25 また……やってみるか?
思わず漏れてしまった言葉。
「……ごめん」とますます縮こまるレッドに、私はあっと口をつぐみ、慌てて取り繕った。
「だっ、大丈夫よ! まだ時間はあるんだから、焦らず、ねっ?」
しょんぼりする背中を、ローズと一緒に必死に撫でる。
困ったわね。どうして “燃焼” は出来るのに、“復元” は少しも出来ないのかしら。だけど……
「あの占いのお婆さんが言ったんだから。『レッドダイヤの魔力を持つ王と、共にファメオ国へ戻り、歪んだ道を復元する』って」
「うーん……」
「月の方角を目指せばすぐに王の元へ辿り着くって言われて、その通りにしたら、本当にすぐに貴方に会えたもん。 お婆さんは嘘を吐かないわ。言われた通りに二人でファメオ国に来たんだから、絶対に運命は戻せるはずよ」
「二人で……ファメオ国に…………そうか」
「え?」
「二人でファメオ国に来たことに、何か意味があるんじゃないか? お前の愛の魔力で、俺が国境を越えられたように」
「……あっ!」
「俺がファメオ国で復元の魔力を発動する為には、お前の何かが必要なんじゃないか?」
「そうね、きっとそうよ! レッド一人だけで頑張ってもダメなんだわ。でも、私の何が必要なのかしら。私に出来ることって何?」
「うーん……そうだなあ」
レッドは私の頭から爪先までをじっと眺めた後、ある一点で視線を止める。顔をみるみる赤く染め、コホンと咳払いをした。
「その……また……やってみるか?」
「何を?」
「その……お前の愛の魔力で、俺の復元の魔力が目覚めるんじゃないかな……なんて思ったんだが」
「ああ、そうかも! やってみましょ!」
「……いいのか?」
「当たり前じゃない。復元の魔力が使えなかったら、どうやって運命を戻すと言うの?」
「そうだよな……じゃあ……よろしくお願いします」
何故か目を瞑り腰を屈めるレッド。
何をしているんだろう……そういえば前にもこんなことがあった気が……
国境を越えた時のあれこれと結びつき、私はきゃあっと悲鳴を上げてしまう。
「こらっ、怪しまれたらどうする!」
と大きな手に口を塞がれれば、更に距離が近付き心臓が高鳴る。すぐ目の前には、あのぷるぷるの肉厚の唇。大好きな……レッドの唇。
『俺は全然気にならないんだから、お前も気にするな』
あの時の言葉を思い出す。私にとっては大切でも、レッドにとってはキスくらい何てことないのよね。
……そりゃそうか。好きな女性以外の唇なんて、ただの皮膚だもの。
魔力の為。その為だけの行為。そう思うと、なんだかとてつもなく哀しくて、無性に悔しくなってきた。
私は塞がれた口から手を払いのけると、レッドの顔を両手でがしっと掴み、オレンジ色のぷるぷるに自分の唇を寄せた。
ただ皮膚が重なっただけだなんて思われたくない。
そう思ったら、自然と口を開いて、パクリと甘噛みしてしまった。
「……リリっ」
驚いて離れようとするレッド。そうはさせないと、太い首に手を回して更に唇を押し付ける。パクパクと噛むだけじゃなくて、上唇をチュッと吸ったり、下唇を啄んだり。その内、彼の吐息が荒くなってきたのに気付き、少し可哀想になってきた。
きっと痛かったのね、ごめんなさい……と、赤くなった部分をペロッと舐め、唇を解放する。
身体も解放してあげよう、と思ったのに何故か離れられない。
「んん!?」
一瞬何が起こったのか分からず、バタバタと踠く。
熱くて、苦しくて、やっぱり熱すぎる。太陽みたいなぷるぷるに、自分の唇がすっぽり飲み込まれていることに気付いた。
首を支える手、背中を撫でる手、何もかもが熱くてじんじんする。息が苦しくなって、ぷはっと唇を開ければ、上唇も下唇もまとめてペロッと舐められた。
「……お返しだ。王を絆す悪女め」
あく……じょ……
広くて生臭い胸にくたりと凭れ掛かれば、内側から誰かが殴ってるんじゃないかと思う程、激しい彼の鼓動が聞こえてきた。
「殿下にもこんなことをしたのか?」
苛立たしげな言葉に顔を上げると、赤い眉の間に皺が寄っている。
「こんなって?」
「こんなはこんなだよ。噛んだり……舐めたり」
熱い親指でつうと唇を撫でられ、ぶんぶんと首を振る。
「しないわよ! 殿下は潔癖症だもん。了承も得ずにそんなことしたら殺されちゃう」
「潔癖……って、お前の唇のどこが汚いんだ! 幸せでしかないだろう」
「幸せ?」
「いや、その……あの……まあ、俺も男だからな。本能には抗えない」
訳の分からないことを言いながら、唇を指でむにっとつままれる。
殿下とキスねえ……薔薇の花びらみたいに繊細で美しい唇を思い出すも、うえっとなる。
はいどうぞって言われても嫌だわ。ちっとも美味しくなさそう。それに比べて……
改めて見上げたレッドの唇は、ぷるぷるして本当に美味しそうだ。肉厚で艶々と光っていて、男らしいのに色っぽい。この形、大好きだわ。
唇だけじゃない。赤い髪も、赤い眉毛も睫毛も、鼻梁の太い高い鼻も、ほんのり浅黒い肌も、そして四角い顎が特徴的な逞しい輪郭も。みんなみんな大好き。
…………ん?
彼の顔を両手でぐいと引き寄せ、ペタペタと触る。額から顎まで、その骨格を確かめるように。
今までは借り物みたいに浮いていたパーツが、やっと収まるべき所に収まった感じがする。太い首とも綺麗に繋がって、ムキムキの身体と調和している。
間違いない、輪郭が変わったんだわ。あとはこの、青い切れ長の目だけ……
「どうしたんだ? リリエンヌ。もう一度キ……」
「輪郭が変わっているわ」
ええっと叫び、レッドは嬉しそうに私の手鏡を覗く。うっとりと顎を触るその姿を見て、私は複雑な気持ちになった。
目も全部レッドに変わってしまったら……私が想い描いた、私だけのレッドに変わってしまったら……。もう、お別れ出来なくなってしまうかもしれない。
こっそり鼻を啜ると、例の黒いタオルをレッドに投げ、わざと強い口調で言う。
「ほら! 早く魔力を試してみなきゃ! 私のセカンドキスを無駄にしないでよね」
「むっ……無駄とは何だ! それにセカンドじゃなくてサードだろう? お前からと俺からで二回分だ」
「どっちでもいいわよ! こんなに頑張って愛を注いだんだから、さっさと復元の魔力とやらを見せてちょうだい」
「 “頑張って” だと!? ……ああ、いいだろう。お前の唇を “無駄” にしないように、とびきりの魔力を見せてやる」
レッドは口を尖らせながら何度も試したけれど、復元の魔力らしきものは、結局一度も現れなかった。
◇◇◇
数日後────
公爵家の立派な馬車は、私とレッドを乗せて実家の屋敷へ向かっていた。両親が流刑地から帰って来たとの知らせを受けた為、無事を確認しに行くのだ。
幸い奴隷には落とされなかったから、そこまで酷い暮らしはしていなかったと思うけど。それでも貴族として、何不自由ない生活を送ってきた両親のこと。慣れない地で辛い思いをしたに違いない。
高級食材に酒、宝石に壺に絵画。想像主からたんまり分捕った慰謝料を詰め込んだせいで、馬車の車輪がミシミシと軋んでいた。
このくらい当然よね。ふんっ!
狭苦しい馬車の中、レッドは窶れた顔で、はあとため息を吐いている。
そうよね……あれから何度も頑張っているのに、復元の『ふ』の字も現れないんだもん。
『愛が足りないんじゃないか?』なんて不満げに言われて、数えきれないくらいキスしたし、ハグしたし、常に手も繋いでる。今朝なんかレッドの膝の上に座って、これ以上くっつけないくらいくっついて、長~~~いキスをしながら試したのに駄目だったのよ?
これ以上私は何をすればいいのよ! って文句を言ったら、真っ赤な顔で『そりゃあ……いや、駄目だ。一線を越えては……』とか、また訳の分からないことを言われたけど。
花染めの布とショールが出来上がるまでに魔力を使えるようにならないと。レッドはのっぺらぼうのままシュターレ国へ帰らなきゃいけなくなっちゃう。
一線でも二線でも越えていいから。私に出来ることなら、何でも言って欲しいのに。
どんよりした空気の中、あっという間に実家に着いてしまった。
馬車の扉が開けられるより早く、屋敷の扉が勢いよく開き、お父様とお母様が飛び出して来た。
「リリエンヌ!」
「お父様! お母様!」
ぴょんと飛び降り、二人の胸に抱きつく。
可哀想に……こんなに痩せちゃっ…………てない?
涙に濡れた顔を上げれば、最後に見た時とは別人みたいにふっくらした両親の笑顔があった。日に焼けたのか、健康的な小麦色の肌からは、白い歯がキラリと覗いている。
どうりでふかふかで気持ちいい訳だわ……と、二人の肉付きのいい胸を見下ろす。一体流刑地で何があったの? と考える私の頬っぺたを、むにむにと撫でながらお父様が言った。
「リリエンヌ……大丈夫かぁ? シュターレ国なんぞに追放されちまってよぉ、どんな辛ぇ目に遭ってるんでねえかと夜も眠れねぐでよ……ううっ」
「んだ。おめえみてぇな頭空っぽの娘が、んな悪さする訳ねぇのによう。何度訴えても無視するんだから。あんの青くてひょろ長い皇子め」
すぐ傍に殿下が付けた見張りの兵がいるのに、不敬罪まがいのことを言うお母様にひっとなる。だけどそれより何より気になるのは……
「お父様、お母様、そのお言葉遣いは……」
二人は顔を見合わせると、お貴族様らしく背筋を伸ばし、はははホホホと上品に笑う。
「ごめんなさいね、リリエンヌ。故郷によく似た田舎でしばらく暮らしていたら、郷の言葉が出てしまって」
そうか……二人とも貴族に成り上がる前は、田舎生まれの田舎育ちの平民だったから。
「お父様もお母様も辛くなかった? ちゃんとご飯は食べられた?」
絶対に食べていたと思うけど、一応訊いてみる。
「ああ。金はないが、何せそこらじゅう食べ物だらけだからな。土を掘れば芋が出てくるし、川に飛び込めば魚がわんさか泳いでる。狩りも得意だし、なあにも心配することねえよ」
「んだ。村の人もええ人達ばかりで、仲良くしてくれてなぁ。みんなで娘さん助けに行くべって、一緒に計画まで立ててくれてよう。嬉しがったなぁ」
うう……なんてええ人達なの。それにしても、さすが成り上がり貴族。我が両親ながら逞しいわ。魔力はないくせに、昔から人を絆すのが上手いのよね。
「それより貴女の方こそ大丈夫なの? リリエンヌ。たった一人で氷みたいな国へ追い出されて……辛かったでしょう」
鼻水を啜るお母様に、私は明るく笑う。
「大丈夫よ! この方が一緒に旅をしてくれて、私を色々なものから守ってくれたの」
両親に紹介しようと、後ろに控えていたレッドの腕を引っ張り、前に立たせた。
「……ハジメマシテ。レッドリオトモウシマス」
強張った口から変な声を出すレッドを、二人はじいっと見つめる。
……お父様とお母様の目には、レッドは誰の顔に映るのかしら。レッドが嫌な思いをしたり、傷付かないといいな、と少し身構える。けれど彼に向けられたのは、愛と涙に溢れた感謝の言葉だった。
「……まあ! まあまあ! ……ありがとうございます。本当に本当にありがとうございます。貴方様のお陰で、こうして元気な娘と再会することが出来たのですね。本当に……」
「親が不甲斐ないばかりに……なんとお礼を言えばいいか」
レッドはあたふたしながらも、おいおいと泣く二人の背中を、大きな手で優しく擦り続けてくれた。
ずっと鼻をかみ、ようやく落ち着くと、お母様はレッドをまじまじと見て言う。
「それにしても……ええ男だなぁ。炎みてえに真っ赤で、綺麗で、あったけえこと」
「んだ。真っ赤で、眩しくて、オラには太陽みてえに見えるだよ。もうちっとオラが若けりゃ、ええライバルになっとったなぁ」
んだんだ! レッドはええ男だんべ!?
炎みてえに綺麗で、太陽みてえに眩しくて、とにかくあったかくて真っ赤っ赤で………………え?




