29 私が幸せにしたい
私の腰を抱きながら、たった一人で曲芸みたいに山盛りの布を抱えるレッド。
帰るって……ああ、部屋に戻るってことね。
ドアへ向かうその背を、創造主が呼び止めた。
「レッド、貴方まさか、今からシュターレ国へ帰ろうとしているんじゃないわよね。実家から戻ったばかりでリリエンヌも疲れているでしょうし、せめて今夜は泊まって行きなさい。私からもお土産を用意したいし」
「ラビニアの言う通りだ。色々迷惑をかけた詫びと、親睦を兼ねて、よかったらみんなで夕食をとろう」
「……ははっ、俺としたことが気が逸って。じゃあお言葉に甘えて、もう一晩だけ…………」
真っ赤な顔でポリポリと頭を掻くレッドに、創造主がキッパリと言う。
「嬉しいのは分かるけど、人の屋敷で暴走しないでよ。貴方を野獣キャラにした覚えはないし、そもそもあの小説は18禁じゃないんだから」
「ジュウハチキン……ってなんだ?」
「私も初めて聞く言葉だ。金の種類か?」
「ああ、それはね……」
そんな話でわいわいと盛り上がる三人から、私はポツンと取り残される。
そうか……レッドは明日、一人でシュターレ国に帰っちゃうのね。顔も手に入れたし、ラビニアは殿下と愛し合っちゃってるから連れて帰れないしね。
レッドの眩しい笑顔に泣きそうになっていると、ローズが「ふん?」と優しく覗いてくれた。
このコともお別れね……寂しくなるわ。
可愛いひらひらを潰さないように、そっと胸に抱き締めた。
部屋に戻るや否や、レッドは鼻歌を歌いながら荷造りを始める。私も手伝わなきゃと思いつつ、気力が湧かずソファーからそれを眺めていた。
レッドはふと手を止め、心配そうにこちらへやって来る。
「どうした? 疲れたか?」
「うん……少しだけ」
「色々あったからな。辛いなら出発を伸ばそうか」
「ううん、いいの。私のことは気にしないで、予定通り明日帰って」
少し首を傾げるも、レッドは「分かった」と頷く。
「あっ、じゃあお前の荷造りも俺がやるよ」
「大丈夫よ。荷物なんてほとんどないし、ここと実家は近いんだから、後から取りに来たっていいしね」
「……実家?」
レッドの表情が曇る。
「……リリー、お前は一体、どこへ帰ろうとしているんだ」
「とりあえず実家に帰るわ。他に行く所なんてないもの。少し落ち着いたらまた社交界にも顔を出すつもりだけど……しばらくは婚活も面倒臭いなあ。せっかく魔力が戻って、殿方を絆し放題なのにね」
レッドの表情が更に曇る。
ずっと赤かった顔色も、瞬く間に青くなっていった。
「何故……何故そうなる。実家? 婚活? 男を絆す? 訳が分からない。お前は……お前は俺を愛しているんじゃないのか!?」
何でこんなに残酷なことを訊くんだろう。私の想いに応えてくれる訳じゃないのに……だったらそっとしておいて欲しいのに……
「……愛していないわ。全然。これっぽっちも」
「嘘だ! 殿下にはっきり言ったじゃないか! 俺を愛してるって」
「あれは……つい興奮しただけよ。殿下をやっつけたくって」
レッドは赤い眉を下げ、哀しい顔で首を振る。
「……嘘だ。お前は愛してるなんて大事な言葉を、簡単に口に出すような軽い女じゃないよ。殿下のことだって……追放されても、あんなに一途に愛していたのに。第一、この素晴らしい顔が愛を証明しているじゃないか」
何も言えずに俯いていると、大きな手を顎にかけられ、無理やり上を向かされてしまう。私を見つめる綺麗な向日葵は、真っ赤な炎に煽られ燃えていた。
「そんなに泣きそうな顔をして……愛しているんだろう? 俺のこと」
私が創った最高の顔が、ゆっくりと迫り来る。ぷるぷるの唇から熱い吐息がかかる前に、私はありったけの力で厚い胸板を押した。
ドン!!
まさか突き飛ばされるとは思っていなかったのか、レッドは床に尻もちを突いたまま、しゅんと私を見上げている。
大きいくせに……ムキムキのくせに……
顔中にキスを落として、赤毛をわしゃわしゃと撫でたくなるような可愛さに、私の愛は簡単に膨らみ、パンと弾けた。
「……そうよ。愛しているわよ。すごくすごく愛しちゃってるわよ!! だけど、だけど貴方は……私のことなんか少しも愛していないじゃない。キスだって全然気にならないって言って、何度も何度も……! 貴方にとってはただの挨拶でも、私は気になるのよ! 私ばかりドキドキして、もうおかしくなりそう! だから早く別れたいの! これ以上おかしくなる前に、早くさよならしたいの! それなのに……うっ……うわあああん!!」
私は泣きながらソファーのクッションを掴むと、レッドに向かってぽいぽいと投げつける。
「本当は私だって一緒に帰りたい……側室でも愛人でも召し使いでも……何でもいいから離れたくないって思っていたけど……でも、やっぱり嫌! 貴方が他の女性と愛し合うのを傍で見るくらいなら、もう二度と会わない方がマシよ! 私の……私が創った……私だけのレッドなのに!」
とうとうクッションが全部なくなると、レッドの腹に跨がり、最高の顔の頬っぺたを両手で思いきり引っ張った。それでも少しも不細工にならなくて、カッコいいままで。……悔しくて、涙がどんどん溢れてくる。
「こんなに素敵な顔があるんだから、さっさと帰って美人のお妃様を迎えればいいじゃない! 愛してない女に愛してるかなんて意地悪なこと訊いてないで……むぐっ」
ムキムキの胸板に顔を押し付けられ、何も喋れない。窒息の危機を感じ踠いていると、やっと腕を緩めてくれたものの、ぷはっと顔を出した瞬間に大量のぷるぷるが落とされる。
このお……挨拶感覚でするんでねえって言ったそばから……!
殴ろうと振り上げた手は簡単に掴まれ、そこにもチュッチュッとキスされてしまう。
なんなのよ……もう……
ふええと泣く私を抱き締めたまま、レッドはニヤニヤと笑いながら言う。
「リリー。おめえはほんとに空っぽだな。なしてオラがおめえを愛してねえだなんて発想になるんだ? あんだけ嫁さ来いだのめんこいだの言って、チュッチュチュッチュしてんのに」
「んなん……さっき言った通りだぁ! もう同じことは言いたぐねえよ」
「オラがキスしても気にならねえって? ドキドキしねえって? バッカだなぁ。毎晩同じベッドで、涎垂らしてぐうぐう寝てるおめえの隣で、こっちはほとんど眠れねえっつうのに。お陰で毎晩寝不足だぁ」
「そう……なの?」
「んだ。なんなら今のこの体勢だって、ドキドキして仕方ねえよ。早くどいてくれねえと、“ ジュウハチキン ” とやらになっちまいそうだ」
ジュウハチキン?
何のことか分からないけど、彼の身体から伝わる熱に、危険な何かを察知する。慌ててレッドの上から飛び退くと、床にペタンと座った。
レッドもよいしょと身体を起こすと、私の前に座り、真剣な顔で向かい合う。
「リリー。さっきはお前のこと、空っぽなんて言ったけど、俺だって空っぽだ。お前が俺を愛しているだなんて、ついさっきまで思いもしなかったんだから。……お前の父ちゃんの言う通り、ちゃんと言葉にしなきゃ、いつまで経っても伝わる訳ないよな」
ゴホンと咳払いをすると、レッドは跪き、私の手を握る。
「……リリエンヌ・ローゼ嬢。私は貴方を心から愛しています。どうか私と結婚し、正妃になってくださいませんか? 慣れない地で、苦労をかけてしまうこともあるかもしれませんが……私の生涯をかけて、必ず貴女を守り、幸せにすると誓います」
ごうごうと燃える彼の向日葵が、私の胸を熱で熔かす。誤解やら不安やら、余計なものは全てなくなり、彼の炎にも負けない熱い想いだけが残った。
「…………いやよ」
「え?」
「守られるのも、幸せにしてもらうのもいや! 私が貴方を幸せにしたい!」
そう叫ぶと、夢中でレッドに抱きついた。
「貴方を愛しているわ……レッド。必ず幸せにしてあげるから、一緒にシュターレ国へ連れて行って。寒くても、疲れても、お城まで一生懸命歩くから。だから私を、貴方のたった一人のお嫁さんにして」
「リリー……」
私の言葉に、ギュッと力強い腕で応えてくれる。
「お前はめんこいなあ……ほんとにめんこい。雪の中で初めて逢った時から、ずっとずっと。大口開けて肉に噛りついても、魔獣の粘液で不細工になっても、優しすぎてすぐに絆されても。令嬢のくせに槍を構えても、王族に布やらクッションを投げつけても、笑っても泣いても怒っても。素直で明るくて空っぽで、全部……めんこい」
震える声に顔を上げれば、陽炎の向こうに向日葵が揺れている。ほろり、ほろりと溢れる美しい金色の涙は、私ではなく彼が創り出したものだ。
それは濃いピンクのオーラと混ざり合い、ときめくような恋の色を放っている。白薔薇の魔力を持つ私にしか見えない……甘い甘い恋の色。
「綺麗……」
レッドが私を愛しているのなんて、一目瞭然なのに。どうして気付かなかったんだろう。久しぶりすぎて、感覚が鈍っちゃったのかしらね。
恋の色に包まれながら、私は彼の頬に手を伸ばす。
あとからあとから溢れる涙は、手なんかじゃ全然拭いきれなくて。自然と唇を寄せていた。
それでも拭いきれなくて、ぷるぷるに落ちてしまった涙。どうしようかなと躊躇っていると、頭をぐいと引き寄せられる。重なる唇は、しょっぱい涙と、ほろ苦いブランデーの残り香と、お砂糖よりも甘い恋の味がした。
もっと混ざり合ったらどんな味がするんだろう……と、好奇心から深く傾けた唇を、レッドは慌てて引き剥がした。
「はあっ……駄目だ、これ以上は……本当に “ジュウハチキン” しちまいそうだ」
「いいわよ」
「え?」
「ジュウハチキン、しちゃいましょう。沢山」
「……いいのか?」
「ええ、もちろん。これから……」
言い終わらない内にひょいと担がれると、何故かベッドに落とされた。
何を……
一層濃いピンク色を纏いながら、私に覆い被さるレッド。またまた危険な何かを察知し、咄嗟にぷるぷるを両手で押さえると、出来るだけ冷静に尋ねた。
「ねえ、レッド。ジュウハチキンて何?」
「ん? そりゃあもちろん……」
耳元で囁かれるのと、ムキムキを思いきり突き飛ばすのとはほぼ同時だった。転げ落ち、頭を押さえながら「いってえ」と唸るレッドに、私は必死に叫んだ。
「むっ……無理無理! 結婚前の男女がチョメチョメなんて……なんてはしたない!」
「結婚するんだから、別にいいだろう」
「よくない! 物事にはね、順序ってものがあるのよ! 第一私はまだ17歳よ! “ 18” キンでしょ!?」
「この国では17歳が成人なんだから問題ないじゃないか。それに、ジュウハチキンしちゃおうって言い出したのはお前の方だろう!」
「それは……恋愛のことだと思ったのよ! やっと想いが通じ合ったんだから、これから沢山恋愛するんだと思って」
「はあ……どうしてそうなるんだ」
「そっちこそ、あの流れでどうしてそうなるのよ! 王様のくせにいやらしい!」
「なにを!? 王が子孫繁栄を願って何が悪い!」
「やだあ! いやらしい言い方! せっかく顔は素敵なのに、おっさんみたい!」
「なんだと!? 王の寵愛を拒むどころか、いやらしいだのおっさんだの……もう許せん! このあざとい悪女め~こうしてやる~」
「ひゃあ~! やめれぇ~!」
荷造りそっちのけでじゃれ合う私達の上を、ローズがふんふんと楽しげに飛んでいた。
◇
────翌日、ついに創造主達との別れの時がやって来た。




