28 のっぺらぼうじゃない!?
顔……?
創造主は、吊り上がった目を大きく開き、穴が空くほどレッドの顔を見つめている。
そう、確か創造主には、レッドは誰の顔でもなく、のっぺらぼうにしか見えなかったはずだけど。
やっと唇を止めてくれたレッドと、どういうことだろうと目を見合わせた。
「やっぱり……やっぱりそうだったわ! やっぱりリリエンヌがレッドを!」
創造主は興奮しながら立ち上がり、隣で呆けている殿下を揺さぶる。
「ねえ! 貴方にはレッドの顔がどう見える!? まだお兄さんのまま?」
「……いや。見たことない、赤の他人の顔だ。真っ赤だし」
「ほらあ!」
殿下から手を離すと、創造主はこちらへやって来て、私の手をがしっと握った。
「ありがとう、リリエンヌ! 貴女がレッドの顔を創ってくれたのよ! もう彼はのっぺらぼうなんかじゃないわ。彼は……」
創造主の黒い瞳から、涙がどっと溢れる。
「ごめんなさい……顔を創ってあげられなくてごめんなさい……辛い想いをさせてごめんなさい……リリエンヌもごめんなさい……あんな風に身勝手に創ってしまってごめんなさい……なのに……彼を愛してくれてありがとう……彼を創ってくれて、本当にありがとう」
涙と一緒に溢れる、彼女のぐちゃぐちゃの感情。繰り返される『ごめんなさい』と『ありがとう』に、私の感情もぐちゃぐちゃになる。うわああんと泣き叫びかけた口を、大きな手にもごっと塞がれた。
「創って……って? 俺はもう、のっぺらぼうじゃないのか?」
レッドの問いに、創造主は力強く「ええ!」と答えると、使用人を呼び、ある物を持って来させる。午後の眩しい陽をキラキラと反射する丸いそれを、微笑みながらレッドへ手渡した。
レッドは覗き込み、しばらく固まっていたけれど、そのうち顔を触りながらふるふると震え出した。
「これ……この鏡、誰のだ? 魔法とか、何か特殊な仕掛けでもあるのか?」
「いいえ。きっとメイクルームから持って来た、ごく普通の鏡よ」
「他の……他の鏡もあるか!?」
創造主の命で、使用人達が屋敷中の鏡を抱えてやって来る。なんと驚くことに、従者二人がかりで、立派な鏡の付いたドレッサーまで運ばれて来た。
レッドはそれを片っ端から覗いては、うお! だの、わあ! だのはしゃぎながら叫んでいる。全てを確認すると、大輪の向日葵から、だあっと涙を溢した。
「なんて……なんて素晴らしい顔なんだ。ファメオ国一? シュターレ国一? いや……世界一の美男じゃないか?」
レッドは鏡を放り投げ、まだ呆けている殿下と肩を組むと、使用人やら従者やらを呼んでは片っ端から尋ねていく。
「なあ! どっちがいい男?」とか、「俺と殿下の目、どっちが綺麗?」とか。もちろん返答に困る使用人達に対し、「俺なんて、目に向日葵が咲いちゃってるんだぜ」どアピールしている。
やだあ……王様のくせにあんなにはしゃいじゃって! 威厳もク……もないじゃない!
とりあえず使用人達の反応から、レッドの顔は誰の目にも同じに見えるらしいということが分かった。
少し落ち着いたところで、創造主はハンカチで優雅に頬を拭いながら言う。
「よかった……最期にちゃんと託せて、本当によかったわ……私には、どうしても創れなかったから」
『誰か……誰か私の代わりに……
私以上に彼を愛する誰かに……
彼の名前と顔を託すわ。』
裏鏡で聞いた、あの言葉が甦る。
「リリエンヌ、貴女は作者の私以上に彼を愛して、彼の名前と顔を創ってくれたのよ。最高に素敵な贈り物をね。……うん、殿下とはタイプが全く違う、極上のイケメンね」
二人を見比べながら満足げに頷く創造主。私はすぐに呑み込むことが出来ず、少ない脳みそを懸命に捏ねくり回しながら考える。
愛して……そりゃあ愛しちゃってるけど……でも、私が創ったって本当に? 私が勝手に見ていたものが、本当にレッドの顔になっちゃったの?
「リリー!」
レッドは殿下をポイとその辺に放ると、私にがばっと抱きついた。
「ありがとう! こんなに素敵な顔を創ってくれて……本当にありがとう!」
キスしようと尖らせていたぷるぷるの唇を寸前で押さえ、私は大事なことを訊く。
「……レッド。本当にいいの? 私が創った顔で、本当にいいの?」
赤い瞳をぱちくりと動かすと、レッドは私の掌にチュッと唇を落としながら微笑う。
「当たり前じゃないか。俺のことを愛して、俺を想って創ってくれた顔だろう? こんなに素晴らしい顔はどこにもないよ。たとえ目が十五個でもね」
「でも……ラビニアとか……他の女性に創ってもらった方がよかったんじゃないの?」
「なんで?」
「なんでって……」
決まってるじゃない。私はレッドを愛しているけど、レッドは……
そう口を開こうとした時、どこからか、「おい……」と覇気のない声が響いた。
「用が済んだなら、さっさとシュターレ国へ帰ってくれないか? 土産も渡したし、これ以上私が出来ることはない。創造主だとか設定だとか……もう、疲れたんだよ」
そう呟く殿下の顔は本当に疲れていて、少しだけ可哀想になる。ちょっと言いすぎちゃったかしら……
「リリエンヌ、お前もシュターレ国へ戻るなり、ファメオ国へ残って両親と暮らすなり好きにしろ。……但し、今後一切私やラビニアには関わらないでくれ。正直、面倒臭い」
…………前言撤回!!
今度は何を投げてやろうかと、キョロキョロする私の横をローズがひらひら飛んで行く。嫌な予感がするも、時既に遅し。黒い粘液が見事なアーチを描いて、殿下の顔に命中してしまった。
「ふんふんふ~ん!」
応接室に広がる生臭い臭いと、ご機嫌なローズ。殿下は悲鳴を上げることも出来ず、バタリと仰向けにひっくり返った。
「くっ……くさ……くっさ……おええ」
レッドに付いた臭いだけであんなに嫌がってたんだもの。辛いわよね。
嘔吐く殿下に、創造主がすっと近付いた。背中でも擦ってあげるのかしら? と見ていると……
「このおバカ!!」
創造主の怒声がビリビリと空気を震わせ、その場に居る全員が凍りついた。
「あんなにリリエンヌに言われたのに、まだ分かんないの!? 悪いことをしたら、まずは『ごめんなさい』でしょうが! なんで正ヒーローのくせにこんなポンコツなの!?」
「そんな……そんなこと言ったって……」
殿下の青い瞳に、みるみる涙が溜まっていく。
「僕だって……僕だって分からないんだよう。おえっ。ちょっと言いすぎだなとか、ちょっとやりすぎだなとか思っても、君が関わっていると止まらなくなるんだ。おええ。一日中君のことを考えて、そわそわして落ち着かないし、君を守らなきゃって思うと怒りっぽくなるし……おえっ。本当は僕だって、もっと穏やかに暮らしたいのに……ううう……うえっ」
へなへなと座り込み、黒い顔に白い縞を作りながら泣く殿下。それを見下ろしながら、創造主は静かに言った。
「……私のせいね。何があっても、誰を差し置いても、ヒロインのことを一番に考えて溺愛するようにって。ヒロインの為だけに貴方を描いてしまったから。貴方は皇太子であり正ヒーローである前に、アルバスト・ノーランドっていう一人の青年なのにね」
その言葉に、殿下は更に声を上げて泣く。創造主はしゃがむと、殿下の肩に優しく手を置いた。
「ごめんなさい、アル。もう私を守ってくれなくても大丈夫よ。私はね、ずっと一人で逞しく生きてきたんだから。これからは、『皇太子』の時は民のことを、『アルバスト』の時は、自分のことを一番に考えて。穏やかに暮らせるように、私が貴方を守ってあげるから」
「君は……君は僕を愛してくれるの? 本当は……おえっ。こんなにポンコツでも?」
「もちろんよ。 ラビニアも、創造主も、貴方のことを一番に愛しているわ。それにね、たまには女の子に守ってもらうヒーローがいたっていいのよ。今は強い女性が流行りなんだから」
「……そうなの?」
「ええ。貴方が素敵な皇帝になれるように、ずっと傍に居るわ」
こくこくと頷く殿下を、創造主はギュッと抱き締める。ハンカチで涙と粘液を拭き、鼻をかませると、床にちらばった布を拾うよう殿下に命じた。
素直に従う姿が少し可愛い。……これが本当の殿下なのかしら。
私が投げたのにやらせたら悪いわね、と布拾いに加わり、みんなで丁寧に畳む。元通りにテーブルの上に積まれると、殿下は私に向かってしゅんと頭を垂れた。
「リリエンヌ……ごめん。沢山君を傷付けて」
「いいわよ。私も貴いお顔に布をぶつけちゃったし。シュターレ国では苦労したけどレッドに逢えたし、沢山贅沢させてもらったから、もう元は充分取り返したしね。あ、でも白薔薇の魔力は返してね」
「うん……でもどうやるんだろう。消したことは沢山あるけど、返したことはないからな」
青いパチパチを見つめながら悩む殿下に、レッドが自信たっぷりに言う。
「協力すれば、出来そうな気がする」
その全身には、赤い光が揺れていた。
殿下の沈黙とレッドの復元、二人の魔力が合わさると、紫色の渦が現れた。綺麗……と眺めている内に、それはすうっと私へ吸い込まれていく。
うーん、これよ……これこれ!
久しぶりに体内に力が漲る。キラキラして、無敵で最強な感じ! これぞ愛と癒しの白薔薇の魔力!
これで人生イージーモード! 人も獣も絆し放題だわ~とひらひら舞う私を見て、レッドがはははと笑いながら言った。
「よかったな。キラキラして、ますます魔獣に似てきたよ」
「でしょでしょ?」
ローズと並び、上目遣いでうるうると目を瞬かせてみれば、「めんこいめんこい」と頭を撫でてくれる。
「……よし、じゃあ帰るか、リリー」
帰る…………って、どこに?




