21 のっぺらぼうのままで
二人きりで……
可愛らしく小首を傾げる私の隣で、レッドは腕を組み訝しげに創造主を見下ろしている。
『もしリリエンヌを傷付けたら、屋敷ごとレッドダイヤの魔力で吹き飛ばす』と言われ、顔を引きつらせながら『約束するわ』と頷く創造主。
結局、スイートルームの応接室でこうして二人向かい合い、レッドは兵と共に廊下で待機することになった。
「さっきは……酷いことを言ったわ。貴女ならどうなってもとか……ごめんなさい」
開口一番、謝罪する創造主に私は驚く。
「ラビニアと一つになってから、情緒が不安定になることが多いの。瞳子との色々が甦ったら、感情を抑えきれなくなってしまって。後から冷静に考えれば、随分酷いことを言ったと分かるのに……本当にごめんなさい」
「別にいいわよ。何だか大変そうだし。一つの身体に二人? が同居しているんでしょう? もし私だったら絶対喧嘩しちゃうもん」
今度は創造主が、驚いたように私を見つめてくる。
「貴女は……瞳子とは違うのね。顔や雰囲気はそっくりだけど」
「そうなの? トーコさんのことは何も知らないけど、少しでも違うなら良かったわ」
トーコさんによっぽど酷い目に遭わされたみたいだし。いくら広い公爵邸とはいえ、そっくりさんと同居なんて辛いわよね。
ふんふんとそんなことを考えていると、創造主はあの綺麗な涙をすうっと流し、白い掌で雑に拭った。
貴族令嬢……というかラビニアらしくない。これは創造主の仕草なのかしら。小さな子供みたいでちょっと可愛いわ。
私の視線に気付くと、少し照れた顔でハンカチを取り出し、優雅に頬を押さえながら言った。
「その蝶……珍しいわね。見たことがないわ」
彼女の視線は私の肩に向けられている。
「この子、魔獣よ」
「……魔獣?」
「ええ。白薔薇の……」
“愛の魔力で蝶に変わったのよ” と出掛かった言葉を慌てて引っ込めた。
魔力が残っていたことは明かさない方がいいわね。創造主から殿下に伝わったら、取り上げられちゃうかもしれないし。
「……薔薇みたいで可愛いでしょう? 仲良しになった魔獣の女の子なんだけどね、ファメオ国に入ったら、自然と蝶の姿に変わったの」
「自然と? ……魔獣って、三つ首に八本足のタコみたいな食料よね? それが蝶に変わったというの?」
“食料”という言葉に、ローズは触角と口を伸ばして創造主を威嚇し始める。さつまいも色の羽を指で撫で落ち着かせている内に、ある疑問が浮かんだ。
そういえば……創造主はこの世界の……私達のどこまでを創って、どこまでを知っているんだろう。
「創造主なのに、魔獣が蝶に変わることを知らなかったの? 貴女が考えた訳ではないの?」
「ええ。魔獣は、シュターレ国に追放されたラビニアの食料にする為に創っただけよ。蝶にする必要なんてないもの」
「……どうやって蝶になるかも知らなかった?」
「ええ、もちろん。魔獣が国境を越える必要なんてないでしょう」
創造主の答えが本当なら……この世界は、全てが創造主によって創られたものではないということ?
レッドが言っていた通り、運命が入れ替わったことであちこち歪みが生じて、創造主も知り得ない何かが起こっているのかもしれない。
もし、このままだったら?
「ねえ、創造主さんは、ラビニアを守る為にレッドを……シュターレ国王を創ったのよね?」
「ええ。そうよ」
「強くて温かくて優しくて、最高の王様よね? 筋肉もムキムキだし」
「そうね」
「あの……そんなレッドよりも、殿下の方が好きなの? レッドに会っても、ときめいたり惹かれたりしなかった?」
私の問いに、創造主は思案顔で答える。
「そう……ね。自分が創ったレアキャラと会えて嬉しかったけど、それ以上の感情は何も湧かなかったわ。描いている時は、殿下よりもシュターレ国王の方が好きだったのに。どうしてかしら……おかしいわね」
「殿下のことは好きなの?」
「ええ、とっても。顔を見るだけで……声を聞くだけで切なくて、胸が熱くなるの。殿下を愛していたラビニアと、心が一つになったからかもしれないわ」
そんな……どうしよう。レッドと愛し合ってくれないと、顔をもらえないのに。困ったわね。
「作者としては、責任を取って運命を元に戻さなければと理解しているわ。だけどラビニアとしては、このまま殿下と愛し合いたい。殿下と愛し合えないくらいなら、この世界がどう歪んだって構わない。そんな勝手なことを考えてしまうの」
「でも……でも元に戻さないと。レッドはどうなるの? 」
「どうなるって?」
「レッドの顔よ。ずっとのっぺらぼうのままだなんて可哀想だわ。貴女、レッドを愛する人に名前と顔を託したんでしょう? それはラビニアだと思っていたのに」
「それは……」
「ねえ、愛していなくても、名前と顔を創れない? 創造主なら出来るんじゃない?」
「……無理よ」
創造主は胸を押さえ、苦しそうに顔を歪める。
「私には、彼の顔がのっぺらぼうにしか見えない。だって……永遠にのっぺらぼうのままでいて欲しいって願っているんだもの」
「……どうして?」
「彼の名前と顔を創ることを支えに、病気と闘っていたから。本当は何も思い浮かばないんじゃなくて、思い浮かべたくなかっただけなの。創ってしまったら、安心して力尽きてしまう気がして……。結局死んでしまったけれどね」
「そんな……」
「彼の顔がまだのっぺらぼうだと知って、とても驚いたわ。でもそれが、私の希望だったからということに気付いたの。死んでもまだ、顔を見ることが怖い。顔を見たら、また死んでしまいそうで。だから……創ることなんて無理よ」
絶望的な答えに落胆するも、諦めずに必死に訴える。
「……ファメオ国に入ってから人が増えて、みんな好き勝手な顔をレッドに重ねるの。その度にレッドがどんなに哀しそうだったか。知らないからそんなことが言えるんだわ」
手鏡を覗いた時の、あの嬉しそうな表情を思い出すだけで、涙が溢れてしまう。
「私が勝手に見ている変テコな顔だって、俺だけのものだって、文句も言わずに喜んでくれるのよ? そんなのじゃなくて、ちゃんとした本当の顔をあげたらどんなに喜……」
「ねえ……ねえちょっと待って。リリエンヌ、貴女には彼の顔が見えるの?」
慌てた様子で創造主が遮る。
「……そうよ。最初は殿下の顔だったけど、少しずつ知らない誰かの顔に変わっていってるの。私が勝手にレッドをイメージしているだけだと思うけど」
「勝手に……イメージ……もしかして“レッド”っていう名前も貴女が考えたの?」
「そうよ。王様呼びだと目立っちゃうし。魔力も髪も赤いから“レッドリオ”。略してレッド。単純なあだ名だけど似合っているでしょう?」
ぽかんと口を開けている創造主。次第に顔がくしゃりと歪み、黒い瞳がみるみる揺らぎ出す。頬に流れる前に、また掌で雑に拭うと、震える声で問われた。
「リリエンヌ、貴女は……レッドのことをどう思っているの?」
「どう?」
「もし私が、やっぱりレッドを愛せそう、顔を創ってあげられそうって言ったら……私にレッドをくれる?」




