婆の腕に抱かれていたのは、シュターレ国の気候に相応しい、ふわふわの上等な毛皮のコートだった。
……何を迷うことがあるの? コレじゃなくて、毛皮を持って来れば良かったって、そう後悔していたじゃない。
だけど……
淡く優しいピンク色の裾を、ギュッと握った。
「……すみません。これだけは、どうしても」
きっとまた後悔するだろう。凍死寸前になって、やっぱり毛皮と交換すれば良かったと。
今が手放す絶好のチャンスなのだ。高価だと解っていても、自分では売る覚悟もないのだから。それなのに……
老婆は長い爪を毛皮に立て、ニヤニヤと撫でながら言う。
「そうだろうねえ……毛皮どころか、どんな大金を積まれたって、あんたにゃ手放すことは出来ない。とっとと手放しちまった方がいいのにさ。けど、そんな愚かなあんたが、儂は嫌いじゃないよ」
現れた時と同じく、いつの間にか老婆の腕から毛皮のコートは消えていた。
前へ立つと、自由になった手を私のコートのポケットへ突っ込み、何かを取り出した。
「代金はコレでいい」
それは一枚の、青い薔薇の花びらだった。
殿下と庭園を散歩した時に、入り込んだのだろうか……
青く咲き誇る木を見て、微笑い合ったあの日。甦る想い出と、格闘する間もなく涙が溢れてしまう。
濡れた頬を拭ってくれる骨張った指は、意外にも温かくて。余計に涙腺が刺激され、うえっとみっともない声まで出てしまう。
こんな不細工な泣き方じゃあ、同情を誘うどころか引かれてしまう……
老婆以外、誰も居なくて良かった……
「大丈夫さ。魔力を失っても、あんたには人を絆す武器がある。それを上手く活かせば、王を取り込むことも出来るだろう」
武器……やっぱり愛されスキルを活かせってこと?
そうね、こうなったら、ラビニア嬢の中の別人よりも、あざとくしたたかに生きてやる。そして、絶対に正しい道を取り戻すわ。
自分の手で力強く涙を拭うと、キッと顔を上げた。
涙は私の武器なんだから、大切に取っておかなきゃ。王の前で綺麗に泣く為にね。
「私……行くわ。どうもありがとう。正しい道に戻ったら、美しい壁掛けを持って会いに来るわね」
「そりゃあ楽しみだ。……迷子にならなければ、いつかまた会えるだろうよ」
外へ出た頃には、月と二軒の灯りしか見えぬ夜空を、真っ白な大地が照らしていた。
「雪は止んだようだね」
白い息を吐きながら空を見上げる老婆に、私は思い切って尋ねてみた。
「あの……何も言っていないのに、どうして色々と分かったの? 私がファメオ国から来たことも、オーラが見えることも」
まるで心が読まれているような会話に、ずっと疑問を抱いていたからだ。
「さあ、どうしてかな。壁掛けを土産に持って来れたら、その時に教えてやろう」
「……次に会う時のお楽しみってことね」
老婆はこくりと頷き、手を振った。
「あんたはツイているよ。……儂も“レアキャラ”なんだから」
呟く声は、月の方角を目指してずんずん歩く、華奢な背中にはもう届かない。
老婆が扉の奥へ消えると同時に、猛烈な風が地面の雪を巻き上げ、占い処を包んだ。やがて柔らかくなり、細かく散った後、そこにはもう、飲食店一軒しか残っていなかった。
月の方角を目指せば、すぐに王の元へ辿り着くと言われたけれど……本当かしら。
王の元ってことは、王宮ってことよね。
シュターレ国の王宮は、山の上にあると世界史で習った。その山は、秋の加護を受けるタルレ国との国境にあり、確か馬車でも、ファメオ国との国境から一週間以上はかかる距離だ。
はあ……気が遠くなる。歩いたらどれだけよ。
あれ、朝になって月が隠れてしまったら、何処を目指して歩けばいいの? ……太陽でいっか!
気温は占い処を訪れる前と変わらないのに、身体の芯からぽかぽか温かい。不思議なことに、肌に当たる風さえも温風に感じていた。
『魔獣には保温と疲労回復効果に加えて、冷たい物を温かく感じる魔力も含まれているんだ』
必死でスープを貪っていた時、老婆がそんなことを言っていた気がする。
美味しいし、温かいし……魔獣って、なんと素晴らしい食料なんだろう。これなら野宿したって、凍死することはなさそうだ。
お土産にもらった魔獣の足を、愛しげに撫でながら歩いていると、巨大な壁にぶつかった。
勢いよく飛ばされそうになったところを、ガシッと掴まれる。
「大丈夫か?」
……男の人?
ぐいと引っ張られ、体勢が元に戻ると、その声の主を見上げた。高い……すごく高い壁の天辺に、顔らしきものが付いている。
顔…………よね……?
泣きすぎておかしくなったのかしらと、目をゴシゴシ擦り、パチパチ瞬いてみるも、見えるものは何も変わらない。
まず、髪の毛が一本もない。
……まあそういう人も居るわよね。シュターレ国の流行りなのかもしれないし。ワイルドで結構好きよ。
次に目がない。
……ああ! 後ろに付いているのかも。
鼻もない。
……呼吸出来るのかしら。
口もない。
……さっき、喋ってたわよね?
昔童話で見て、怖くて眠れなくなったことがあるわ。
えっと……なんて言うんだっけ、こういう人。
首を傾げていると、つるつるの顔をずいと近付けられた。
「俺、のっぺらぼう?」
「ぎゃあああああ!!!」